1951年5月1日、松永安左エ門(電気事業再編成審議会委員長)のGHQへの説得による、国会決議より効力が強いGHQポツダム政令を元に、
戦時における企業統廃合等によって発足した関西配電と日本発送電を再編する形で設立された(この為、現在も一部の年配者には関西電力を
「関配(カンパイ)」と呼ぶ人も居る)。

戦前まで近畿地方を拠点に全国展開していた日本電力、東邦電力、大同電力、宇治川電気の流れを組み、資産を継承している関係上、近畿地方
以外の発電所などの設備を多く持つ。