青年期特有の社会や他者への不信感をもってして、自らの「見識」であ
るなどと称する軍事マニアが多いが、まったくもって笑止千万である。
 社会が自分の思い通りにならないことに直面して、他人は全て悪であり、
人間の本質は悪であると思いこむのは、成長過程によく見られる一時的
な現象であり、それ自体批判される事ではないかも知れぬが、その「彼ら
にとっての発見」が、自己または、自己と同等に優秀であるもの、もし
くは危機意識が高いものだけが得られるものであるなどと誤解し、その
上で自らが人間についての高い見識を持ったという誤った優越感を持ち、
それを支えとして他者に説教を垂れる行為にまでおよぶと、軍事マニア
自身は、なるほど愉快だろうが、聞かされる側にとっては、文字通り「見
てるこっちまで恥ずかしくなる」のである。
 「性悪説」自身、人間の本性のある面を厳しく見つめた考え方である
事は事実であるし、「性悪説」に立脚した意見が直ちに無価値というわけ
ではないのだが、軍事マニアの「性悪説」には、人の本質は悪であるといい
ながら、一方で軍人を美化、神聖化し、それへの批判に対してヒステリッ
クに騒ぎ立てるという、特徴がある。
 このような精神状態は、純粋な「性悪説」というよりも、特撮ヒーロ
ーにあこがれる幼児においてよく見られる「善悪二分説」的なものであ
る。善悪を単純に二分化し、自らが好意を抱く「未来戦隊」が常に正しく、
そして勝たなければならないと考え、スーパーの「メガレンジャーショ
ー」で、ヒーローが負けそうになるとキャーキャー騒ぐ子供と、自衛隊
が常に正しく、自衛隊について崇拝では無い形で語られると、ヒステリ
ーを起こし、その話し手を敵とみなし、全否定しなければ気が済まない
軍事マニアの姿は、その本質においてまったく差が無いのである。
 幼児が自らを幼稚かも知れないなどと悩む事がないのと同様に、軍事
マニアが、自らをして「見識を持った大人」などと確信するのは、むし
ろ自然な事なのかも知れぬが、釈然としないものが残るのも事実である。