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アルジェリア紛争について

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0001名無しさんNGNG
1940年代後半から1960年代初頭まで続いたアルジェリア紛争
について教えて下さい。
特に紛争初期の1945〜1948年頃の事情を。
この紛争にはやはりあの有名なフランス外人部隊が参加した
のでしょうか?ご存じの方是非お教え下さい。
0002名無しさん@そうだ選挙にいこうNGNG
「サハラの砂、オーレスの石」読め。
0003名無しさん@そうだ選挙にいこうNGNG
>この紛争にはやはりあの有名なフランス外人部隊が参加した
>のでしょうか?ご存じの方是非お教え下さい。

参加したも何もフランス外人部隊が主役だ。
柘植久慶の本を読め。


0004>3NGNG
>参加したも何もフランス外人部隊が主役だ。
>柘植久慶の本を読め。
本のタイトル名を教えて下さい。
0005名無しさん@そうだ選挙にいこうNGNG
集英社文庫の「フランス外人部隊」だべ。
0006名無しさん@1周年NGNG
アルジェリア紛争・その概要

 1954年11月、アルジェリアの民衆がフランスの植民地から独立を求めて
放棄(この年、フランスはディエン・ビエン・フーの戦いで惨敗して、ベトナム
を失った)。
 フランスはアルジェリアでの権益を保護すべく、五十万の軍隊を同地に派遣し
て独立運動を弾圧。現地に植民していたフランス人たちも弾圧に加担。
 また、フランスのアルジェリアを誹謗する右翼は秘密軍事組織OASを組織し
て、テロ活動を行う。アルジェリア独立派のゲリラ組織との戦闘が激化。
 1958年、アルジェリア放棄を唱えるフリムラン内閣発足。アルジェリア紛
争はフランス経済を圧迫していたため。
 しかしアルジェリアに派遣されていたフランス軍空挺部隊が決起、フリムラン
内閣は総辞職に追い込まれ、一度は退いたド・ゴール将軍が返り咲く。
 右翼の期待を担って登場したド・ゴールだったが、相反してド・ゴールは植民
地放棄、アルジェリア独立を容認。国際世論はアルジェリア民衆支持に傾いてい
たため。
 これに激怒したOASはテロを激化。シャル将軍が若手将校に担ぎ上げられて
最後のクーデターを起こすが、ド・ゴール大統領は苦もなくクーデターを鎮圧。
 1962年、エビアン協定によってアルジェリア独立。OASもフランス情報
部SEDEC、アクションファイヴによって粉砕される。

 こんなんでいい? 不正確なところあったら御免。
0007名無しさん@1周年NGNG
映画「ただ栄光と名誉の為でなく」がおすすめ。
0008>6NGNG
放棄>蜂起
意味が違いすぎの為補足
0009>6NGNG
アルジェリア紛争って1954年に始まったのですか?
私はてっきり1940年代後半に始まったと思ってた・・・。
確かに、第二次世界大戦直後にまた別の戦争をする国力が
当時のフランスにあるとも考えにくいですけど。
1945年にアラブ人が103人のアルジェリア在住の白人を殺害
するという事件が起きましたよね?
フランスはその報復として40の村を爆撃したと聞いていたので
私は1945年〜1948年の時点で既に紛争は始まっていると思って
いたんです。
私の認識に誤りがあれば指摘して下さいませんか?お願いします。
0010NGNG
というか1945年〜1948年の時点でフランス政府は
アルジェリアに対して何らかの軍事的行動を起こし
たのですか?そのような事実があれば教えて下さい。
またアルジェリア紛争においてはフランス外人部隊
は何人ほど参加したのでしょうか?
この質問も合わせてよろしくお願いします。
0011>10NGNG
だから「サハラの砂、オーレスの石」読め。全部書いてあるよ。
0012>11NGNG
早速そのようにしてみます。
有用な情報を下さって、どうも有り難うございました。
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