戦前の日本を感じる事の出来る建築物or遺構の紹介
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0001名無しさん
NGNG皆さんのお奨めのスポットを紹介してください。
【私のお奨め】
→大阪城公園内 旧第四師団司令部(現大阪市立博物館)
この建物は、1929年に第4師団司令部庁舎として新築され、
戦後は一時、市警本部、大阪府警本部としても使用された。
1960年より、市立博物館として一般に開放される。内部は
大阪の歴史と文化を紹介する資料が一階と二階に展示されている
(入館料300円)。
実際に訪れた印象としては、内壁や扉などは改修された形跡が
見られるものの、外観はほぼ建築当時の状態が維持されており、
雰囲気は十分である。展示物の内容はともかく、あの雰囲気を
味わうだけでも300円を支払う価値はあろうというものだ。
00021
NGNG【その1】
玄関を入ると、正面にある大理石で作られた二階への階段が
眼に飛び込んでくる。細部まで創り込まれた繊細なデザインの
手摺が、階段全体の持つ豪壮さをさらに際立たせているようだ。
館内の暗さで気付き難いが、頭上には巨大なシャンデリアがある。
かなり時代を重ねた物の様に見受けられるが、これも戦前からの
備品なのであろうか?平日ということもあり、館内に人影はほとんど
見られず、磨き込まれた大理石の床を歩く私の靴音だけが、心地良く
反響している。気分は、司令部付き参謀将校といったところだ。
館内は幾つかの展示室に分かれており、時代ごとに様々な資料が展示
されている。しかし、私はそれらには目もくれず、かつてこの部屋
で将兵が机を並べて勤務していたであろう情景を思い浮かべていた。
数分間空想に耽った後、カーテンが閉じられた窓の一つに歩み寄り、
そっと、外の風景を覗いてみた。この窓は建物の裏側に面している
ようだ。建物が八月の強い日差しを遮っており、建物と石垣の間の
狭い地面にはひっそりと木々が生い茂っていた。覗く角度をやや鋭角
にすると、レンガ作りの外壁の一部も見ることができ、さっきよりも
壁に近づいたおかげで、蝉の鳴き声が微かに聞こえてきた。
00031
NGNG最近では少なくなったが、以前は八月一五日の終戦記念日が近づくと、
テレビでは様々なドキュメント番組や、戦争映画が放送されたものだ。
この窓からの風景を見ていると、それらの場面が思い出されてくる。
日本人にとっては、ほとんど条件反射かもしれない。
一通り館内を巡り、例の正面階段に戻ってきた。どうやら、展示スペース
として使用されているのは、一、二階のみであり、三階は倉庫として使わ
れているらしく、階段には「ご遠慮ください」のプレートがロープで吊る
されていた。ロープぎりぎりまで階段を上り、そっと三階を覗きこんでみたが、
各窓にカーテンがおろされている上、電灯も点いていないので、暗くて何も
見えなかった。展示室として使用されていないということは、もしかすると、
三階はより当時に近い状態を保っているという可能性もあり、展示品よりも
建物自体に興味のある私としては非常に興味を引かれた。しかし、どうしよう
もないので、後ろ髪を引かれる想いで館内を後にしたのだった。
00041
NGNGhttp://www.mesh.ne.jp/osaka/hakubutu/index.html
00051
NGNG当時の貴賓室(天皇、皇族専用室)の写真なども掲載されています。
http://www.aba-osakafu.or.jp/kindai/kindai03.htm
0006ナイススレッド。
NGNGたしか近衛師団司令部だったと記憶してる。
00071
NGNGそれは、一般公開されてるのでしょうか?
非常に興味のあるところですが、東京は遠いな・・・。
どなたか在京の方、訪問レポートしてくれないかな。
00081
NGNG→広島県江田島 旧海軍兵学校(現海上自衛隊幹部候補生学校)
一般の見学も可(ただし、事前の予約が必要だったかもしれないので、要確認の事)
【その1】
とある縁で、この施設を見学させていただく事となった。といっても、当然ながら
候補生学校や術科学校の内部は部外者立ち入り禁止なので、敷地内の名所と
教育参考館(帝国海軍創設以来の資料が展示されている)の見学がメインである。
どうやら、ガイド(兼監視役であろうか)に現役の隊員が付き添ってくれるらしい、
肩章によると彼は一尉で、35歳くらいのなかなかの好人物だ。
さて、いよいよ見学に出発だ(ただ、訪問したのは数年前の事なので、順路の前後
関係については記憶がやや曖昧な点もあることをお断りしておきます。要は、実際
の順路とは多少違うかもしれないということです)。 つづく
00091
NGNGガイドの彼(以後、一尉)に付いてぞろぞろと歩いて行くと、やがて赤レンガの建物が見えて
きた。アメリカのアナポリス、イギリスのダートマスと並んで世界3大兵学校の1つとして
数多くの有能な士官を排出したと、説明する一尉の顔は誇らしげだ。建物の外壁を
飾るレンガは、当時、一枚一枚丁寧に包装しイギリスより輸入されたものであるらしい。
それにしても、敷地内は見事なまでに掃除、手入れが行き届いている。軍隊施設は
どこでもこの手の見栄えには神経質(特に、お偉いさんが来る時などは)なのだが、
ここのレベルは他を一段抜きん出ているように私は感じた。そうこうする間に、見学
スポットのメインとも言える「教育参考館」に到着した。
まるでパルテノン神殿を想わせる6本の巨大な柱が我々を出迎える。一尉の事前説明
によると、この中には東郷、山本両元帥の遺髪や特攻隊の遺書、または学徒動員で
出征していった若者達の両親への手紙などが展示されており、さらに戦場に散った
多くの海軍将兵の霊を慰霊してあるのだともいう。その為なのだろうか、一尉曰く、
「この建物の内部に入ると、実際の気温よりも涼しく感じますよ。」なのだそうだ。 つづく
0010説明不要
NGNG00111
NGNG私は玄関で一礼し、参考館内部に入る。重厚な扉を押し開けると、そこは広い吹き抜け
のホールだった。正面に階段、さらにその上方には祭壇らしきものがある。ここに将兵
達の霊が眠っているのだろう。ここには本当に様々なものが展示されている。海軍の歴史
そのものがここに凝縮されているといっても過言ではない。軍服、書簡、書類、刀剣類、
さらに戦艦の艦長室(士官室だったかもしれない)まであった。その全てに深い感慨を
覚えながら、私は館内を巡る。そして、ある展示ケースの中に写真と書簡が並べられて
いるのが目に留まり足を止める。写真には若者が写っており、傍らの書簡は家族に宛てて
彼が書いたものであるらしい。文面は、今まで受けた御恩への感謝の気持ちと、出撃に向けて
の強気な抱負、そして行間には決して言葉には記すことの許されぬ悔しさが満ちていた…。
「海軍大尉○○○○ 22歳 ○○大学出身」、と傍らの説明書きにある。おそらく、学徒
動員で徴用されたのだろう。特攻隊か…、大尉という年齢不相応な階級は死後に与えられた
のだろうか?彼だけではなく、このケースの中には同じ境遇の若者の記録ばかりだ。つづく
00121
NGNGその一つ一つを丹念に読んでゆくうちに、○○大学出身という人物を発見した。
私の出身校だ。これまである程度保っていた心理的な距離が、この瞬間に吹き飛んだ
気がした。 意味の無いことだと分かりながらも、私は、彼と自分(当時25歳)の立場を
置き換えずにはいられなかった。「もし、自分が1945年に大学生だったとしたら、この
ケース内の写真は私のものが展示されていたかもしれないな。」 そんな事を思いながら、
玄関ホールに戻ってきた。そして、入って来た時よりも重く感じる扉を再び押し開け、私は
外に出た。なんだか、タイムマシンで過去を覗いてきたような重苦しい錯覚に陥りながら、
再び一尉の先導で見学を続ける。
しばらく歩くと、前方に戦艦の砲塔らしきものが見えてきた。一尉によれば、あれは戦艦
陸奥の四番砲塔で、新式の砲との換装に際に、学生の教材としてここに設置したという
ことだ。まさか現在は教材として使用されていないだろうと思いつつ、次へ向かう。 つづく
00131
NGNG次に到着した場所は、表桟橋だった。一尉は、この桟橋こそが施設の玄関口なのだと言う。
かつて兵学校(今は、幹部候補生学校)を卒業した新品の少尉達はこの桟橋から巣立って
いったということだ。そして彼らは、そのまま実習航海に旅立つ事となる。
しかし、では先ほど私が陸路入ってきた営門はと聞くと、あれは裏門なのだそうだ…。海軍の
感覚に少々、カルチャーショックを受けつつ次へ向かう。
石の台座の上に、何やら白いものが立っている。あれはもしや…、やはり、戦艦大和の
主砲弾だ。うーむ、でかい。ホントにこんなものが飛ぶのかと思わずにいられない。
しかし、海軍の誇りとして展示されているこの砲弾も、実際にはほとんど活躍しなかった
という事実を思うと、やはり空しさを感じる。 つづく
00141
NGNG一通り見学スポットを巡り終え、やや遅い昼食をとる為に施設内のレストランに向かう。
その建物にはレストラン以外にも様々な店が入りこんでいる。要は、PXなのだが、
江田島はよほど来客数が多いとみえて、御土産コーナーまであった。そこでは菓子類、
自衛隊グッズ、筆(どうして?)などが売られていた。その他の店としては、本屋、雑貨屋は
当然として、注目すべきは制服のオーダーが出来る服屋があることだろう。やはり、海軍は
身だしなみに気を使うのか?後に訪問した他の海自施設にもその手の服屋は存在したので、
私はますますその確信を深めたのであった。
そして、無事昼食も終え、海軍の伝統に触れることのできた満足感と、参考館で抱いた複雑な
気持ちを胸に、私は江田島を後にした。 完
0015>10
NGNGどっちかというと、戦後を感じさせるのではないだろうか。
0016役所シリーズ
NGNG愛知県庁。大胆な和洋融合設計にもっとびっくり。
名古屋市政資料館(旧裁判所)バロックの宮殿かと思った。
文部省。霞が関の庁舎では一番えらそう。日曜でも国旗掲揚。
(俺が行ったとき、屋上にも日の丸掲げてたのここだけ。ほかは玄関だけ)
北海道庁旧庁舎。有名すぎて説明不要。
あと滋賀県庁や宮崎県庁もいいな。
0017名無しさん
NGNG避難場所?が残っている。かまぼこ形のコンクリート製。
丈夫に作ってあるので壊すのが大変なんだと。
現在は、住宅地のなかに突然ポツンと異次元状態。
松山空港においでの際は、お暇ならどうぞ。
0018名無しさん
NGNG戦艦三笠の公園から1時間に1回、渡し舟が運行しています。
明治・大正時代の海軍の要塞の跡地です。
0019名無しさん
NGNG将校クラブの洋館が残っていて今はレストランになってる。
0020名無しさん
NGNGまさに廃墟…
砲台とかも残ってる
0021名無しさん
NGNG釣りに行きました
0022名無しさん
NGNG観音崎の辺りも明治の砲台跡があるよね。
そうそう、戦没船員慰霊碑を忘れては行けないな。ご苦労様です。
0023名無しさん
NGNG今は物置に活用。
0024名無しさん
NGNG東京国立近代美術館工芸館のページ
http://www.momat.go.jp/cg.html
外観は上の通りですが、内部はすっかり改装されてしまい、悪く言えば
ありきたりの建物になってしまっています。因みに1階が事務所等、
2階が展示室になっていますが、人が居なさ過ぎてちょっと落ち着きません。
外からゆっくり建物を眺めるのがよろしいかと。
皇居と近衛師団指令部が高速道路で分断されていると言う現実に
戦後を感じてしまうかも知れませんが。
0025名無しさん
NGNG駆逐艦「柳」をそのままうめこんでいるそうです
http://www.asahi-net.or.jp/~KU3N-KYM/heiki2/yanagi/yanagi.html
あと千葉の稲毛海浜公園にあった元海防艦の公民館は解体処分されたそうで
残念です。
0026豊橋っ子
NGNG愛知大学豊橋校舎大学記念館
http://www.aichi-u.ac.jp/vmap/vmap2/mapimage_R/03n.jpg
以下引用
大学記念館の建物は、1908年(明治41)年旧陸軍第15師団司令部庁舎として建造された。その後、1946(昭和21)年から96(平成8)年まで愛知大学本館として使用していた。大学は創立50周年を迎えて記念事業のひとつに、この明治時代の木造建築を修復し歴史的建物(文化庁登録有形文化財)として保存することとし、98年5月にはこの一区画に「大学史展示室」および「東亜同文書院大学記念センター展示室」等を開設した。また「愛知大学中日大辞典編纂所」もおかれている。
0027いっぷに
NGNG旧軍人会館。
戦没遺族会の本部もここにあります。
0028皇帝のいない八月
NGNG当時特攻隊員育成の為の飛行場がありました。
開隊は敗戦色濃い昭和19年(だったかな?おぼろげで御免)で
赤とんぼや零戦が駐機していたそうです。
今は田畑になっていますが当時の面影を残すものとして防空壕が
点在して残っています
中に土砂が溜まっている、水が溜まっている等保存状態は悪いのですが
入り口のディティールはほぼ当時のままで資料としては結構良いと思われます。
四年前に行った時に写真を撮っていたのですがネガやプリントがどこにいったのやら(^^;
0029名無しさん
NGNGあれは国会議事堂より立派でした。
0030名無しさん
NGNGby日本左翼
0031名無しさん
NGNG0032>19
NGNGいい勝負かも。
61はCal50のAP弾でも貫徹しますから。
0033>32
NGNG根本的に間違った。
ごめんなさい。m(_"_)m
0034名無しさん
NGNG釣り人が多いけどね。
0035名無しさん
NGNG六本木通りを挟んだ歩兵1連隊の跡地は、防衛庁が使用していた為に、昔日の面影は残っていない様です.
0036名無しさん
NGNGあそこにあるトンネルは怪奇スポットでも有名だよ。
0037名無しさん
NGNGすごく古い。あれは明治21年の築のままなのかな?
中は真っ昼間でも暗く涼しく、
階段部の装飾なんかはボロボロだけどまさに戦前って感じです。
ちなみに御所は意外と近代的で快適な建物です。割とこじんまりしている。
0038名無しさん
NGNGもっと知りたいス
0039名無しさん
NGNG(慶応大校舎を間借りしていたと聞いておりますが)
0040名無しさん
NGNG現存しています。いつぞや朝のNewsで放送しているのを見ました。
神奈川県生田の明治大学工学部のキャンパスは陸軍登戸研究所の
跡地で、当時の建物を最近まで物置に使っていたようです。
0041名無しさん
NGNG元は海軍の魚雷保管庫。でも味わいがあります・・・
赤レンガついでに大阪市中央公会堂(現在改修中)
戦時中に軍の命令で装飾とかクーラーなんかが
接収されたんだって。だから今も冷房無し!あっつ〜い!
004239
NGNG>慶応大学日吉校舎の地下にコンクリート補強した地下壕が
>現存しています。
情報ありがとうございました。いずれ暇を見つけて、同大出身の
友人に案内してもらおうと思います。
00431
NGNG『旧第四師団通信隊』(現 大阪城公園詰所)
大手門を通り、天守のある本丸へと向かう途中に、
かつて第四師団の通信隊がありました。現在では、
残念ながら建物自体は残っていないようですが、
営門とレンガ塀は往時の姿を保っています。
0044名無しさん
NGNG愛知県犬山市。
0045>44
NGNG絶対にいいですよ!
古きよき日本があります!
0046名無しさん
NGNG0047>34
NGNG徳山からフェリーで行けます。
基地はそっくり残ってて、資料館もあります。
なによりいい釣りスポットです。
0048名無しさん
NGNG0049名無しさん
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