戦中でも、台湾港路が健在だった19年中頃まではわりと砂糖豊富。
以降急速に欠乏するのは、船便の減少とともに、燃料用アルコールの生産に
砂糖が振り向けられたから。
戦中の配給量は月一人頭一律0.6斤(360グラム)で、五人家族なら月1.8キロ。
他の物に比べて欠配遅配も起こしていない。
最後の一年を除いては。