今月の歴史群像の給糧艦間宮特集では、新造時の間宮には日清・日露戦争時代の外洋船舶同様に
牛などの肉畜の飼育施設や解体処理設備も備えられていたものの、結局使われじまいだったと
書いてありましたな。

その理由は明快で、既に大型の冷凍庫を持つ間宮では、長期間生きた家畜を洋上で世話をするよりも、
最初から食肉加工処理された冷凍肉として搭載した方が圧倒的に楽だったからですが。

何せ冷凍肉には餌をやらなくてもいいし、糞尿で船内を汚さないのだから。

そして間宮が海軍の大型特務船舶(約1万5千トン)であるにも関わらず、呉や横須賀の海軍工廠ではなく
民間の造船所で建造されたのも、既に食肉の冷凍輸送用に多数の食肉輸送船の建造ノウハウのある
民間のそれに期待しての事だったそうです。

当初は断熱材の不具合もあり、肝心の冷凍庫が所定値よりも温度が下がらないなどのトラブルが生じた
ものの、そういった不具合は順次改善されていき、夏場になると冷房の効いた冷凍庫で勝手に涼む者が
後を絶ちませんでした。

そうなると当然冷凍庫に閉じ込められるうっかり者も出てきたそうで、1航海辺り5〜6人はそうやって
凍死しかける事故が発生したと書いてありました。

後にそういう事故を防止する為に冷凍庫内部に緊急通報ブザーのボタンを設置したり、冷凍庫の係官が
扉を閉める際には、大声でこれから閉める事を三回連呼する・・ という規則が作られたそうですが。