南宋征服に際してフビライは司令官のバヤンに出来るだけ降伏させろと指示していたので
長期に篭城して抵抗した襄陽でも降伏させて虐殺はしていない。
臨安でもモンゴル軍が迫ると南宋の部隊はわれ先に投降してしまう有様でまともな抵抗は無かった。
虐殺が無かった分、大量の捕虜を抱え込む結果となって反乱分子をこのままにもしておけず、
日本への遠征という名目で使い捨てにしたという説もある。