オトラル事件の時のモンゴルの総兵力は25万で
西方遠征に投入された兵力は15万、
ホラズムの総兵力は40万だったが、まとまった指揮系統が無く、
チンギスハンの下で統制のとれたモンゴル軍に各個撃破されていった。