モンゴルはいかに世界を変えたのか
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0001世界@名無史さん
2012/02/03(金) 11:49:51.0100361世界@名無史さん
2012/07/16(月) 12:01:32.78O0362世界@名無史さん
2012/07/16(月) 12:16:07.910アゼルバイジャンやアルメニアをイル汗国と
血で血を洗う抗争を繰り広げたキプチャク汗国。
最後は仲良くティムールに踏み潰された。
0363世界@名無史さん
2012/07/16(月) 12:58:18.910仲良くタタールに敗れている。
0364世界@名無史さん
2012/07/16(月) 13:21:08.10O0366オツガイ ◆EAbyJft1LY
2012/07/16(月) 13:47:12.410でも、ジョチウルスのルーシ支配って間接統治が基本だったし、
初期はそれなりにうまくいってたからそこまで深入りする必要性もなかったんじゃないかな。
それよりも中央でのカアン位を巡る争いやイル・ハン国との対立のほうが重要だったんだと思う。
そもそも、モンゴルが出てくるまでもなく、アレクサンドル・ネフスキーがドイツ騎士団を破ってるし。
>>360
14世紀半ば以降のジョチ・ウルスはあなたも言ってるように内部での後継者争いで混乱してたからね。
まぁ、後にトクタミシュが現れて一時的に盛り返すとは言え、分裂し衰退しかかってる時期だったのには違いない。
その頃のジョチウルスとドイツ騎士団を比べて、タタールはドイツ騎士団を恐れてたと言っても説得力に欠ける気がする。
ジョチウルスがドイツ騎士団のほうまで攻め入らなかったのは、中央でのゴタゴタやイル・ハン国との対立のせいで、
大して必要のない遠征をする暇がなかったからでしょ。まぁ、ドイツ騎士団も当時としては強い勢力だったと思うけどね。
0367世界@名無史さん
2012/07/16(月) 15:27:57.930>1399年のヴォルスクラ河の戦いではリトアニア軍もドイツ騎士団も
>仲良くタタールに敗れている。
ヴォルスクラ河の戦ってリトアニアとジョチ・ウルスの戦いだろ。
ジョチ・ウルスにとっては1380年にモスクワ大公国とリトアニアが組んで
ジョチ・ウルスの軍勢に大勝したクリコヴォの戦いの報復戦だろ。
0368世界@名無史さん
2012/07/16(月) 16:01:04.65O0369世界@名無史さん
2012/07/16(月) 16:15:47.110(その後トクタミシュはティムールにフルボッコされるが)
0370学部生
2012/07/16(月) 17:53:21.2600371世界@名無史さん
2012/07/16(月) 18:18:26.1800372学部生
2012/07/16(月) 18:42:06.790ググんのんさえメンドイから教えてーな
0373世界@名無史さん
2012/07/16(月) 18:47:38.620じゃなきゃヨーロッパの辺境国家があそこまで強くなれなかった
0374学部生
2012/07/16(月) 18:55:10.950モンゴルなんかなければよかったのに
0375世界@名無史さん
2012/07/16(月) 21:38:59.350スペインなんかなければよかったのに
0376世界@名無史さん
2012/07/16(月) 22:08:45.3200377世界@名無史さん
2012/07/16(月) 23:12:45.510コンスタンティノーブルを陥落させたオスマントルコだが
0378世界@名無史さん
2012/07/16(月) 23:48:16.990ヴィチはベルケ汗の治世に、この当時国家的統一を達成していた
リトアニアのミンドフクと同盟を結んで(婚姻関係と従臣関係を結んだ)、
汗国の支配に抵抗しようとした。
これに対して、ベルケ汗はブルンダイの率いる強力な汗国軍を南西ルーシ
に派遣し、南西ルーシ諸公を軍事的に威嚇することによって彼らをリト
アニアから離反させようとした。
ヴェルナツキイによれば、「おそらくモンゴル人はリトアニアの勢力の
増大を懸念しており、リトアニアの拡大は、それが初期の段階のもので
あっても、西ロシアにおける自分たちの支配に対する潜在的な脅威であ
ることを認識していたのであろう」
http://www.bunkyo.ac.jp/~natasha/russia/mongol_01.htm
0380世界@名無史さん
2012/07/17(火) 00:14:08.49Oそのクリミアハン国がロシア女帝に支配され滅ぼされたのは皮肉な限り
0381世界@名無史さん
2012/07/17(火) 04:36:04.080つくづく大陸人とは凶暴であると思う
0382世界@名無史さん
2012/07/17(火) 16:49:17.8600384世界@名無史さん
2012/07/17(火) 19:13:29.4700385世界@名無史さん
2012/07/17(火) 20:07:22.6200386世界@名無史さん
2012/07/17(火) 21:49:51.2100387世界@名無史さん
2012/07/17(火) 22:54:19.630>モンゴル諸国と東欧の力関係が逆転したのは14世紀〜15世紀と見ていいことは分かった
ベルケ汗の治世(在位1257年 - 1266年)にはすでにリトアニア大公国がキプチャック
ハン国の潜在的な脅威になっていた。
ドイツ騎士団んからの圧力がなかったら、13世紀中には力関係は逆転していた。
0389世界@名無史さん
2012/07/18(水) 00:56:35.700ティムールにドイツ騎士団なんかが歯が立つなんて本気で思ってるのかよw
0390世界@名無史さん
2012/07/18(水) 01:45:29.670攻めん込んだ側がやられるだけの話
0391世界@名無史さん
2012/07/18(水) 01:50:40.5700392世界@名無史さん
2012/07/18(水) 08:12:40.67O0393世界@名無史さん
2012/07/18(水) 13:27:59.830http://file.giraffech.blog.shinobi.jp/395-1-1.jpg
http://file.giraffech.blog.shinobi.jp/395-1-2.jpg
http://file.giraffech.blog.shinobi.jp/395-1-5.jpg
http://file.giraffech.blog.shinobi.jp/395-1-6.jpg
http://file.giraffech.blog.shinobi.jp/395-77.jpg
http://file.giraffech.blog.shinobi.jp/395-259.jpg
http://24.media.tumblr.com/tumblr_m6k05oGh661qa8o34o1_500.jpg
http://blog-imgs-47.fc2.com/b/u/h/buhisoku/20111122230001_28_1.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/moro1977-004/imgs/4/f/4fb55678.jpg
上ロシア 下・・・
http://file.giraffech.blog.shinobi.jp/395-241.jpg
0394世界@名無史さん
2012/07/18(水) 18:47:32.7400396世界@名無史さん
2012/07/18(水) 19:32:55.680,/ ゙゙llli,,,
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0397世界@名無史さん
2012/07/18(水) 23:20:31.110大公国がキプチャックハン国の潜在的な脅威になっていた。
0398世界@名無史さん
2012/07/18(水) 23:46:12.7500399世界@名無史さん
2012/07/19(木) 00:35:49.460キプチャックが動員できる兵数は20万
現実的な脅威にはなりにくい。
ただ、ほぼ同数の兵数で戦った青水の戦い(1362年)では
リトアニアが圧勝したことからも兵力ではリトアニア軍のほうが
キプチャック軍より強いだろう。
0400世界@名無史さん
2012/07/19(木) 00:38:34.990その強力であるというリトアニアではなくティムール
0401世界@名無史さん
2012/07/19(木) 00:44:23.8200402世界@名無史さん
2012/07/19(木) 01:00:03.330実質支配してのは南の平原だろ
リューリク朝滅んでないし
0403世界@名無史さん
2012/07/19(木) 01:02:36.810ドイツ騎士団国。
当然、ドイツ騎士はキプチャック騎兵よりだいぶ強いだろう。
それこそ、「一方タタール人の側もフランク人(ドイツ人)の名声
と武勇に恐れをなしていて、」とのエドワード・ギボンの推測を
裏付ける。
0404世界@名無史さん
2012/07/19(木) 01:06:13.740ハンガリー・イングランド・ドイツなどから成る十字軍をフルボッコ。
コンスタンティノーブル包囲を開始。
0408世界@名無史さん
2012/07/19(木) 20:52:48.4300409世界@名無史さん
2012/07/19(木) 23:59:35.790バトゥの弟ベルケ汗の治世(在位1257年 - 1266年)にはすでにリトアニア大公国が
キプチャックハン国の潜在的な脅威になっていた。
キプチャック軍は20万、リトアニア軍は3万ほど動員できたことから兵数が同じなら
間違いなくリトアニアの方が強いだろう。
そのリトアニアに対し一方的に侵略を繰り返していたドイツ騎士団は当然もっと強いだろう。
んからの圧力がなかったら、13世紀中には力関係は逆転していた。
それこそ、「一方タタール人の側もフランク人(ドイツ人)の名声
と武勇に恐れをなしていて、」とのエドワード・ギボンの推測を
裏付ける。
0410世界@名無史さん
2012/07/20(金) 00:04:36.670強力なリトアニア大公国に恐れをなしてティムールに喧嘩を売った
ってかw
0411世界@名無史さん
2012/07/20(金) 00:26:20.8300412世界@名無史さん
2012/07/20(金) 08:38:53.0700413世界@名無史さん
2012/07/20(金) 17:19:50.570東欧がモンゴル相手に優勢になったのと同時期だな
0414世界@名無史さん
2012/07/20(金) 18:57:50.4300415世界@名無史さん
2012/07/20(金) 19:56:05.130オスマンもティムールにはやられまくってたがなw
モンゴルが短命だったのは相続する時に荒れて武力闘争に発展しやすかったのが原因
中国を征服した遊牧民や狩猟民が中国化したのはそうしたほうが政権運営がしやすかったのも理由の一つ
0416世界@名無史さん
2012/07/20(金) 21:40:21.6902世紀から3世紀も間、ユーラシアの覇権握ってて落ち目になった15世紀、16世紀辺りでも
中国北部やインド北部で猛威振るってるじゃないか
0417世界@名無史さん
2012/07/20(金) 21:43:34.160かつては世界帝国だった頃に比べると・・・
あくまでも比較の問題である。
0418世界@名無史さん
2012/07/21(土) 00:12:13.2800419世界@名無史さん
2012/07/21(土) 00:39:41.280よその趨勢ではモンゴル退潮気味なのに
0420世界@名無史さん
2012/07/21(土) 12:20:06.940主張しているのに、やれティムールやオスマントルコが出てくるんだよ。
大体、ティムールの軍団もオスマントルコの軍団もティムールやバヤジット
など勇将あっての強卒(弱卒の反対)だっただけだ。
本当に強い軍隊とは指導者がだれでも精強であらねばならない。
その点、ドイツ騎士団やリトアニアの方が指導者の優劣に関係なく精強さを
維持していたのだから強い軍隊といえる。
0421世界@名無史さん
2012/07/21(土) 13:55:43.290"精強な"ドイツ騎士団・リトアニア大公国はコンスタンティノーブル陥落を阻止できなかった。
大体モンゴルスレでティムールの話するななんて何言ってんだ?
0422世界@名無史さん
2012/07/21(土) 22:34:15.580あたりまえだ。
0423世界@名無史さん
2012/07/21(土) 22:45:50.9800424世界@名無史さん
2012/07/21(土) 23:04:56.500"精強なドイツ騎士団"とか"強力なリトアニア大公国"が
バヤジットやティムールを上回るなどという新説が極めて新鮮で香ばしい
0425世界@名無史さん
2012/07/22(日) 01:20:10.600>"歴史に与えた影響"が
>"精強なドイツ騎士団"とか"強力なリトアニア大公国"が
>バヤジットやティムールを上回るなどという新説が極めて新鮮で香ばしい
そんなことは一言もいってないが、おれがいいたいことは、
「一方タタール人の側もフランク人(ドイツ人)の名声
と武勇に恐れをなしていて、」とのエドワード・ギボンの推測を
主張しているだけだ。
0426世界@名無史さん
2012/07/22(日) 02:02:19.2500428世界@名無史さん
2012/07/22(日) 02:43:09.2500429世界@名無史さん
2012/07/22(日) 02:54:12.6800430世界@名無史さん
2012/07/22(日) 03:02:06.740恐ろしいでほんま
0431世界@名無史さん
2012/07/22(日) 07:48:29.580構成の9割以上がテュルク系だったって話だとか
0432世界@名無史さん
2012/07/22(日) 09:52:17.930計画されたものであり、ジュチの次男[10]バトゥが遠征軍の総司令官となった
のもこの意味においてであった。
総兵力12万から14万と推定されるモンゴル遠征軍は、1236年にヴォルガ・
ブルガール人の土地に侵入し当地を制圧すると、1237年秋から1238年春に
かけて、リャザーン、ヴラヂーミル、トヴェーリなど北東ルーシの有力都市を
すべて軍事的に征服した。
http://www.bunkyo.ac.jp/~natasha/russia/mongol_01.htm
0433世界@名無史さん
2012/07/22(日) 20:02:51.490豊かなモンゴル人と2万人の徴用兵、さらに中国人とペルシア人の専門兵が
与えられた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
0434世界@名無史さん
2012/07/28(土) 21:11:07.7900435世界@名無史さん
2012/08/26(日) 08:23:04.58Oそれまでは、まともな文章力ある奴は皆様役人になろうと努力して、小説や芝居の脚本書かなかったが
元の時代は学力あっても役人になれず、仕方ないから小説書いたらしい
0436世界@名無史さん
2012/09/03(月) 15:51:57.40013世紀当時、10万近い大軍がユーラシア大陸を東西に横断するとか不可能だろ
0437世界@名無史さん
2012/09/03(月) 19:24:41.670しょっぱいしょっぱい西欧土人と一緒にすんなよww
0438世界@名無史さん
2012/09/03(月) 20:00:08.200「あんな大軍で押し寄せて来られたらとても敵わん」とか負けた言い訳だと思う。
0439世界@名無史さん
2012/09/03(月) 21:55:10.480欧州に着くころにはとても戦える状態ではないだろう。マラソンの42.195キロとはわけが違う
へとへとになりながら戦う。相手は体力を温存して構えている。
0440世界@名無史さん
2012/09/03(月) 22:51:15.830色々手を尽くしてはいるようではある
0441世界@名無史さん
2012/09/04(火) 08:39:49.840遊牧を甘く考えすぎなんだよ。
遊牧って生産性がメチャ低いから広範囲に超低密度で分散しても極貧生活支えるのが精一杯なのに・・・
10万もの大兵力とそれを支える数百万頭の家畜が集結なんかしたら、あっというまに周辺一帯の草原を
食い尽くして全軍餓死だろ。
0442世界@名無史さん
2012/09/04(火) 09:59:20.720ウクライナあたりまでほとんど草原なんだから食い尽くしたら移動すればいいだけじゃんw
むしろヨーロッパに入ってからのほうが問題。
0443世界@名無史さん
2012/09/04(火) 10:10:12.580無理だよ。
だって低密度に分散した普通の遊牧生活ですら常時移動し続けないとやっていけないんだから。
家畜数百万頭ともなれば食い尽くす草原の面積が移動可能な距離を上回る。
0444世界@名無史さん
2012/09/04(火) 10:59:38.410普通の遊牧は何キロか移動すると数日とどまって家畜に草を食わせ、また移動。
軍事遠征では一日に50〜100キロの移動を続ける。
また夏営地や冬営地ではある程度長期滞在になり、特に冬営地には普段分散して
暮らしていた牧民たちが家畜ごと集結して暮らす。
あと聞き忘れてたけど10万人に家畜数百頭っていったいどういう計算?
0445世界@名無史さん
2012/09/04(火) 11:38:39.470モンゴル軍の機動力は家畜を後方に残して騎馬部隊だけで行動した場合1日50キロ。
ただこれは兵糧の限界から長期間続けることはできない。
羊の行動半径は1日6キロ程度だから家畜と一緒なら機動力は大幅に低下する。
1918年のモンゴルの人口は65万人で、その生活をラクダ22万9000頭、 馬115万1000頭、
牛107万8000頭、羊570万頭、山羊148万 8000頭で支えていたんだよね。
モンゴル軍10万なら単純に6分の1としても家畜約160万頭が必要な計算になる。
補助戦闘員をその10万に含めるか否かによっては必要な家畜の数ももっと多くなるし。
0446世界@名無史さん
2012/09/04(火) 12:49:12.240もし羊ごとモンゴルから出発して、行動半径1日6キロに合わせて進軍してたら
ロシアに着くまでに2年半ぐらいはかかるよw 実際はヴォルガ・ブルガールや
クマン族を征服しながらもっと速い。
それを考えると食糧については携行食のほかに帝国内では備蓄や供出、敵地では
略奪が現実的だろう。キプチャク草原征服によって大量の家畜が手に入っただろうし。
0447世界@名無史さん
2012/09/04(火) 13:15:47.5401235年に遠征決定、1236年春にブルガル地方との国境に集結、1237年末にロシア侵攻だから
実際に2年半ぐらいかかってるじゃん
0448世界@名無史さん
2012/09/04(火) 18:44:48.950白人が犯される側の貴重な歴史的瞬間
古代ローマ人とモンゴル人のみの名誉
残虐でアグリーなモンゴルに侵されるほうが興奮するね。
0450世界@名無史さん
2012/09/05(水) 04:08:56.170でも遠征に家畜を伴っていれば行軍速度も当然物理的な制約受けるでしょ。
それに兵站を家畜に依らないのだとすれば、当時のモンゴル帝国の支配地域なんてその他農耕民族の
領域よりも人口密度や食糧生産性が圧倒的に低いんだから、長距離遠征に投入可能な兵力だって
かなりの少数になるはず。
なおさらバトゥ軍10万人なんて不可能。
0451世界@名無史さん
2012/09/05(水) 08:56:21.2601236年春に出発して、夏中移動して秋にイリ盆地に着いてるから
出発地点はモンゴルだろう。
>>450
羊や牛を生きたままモンゴルから連れて行かなくても
携行食糧化(干し肉、乾燥乳等)、行軍路上にて食糧備蓄・徴発が可能。
馬や駱駝だけ連れて行けば済む。
0452世界@名無史さん
2012/09/05(水) 09:33:42.320帝国内での食糧調達を行軍路上にて食糧備蓄・徴発に頼るとすれば、モンゴル軍の運用可能な兵力は
同時代の他の国よりも大幅に少なくなるよね。
だって領内の人口密度や食糧生産性が農耕地域よりも低いんだから。
10万人の兵力が数千キロもの長距離遠征を行うことは当然不可能ってことでOK?
0453世界@名無史さん
2012/09/05(水) 10:18:33.900意味が分からないんだが。
10万人が生存可能な食糧がそもそもないとすれば
兵力どころか人口が10万以下だったことになり、領土の維持すら困難だろう。
0454世界@名無史さん
2012/09/05(水) 18:46:57.1700455世界@名無史さん
2012/09/06(木) 11:29:13.530行軍路上にて食糧徴発するんだから、その地域の住人は普段より徴発分の食糧を余分に負担しなくちゃ
いけないだろ。
例えば、モンゴル軍10万人が行軍路上にある人口5万人の交易都市で食糧徴発するならその都市には
住人5万人分の食糧+モンゴル軍10万人の食糧で計15万人分の食糧が必要じゃん。
0456世界@名無史さん
2012/09/06(木) 13:09:22.360モンゴル軍が1日で通り過ぎてくなら5万人の2日分の食糧だぞ。
モンゴル帝国の住民は食糧または食糧調達のための資源をきっかり1年365日分しか持ってないのか?w
そこまで余剰生産がない国なら誰も税なんて払えないし戦争どころか国家維持も不可能。
0457世界@名無史さん
2012/09/06(木) 13:48:12.120実際には次の都市まで移動する間の食糧も徴発する必要があるから量はもっと多くなるけどね。
いずれにしろ、どれだけの規模の軍を運用可能かは、その国の余剰生産量に左右される。
となると食糧生産性の低いモンゴル帝国は、それよりも圧倒的に豊かな農耕民族の中国や日本よりも
小規模な軍を運用するのが精一杯ってことになる。
モンゴル帝国が10万人なんて大兵力を東欧遠征に投入可能だったとは考えられないな。
0458世界@名無史さん
2012/09/06(木) 18:47:43.190モンゴル高原から中央アジアまでの広大な領土を持ち
支配機構の整備されていたモンゴル帝国にとって10万人の動員は造作も無いこと
西欧の土人国家と一緒に考えてはダメ
0460世界@名無史さん
2012/09/06(木) 21:20:06.090■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています