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モンゴルはいかに世界を変えたのか

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0001世界@名無史さん2012/02/03(金) 11:49:51.010
語れ。
0172世界@名無史さん2012/04/23(月) 20:12:05.400
戦国期日本の50万丁ってすごい数だな
16世紀末の人口が1200万人だから総人口の4%に火縄銃が装備されるってこと?
足軽・雑兵含めて当時の日本の総兵数はどれくらいに見積もられてるんだ?
0173世界@名無史さん2012/04/23(月) 22:00:29.30O
「元史」によると、元寇の発端は、高麗王の忠烈王が「元の皇帝に執拗に、東征して日本を属国にするよう勧めた」との記述がある。
0174世界@名無史さん2012/04/23(月) 22:12:26.670
チンギスハーンがアッバース朝と宋とキエフルーシを併合した後に、もっともっと後世に影響力が残るようなデッカいことをしてたら
我々モンゴロイドも今の白人キリスト教世界のように中国人日本人朝鮮人台湾人同士で団結しあって地上の支配者になってたかも知れないのに(アウグストゥスなんて目じゃねえぐらいに)


彼はモンゴロイドに数少ない絶対的カリスマ性を持った人物だった。
0175世界@名無史さん2012/04/23(月) 23:29:52.610
ポーランドもドイツとロシアだけでなく、遥か彼方から来たモンゴルにまで襲われて災難続きの国ざな。
何であの草原のカザフスタンと変わらないような遊牧土人が大それた事ができたのか?
白鴎の部屋にもジンギスカンの絵が飾ってあったな。モンゴルでは当然だけど超英雄なんやね。
世界一の強姦魔だろ?
0176世界@名無史さん2012/04/23(月) 23:32:49.300
>>171
東欧・北欧・ロシア・オスマントルコの火器保有数は?
0177世界@名無史さん2012/04/23(月) 23:56:45.550
まあ、単なるバカやただのマグレじゃ成し遂げられないね。当時世界最先端だった宋とアッバース朝の2つの超大国を同時壊滅させるなんて。
なんか古代ローマ人に通じる凄みを感じるんだよね>少数民族で世界帝国築いた

オゴデイが死ななければ…バトゥなら絶対イベリア半島までやってくれたはず
そうすれば神聖ローマもロスチャイルドも無く、白人の時代も無かった。

0178世界@名無史さん2012/04/24(火) 00:09:12.770
そうなったらフランク汗国、イスパニア汗国、イタリア汗国が産まれてたか?
0179世界@名無史さん2012/04/24(火) 00:13:04.060
>>176
ロシアツァーリ国は欧州じゃないよねw
オスマン帝国も良識ある我々はわざわざ欧州に含まないよね
はい、あとは東欧と北欧の保有数を出せばいいだけだよ
合計で30万丁以上保有していたという根拠をねw
0180世界@名無史さん2012/04/24(火) 00:17:23.850
戦国末期の火縄銃総数50万丁ってどこから来た数字だろうと思ってググッたら、
Wiki「火縄銃」に書いてあるのか・・・ソースはノエル・ペリン「鉄砲を捨てた日本人」になってるね。
貿易取引書から推計した数字らしいが、暇ができたら一度読んでみるか・・・。
常識的に考えれば15万丁くらいだと思うが、意外な発見とかあるかもしれんしな。
0181世界@名無史さん2012/04/24(火) 00:23:59.910
>>179
オスマンは西欧列強に「ヨーロッパの病人」と認定されてるよw
ウラル山脈の西がヨーロッパだからロシアも充分入るな
シベリアは植民地ってことで
0182世界@名無史さん2012/04/24(火) 01:10:58.030
ウラジオストックはヨーロパです。白人の町だから。
0183世界@名無史さん2012/04/24(火) 01:11:46.620
戦国末期の人口が1200万だから
24人に一丁あったわけだ とんでもないな
0184世界@名無史さん2012/04/24(火) 01:17:27.360
「全米ライフル協会」 に対抗して 「全日本鉄砲協会」 が出来そうだな。

それよりウラジオストック、美しすぎるwww
http://merryhome.air-nifty.com/himu/2010/08/post-1f10.html
0185世界@名無史さん2012/04/24(火) 06:35:09.060
戦国日本って確かに火縄銃に関してはかなり高度に発達してたけど
火砲・大砲はイマイチだね
0186世界@名無史さん2012/04/24(火) 07:48:53.380
総人口1200万のうち女を除いて600万、次に児童・老人を除いた壮健男子400万。
うち、戦闘行為への参加見込みのあった男性は、雑兵含めて100万〜150万人くらいが上限だろう。
(関ヶ原の際、本戦線および東北・九州戦線を全て合算した最大兵数35万人から見ても・・・)

で、そういう半農半兵の連中まで含めて2〜3人につき1丁ってのはさすがに多すぎ、他兵科も必要だし。
仮に50万丁が事実だとしたら、旧型のため戦場では使われなくなったものが半分以上あったはず。
0187世界@名無史さん2012/04/24(火) 08:55:32.860
関ヶ原の戦いって銃撃戦だったわけ?
0188世界@名無史さん2012/04/24(火) 09:12:32.750
両軍あわせて5万丁の火縄銃が使われたってのはネットでよく見るね
0189世界@名無史さん2012/04/24(火) 14:38:47.390
>>2
名誉の殺人はイスラムの戒律じゃなくそれ以前からある慣習なんだが
むしろ家畜同然だった女性に男性の半分の権利を保障したのがイスラム教だぞ
0190世界@名無史さん2012/04/24(火) 14:41:41.030
でもそれは1000年以上の前の話っすよね
0191世界@名無史さん2012/04/24(火) 18:53:39.260
>>186
>総人口1200万
一般的に認められてる数字より大分過少だね、ソースよろ。

>関ヶ原の際、本戦線および東北・九州戦線を全て合算した最大兵数35万人
一般的に認められてる数字より大分過少だね、ソースよろ。

>そういう半農半兵の連中
一般的に農業を営みつつも確固とした専業の兵身分と認められている
西仏の雇用雑兵などより余程ね。関ヶ原の頃の火器装備率は2〜3人につき1丁。

>仮に50万丁が事実だとしたら、旧型のため戦場では使われなくなったものが半分以上あったはず。
妄想は要らないからソース出そうね。
0192世界@名無史さん2012/04/24(火) 21:21:27.420
>>191
一般的に認められてる関ヶ原の時の人口ってなんぼ?
0193世界@名無史さん2012/04/24(火) 21:33:04.530
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88
1200万〜2200万まで推定に幅があるようだ
一般に江戸時代前半に急増し半ばに3000万超ぐらいで安定したとの
推定が多いので3000万人に比べてかなり少ないというのが定説らしい
0194世界@名無史さん2012/04/24(火) 21:40:34.200
関ヶ原の頃の火器装備率は2〜3人につき1丁

はいソース
0195世界@名無史さん2012/04/24(火) 22:25:54.010
スレチだから日本史板へ逝け>ALL

http://awabi.2ch.net/history/
0196世界@名無史さん2012/04/24(火) 22:33:16.560
>>192
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88
現在受け容れられている推定は1500万〜2000万とする説のようだ
>>194
はい、ソース
千姫事件、改易、亀井政矩入封、城鉄炮並びに武具之目録
(1020挺÷43000石)/(3人÷100石)=さあ、何%でしょう?

1020挺÷43000石×1800万石≒427000挺
これに領主の所有物ではない武士の軍役負担分を含めると50万丁説ともよく合致するね。
0197世界@名無史さん2012/04/24(火) 22:37:13.620
宋がモンゴルに倒されてなければ
アジアで産業革命が起こりアジアがヨーロッパ列強に蹂躙されるなんて事はなかったかもしれない
本当にチンギス・ハーンは罪深い
0198世界@名無史さん2012/04/24(火) 22:42:06.610
【カルムイク】モンゴル語族【ブリヤート】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1335272162/
0199世界@名無史さん2012/04/24(火) 22:55:15.070
【カルムイク】モンゴル語族【ブリヤート】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1335272162/l50
0200世界@名無史さん2012/04/25(水) 01:14:30.730
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88
>現在受け容れられている推定は1500万〜2000万とする説のようだ

それを読むと1200万から2200万まで研究者によって諸説あるようだが
そのうちどれが自分のいう「一般的に認められてる数字」なん?
0201世界@名無史さん2012/04/25(水) 01:31:06.730
スレチだから日本史板へ逝け>ALL

http://awabi.2ch.net/history/
0202世界@名無史さん2012/04/25(水) 02:33:43.710
>>200
>それを読むと1200万から2200万まで研究者によって諸説あるようだが
>そのうちどれが自分のいう「一般的に認められてる数字」なん?
それを読むと初期の1200万〜1500万未満に推定する値は研究者自身が撤回したようだが
そのうちどれを>>200のいう「一般的に認められてる数字」に含もうと言い張るのか?
まさに不徳の至る所と言わざる負うことが出来ない
0203世界@名無史さん2012/04/25(水) 21:54:44.280
>それを読むと初期の1200万〜1500万未満に推定する値は研究者自身が撤回したようだが

撤回したのは鬼頭宏だけみたいだが?

>そのうちどれを>>200のいう「一般的に認められてる数字」に含もうと言い張るのか?

「一般的に認められてる数字」とか言い出したのは自分では?
0204世界@名無史さん2012/04/25(水) 22:26:11.540
スレチだから日本史板へ逝け>ALL

http://awabi.2ch.net/history/
0205世界@名無史さん2012/04/25(水) 22:42:50.990
>>202
速水融が撤回していないと言い張る根拠は何かな?ん?
6派の推定はそれぞれ、2200万、1937万、1700万、1600万、1490万、1200万
となっていて、概ね1500〜2000万の間に収まっているようだ
0206世界@名無史さん2012/04/26(木) 20:30:38.190
>それを読むと初期の1200万〜1500万未満に推定する値は研究者自身が撤回したようだが

速水融は622万〜980万人→1230万人
0207世界@名無史さん2012/04/26(木) 20:37:04.840
スレチだから日本史板へ逝け>ALL

http://awabi.2ch.net/history/

0208世界@名無史さん2012/04/27(金) 20:47:42.720
ティムールはオスマントルコのビザンチウム攻略を半世紀遅らせた
0209世界@名無史さん2012/04/27(金) 20:56:54.530
倭寇は日本人の誇るべきものなのに教科書を変える必要があるな。
0210世界@名無史さん2012/04/27(金) 21:22:39.610
北虜南倭と明朝衰亡に一役かってはいる。
0211世界@名無史さん2012/04/27(金) 21:52:31.370
>>208
ものすごくどうでもいい功績だな
0212世界@名無史さん2012/04/27(金) 23:06:54.580
ティムールは歴史に少なからぬ影響を確実に与えた。
0213世界@名無史さん2012/04/27(金) 23:12:24.190
密告情報大好きの
赤い坂が書き込んでいますわ
0214世界@名無史さん2012/04/29(日) 10:04:11.740
フビライのベトナム遠征軍の元側資料規模は何人なの?
30万とか50万という数字は信用できん。
0215世界@名無史さん2012/04/29(日) 13:40:15.37O
歴史はだいたい10倍掛け。近代史すらむちゃくちゃな数字だから。
0216世界@名無史さん2012/04/29(日) 19:59:04.760
弘安の役は実際に10万以上の大軍だったというが。
0217世界@名無史さん2012/04/30(月) 01:07:58.310
ベトナム遠征軍は2~3万くらいじゃね
第一次元寇の時も元軍2万5000人に高麗軍1万9000人くらいだし
元が他国を制圧する場合に用意する戦力はだいたい2〜4万程度だったんだろう
第二次元寇が14万とやたら多いのは南宋の兵の処理の為だったんだし
0218世界@名無史さん2012/04/30(月) 01:48:03.730
弘安の役は江南軍10万半島軍4万でモンゴル軍ほとんど居なかったシナ
0219世界@名無史さん2012/04/30(月) 02:58:33.540
江南軍10万 元軍2万 高麗軍2万5000人くらいだろ
元軍も居たよ
0220世界@名無史さん2012/05/08(火) 23:09:47.830
ワールシュタットではヘンリク軍4万VSバトゥ軍15万とか
凄まじい戦力差の説は誇張?
0221世界@名無史さん2012/05/09(水) 18:44:10.880
ワールシュタットの戦いそのものが捏造という人も居る
歴史学者の肩書を持つ小説家の言い分だけどねw
0222世界@名無史さん2012/05/09(水) 23:50:34.790
ワールシュタットの戦いが捏造だったとしても
その付近での戦闘はあったんじゃないの?
クラコフだって焼かれたんでしょ?
オーストリアにも侵入したって説もあるし
0223名無し募集中。。。2012/05/12(土) 17:49:20.100
モンゴル以前にもフン族とかスキタイ族とかいたからね
0224世界@名無史さん2012/05/14(月) 00:06:36.31O
モンゴルは日本の
相撲界を制圧しつつある。
0225世界@名無史さん2012/05/14(月) 09:54:44.520
>>221
あぁあれか
中華史観が嫌いだけど欧米史観も嫌いで日本史観も大嫌いって言う人で
塩野や陳を小説家などと言う腐った卑怯な物書き共が歴史を捏造してるって非難してて
室町時代の日本文化は全てモンゴルの影響だから日本人はモンゴルに感謝すべき
って真顔で言ってる自称モンゴル歴史家の大家とかぬかしてるオッサンだろ
0226世界@名無史さん2012/05/14(月) 12:58:19.490
>室町時代の日本文化は全てモンゴルの影響だから日本人はモンゴルに感謝すべき
>って真顔で言ってる

それ出典は? 気になる
0227世界@名無史さん2012/05/14(月) 21:46:12.170
お杉の本ならどれでも似たようなこと書いてあるよ、マジキチ
0228世界@名無史さん2012/05/14(月) 23:10:34.660
杉山が注目されたのなんって最初の頃だけだろ
当初こそモンゴルの歴史に革新的な史観がと注目されたけど
その後の”ぼくのとなえてるさいこうのもんごるていこく”な理屈ばかり
ぶっ壊れたテープレコーダーみたいにしつこく繰り返して
俺は正しいお前ら全員間違いwwwwwとか言い続けてばかりで
みんなにあきれられてるって言うヤツじゃん
本人は俺がモンゴル帝国を正しく教えてやってるってつもりなんだろうけど
逆にかえってモンゴルの印象や心象を悪くしてるばっかりって感じだな
0229世界@名無史さん2012/05/14(月) 23:17:10.330
お杉はチューオーユーラシア史の権威でしょ
他の奴らもエキセントリックな気違いだらけw
0230世界@名無史さん2012/05/14(月) 23:41:50.160
その権威とやらもどんどん化けの皮剥がれてるけどな
今時お杉なんかの本根拠にしたらそんなもの根拠にしてるのって失笑レベルだぜ
0231世界@名無史さん2012/05/14(月) 23:57:09.670
中央アジアの歴史って部分なら今はウィキペディアじゃなくっても
ちょっと気になる部分を検索とかするだけでもネットにも大分資料や文章が載ってる
その中には色んな文典やらも載ってたりする訳で
杉山のやってるのはせいぜいネットが流通する前の90年代頃までしか通用しないやり方
今の時代何も杉山の本なんか一切買わなくても別な文典やら資料やら
本でもネットでも大分増えてきてそっから知識を読み取る事も出来るようになったし
0232世界@名無史さん2012/05/15(火) 13:56:15.820
南宋って政治がダメダメなんじゃないの?内部分裂がひどくて女真や西夏やモンゴルの蛮族に対抗できない。
もっとケ小平みたいな指導者がビシッとまとめていたらモンゴルを押し返していたんじゃないの?
モンゴルに滅ぼされた南宋も、清に滅ぼされた明も、阿片戦争で蹂躙された清も内部から腐乱し崩壊した感がある。
0233世界@名無史さん2012/05/15(火) 15:10:49.310
南宋はむしろ北宋滅亡後百年以上持ったことを評価してやれよ
0234世界@名無史さん2012/05/15(火) 18:55:24.760
>>227
でも室町時代が本格的に始まる頃には元が滅亡してるんだけど
室町文化のどういう面を指してモンゴルの影響といってる訳?
0235世界@名無史さん2012/05/15(火) 19:48:17.800
>>227
能とか雅楽は元代の元曲などが元になってそれからの影響で有ると言い
また日元貿易は日宋貿易など比較にならない程の利益と文化を日本にもたらしたと主張してる

勿論そんな事真顔で言ってるのは杉山のオッちゃんだけだけどな
0236世界@名無史さん2012/05/15(火) 19:48:48.590
すまん>>235のは>>234宛てな
0237世界@名無史さん2012/05/15(火) 20:04:11.540
お杉の話はおいておくとして、日元貿易って実態としてあったの?
交易してたとして、南宋遺民の漢人が私的におこなっていたものだからモンゴルの恩恵じゃないんでない?
0238世界@名無史さん2012/05/15(火) 20:10:59.930
それなりにあったよ、南宋代ほどではないけど。
南宋の制度を丸々継承しただけだけど、明と違って海禁はしてないから
一応モンゴルの恩恵とはいえるか?
0239世界@名無史さん2012/05/15(火) 20:12:22.700
そもそも日元貿易って鎌倉時代にどれだけ行ってたか疑問だし
鎌倉幕府滅亡後に至っては各地の地方武士達が各々勝手にやってたレベル程度だから
どう考えても日本に多大な影響を与えたとかありえないレベルだろ
0240世界@名無史さん2012/05/15(火) 20:16:04.350
前期倭寇は14世紀頃ので陳舜臣なんかはこれを
元寇の報復かの様に激しい勢いでやっていたとか言っている
その個人的見解はともかくとしても
その前期倭寇を鎮圧する力がモンゴルには無かったとか言ってたな
お杉はこの文章にカチンと来たのか
陳とかの小説家を毛嫌いする原因の一つになったみたいだけど
0241世界@名無史さん2012/05/15(火) 20:18:42.760
>明と違って海禁はしてないから
明が海禁するようになったのって1500年代以降の話だろ
それまでは義満や義教は明との貿易に積極的だったし
義持は大のオヤジ嫌いだから一時期滞ったけど
0242世界@名無史さん2012/05/16(水) 00:52:19.220
>>227
>能とか雅楽は元代の元曲などが元になってそれからの影響で有ると言い

詳しく検証したいのでソース元教えて
少なくとも雅楽の基になるものが入ってきたのは古代だ
元代に文化的影響があるとしたら禅宗だろ
0243世界@名無史さん2012/05/16(水) 01:06:04.43O
「元から多大な影響を受けた」って、
それは「中国」の影響じゃないの?
0244世界@名無史さん2012/05/16(水) 02:25:54.890
お杉にとっちゃ元はイコールモンゴルだからモンゴルの影響って事なんだよ
元の時代に出た文化もみーんなモンゴル発祥って理屈
アホかって思うわ
0245聖徳太子2012/05/16(水) 05:24:44.740
 
朝青龍は生れた時から横綱になることが

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/02/4/43.html

横綱になることが決まっていたのだろうか。

誕生日には、レーガン大統領とプロ野球の王選手が花を添えている。
0246世界@名無史さん2012/05/19(土) 13:46:51.900
宋、明の官僚主義が中国の発展を押しとどめた点も大きいのではないか。
中華列強という形で中国の地方が独立国としてまとまった方が伸びそうだ。
しかし、中国で地方が独立する時代は戦乱期で安定すると統一してしまう。そして腐敗してまた戦乱になる。
春秋・戦国時代には少し欧州的な方向に行きそうにも見えたが。
0247世界@名無史さん2012/05/19(土) 14:02:20.910
中国の発展を押しとどめたのはモンゴル支配による破壊や
縁故主義と賄賂の横行、奴隷制の跋扈が大きいよ
0248世界@名無史さん2012/05/21(月) 19:31:17.950
>>247
ブラック企業・整理屋のノリが強い中国では自分がいかに権力を乗っ取るかに関心が高い。
それで内ゲバやってる内にモンゴルやら女真やらイギリスやらに攻め込まれて王朝が滅亡するパターン。
権謀術数を外敵ではなく漢族同士でやって、外敵に攻められる。
0249世界@名無史さん2012/05/21(月) 20:27:34.35O
>>242
禅宗は宋代でしょ。
北条時頼が帰依していた=13世紀前半〜半ばには既に日本に定着してただから。
0250世界@名無史さん2012/05/25(金) 23:03:07.880
漢族って近代になってできたものだろ。
民族という概念が発明されたのも日本。

日本に留学してた中国人を革命家として送り込んで漢民族ができた。
漢民族に似たものはあっただろうけど民族という概念が理論家されたのが最近なんだから
あやふやなもの。
1950年前まであそこはモンゴルを基礎とした満州人とチベット人の国だった。
それも欧米の植民地国家だったから支配者は大変で民衆は国とはつながってなかった。
日本の反植民地運動によって国家意識が目覚めたけど。
中国の革命家や社会主義者がほとんど日本留学生組なのはその為。

共産主義革命と文化大革命によって中国の歴史と文化を全部破壊してやっと漢民族が
支配者になれた。
ウイグル系とかもあれは元はトルコ人だよ。
香港やシンガポールの漢民族もキリスト教徒が支配者のイギリスのコントロール下にある国として
作られた。中国の本土もキリスト教徒は凄く多い。
愛国教会とかそんあ感じの名前なんだけど伝統的な仏教やイスラムは普通に弾圧されてる。
儒教と道教は宗教なのか分からない。道教は日本の神道みたいなもので信仰や神学ではない
民族文化だろうし儒教は日本の儒学みたいに政治学だと思うからどうかとして、
漢民族の宗教といったらほとんどキリスト教徒なんだよ。
信じられないだろ?漢民族の支配者や知識人はマルクス主義かキリスト教徒なんだよ。
欧米の思想で動くんだよ漢民族って。漢民族って中国とは本来何も関係ないんだと思うよ。
あっても断絶されてる。
0251世界@名無史さん2012/05/25(金) 23:16:54.130
中華思想という最狂の思想が健在
0252世界@名無史さん2012/05/26(土) 00:29:12.290
>1950年前まであそこはモンゴルを基礎とした満州人とチベット人の国だった

満洲族の首長がモンゴルのハーンと中華皇帝とチベット仏教のパトロンを兼任してる国の間違いでは?
0253世界@名無史さん2012/05/27(日) 10:54:58.97O
中国語しかしゃべれない満州人の首長
0254世界@名無史さん2012/05/31(木) 02:36:51.00i
>>214
第一次ベトナム侵攻 3000名
チャンパ侵攻 2万5000名
第二次ベトナム侵攻 2万名 + チャンパ侵攻軍
第三次ベトナム侵攻 9万3700余名
0255世界@名無史さん2012/06/13(水) 01:35:49.140
ワールシュタットの戦いについてだけど、
双方、数万くらいの戦闘で、欧州軍が大敗したんでしょ。
当時の欧州は闇黒時代で、ワールシュタットの戦いでも
ヘンリク率いる欧州軍は、実際は寄せ集めの軍隊だったみたいですね。
例えば、日本の鎌倉武士団と、当時の欧州軍が戦ったらどちらに
軍配があがるでしょうか??

0256世界@名無史さん2012/06/13(水) 07:39:23.06P
そりゃ欧州軍が負けたモンゴル軍に鎌倉武士は勝ったんだから当然武士の方に軍配上がるだろ
0257世界@名無史さん2012/06/13(水) 13:52:37.600
武士が向こうに攻めてくんだったら、鎌倉幕府が滅びた時の経緯なんかを見るに
楠木正成みたいに要害に立てこもってゲリラ戦で後方攪乱すれば何とかなるでしょう。
0258世界@名無史さん2012/06/13(水) 19:28:52.670
当時の欧州軍は、そんなに弱かったのか・・・
ワールシュタットの戦いの、絵は、気違いじみた絵だよな。
0259世界@名無史さん2012/06/13(水) 19:30:55.120
民族という概念が発明されたのも日本。

すげー
民族という概念まで発祥捏造しちゃったよw
0260世界@名無史さん2012/06/14(木) 00:28:00.360
元寇のときのモンゴル軍って朝鮮軍と宋兵軍が主体だろ
船の構造が奴隷を輸送する時のような人を詰め込む為の舟だったそうだし
0261世界@名無史さん2012/06/14(木) 01:16:59.42i
>>260
文永の役はモンゴル兵主体だよ
そこに更に旧南宋兵10万人が加わったのが弘安の役のモンゴル軍
0262世界@名無史さん2012/06/14(木) 01:20:27.710
>>255
>当時の欧州は闇黒時代で、ワールシュタットの戦いでも
>ヘンリク率いる欧州軍は、実際は寄せ集めの軍隊だったみたいですね。

それ欧州軍じゃなくてポーランド軍
ハンガリー軍はバトゥの本隊に対しては割と善戦している
0263世界@名無史さん2012/06/14(木) 01:49:12.870
>>261
旧南宋人の兵は6万、旧高麗人の兵が4万、モンゴル兵は数千人
0264世界@名無史さん2012/06/14(木) 01:56:29.12i
>>263
当時の高麗は兵4万も動員できないから
文永の役は蒙漢軍2万5000と高麗軍8000だったと記録が残ってる
0265世界@名無史さん2012/06/16(土) 02:26:53.590
>ハンガリー軍はバトゥの本隊に対しては割と善戦している
バトゥの本隊はオゴダイの死までハンガリー平原に悠々と
居座って役人の任命を行い通貨の発行まで始めていたというが。
0266世界@名無史さん2012/06/16(土) 03:05:58.340
馬乳酒に雑巾の汁入れたり、鎧の裏に画鋲貼り付けたりして
戦ったんだよきっと
0267世界@名無史さん2012/06/16(土) 13:35:13.210
>>265
それはハンガリー軍を倒した後の話
スブタイの別動隊がポーランドからやってきて初めて勝てた
0268世界@名無史さん2012/06/17(日) 00:02:44.550
バトゥは、オゴタイの訃報で撤退しなかったら、大西洋まで
到達していた可能性はありますかね。
0269世界@名無史さん2012/06/17(日) 03:05:30.770
ドイツの森林地帯で弾き返されるとも思うけれども
そのドイツ人を配下にして進軍しそうだな
0270世界@名無史さん2012/06/17(日) 10:06:58.530
>>269
それだともう完全にアッティラのパターンだな。
ガリアまで侵入した頃には遊牧民よりゲルマン人の歩兵の方が多くなってたとか。
0271世界@名無史さん2012/06/17(日) 17:42:14.480
そもそも当時の暗黒ヨーロッパに遠征する価値があったのかと
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