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モンゴルはいかに世界を変えたのか

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0001世界@名無史さん2012/02/03(金) 11:49:51.010
語れ。
0147世界@名無史さん2012/04/22(日) 07:25:03.330
西仏戦争の際に騎馬隊の突撃を食らって手痛い被害出している。
極めて軽装のスペイン兵はモンゴル軍の射撃に大して抵抗できない。
長柄槍部隊も非常に硬直した粗雑な軍組織のせいで長所を発揮しない。
結束の堅い氏族から構成され、常時訓練している精強なモンゴル軍と比べ
金で徴募され縁も所縁もなくロクに訓練も施されない雑兵の群れでしかないスペイン軍。
この時代のスペイン軍の実態を知らずに同等に戦えると誤った判断をしてはいけないよ。
0148世界@名無史さん2012/04/22(日) 07:46:36.890
西仏戦争て17世紀だぜ?テルシオが本格的に破られるのも17世紀
軽装とも言われるが甲冑はプレートアーマであり当時から見れば重装備
中世とは違いモンゴルの矢では通用しない水準まで達している
パイク兵の長所は攻めて来る敵軍への迎撃であり騎兵対しては十分な効果
イタリア南部やネーデルラントなど特に最重要視した地域では練度組織力の高い軍団を編成して送り込んでいる
これが私的利益しか考えていない氏族の集まりのモンゴル軍が勝つには苦しいな
0149世界@名無史さん2012/04/22(日) 08:09:51.900
西仏戦争は16世紀にも何度も起きているよw
長柄槍部隊は100人以上を単位に行動するため非常に魯鈍かつ硬直的
軽装弓兵と重装突撃兵の散兵が攻撃した時に十全の対応が可能な軍組織になっていない。
スペイン軍で甲冑(非板金鎧)を付けていたのは1割程度の主力兵のみ
大多数のスペイン軍兵士は厚手の防護服しか着ていない。
低地諸国へ送られたのは当時のスペイン軍の中で最も精鋭の部隊で
これは封建領主である軍閥が組織した軍、つまり言ってる事が自己矛盾している。
0150世界@名無史さん2012/04/22(日) 08:29:01.320
フランスとの戦争自体は何度も起きてるが西仏戦争は17世紀だろ
パイク兵は迎撃で効果を発揮する機動性は求められていない
当時のスペイン軍はほぼ兵卒まで板金鎧寧ろ前時代に重装備過ぎた形式を軽量化したぐらい
カトリックという一つの帰属意識があったスペインと比べ
モンゴルにあったのは氏族間の私益でありやはり勝つには苦しい
0151世界@名無史さん2012/04/22(日) 08:48:38.430
ああなるほど、君の脳内のモンゴル兵は長柄槍を構えた所へわざわざ突っ込んで行くのか。
スペイン兵ですら当時は集団脱走が度々起きているよ、イタリア兵やドイツ兵に至っては
少し給与の払いが遅れれば暴動、逃亡、戦闘ではロクに戦わず略奪三昧、そういう集団。
西仏戦争は16世紀前半だけで3度か4度起きてるよ。
スペイン軍の防具としては雑兵へは服を支給していた。寝言と妄想はほどほどにねw
0152世界@名無史さん2012/04/22(日) 09:07:19.490
いや火砲マスケット銃の放火に耐えかねたモンゴル軍が接近戦に挑んだ場合を想定してる
まぁ、そうなる前に身の安全を優先する氏族らの離脱で勝手に崩壊するだろうけど
まず装備に関してだが最優先された地域への軍には板金鎧の着用が義務化されている
これはマトモに矢では貫けない一方のモンゴル軍の中世的な装備じゃ鉛玉の餌食だろう
当時ハン一人死ぬとすぐ内乱起して揉めてたモンゴルと太陽が沈まぬ帝国だったスペインを比べるには
やはり無理があったな
0153世界@名無史さん2012/04/22(日) 13:22:36.210
>>108
その2回ともピアスト朝の中心だったクラクフまで略奪されてる。
0154世界@名無史さん2012/04/22(日) 14:54:59.700
16世紀のモンゴルとスペインが直接繋がらないから妄想するしかないとして、妄想の仕方は補助線を使おうよ・・・・
例えば、同時代のイヴァン雷帝。
キプチャク・ハン国の分裂した4国のうち3国に対して征服戦争を行っていた一方で、
リヴォニア戦争ではスウェーデン、ポーランド=リトアニア相手に戦争を仕掛けていた(おおむね劣勢)。
スペインはスウェーデンやポーランドの戦闘力と比べてどうか、モンゴルはシビル・ハン国らの戦闘力と比べてどうか。
0155世界@名無史さん2012/04/22(日) 19:56:43.190
>>154
16世紀のロシアはタタール風の騎兵に鉄砲などで武装した歩兵と砲兵隊という
オスマントルコに近い感じの軍隊だったが、タタールには勝てても
ヨーロッパからの侵略に対抗できなくなりパイク&ショットの編成等を取り入れてる。
0156世界@名無史さん2012/04/22(日) 21:06:32.480
>>153
スペイン軍の中で板金鎧を着る事が出来たのは上級将校のみ
甲冑なしの大多数の雇われ雑兵はもちろん、主力兵ですら板金鎧など到底支給されなかった。
一方のモンゴル兵はスペイン軍兵士と較べると甲冑を身に付け重装甲といえる。
16世紀の火縄銃は合成弓と比べて射程が短いため機動力で圧倒的に勝るモンゴル軍を攻撃するには
弓矢の射程内へ甲冑も付けず火縄銃の発射準備も無いまま進まないといけない。
軍組織は非常に粗雑、指揮命令伝達や行動は酷く魯鈍、不利な状況でしか戦わせて貰えず
苛烈な戦闘ではオスマン軍相手の際と同じく尻尾を巻いて逃げ回るしかなかったよ。
0157世界@名無史さん2012/04/22(日) 22:25:04.120
アングロサクソンすら手が出せなかったロシアを木っ端微塵に粉砕して女根こそぎレイプしたモンゴルが世界最強だよ

0158世界@名無史さん2012/04/22(日) 23:05:31.880
>スペイン軍の中で板金鎧を着る事が出来たのは上級将校のみ
>甲冑なしの大多数の雇われ雑兵はもちろん、主力兵ですら板金鎧など到底支給されなかった。
>一方のモンゴル兵はスペイン軍兵士と較べると甲冑を身に付け重装甲といえる。

モンゴルも突撃や近接戦闘を行う装甲騎兵は一部のエリート部隊で
大多数は軽装の弓射騎兵。
当時のヨーロッパの歩兵も胸甲や鉄兜を装備していた。

>16世紀の火縄銃は合成弓と比べて射程が短いため機動力で圧倒的に勝るモンゴル軍を攻撃するには
>弓矢の射程内へ甲冑も付けず火縄銃の発射準備も無いまま進まないといけない。

オスマン朝軍がサファヴィー朝と戦ったときにはキジルバシの部族騎兵を
火縄銃の射撃によって破っている。
その後サファヴィー朝も銃兵隊を導入してジョチウルス系のシャイバーニー朝を破っている。
0159世界@名無史さん2012/04/22(日) 23:49:06.660
当時とはいつを指しているのだろうか、火縄銃が登場する16世紀の話をしていながら
防具に関しては何故か軍勢の規模が1/5程度しかなかった前時代の話を持ち出す自己矛盾。
5騎のうち2騎を装甲騎兵で編成しろとチンギス・カンも命じている、6割を大多数と言い換えるのは詭弁。
サファービー軍は歩兵と騎兵の混成、モンゴル軍は全員騎兵
16世紀のオスマン軍はスペイン軍に対して常勝、常に打ち破っている。
0160世界@名無史さん2012/04/23(月) 00:13:41.960
何百年も後に大陸の東端の小島の住人が大陸西端の半島の国と戦争したらどっちが強いか白熱議論するぐらい
モンゴルは世界を変えた
0161世界@名無史さん2012/04/23(月) 00:33:01.730
>当時とはいつを指しているのだろうか、火縄銃が登場する16世紀の話をしていながら
>防具に関しては何故か軍勢の規模が1/5程度しかなかった前時代の話を持ち出す自己矛盾。

胸甲や鉄兜ってのは当然パイク兵や銃兵の話だが?

>5騎のうち2騎を装甲騎兵で編成しろとチンギス・カンも命じている

これ出典は?

>サファービー軍は歩兵と騎兵の混成、モンゴル軍は全員騎兵

サファヴィー朝はシャー・アッバースの軍事改革まではキジルバシの遊牧騎兵が主力。
モンゴルも中国やイランでは歩兵が加わっている。

>16世紀のオスマン軍はスペイン軍に対して常勝、常に打ち破っている。

オーストリアの間違いでは?
0162世界@名無史さん2012/04/23(月) 02:54:22.360
スペインもモンゴルも今や弱小国。
何も無いモンゴルになぜあのパワーがあったのか不思議。
あの勢いで西ヨーロッパに進軍してたらそれこそ歴史が変わっただろう。

それとスペイン。ピサロのような字も読めないヤクザ者の数百人の軍勢が
土人とはいえ帝国を滅ぼす事が出来るのか? 
ライフル彫りが無い火縄銃なんて命中率どんだけ? 詰め替える時間も長いし3人が槍で突撃すれば楽勝だろ。
0163世界@名無史さん2012/04/23(月) 03:32:38.480
>>156
歩兵まで丸裸とかギャグかよ板金鎧の着用はもう義務化され武装も統一されてる段階
モンゴルの鎧は防弾性がほぼ皆無であり容易に撃ち抜かれる
もうマスケット銃の射程は容易に合成弓越えてる
同じように新大陸で弓術に特化した先住民が太刀打ちできなかった
騎兵戦術と銃兵器を兼ね合わせた高度な指揮系統持った先進的なオスマン軍と
中世レベルの兵器と士気の低い氏族連合のモンゴルとじゃ比較対象にする意味が無い
0164世界@名無史さん2012/04/23(月) 03:51:40.220
>>162
狩猟民族ならまだ対抗出来たかも知れないけどアステカは馬とか車輪とか以前に鉄器すら無いしね
古代エジプトでもチャリオットと鉄器使ってたと言うのに・・・
軍事的には何千年クラスの差がありそうだ・・・
0165世界@名無史さん2012/04/23(月) 04:12:12.190
種子島に火縄銃が来てからすぐに冥土員JAPANの銃を作り
戦国時代には50万丁保有してて、当時の全ヨーロッパの保有より多かった。
戦国時代の日本軍が結集すればスペイン軍なんてイチコロだな。
現に東南アジアで倭寇と見られるローニンにスペイン軍が全滅されたらしい。
怪しい話だが戦争すればスペイン軍には勝てる。
0166世界@名無史さん2012/04/23(月) 04:27:59.880
フィリピンだと倭寇勢力全滅されてるけどな
0167世界@名無史さん2012/04/23(月) 04:35:23.250
さすがに遠すぎる・・・
まぁ隣にあったとして海戦は明らかに無理だけど陸の会戦なら勝てたかもね
まぁこう言うのって条件次第だろうけど
条件次第だと最強の米軍がベトナムにも負ける
0168世界@名無史さん2012/04/23(月) 04:49:21.380
ペリーに恫喝されて開国した鉄道すら無い日本がわずか35年後に軍艦で
ロシアのバルチック艦隊を壊滅させたなんて凄くね?
開国してから71年後には負けたけど潜水艦、空母、航空機でアメリカに
戦争を仕掛けた。サムライ時代からたった71年に航空母艦とか潜水艦だよ。

全部、白人の発明だけど。
0169世界@名無史さん2012/04/23(月) 09:10:56.910
>>165
それよく聞く話だけど戦国時代当時の全ヨーロッパの鉄砲保有数っていったい誰が数えたの? 具体的に何挺?
0170世界@名無史さん2012/04/23(月) 10:28:15.460
単純に保有数なら明のほうが上だと思うんだけどw
0171世界@名無史さん2012/04/23(月) 18:58:10.900
明のは秀吉の朝鮮征伐以前は火縄銃じゃないよ
>>169
16世紀西仏の火器装備率が年が降るにつれて増え2割〜5割
保有する軍隊が合わせて約16万、より火器率の低い独と英が半分として
合わせて12万丁、倍に増えても日本の国内所有数に全然届かないw
0172世界@名無史さん2012/04/23(月) 20:12:05.400
戦国期日本の50万丁ってすごい数だな
16世紀末の人口が1200万人だから総人口の4%に火縄銃が装備されるってこと?
足軽・雑兵含めて当時の日本の総兵数はどれくらいに見積もられてるんだ?
0173世界@名無史さん2012/04/23(月) 22:00:29.30O
「元史」によると、元寇の発端は、高麗王の忠烈王が「元の皇帝に執拗に、東征して日本を属国にするよう勧めた」との記述がある。
0174世界@名無史さん2012/04/23(月) 22:12:26.670
チンギスハーンがアッバース朝と宋とキエフルーシを併合した後に、もっともっと後世に影響力が残るようなデッカいことをしてたら
我々モンゴロイドも今の白人キリスト教世界のように中国人日本人朝鮮人台湾人同士で団結しあって地上の支配者になってたかも知れないのに(アウグストゥスなんて目じゃねえぐらいに)


彼はモンゴロイドに数少ない絶対的カリスマ性を持った人物だった。
0175世界@名無史さん2012/04/23(月) 23:29:52.610
ポーランドもドイツとロシアだけでなく、遥か彼方から来たモンゴルにまで襲われて災難続きの国ざな。
何であの草原のカザフスタンと変わらないような遊牧土人が大それた事ができたのか?
白鴎の部屋にもジンギスカンの絵が飾ってあったな。モンゴルでは当然だけど超英雄なんやね。
世界一の強姦魔だろ?
0176世界@名無史さん2012/04/23(月) 23:32:49.300
>>171
東欧・北欧・ロシア・オスマントルコの火器保有数は?
0177世界@名無史さん2012/04/23(月) 23:56:45.550
まあ、単なるバカやただのマグレじゃ成し遂げられないね。当時世界最先端だった宋とアッバース朝の2つの超大国を同時壊滅させるなんて。
なんか古代ローマ人に通じる凄みを感じるんだよね>少数民族で世界帝国築いた

オゴデイが死ななければ…バトゥなら絶対イベリア半島までやってくれたはず
そうすれば神聖ローマもロスチャイルドも無く、白人の時代も無かった。

0178世界@名無史さん2012/04/24(火) 00:09:12.770
そうなったらフランク汗国、イスパニア汗国、イタリア汗国が産まれてたか?
0179世界@名無史さん2012/04/24(火) 00:13:04.060
>>176
ロシアツァーリ国は欧州じゃないよねw
オスマン帝国も良識ある我々はわざわざ欧州に含まないよね
はい、あとは東欧と北欧の保有数を出せばいいだけだよ
合計で30万丁以上保有していたという根拠をねw
0180世界@名無史さん2012/04/24(火) 00:17:23.850
戦国末期の火縄銃総数50万丁ってどこから来た数字だろうと思ってググッたら、
Wiki「火縄銃」に書いてあるのか・・・ソースはノエル・ペリン「鉄砲を捨てた日本人」になってるね。
貿易取引書から推計した数字らしいが、暇ができたら一度読んでみるか・・・。
常識的に考えれば15万丁くらいだと思うが、意外な発見とかあるかもしれんしな。
0181世界@名無史さん2012/04/24(火) 00:23:59.910
>>179
オスマンは西欧列強に「ヨーロッパの病人」と認定されてるよw
ウラル山脈の西がヨーロッパだからロシアも充分入るな
シベリアは植民地ってことで
0182世界@名無史さん2012/04/24(火) 01:10:58.030
ウラジオストックはヨーロパです。白人の町だから。
0183世界@名無史さん2012/04/24(火) 01:11:46.620
戦国末期の人口が1200万だから
24人に一丁あったわけだ とんでもないな
0184世界@名無史さん2012/04/24(火) 01:17:27.360
「全米ライフル協会」 に対抗して 「全日本鉄砲協会」 が出来そうだな。

それよりウラジオストック、美しすぎるwww
http://merryhome.air-nifty.com/himu/2010/08/post-1f10.html
0185世界@名無史さん2012/04/24(火) 06:35:09.060
戦国日本って確かに火縄銃に関してはかなり高度に発達してたけど
火砲・大砲はイマイチだね
0186世界@名無史さん2012/04/24(火) 07:48:53.380
総人口1200万のうち女を除いて600万、次に児童・老人を除いた壮健男子400万。
うち、戦闘行為への参加見込みのあった男性は、雑兵含めて100万〜150万人くらいが上限だろう。
(関ヶ原の際、本戦線および東北・九州戦線を全て合算した最大兵数35万人から見ても・・・)

で、そういう半農半兵の連中まで含めて2〜3人につき1丁ってのはさすがに多すぎ、他兵科も必要だし。
仮に50万丁が事実だとしたら、旧型のため戦場では使われなくなったものが半分以上あったはず。
0187世界@名無史さん2012/04/24(火) 08:55:32.860
関ヶ原の戦いって銃撃戦だったわけ?
0188世界@名無史さん2012/04/24(火) 09:12:32.750
両軍あわせて5万丁の火縄銃が使われたってのはネットでよく見るね
0189世界@名無史さん2012/04/24(火) 14:38:47.390
>>2
名誉の殺人はイスラムの戒律じゃなくそれ以前からある慣習なんだが
むしろ家畜同然だった女性に男性の半分の権利を保障したのがイスラム教だぞ
0190世界@名無史さん2012/04/24(火) 14:41:41.030
でもそれは1000年以上の前の話っすよね
0191世界@名無史さん2012/04/24(火) 18:53:39.260
>>186
>総人口1200万
一般的に認められてる数字より大分過少だね、ソースよろ。

>関ヶ原の際、本戦線および東北・九州戦線を全て合算した最大兵数35万人
一般的に認められてる数字より大分過少だね、ソースよろ。

>そういう半農半兵の連中
一般的に農業を営みつつも確固とした専業の兵身分と認められている
西仏の雇用雑兵などより余程ね。関ヶ原の頃の火器装備率は2〜3人につき1丁。

>仮に50万丁が事実だとしたら、旧型のため戦場では使われなくなったものが半分以上あったはず。
妄想は要らないからソース出そうね。
0192世界@名無史さん2012/04/24(火) 21:21:27.420
>>191
一般的に認められてる関ヶ原の時の人口ってなんぼ?
0193世界@名無史さん2012/04/24(火) 21:33:04.530
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88
1200万〜2200万まで推定に幅があるようだ
一般に江戸時代前半に急増し半ばに3000万超ぐらいで安定したとの
推定が多いので3000万人に比べてかなり少ないというのが定説らしい
0194世界@名無史さん2012/04/24(火) 21:40:34.200
関ヶ原の頃の火器装備率は2〜3人につき1丁

はいソース
0195世界@名無史さん2012/04/24(火) 22:25:54.010
スレチだから日本史板へ逝け>ALL

http://awabi.2ch.net/history/
0196世界@名無史さん2012/04/24(火) 22:33:16.560
>>192
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88
現在受け容れられている推定は1500万〜2000万とする説のようだ
>>194
はい、ソース
千姫事件、改易、亀井政矩入封、城鉄炮並びに武具之目録
(1020挺÷43000石)/(3人÷100石)=さあ、何%でしょう?

1020挺÷43000石×1800万石≒427000挺
これに領主の所有物ではない武士の軍役負担分を含めると50万丁説ともよく合致するね。
0197世界@名無史さん2012/04/24(火) 22:37:13.620
宋がモンゴルに倒されてなければ
アジアで産業革命が起こりアジアがヨーロッパ列強に蹂躙されるなんて事はなかったかもしれない
本当にチンギス・ハーンは罪深い
0198世界@名無史さん2012/04/24(火) 22:42:06.610
【カルムイク】モンゴル語族【ブリヤート】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1335272162/
0199世界@名無史さん2012/04/24(火) 22:55:15.070
【カルムイク】モンゴル語族【ブリヤート】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1335272162/l50
0200世界@名無史さん2012/04/25(水) 01:14:30.730
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88
>現在受け容れられている推定は1500万〜2000万とする説のようだ

それを読むと1200万から2200万まで研究者によって諸説あるようだが
そのうちどれが自分のいう「一般的に認められてる数字」なん?
0201世界@名無史さん2012/04/25(水) 01:31:06.730
スレチだから日本史板へ逝け>ALL

http://awabi.2ch.net/history/
0202世界@名無史さん2012/04/25(水) 02:33:43.710
>>200
>それを読むと1200万から2200万まで研究者によって諸説あるようだが
>そのうちどれが自分のいう「一般的に認められてる数字」なん?
それを読むと初期の1200万〜1500万未満に推定する値は研究者自身が撤回したようだが
そのうちどれを>>200のいう「一般的に認められてる数字」に含もうと言い張るのか?
まさに不徳の至る所と言わざる負うことが出来ない
0203世界@名無史さん2012/04/25(水) 21:54:44.280
>それを読むと初期の1200万〜1500万未満に推定する値は研究者自身が撤回したようだが

撤回したのは鬼頭宏だけみたいだが?

>そのうちどれを>>200のいう「一般的に認められてる数字」に含もうと言い張るのか?

「一般的に認められてる数字」とか言い出したのは自分では?
0204世界@名無史さん2012/04/25(水) 22:26:11.540
スレチだから日本史板へ逝け>ALL

http://awabi.2ch.net/history/
0205世界@名無史さん2012/04/25(水) 22:42:50.990
>>202
速水融が撤回していないと言い張る根拠は何かな?ん?
6派の推定はそれぞれ、2200万、1937万、1700万、1600万、1490万、1200万
となっていて、概ね1500〜2000万の間に収まっているようだ
0206世界@名無史さん2012/04/26(木) 20:30:38.190
>それを読むと初期の1200万〜1500万未満に推定する値は研究者自身が撤回したようだが

速水融は622万〜980万人→1230万人
0207世界@名無史さん2012/04/26(木) 20:37:04.840
スレチだから日本史板へ逝け>ALL

http://awabi.2ch.net/history/

0208世界@名無史さん2012/04/27(金) 20:47:42.720
ティムールはオスマントルコのビザンチウム攻略を半世紀遅らせた
0209世界@名無史さん2012/04/27(金) 20:56:54.530
倭寇は日本人の誇るべきものなのに教科書を変える必要があるな。
0210世界@名無史さん2012/04/27(金) 21:22:39.610
北虜南倭と明朝衰亡に一役かってはいる。
0211世界@名無史さん2012/04/27(金) 21:52:31.370
>>208
ものすごくどうでもいい功績だな
0212世界@名無史さん2012/04/27(金) 23:06:54.580
ティムールは歴史に少なからぬ影響を確実に与えた。
0213世界@名無史さん2012/04/27(金) 23:12:24.190
密告情報大好きの
赤い坂が書き込んでいますわ
0214世界@名無史さん2012/04/29(日) 10:04:11.740
フビライのベトナム遠征軍の元側資料規模は何人なの?
30万とか50万という数字は信用できん。
0215世界@名無史さん2012/04/29(日) 13:40:15.37O
歴史はだいたい10倍掛け。近代史すらむちゃくちゃな数字だから。
0216世界@名無史さん2012/04/29(日) 19:59:04.760
弘安の役は実際に10万以上の大軍だったというが。
0217世界@名無史さん2012/04/30(月) 01:07:58.310
ベトナム遠征軍は2~3万くらいじゃね
第一次元寇の時も元軍2万5000人に高麗軍1万9000人くらいだし
元が他国を制圧する場合に用意する戦力はだいたい2〜4万程度だったんだろう
第二次元寇が14万とやたら多いのは南宋の兵の処理の為だったんだし
0218世界@名無史さん2012/04/30(月) 01:48:03.730
弘安の役は江南軍10万半島軍4万でモンゴル軍ほとんど居なかったシナ
0219世界@名無史さん2012/04/30(月) 02:58:33.540
江南軍10万 元軍2万 高麗軍2万5000人くらいだろ
元軍も居たよ
0220世界@名無史さん2012/05/08(火) 23:09:47.830
ワールシュタットではヘンリク軍4万VSバトゥ軍15万とか
凄まじい戦力差の説は誇張?
0221世界@名無史さん2012/05/09(水) 18:44:10.880
ワールシュタットの戦いそのものが捏造という人も居る
歴史学者の肩書を持つ小説家の言い分だけどねw
0222世界@名無史さん2012/05/09(水) 23:50:34.790
ワールシュタットの戦いが捏造だったとしても
その付近での戦闘はあったんじゃないの?
クラコフだって焼かれたんでしょ?
オーストリアにも侵入したって説もあるし
0223名無し募集中。。。2012/05/12(土) 17:49:20.100
モンゴル以前にもフン族とかスキタイ族とかいたからね
0224世界@名無史さん2012/05/14(月) 00:06:36.31O
モンゴルは日本の
相撲界を制圧しつつある。
0225世界@名無史さん2012/05/14(月) 09:54:44.520
>>221
あぁあれか
中華史観が嫌いだけど欧米史観も嫌いで日本史観も大嫌いって言う人で
塩野や陳を小説家などと言う腐った卑怯な物書き共が歴史を捏造してるって非難してて
室町時代の日本文化は全てモンゴルの影響だから日本人はモンゴルに感謝すべき
って真顔で言ってる自称モンゴル歴史家の大家とかぬかしてるオッサンだろ
0226世界@名無史さん2012/05/14(月) 12:58:19.490
>室町時代の日本文化は全てモンゴルの影響だから日本人はモンゴルに感謝すべき
>って真顔で言ってる

それ出典は? 気になる
0227世界@名無史さん2012/05/14(月) 21:46:12.170
お杉の本ならどれでも似たようなこと書いてあるよ、マジキチ
0228世界@名無史さん2012/05/14(月) 23:10:34.660
杉山が注目されたのなんって最初の頃だけだろ
当初こそモンゴルの歴史に革新的な史観がと注目されたけど
その後の”ぼくのとなえてるさいこうのもんごるていこく”な理屈ばかり
ぶっ壊れたテープレコーダーみたいにしつこく繰り返して
俺は正しいお前ら全員間違いwwwwwとか言い続けてばかりで
みんなにあきれられてるって言うヤツじゃん
本人は俺がモンゴル帝国を正しく教えてやってるってつもりなんだろうけど
逆にかえってモンゴルの印象や心象を悪くしてるばっかりって感じだな
0229世界@名無史さん2012/05/14(月) 23:17:10.330
お杉はチューオーユーラシア史の権威でしょ
他の奴らもエキセントリックな気違いだらけw
0230世界@名無史さん2012/05/14(月) 23:41:50.160
その権威とやらもどんどん化けの皮剥がれてるけどな
今時お杉なんかの本根拠にしたらそんなもの根拠にしてるのって失笑レベルだぜ
0231世界@名無史さん2012/05/14(月) 23:57:09.670
中央アジアの歴史って部分なら今はウィキペディアじゃなくっても
ちょっと気になる部分を検索とかするだけでもネットにも大分資料や文章が載ってる
その中には色んな文典やらも載ってたりする訳で
杉山のやってるのはせいぜいネットが流通する前の90年代頃までしか通用しないやり方
今の時代何も杉山の本なんか一切買わなくても別な文典やら資料やら
本でもネットでも大分増えてきてそっから知識を読み取る事も出来るようになったし
0232世界@名無史さん2012/05/15(火) 13:56:15.820
南宋って政治がダメダメなんじゃないの?内部分裂がひどくて女真や西夏やモンゴルの蛮族に対抗できない。
もっとケ小平みたいな指導者がビシッとまとめていたらモンゴルを押し返していたんじゃないの?
モンゴルに滅ぼされた南宋も、清に滅ぼされた明も、阿片戦争で蹂躙された清も内部から腐乱し崩壊した感がある。
0233世界@名無史さん2012/05/15(火) 15:10:49.310
南宋はむしろ北宋滅亡後百年以上持ったことを評価してやれよ
0234世界@名無史さん2012/05/15(火) 18:55:24.760
>>227
でも室町時代が本格的に始まる頃には元が滅亡してるんだけど
室町文化のどういう面を指してモンゴルの影響といってる訳?
0235世界@名無史さん2012/05/15(火) 19:48:17.800
>>227
能とか雅楽は元代の元曲などが元になってそれからの影響で有ると言い
また日元貿易は日宋貿易など比較にならない程の利益と文化を日本にもたらしたと主張してる

勿論そんな事真顔で言ってるのは杉山のオッちゃんだけだけどな
0236世界@名無史さん2012/05/15(火) 19:48:48.590
すまん>>235のは>>234宛てな
0237世界@名無史さん2012/05/15(火) 20:04:11.540
お杉の話はおいておくとして、日元貿易って実態としてあったの?
交易してたとして、南宋遺民の漢人が私的におこなっていたものだからモンゴルの恩恵じゃないんでない?
0238世界@名無史さん2012/05/15(火) 20:10:59.930
それなりにあったよ、南宋代ほどではないけど。
南宋の制度を丸々継承しただけだけど、明と違って海禁はしてないから
一応モンゴルの恩恵とはいえるか?
0239世界@名無史さん2012/05/15(火) 20:12:22.700
そもそも日元貿易って鎌倉時代にどれだけ行ってたか疑問だし
鎌倉幕府滅亡後に至っては各地の地方武士達が各々勝手にやってたレベル程度だから
どう考えても日本に多大な影響を与えたとかありえないレベルだろ
0240世界@名無史さん2012/05/15(火) 20:16:04.350
前期倭寇は14世紀頃ので陳舜臣なんかはこれを
元寇の報復かの様に激しい勢いでやっていたとか言っている
その個人的見解はともかくとしても
その前期倭寇を鎮圧する力がモンゴルには無かったとか言ってたな
お杉はこの文章にカチンと来たのか
陳とかの小説家を毛嫌いする原因の一つになったみたいだけど
0241世界@名無史さん2012/05/15(火) 20:18:42.760
>明と違って海禁はしてないから
明が海禁するようになったのって1500年代以降の話だろ
それまでは義満や義教は明との貿易に積極的だったし
義持は大のオヤジ嫌いだから一時期滞ったけど
0242世界@名無史さん2012/05/16(水) 00:52:19.220
>>227
>能とか雅楽は元代の元曲などが元になってそれからの影響で有ると言い

詳しく検証したいのでソース元教えて
少なくとも雅楽の基になるものが入ってきたのは古代だ
元代に文化的影響があるとしたら禅宗だろ
0243世界@名無史さん2012/05/16(水) 01:06:04.43O
「元から多大な影響を受けた」って、
それは「中国」の影響じゃないの?
0244世界@名無史さん2012/05/16(水) 02:25:54.890
お杉にとっちゃ元はイコールモンゴルだからモンゴルの影響って事なんだよ
元の時代に出た文化もみーんなモンゴル発祥って理屈
アホかって思うわ
0245聖徳太子2012/05/16(水) 05:24:44.740
 
朝青龍は生れた時から横綱になることが

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/02/4/43.html

横綱になることが決まっていたのだろうか。

誕生日には、レーガン大統領とプロ野球の王選手が花を添えている。
0246世界@名無史さん2012/05/19(土) 13:46:51.900
宋、明の官僚主義が中国の発展を押しとどめた点も大きいのではないか。
中華列強という形で中国の地方が独立国としてまとまった方が伸びそうだ。
しかし、中国で地方が独立する時代は戦乱期で安定すると統一してしまう。そして腐敗してまた戦乱になる。
春秋・戦国時代には少し欧州的な方向に行きそうにも見えたが。
0247世界@名無史さん2012/05/19(土) 14:02:20.910
中国の発展を押しとどめたのはモンゴル支配による破壊や
縁故主義と賄賂の横行、奴隷制の跋扈が大きいよ
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