モンゴルはいかに世界を変えたのか
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0001世界@名無史さん
2012/02/03(金) 11:49:51.0100147世界@名無史さん
2012/04/22(日) 07:25:03.330極めて軽装のスペイン兵はモンゴル軍の射撃に大して抵抗できない。
長柄槍部隊も非常に硬直した粗雑な軍組織のせいで長所を発揮しない。
結束の堅い氏族から構成され、常時訓練している精強なモンゴル軍と比べ
金で徴募され縁も所縁もなくロクに訓練も施されない雑兵の群れでしかないスペイン軍。
この時代のスペイン軍の実態を知らずに同等に戦えると誤った判断をしてはいけないよ。
0148世界@名無史さん
2012/04/22(日) 07:46:36.890軽装とも言われるが甲冑はプレートアーマであり当時から見れば重装備
中世とは違いモンゴルの矢では通用しない水準まで達している
パイク兵の長所は攻めて来る敵軍への迎撃であり騎兵対しては十分な効果
イタリア南部やネーデルラントなど特に最重要視した地域では練度組織力の高い軍団を編成して送り込んでいる
これが私的利益しか考えていない氏族の集まりのモンゴル軍が勝つには苦しいな
0149世界@名無史さん
2012/04/22(日) 08:09:51.900長柄槍部隊は100人以上を単位に行動するため非常に魯鈍かつ硬直的
軽装弓兵と重装突撃兵の散兵が攻撃した時に十全の対応が可能な軍組織になっていない。
スペイン軍で甲冑(非板金鎧)を付けていたのは1割程度の主力兵のみ
大多数のスペイン軍兵士は厚手の防護服しか着ていない。
低地諸国へ送られたのは当時のスペイン軍の中で最も精鋭の部隊で
これは封建領主である軍閥が組織した軍、つまり言ってる事が自己矛盾している。
0150世界@名無史さん
2012/04/22(日) 08:29:01.320パイク兵は迎撃で効果を発揮する機動性は求められていない
当時のスペイン軍はほぼ兵卒まで板金鎧寧ろ前時代に重装備過ぎた形式を軽量化したぐらい
カトリックという一つの帰属意識があったスペインと比べ
モンゴルにあったのは氏族間の私益でありやはり勝つには苦しい
0151世界@名無史さん
2012/04/22(日) 08:48:38.430スペイン兵ですら当時は集団脱走が度々起きているよ、イタリア兵やドイツ兵に至っては
少し給与の払いが遅れれば暴動、逃亡、戦闘ではロクに戦わず略奪三昧、そういう集団。
西仏戦争は16世紀前半だけで3度か4度起きてるよ。
スペイン軍の防具としては雑兵へは服を支給していた。寝言と妄想はほどほどにねw
0152世界@名無史さん
2012/04/22(日) 09:07:19.490まぁ、そうなる前に身の安全を優先する氏族らの離脱で勝手に崩壊するだろうけど
まず装備に関してだが最優先された地域への軍には板金鎧の着用が義務化されている
これはマトモに矢では貫けない一方のモンゴル軍の中世的な装備じゃ鉛玉の餌食だろう
当時ハン一人死ぬとすぐ内乱起して揉めてたモンゴルと太陽が沈まぬ帝国だったスペインを比べるには
やはり無理があったな
0154世界@名無史さん
2012/04/22(日) 14:54:59.700例えば、同時代のイヴァン雷帝。
キプチャク・ハン国の分裂した4国のうち3国に対して征服戦争を行っていた一方で、
リヴォニア戦争ではスウェーデン、ポーランド=リトアニア相手に戦争を仕掛けていた(おおむね劣勢)。
スペインはスウェーデンやポーランドの戦闘力と比べてどうか、モンゴルはシビル・ハン国らの戦闘力と比べてどうか。
0155世界@名無史さん
2012/04/22(日) 19:56:43.19016世紀のロシアはタタール風の騎兵に鉄砲などで武装した歩兵と砲兵隊という
オスマントルコに近い感じの軍隊だったが、タタールには勝てても
ヨーロッパからの侵略に対抗できなくなりパイク&ショットの編成等を取り入れてる。
0156世界@名無史さん
2012/04/22(日) 21:06:32.480スペイン軍の中で板金鎧を着る事が出来たのは上級将校のみ
甲冑なしの大多数の雇われ雑兵はもちろん、主力兵ですら板金鎧など到底支給されなかった。
一方のモンゴル兵はスペイン軍兵士と較べると甲冑を身に付け重装甲といえる。
16世紀の火縄銃は合成弓と比べて射程が短いため機動力で圧倒的に勝るモンゴル軍を攻撃するには
弓矢の射程内へ甲冑も付けず火縄銃の発射準備も無いまま進まないといけない。
軍組織は非常に粗雑、指揮命令伝達や行動は酷く魯鈍、不利な状況でしか戦わせて貰えず
苛烈な戦闘ではオスマン軍相手の際と同じく尻尾を巻いて逃げ回るしかなかったよ。
0157世界@名無史さん
2012/04/22(日) 22:25:04.1200158世界@名無史さん
2012/04/22(日) 23:05:31.880>甲冑なしの大多数の雇われ雑兵はもちろん、主力兵ですら板金鎧など到底支給されなかった。
>一方のモンゴル兵はスペイン軍兵士と較べると甲冑を身に付け重装甲といえる。
モンゴルも突撃や近接戦闘を行う装甲騎兵は一部のエリート部隊で
大多数は軽装の弓射騎兵。
当時のヨーロッパの歩兵も胸甲や鉄兜を装備していた。
>16世紀の火縄銃は合成弓と比べて射程が短いため機動力で圧倒的に勝るモンゴル軍を攻撃するには
>弓矢の射程内へ甲冑も付けず火縄銃の発射準備も無いまま進まないといけない。
オスマン朝軍がサファヴィー朝と戦ったときにはキジルバシの部族騎兵を
火縄銃の射撃によって破っている。
その後サファヴィー朝も銃兵隊を導入してジョチウルス系のシャイバーニー朝を破っている。
0159世界@名無史さん
2012/04/22(日) 23:49:06.660防具に関しては何故か軍勢の規模が1/5程度しかなかった前時代の話を持ち出す自己矛盾。
5騎のうち2騎を装甲騎兵で編成しろとチンギス・カンも命じている、6割を大多数と言い換えるのは詭弁。
サファービー軍は歩兵と騎兵の混成、モンゴル軍は全員騎兵
16世紀のオスマン軍はスペイン軍に対して常勝、常に打ち破っている。
0160世界@名無史さん
2012/04/23(月) 00:13:41.960モンゴルは世界を変えた
0161世界@名無史さん
2012/04/23(月) 00:33:01.730>防具に関しては何故か軍勢の規模が1/5程度しかなかった前時代の話を持ち出す自己矛盾。
胸甲や鉄兜ってのは当然パイク兵や銃兵の話だが?
>5騎のうち2騎を装甲騎兵で編成しろとチンギス・カンも命じている
これ出典は?
>サファービー軍は歩兵と騎兵の混成、モンゴル軍は全員騎兵
サファヴィー朝はシャー・アッバースの軍事改革まではキジルバシの遊牧騎兵が主力。
モンゴルも中国やイランでは歩兵が加わっている。
>16世紀のオスマン軍はスペイン軍に対して常勝、常に打ち破っている。
オーストリアの間違いでは?
0162世界@名無史さん
2012/04/23(月) 02:54:22.360何も無いモンゴルになぜあのパワーがあったのか不思議。
あの勢いで西ヨーロッパに進軍してたらそれこそ歴史が変わっただろう。
それとスペイン。ピサロのような字も読めないヤクザ者の数百人の軍勢が
土人とはいえ帝国を滅ぼす事が出来るのか?
ライフル彫りが無い火縄銃なんて命中率どんだけ? 詰め替える時間も長いし3人が槍で突撃すれば楽勝だろ。
0163世界@名無史さん
2012/04/23(月) 03:32:38.480歩兵まで丸裸とかギャグかよ板金鎧の着用はもう義務化され武装も統一されてる段階
モンゴルの鎧は防弾性がほぼ皆無であり容易に撃ち抜かれる
もうマスケット銃の射程は容易に合成弓越えてる
同じように新大陸で弓術に特化した先住民が太刀打ちできなかった
騎兵戦術と銃兵器を兼ね合わせた高度な指揮系統持った先進的なオスマン軍と
中世レベルの兵器と士気の低い氏族連合のモンゴルとじゃ比較対象にする意味が無い
0164世界@名無史さん
2012/04/23(月) 03:51:40.220狩猟民族ならまだ対抗出来たかも知れないけどアステカは馬とか車輪とか以前に鉄器すら無いしね
古代エジプトでもチャリオットと鉄器使ってたと言うのに・・・
軍事的には何千年クラスの差がありそうだ・・・
0165世界@名無史さん
2012/04/23(月) 04:12:12.190戦国時代には50万丁保有してて、当時の全ヨーロッパの保有より多かった。
戦国時代の日本軍が結集すればスペイン軍なんてイチコロだな。
現に東南アジアで倭寇と見られるローニンにスペイン軍が全滅されたらしい。
怪しい話だが戦争すればスペイン軍には勝てる。
0166世界@名無史さん
2012/04/23(月) 04:27:59.8800167世界@名無史さん
2012/04/23(月) 04:35:23.250まぁ隣にあったとして海戦は明らかに無理だけど陸の会戦なら勝てたかもね
まぁこう言うのって条件次第だろうけど
条件次第だと最強の米軍がベトナムにも負ける
0168世界@名無史さん
2012/04/23(月) 04:49:21.380ロシアのバルチック艦隊を壊滅させたなんて凄くね?
開国してから71年後には負けたけど潜水艦、空母、航空機でアメリカに
戦争を仕掛けた。サムライ時代からたった71年に航空母艦とか潜水艦だよ。
全部、白人の発明だけど。
0170世界@名無史さん
2012/04/23(月) 10:28:15.4600171世界@名無史さん
2012/04/23(月) 18:58:10.900>>169
16世紀西仏の火器装備率が年が降るにつれて増え2割〜5割
保有する軍隊が合わせて約16万、より火器率の低い独と英が半分として
合わせて12万丁、倍に増えても日本の国内所有数に全然届かないw
0172世界@名無史さん
2012/04/23(月) 20:12:05.40016世紀末の人口が1200万人だから総人口の4%に火縄銃が装備されるってこと?
足軽・雑兵含めて当時の日本の総兵数はどれくらいに見積もられてるんだ?
0173世界@名無史さん
2012/04/23(月) 22:00:29.30O0174世界@名無史さん
2012/04/23(月) 22:12:26.670我々モンゴロイドも今の白人キリスト教世界のように中国人日本人朝鮮人台湾人同士で団結しあって地上の支配者になってたかも知れないのに(アウグストゥスなんて目じゃねえぐらいに)
彼はモンゴロイドに数少ない絶対的カリスマ性を持った人物だった。
0175世界@名無史さん
2012/04/23(月) 23:29:52.610何であの草原のカザフスタンと変わらないような遊牧土人が大それた事ができたのか?
白鴎の部屋にもジンギスカンの絵が飾ってあったな。モンゴルでは当然だけど超英雄なんやね。
世界一の強姦魔だろ?
0177世界@名無史さん
2012/04/23(月) 23:56:45.550なんか古代ローマ人に通じる凄みを感じるんだよね>少数民族で世界帝国築いた
オゴデイが死ななければ…バトゥなら絶対イベリア半島までやってくれたはず
そうすれば神聖ローマもロスチャイルドも無く、白人の時代も無かった。
0178世界@名無史さん
2012/04/24(火) 00:09:12.7700179世界@名無史さん
2012/04/24(火) 00:13:04.060ロシアツァーリ国は欧州じゃないよねw
オスマン帝国も良識ある我々はわざわざ欧州に含まないよね
はい、あとは東欧と北欧の保有数を出せばいいだけだよ
合計で30万丁以上保有していたという根拠をねw
0180世界@名無史さん
2012/04/24(火) 00:17:23.850Wiki「火縄銃」に書いてあるのか・・・ソースはノエル・ペリン「鉄砲を捨てた日本人」になってるね。
貿易取引書から推計した数字らしいが、暇ができたら一度読んでみるか・・・。
常識的に考えれば15万丁くらいだと思うが、意外な発見とかあるかもしれんしな。
0181世界@名無史さん
2012/04/24(火) 00:23:59.910オスマンは西欧列強に「ヨーロッパの病人」と認定されてるよw
ウラル山脈の西がヨーロッパだからロシアも充分入るな
シベリアは植民地ってことで
0182世界@名無史さん
2012/04/24(火) 01:10:58.0300183世界@名無史さん
2012/04/24(火) 01:11:46.62024人に一丁あったわけだ とんでもないな
0184世界@名無史さん
2012/04/24(火) 01:17:27.360それよりウラジオストック、美しすぎるwww
http://merryhome.air-nifty.com/himu/2010/08/post-1f10.html
0185世界@名無史さん
2012/04/24(火) 06:35:09.060火砲・大砲はイマイチだね
0186世界@名無史さん
2012/04/24(火) 07:48:53.380うち、戦闘行為への参加見込みのあった男性は、雑兵含めて100万〜150万人くらいが上限だろう。
(関ヶ原の際、本戦線および東北・九州戦線を全て合算した最大兵数35万人から見ても・・・)
で、そういう半農半兵の連中まで含めて2〜3人につき1丁ってのはさすがに多すぎ、他兵科も必要だし。
仮に50万丁が事実だとしたら、旧型のため戦場では使われなくなったものが半分以上あったはず。
0187世界@名無史さん
2012/04/24(火) 08:55:32.8600188世界@名無史さん
2012/04/24(火) 09:12:32.7500189世界@名無史さん
2012/04/24(火) 14:38:47.390名誉の殺人はイスラムの戒律じゃなくそれ以前からある慣習なんだが
むしろ家畜同然だった女性に男性の半分の権利を保障したのがイスラム教だぞ
0190世界@名無史さん
2012/04/24(火) 14:41:41.0300191世界@名無史さん
2012/04/24(火) 18:53:39.260>総人口1200万
一般的に認められてる数字より大分過少だね、ソースよろ。
>関ヶ原の際、本戦線および東北・九州戦線を全て合算した最大兵数35万人
一般的に認められてる数字より大分過少だね、ソースよろ。
>そういう半農半兵の連中
一般的に農業を営みつつも確固とした専業の兵身分と認められている
西仏の雇用雑兵などより余程ね。関ヶ原の頃の火器装備率は2〜3人につき1丁。
>仮に50万丁が事実だとしたら、旧型のため戦場では使われなくなったものが半分以上あったはず。
妄想は要らないからソース出そうね。
0193世界@名無史さん
2012/04/24(火) 21:33:04.5301200万〜2200万まで推定に幅があるようだ
一般に江戸時代前半に急増し半ばに3000万超ぐらいで安定したとの
推定が多いので3000万人に比べてかなり少ないというのが定説らしい
0194世界@名無史さん
2012/04/24(火) 21:40:34.200はいソース
0195世界@名無史さん
2012/04/24(火) 22:25:54.010http://awabi.2ch.net/history/
0196世界@名無史さん
2012/04/24(火) 22:33:16.560http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88
現在受け容れられている推定は1500万〜2000万とする説のようだ
>>194
はい、ソース
千姫事件、改易、亀井政矩入封、城鉄炮並びに武具之目録
(1020挺÷43000石)/(3人÷100石)=さあ、何%でしょう?
1020挺÷43000石×1800万石≒427000挺
これに領主の所有物ではない武士の軍役負担分を含めると50万丁説ともよく合致するね。
0197世界@名無史さん
2012/04/24(火) 22:37:13.620アジアで産業革命が起こりアジアがヨーロッパ列強に蹂躙されるなんて事はなかったかもしれない
本当にチンギス・ハーンは罪深い
0198世界@名無史さん
2012/04/24(火) 22:42:06.610http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1335272162/
0199世界@名無史さん
2012/04/24(火) 22:55:15.070http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1335272162/l50
0200世界@名無史さん
2012/04/25(水) 01:14:30.730>現在受け容れられている推定は1500万〜2000万とする説のようだ
それを読むと1200万から2200万まで研究者によって諸説あるようだが
そのうちどれが自分のいう「一般的に認められてる数字」なん?
0201世界@名無史さん
2012/04/25(水) 01:31:06.730http://awabi.2ch.net/history/
0202世界@名無史さん
2012/04/25(水) 02:33:43.710>それを読むと1200万から2200万まで研究者によって諸説あるようだが
>そのうちどれが自分のいう「一般的に認められてる数字」なん?
それを読むと初期の1200万〜1500万未満に推定する値は研究者自身が撤回したようだが
そのうちどれを>>200のいう「一般的に認められてる数字」に含もうと言い張るのか?
まさに不徳の至る所と言わざる負うことが出来ない
0203世界@名無史さん
2012/04/25(水) 21:54:44.280撤回したのは鬼頭宏だけみたいだが?
>そのうちどれを>>200のいう「一般的に認められてる数字」に含もうと言い張るのか?
「一般的に認められてる数字」とか言い出したのは自分では?
0204世界@名無史さん
2012/04/25(水) 22:26:11.540http://awabi.2ch.net/history/
0205世界@名無史さん
2012/04/25(水) 22:42:50.990速水融が撤回していないと言い張る根拠は何かな?ん?
6派の推定はそれぞれ、2200万、1937万、1700万、1600万、1490万、1200万
となっていて、概ね1500〜2000万の間に収まっているようだ
0206世界@名無史さん
2012/04/26(木) 20:30:38.190速水融は622万〜980万人→1230万人
0207世界@名無史さん
2012/04/26(木) 20:37:04.840http://awabi.2ch.net/history/
0208世界@名無史さん
2012/04/27(金) 20:47:42.7200209世界@名無史さん
2012/04/27(金) 20:56:54.5300210世界@名無史さん
2012/04/27(金) 21:22:39.6100212世界@名無史さん
2012/04/27(金) 23:06:54.5800213世界@名無史さん
2012/04/27(金) 23:12:24.190赤い坂が書き込んでいますわ
0214世界@名無史さん
2012/04/29(日) 10:04:11.74030万とか50万という数字は信用できん。
0215世界@名無史さん
2012/04/29(日) 13:40:15.37O0216世界@名無史さん
2012/04/29(日) 19:59:04.7600217世界@名無史さん
2012/04/30(月) 01:07:58.310第一次元寇の時も元軍2万5000人に高麗軍1万9000人くらいだし
元が他国を制圧する場合に用意する戦力はだいたい2〜4万程度だったんだろう
第二次元寇が14万とやたら多いのは南宋の兵の処理の為だったんだし
0218世界@名無史さん
2012/04/30(月) 01:48:03.7300219世界@名無史さん
2012/04/30(月) 02:58:33.540元軍も居たよ
0220世界@名無史さん
2012/05/08(火) 23:09:47.830凄まじい戦力差の説は誇張?
0221世界@名無史さん
2012/05/09(水) 18:44:10.880歴史学者の肩書を持つ小説家の言い分だけどねw
0222世界@名無史さん
2012/05/09(水) 23:50:34.790その付近での戦闘はあったんじゃないの?
クラコフだって焼かれたんでしょ?
オーストリアにも侵入したって説もあるし
0223名無し募集中。。。
2012/05/12(土) 17:49:20.1000224世界@名無史さん
2012/05/14(月) 00:06:36.31O相撲界を制圧しつつある。
0225世界@名無史さん
2012/05/14(月) 09:54:44.520あぁあれか
中華史観が嫌いだけど欧米史観も嫌いで日本史観も大嫌いって言う人で
塩野や陳を小説家などと言う腐った卑怯な物書き共が歴史を捏造してるって非難してて
室町時代の日本文化は全てモンゴルの影響だから日本人はモンゴルに感謝すべき
って真顔で言ってる自称モンゴル歴史家の大家とかぬかしてるオッサンだろ
0226世界@名無史さん
2012/05/14(月) 12:58:19.490>って真顔で言ってる
それ出典は? 気になる
0227世界@名無史さん
2012/05/14(月) 21:46:12.1700228世界@名無史さん
2012/05/14(月) 23:10:34.660当初こそモンゴルの歴史に革新的な史観がと注目されたけど
その後の”ぼくのとなえてるさいこうのもんごるていこく”な理屈ばかり
ぶっ壊れたテープレコーダーみたいにしつこく繰り返して
俺は正しいお前ら全員間違いwwwwwとか言い続けてばかりで
みんなにあきれられてるって言うヤツじゃん
本人は俺がモンゴル帝国を正しく教えてやってるってつもりなんだろうけど
逆にかえってモンゴルの印象や心象を悪くしてるばっかりって感じだな
0229世界@名無史さん
2012/05/14(月) 23:17:10.330他の奴らもエキセントリックな気違いだらけw
0230世界@名無史さん
2012/05/14(月) 23:41:50.160今時お杉なんかの本根拠にしたらそんなもの根拠にしてるのって失笑レベルだぜ
0231世界@名無史さん
2012/05/14(月) 23:57:09.670ちょっと気になる部分を検索とかするだけでもネットにも大分資料や文章が載ってる
その中には色んな文典やらも載ってたりする訳で
杉山のやってるのはせいぜいネットが流通する前の90年代頃までしか通用しないやり方
今の時代何も杉山の本なんか一切買わなくても別な文典やら資料やら
本でもネットでも大分増えてきてそっから知識を読み取る事も出来るようになったし
0232世界@名無史さん
2012/05/15(火) 13:56:15.820もっとケ小平みたいな指導者がビシッとまとめていたらモンゴルを押し返していたんじゃないの?
モンゴルに滅ぼされた南宋も、清に滅ぼされた明も、阿片戦争で蹂躙された清も内部から腐乱し崩壊した感がある。
0233世界@名無史さん
2012/05/15(火) 15:10:49.3100234世界@名無史さん
2012/05/15(火) 18:55:24.760でも室町時代が本格的に始まる頃には元が滅亡してるんだけど
室町文化のどういう面を指してモンゴルの影響といってる訳?
0235世界@名無史さん
2012/05/15(火) 19:48:17.800能とか雅楽は元代の元曲などが元になってそれからの影響で有ると言い
また日元貿易は日宋貿易など比較にならない程の利益と文化を日本にもたらしたと主張してる
勿論そんな事真顔で言ってるのは杉山のオッちゃんだけだけどな
0237世界@名無史さん
2012/05/15(火) 20:04:11.540交易してたとして、南宋遺民の漢人が私的におこなっていたものだからモンゴルの恩恵じゃないんでない?
0238世界@名無史さん
2012/05/15(火) 20:10:59.930南宋の制度を丸々継承しただけだけど、明と違って海禁はしてないから
一応モンゴルの恩恵とはいえるか?
0239世界@名無史さん
2012/05/15(火) 20:12:22.700鎌倉幕府滅亡後に至っては各地の地方武士達が各々勝手にやってたレベル程度だから
どう考えても日本に多大な影響を与えたとかありえないレベルだろ
0240世界@名無史さん
2012/05/15(火) 20:16:04.350元寇の報復かの様に激しい勢いでやっていたとか言っている
その個人的見解はともかくとしても
その前期倭寇を鎮圧する力がモンゴルには無かったとか言ってたな
お杉はこの文章にカチンと来たのか
陳とかの小説家を毛嫌いする原因の一つになったみたいだけど
0241世界@名無史さん
2012/05/15(火) 20:18:42.760明が海禁するようになったのって1500年代以降の話だろ
それまでは義満や義教は明との貿易に積極的だったし
義持は大のオヤジ嫌いだから一時期滞ったけど
0242世界@名無史さん
2012/05/16(水) 00:52:19.220>能とか雅楽は元代の元曲などが元になってそれからの影響で有ると言い
詳しく検証したいのでソース元教えて
少なくとも雅楽の基になるものが入ってきたのは古代だ
元代に文化的影響があるとしたら禅宗だろ
0243世界@名無史さん
2012/05/16(水) 01:06:04.43Oそれは「中国」の影響じゃないの?
0244世界@名無史さん
2012/05/16(水) 02:25:54.890元の時代に出た文化もみーんなモンゴル発祥って理屈
アホかって思うわ
0245聖徳太子
2012/05/16(水) 05:24:44.740朝青龍は生れた時から横綱になることが
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/02/4/43.html
横綱になることが決まっていたのだろうか。
誕生日には、レーガン大統領とプロ野球の王選手が花を添えている。
0246世界@名無史さん
2012/05/19(土) 13:46:51.900中華列強という形で中国の地方が独立国としてまとまった方が伸びそうだ。
しかし、中国で地方が独立する時代は戦乱期で安定すると統一してしまう。そして腐敗してまた戦乱になる。
春秋・戦国時代には少し欧州的な方向に行きそうにも見えたが。
0247世界@名無史さん
2012/05/19(土) 14:02:20.910縁故主義と賄賂の横行、奴隷制の跋扈が大きいよ
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