モンゴルはいかに世界を変えたのか
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0001世界@名無史さん
2012/02/03(金) 11:49:51.0100125世界@名無史さん
2012/04/21(土) 21:31:29.450欧州へペスト菌持ち込んだのはモンゴル人なんだが
そんな気持ち悪いエイズ患者のモンゴル土人を打ち破ったのがロシア・コサック
0126世界@名無史さん
2012/04/21(土) 21:43:59.450長篠の戦いが思い浮かんだからスペイン勝利にしとく
多分間違ってるけど
0128世界@名無史さん
2012/04/21(土) 21:57:51.660された対馬・壱岐・松浦・五島列島などの住民が中心であり、「三島倭寇」
と総称された。 朝鮮半島や中国沿岸に対する海賊行為は、元寇に対する地方
の私軍による復讐の意味合い、 および、再度の侵攻への予防という側面も
あったと考えられる。
清の徐継畭の『瀛環志略』や 李氏朝鮮の安鼎福の『東史綱目』には、倭寇の
原因は 日本に対する侵略行為を行った高麗人(朝鮮人) への報復である、と
記述されている。
さらには、連れ去られた家族を取り戻すためであった事例もあり、実際に家族と
再会した 記録も残っている。
0130世界@名無史さん
2012/04/21(土) 22:59:44.0400131世界@名無史さん
2012/04/21(土) 23:15:48.850>14世紀に突然大流行した事や感染ルートから見てモンゴル経由なのは間違いない
ペスト菌は多くの齧歯類が保持してるし、突然流行したわけでもない。
感染の伝播ルートが確定したのかそれは凄いな、その業績だけで教授になれるw
0132世界@名無史さん
2012/04/21(土) 23:30:50.190モンゴルがユダヤ教に改宗した東欧国家を襲撃
↓
東欧系ユダヤ人が欧州に逃げる
↓
ついでにペスト菌も持ち込んだのでユダヤ人が病気をバラ撒いた!とされて
ユダヤ人が迫害された
0133世界@名無史さん
2012/04/21(土) 23:38:47.15014世紀に黒死病が流行り東方との交易の際に持ち込まれた
こんなのお前が知らないだけで常識だろ
教科書でもwikiでも見れば
0134世界@名無史さん
2012/04/22(日) 00:08:31.410ペスト菌は一般的に都市よりも郊外、植物の茂った場所や水辺にいる齧歯類で保菌率が高いよ
都市だと感染の蔓延が速いから目立つだけであって。
0135世界@名無史さん
2012/04/22(日) 01:07:09.550遥か彼方の異国で100対1の兵力差で無双できるかって話なんだよな(例:5万対5百)
そのへんは長篠の戦とは全く事情が違う。
もっとも上手くやれて、関が原での「島津の錐もみ突破」のようにして戦線離脱できるかというレベル。
0136世界@名無史さん
2012/04/22(日) 01:30:40.340まずは現地の情報収集や諜報を済ませてから拠点であるカリブ諸島から
上陸地へ橋頭保を築きそこから一気に攻め込む
海上からの後方支援ルートがある限りもうスペインの独壇場
0137世界@名無史さん
2012/04/22(日) 02:52:22.370してたかもしれないが、コロンブス直前までムーア人に
国土を取られてたやんけ。しかも復讐で対岸すら攻め込まないし。
だが、俺はコロンブスとスペインを尊敬している。
コロンブスが発見してなくてもいずれ誰かが発見したのは明白だが
何十年、百年以上先だったかもしれない。彼がいなかったら歴史は変わってた。
メソポタミア発の小麦を手に入れた旧世界の人類は新大陸でトウモロコシと
ポテトなどを手に入れた。この貧相な土地でも育ちカロリーも高い食料は
アイルランドやドイツ、ロシアの主食、準主食になっただけでなく我々にも
どれだけ恩恵を受けてるか。玉子もニワトリのエサのトウモロコシが無いと
食えない。チキンも牛肉も。あんなちっぽけな船でスペインは世界を変えた。
モンゴルは我々の英雄である倭寇を残したが、残虐性を歴史の本に残しただけ。
0138世界@名無史さん
2012/04/22(日) 03:23:47.4000139世界@名無史さん
2012/04/22(日) 03:59:14.4900140世界@名無史さん
2012/04/22(日) 04:25:46.390つか16世紀のモンゴルって何してたんだろ
モンゴルは騎馬隊、スペインはガリオンで大帝国作ったけどやっぱ兵力の迅速な移動ってのは必要だね
0141世界@名無史さん
2012/04/22(日) 04:38:57.120どっちも相手の先手を誘う戦術だから沈着状態で終りそうw
0142オツガイ ◆EAbyJft1LY
2012/04/22(日) 05:33:46.590>つか16世紀のモンゴルって何してたんだろ
16世紀のモンゴルと言えばダヤン・ハーン及びアルタン・ハーンの下で結構栄えてたよ。
彼らはしばしば明に侵入し、アルタン・ハーンなんかは首都の北京まで迫ったりしてる。
当時のスペインとは離れすぎてるので流石にどっちが強いかまでは分からないけど。
0143世界@名無史さん
2012/04/22(日) 05:42:42.950すでに、同数の兵力ではまともに戦えるレベルになかったろうね。
もちろん、10倍とかの兵数差があれば話は別かもしれんがな。
0144世界@名無史さん
2012/04/22(日) 05:43:45.4600146世界@名無史さん
2012/04/22(日) 07:06:27.750得意の騎馬突撃もパイク兵によって潰される
烏合の衆である氏族連合のモンゴルに対して志願制で集った精鋭集団のスペイン
ゴンサロ将軍の下で培われた騎兵戦力を無力化する土塁、塹壕等の野戦築城のノウハウも持つ
この時代にモンゴルが勝利するには苦しいな正直
0147世界@名無史さん
2012/04/22(日) 07:25:03.330極めて軽装のスペイン兵はモンゴル軍の射撃に大して抵抗できない。
長柄槍部隊も非常に硬直した粗雑な軍組織のせいで長所を発揮しない。
結束の堅い氏族から構成され、常時訓練している精強なモンゴル軍と比べ
金で徴募され縁も所縁もなくロクに訓練も施されない雑兵の群れでしかないスペイン軍。
この時代のスペイン軍の実態を知らずに同等に戦えると誤った判断をしてはいけないよ。
0148世界@名無史さん
2012/04/22(日) 07:46:36.890軽装とも言われるが甲冑はプレートアーマであり当時から見れば重装備
中世とは違いモンゴルの矢では通用しない水準まで達している
パイク兵の長所は攻めて来る敵軍への迎撃であり騎兵対しては十分な効果
イタリア南部やネーデルラントなど特に最重要視した地域では練度組織力の高い軍団を編成して送り込んでいる
これが私的利益しか考えていない氏族の集まりのモンゴル軍が勝つには苦しいな
0149世界@名無史さん
2012/04/22(日) 08:09:51.900長柄槍部隊は100人以上を単位に行動するため非常に魯鈍かつ硬直的
軽装弓兵と重装突撃兵の散兵が攻撃した時に十全の対応が可能な軍組織になっていない。
スペイン軍で甲冑(非板金鎧)を付けていたのは1割程度の主力兵のみ
大多数のスペイン軍兵士は厚手の防護服しか着ていない。
低地諸国へ送られたのは当時のスペイン軍の中で最も精鋭の部隊で
これは封建領主である軍閥が組織した軍、つまり言ってる事が自己矛盾している。
0150世界@名無史さん
2012/04/22(日) 08:29:01.320パイク兵は迎撃で効果を発揮する機動性は求められていない
当時のスペイン軍はほぼ兵卒まで板金鎧寧ろ前時代に重装備過ぎた形式を軽量化したぐらい
カトリックという一つの帰属意識があったスペインと比べ
モンゴルにあったのは氏族間の私益でありやはり勝つには苦しい
0151世界@名無史さん
2012/04/22(日) 08:48:38.430スペイン兵ですら当時は集団脱走が度々起きているよ、イタリア兵やドイツ兵に至っては
少し給与の払いが遅れれば暴動、逃亡、戦闘ではロクに戦わず略奪三昧、そういう集団。
西仏戦争は16世紀前半だけで3度か4度起きてるよ。
スペイン軍の防具としては雑兵へは服を支給していた。寝言と妄想はほどほどにねw
0152世界@名無史さん
2012/04/22(日) 09:07:19.490まぁ、そうなる前に身の安全を優先する氏族らの離脱で勝手に崩壊するだろうけど
まず装備に関してだが最優先された地域への軍には板金鎧の着用が義務化されている
これはマトモに矢では貫けない一方のモンゴル軍の中世的な装備じゃ鉛玉の餌食だろう
当時ハン一人死ぬとすぐ内乱起して揉めてたモンゴルと太陽が沈まぬ帝国だったスペインを比べるには
やはり無理があったな
0154世界@名無史さん
2012/04/22(日) 14:54:59.700例えば、同時代のイヴァン雷帝。
キプチャク・ハン国の分裂した4国のうち3国に対して征服戦争を行っていた一方で、
リヴォニア戦争ではスウェーデン、ポーランド=リトアニア相手に戦争を仕掛けていた(おおむね劣勢)。
スペインはスウェーデンやポーランドの戦闘力と比べてどうか、モンゴルはシビル・ハン国らの戦闘力と比べてどうか。
0155世界@名無史さん
2012/04/22(日) 19:56:43.19016世紀のロシアはタタール風の騎兵に鉄砲などで武装した歩兵と砲兵隊という
オスマントルコに近い感じの軍隊だったが、タタールには勝てても
ヨーロッパからの侵略に対抗できなくなりパイク&ショットの編成等を取り入れてる。
0156世界@名無史さん
2012/04/22(日) 21:06:32.480スペイン軍の中で板金鎧を着る事が出来たのは上級将校のみ
甲冑なしの大多数の雇われ雑兵はもちろん、主力兵ですら板金鎧など到底支給されなかった。
一方のモンゴル兵はスペイン軍兵士と較べると甲冑を身に付け重装甲といえる。
16世紀の火縄銃は合成弓と比べて射程が短いため機動力で圧倒的に勝るモンゴル軍を攻撃するには
弓矢の射程内へ甲冑も付けず火縄銃の発射準備も無いまま進まないといけない。
軍組織は非常に粗雑、指揮命令伝達や行動は酷く魯鈍、不利な状況でしか戦わせて貰えず
苛烈な戦闘ではオスマン軍相手の際と同じく尻尾を巻いて逃げ回るしかなかったよ。
0157世界@名無史さん
2012/04/22(日) 22:25:04.1200158世界@名無史さん
2012/04/22(日) 23:05:31.880>甲冑なしの大多数の雇われ雑兵はもちろん、主力兵ですら板金鎧など到底支給されなかった。
>一方のモンゴル兵はスペイン軍兵士と較べると甲冑を身に付け重装甲といえる。
モンゴルも突撃や近接戦闘を行う装甲騎兵は一部のエリート部隊で
大多数は軽装の弓射騎兵。
当時のヨーロッパの歩兵も胸甲や鉄兜を装備していた。
>16世紀の火縄銃は合成弓と比べて射程が短いため機動力で圧倒的に勝るモンゴル軍を攻撃するには
>弓矢の射程内へ甲冑も付けず火縄銃の発射準備も無いまま進まないといけない。
オスマン朝軍がサファヴィー朝と戦ったときにはキジルバシの部族騎兵を
火縄銃の射撃によって破っている。
その後サファヴィー朝も銃兵隊を導入してジョチウルス系のシャイバーニー朝を破っている。
0159世界@名無史さん
2012/04/22(日) 23:49:06.660防具に関しては何故か軍勢の規模が1/5程度しかなかった前時代の話を持ち出す自己矛盾。
5騎のうち2騎を装甲騎兵で編成しろとチンギス・カンも命じている、6割を大多数と言い換えるのは詭弁。
サファービー軍は歩兵と騎兵の混成、モンゴル軍は全員騎兵
16世紀のオスマン軍はスペイン軍に対して常勝、常に打ち破っている。
0160世界@名無史さん
2012/04/23(月) 00:13:41.960モンゴルは世界を変えた
0161世界@名無史さん
2012/04/23(月) 00:33:01.730>防具に関しては何故か軍勢の規模が1/5程度しかなかった前時代の話を持ち出す自己矛盾。
胸甲や鉄兜ってのは当然パイク兵や銃兵の話だが?
>5騎のうち2騎を装甲騎兵で編成しろとチンギス・カンも命じている
これ出典は?
>サファービー軍は歩兵と騎兵の混成、モンゴル軍は全員騎兵
サファヴィー朝はシャー・アッバースの軍事改革まではキジルバシの遊牧騎兵が主力。
モンゴルも中国やイランでは歩兵が加わっている。
>16世紀のオスマン軍はスペイン軍に対して常勝、常に打ち破っている。
オーストリアの間違いでは?
0162世界@名無史さん
2012/04/23(月) 02:54:22.360何も無いモンゴルになぜあのパワーがあったのか不思議。
あの勢いで西ヨーロッパに進軍してたらそれこそ歴史が変わっただろう。
それとスペイン。ピサロのような字も読めないヤクザ者の数百人の軍勢が
土人とはいえ帝国を滅ぼす事が出来るのか?
ライフル彫りが無い火縄銃なんて命中率どんだけ? 詰め替える時間も長いし3人が槍で突撃すれば楽勝だろ。
0163世界@名無史さん
2012/04/23(月) 03:32:38.480歩兵まで丸裸とかギャグかよ板金鎧の着用はもう義務化され武装も統一されてる段階
モンゴルの鎧は防弾性がほぼ皆無であり容易に撃ち抜かれる
もうマスケット銃の射程は容易に合成弓越えてる
同じように新大陸で弓術に特化した先住民が太刀打ちできなかった
騎兵戦術と銃兵器を兼ね合わせた高度な指揮系統持った先進的なオスマン軍と
中世レベルの兵器と士気の低い氏族連合のモンゴルとじゃ比較対象にする意味が無い
0164世界@名無史さん
2012/04/23(月) 03:51:40.220狩猟民族ならまだ対抗出来たかも知れないけどアステカは馬とか車輪とか以前に鉄器すら無いしね
古代エジプトでもチャリオットと鉄器使ってたと言うのに・・・
軍事的には何千年クラスの差がありそうだ・・・
0165世界@名無史さん
2012/04/23(月) 04:12:12.190戦国時代には50万丁保有してて、当時の全ヨーロッパの保有より多かった。
戦国時代の日本軍が結集すればスペイン軍なんてイチコロだな。
現に東南アジアで倭寇と見られるローニンにスペイン軍が全滅されたらしい。
怪しい話だが戦争すればスペイン軍には勝てる。
0166世界@名無史さん
2012/04/23(月) 04:27:59.8800167世界@名無史さん
2012/04/23(月) 04:35:23.250まぁ隣にあったとして海戦は明らかに無理だけど陸の会戦なら勝てたかもね
まぁこう言うのって条件次第だろうけど
条件次第だと最強の米軍がベトナムにも負ける
0168世界@名無史さん
2012/04/23(月) 04:49:21.380ロシアのバルチック艦隊を壊滅させたなんて凄くね?
開国してから71年後には負けたけど潜水艦、空母、航空機でアメリカに
戦争を仕掛けた。サムライ時代からたった71年に航空母艦とか潜水艦だよ。
全部、白人の発明だけど。
0170世界@名無史さん
2012/04/23(月) 10:28:15.4600171世界@名無史さん
2012/04/23(月) 18:58:10.900>>169
16世紀西仏の火器装備率が年が降るにつれて増え2割〜5割
保有する軍隊が合わせて約16万、より火器率の低い独と英が半分として
合わせて12万丁、倍に増えても日本の国内所有数に全然届かないw
0172世界@名無史さん
2012/04/23(月) 20:12:05.40016世紀末の人口が1200万人だから総人口の4%に火縄銃が装備されるってこと?
足軽・雑兵含めて当時の日本の総兵数はどれくらいに見積もられてるんだ?
0173世界@名無史さん
2012/04/23(月) 22:00:29.30O0174世界@名無史さん
2012/04/23(月) 22:12:26.670我々モンゴロイドも今の白人キリスト教世界のように中国人日本人朝鮮人台湾人同士で団結しあって地上の支配者になってたかも知れないのに(アウグストゥスなんて目じゃねえぐらいに)
彼はモンゴロイドに数少ない絶対的カリスマ性を持った人物だった。
0175世界@名無史さん
2012/04/23(月) 23:29:52.610何であの草原のカザフスタンと変わらないような遊牧土人が大それた事ができたのか?
白鴎の部屋にもジンギスカンの絵が飾ってあったな。モンゴルでは当然だけど超英雄なんやね。
世界一の強姦魔だろ?
0177世界@名無史さん
2012/04/23(月) 23:56:45.550なんか古代ローマ人に通じる凄みを感じるんだよね>少数民族で世界帝国築いた
オゴデイが死ななければ…バトゥなら絶対イベリア半島までやってくれたはず
そうすれば神聖ローマもロスチャイルドも無く、白人の時代も無かった。
0178世界@名無史さん
2012/04/24(火) 00:09:12.7700179世界@名無史さん
2012/04/24(火) 00:13:04.060ロシアツァーリ国は欧州じゃないよねw
オスマン帝国も良識ある我々はわざわざ欧州に含まないよね
はい、あとは東欧と北欧の保有数を出せばいいだけだよ
合計で30万丁以上保有していたという根拠をねw
0180世界@名無史さん
2012/04/24(火) 00:17:23.850Wiki「火縄銃」に書いてあるのか・・・ソースはノエル・ペリン「鉄砲を捨てた日本人」になってるね。
貿易取引書から推計した数字らしいが、暇ができたら一度読んでみるか・・・。
常識的に考えれば15万丁くらいだと思うが、意外な発見とかあるかもしれんしな。
0181世界@名無史さん
2012/04/24(火) 00:23:59.910オスマンは西欧列強に「ヨーロッパの病人」と認定されてるよw
ウラル山脈の西がヨーロッパだからロシアも充分入るな
シベリアは植民地ってことで
0182世界@名無史さん
2012/04/24(火) 01:10:58.0300183世界@名無史さん
2012/04/24(火) 01:11:46.62024人に一丁あったわけだ とんでもないな
0184世界@名無史さん
2012/04/24(火) 01:17:27.360それよりウラジオストック、美しすぎるwww
http://merryhome.air-nifty.com/himu/2010/08/post-1f10.html
0185世界@名無史さん
2012/04/24(火) 06:35:09.060火砲・大砲はイマイチだね
0186世界@名無史さん
2012/04/24(火) 07:48:53.380うち、戦闘行為への参加見込みのあった男性は、雑兵含めて100万〜150万人くらいが上限だろう。
(関ヶ原の際、本戦線および東北・九州戦線を全て合算した最大兵数35万人から見ても・・・)
で、そういう半農半兵の連中まで含めて2〜3人につき1丁ってのはさすがに多すぎ、他兵科も必要だし。
仮に50万丁が事実だとしたら、旧型のため戦場では使われなくなったものが半分以上あったはず。
0187世界@名無史さん
2012/04/24(火) 08:55:32.8600188世界@名無史さん
2012/04/24(火) 09:12:32.7500189世界@名無史さん
2012/04/24(火) 14:38:47.390名誉の殺人はイスラムの戒律じゃなくそれ以前からある慣習なんだが
むしろ家畜同然だった女性に男性の半分の権利を保障したのがイスラム教だぞ
0190世界@名無史さん
2012/04/24(火) 14:41:41.0300191世界@名無史さん
2012/04/24(火) 18:53:39.260>総人口1200万
一般的に認められてる数字より大分過少だね、ソースよろ。
>関ヶ原の際、本戦線および東北・九州戦線を全て合算した最大兵数35万人
一般的に認められてる数字より大分過少だね、ソースよろ。
>そういう半農半兵の連中
一般的に農業を営みつつも確固とした専業の兵身分と認められている
西仏の雇用雑兵などより余程ね。関ヶ原の頃の火器装備率は2〜3人につき1丁。
>仮に50万丁が事実だとしたら、旧型のため戦場では使われなくなったものが半分以上あったはず。
妄想は要らないからソース出そうね。
0193世界@名無史さん
2012/04/24(火) 21:33:04.5301200万〜2200万まで推定に幅があるようだ
一般に江戸時代前半に急増し半ばに3000万超ぐらいで安定したとの
推定が多いので3000万人に比べてかなり少ないというのが定説らしい
0194世界@名無史さん
2012/04/24(火) 21:40:34.200はいソース
0195世界@名無史さん
2012/04/24(火) 22:25:54.010http://awabi.2ch.net/history/
0196世界@名無史さん
2012/04/24(火) 22:33:16.560http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88
現在受け容れられている推定は1500万〜2000万とする説のようだ
>>194
はい、ソース
千姫事件、改易、亀井政矩入封、城鉄炮並びに武具之目録
(1020挺÷43000石)/(3人÷100石)=さあ、何%でしょう?
1020挺÷43000石×1800万石≒427000挺
これに領主の所有物ではない武士の軍役負担分を含めると50万丁説ともよく合致するね。
0197世界@名無史さん
2012/04/24(火) 22:37:13.620アジアで産業革命が起こりアジアがヨーロッパ列強に蹂躙されるなんて事はなかったかもしれない
本当にチンギス・ハーンは罪深い
0198世界@名無史さん
2012/04/24(火) 22:42:06.610http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1335272162/
0199世界@名無史さん
2012/04/24(火) 22:55:15.070http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1335272162/l50
0200世界@名無史さん
2012/04/25(水) 01:14:30.730>現在受け容れられている推定は1500万〜2000万とする説のようだ
それを読むと1200万から2200万まで研究者によって諸説あるようだが
そのうちどれが自分のいう「一般的に認められてる数字」なん?
0201世界@名無史さん
2012/04/25(水) 01:31:06.730http://awabi.2ch.net/history/
0202世界@名無史さん
2012/04/25(水) 02:33:43.710>それを読むと1200万から2200万まで研究者によって諸説あるようだが
>そのうちどれが自分のいう「一般的に認められてる数字」なん?
それを読むと初期の1200万〜1500万未満に推定する値は研究者自身が撤回したようだが
そのうちどれを>>200のいう「一般的に認められてる数字」に含もうと言い張るのか?
まさに不徳の至る所と言わざる負うことが出来ない
0203世界@名無史さん
2012/04/25(水) 21:54:44.280撤回したのは鬼頭宏だけみたいだが?
>そのうちどれを>>200のいう「一般的に認められてる数字」に含もうと言い張るのか?
「一般的に認められてる数字」とか言い出したのは自分では?
0204世界@名無史さん
2012/04/25(水) 22:26:11.540http://awabi.2ch.net/history/
0205世界@名無史さん
2012/04/25(水) 22:42:50.990速水融が撤回していないと言い張る根拠は何かな?ん?
6派の推定はそれぞれ、2200万、1937万、1700万、1600万、1490万、1200万
となっていて、概ね1500〜2000万の間に収まっているようだ
0206世界@名無史さん
2012/04/26(木) 20:30:38.190速水融は622万〜980万人→1230万人
0207世界@名無史さん
2012/04/26(木) 20:37:04.840http://awabi.2ch.net/history/
0208世界@名無史さん
2012/04/27(金) 20:47:42.7200209世界@名無史さん
2012/04/27(金) 20:56:54.5300210世界@名無史さん
2012/04/27(金) 21:22:39.6100212世界@名無史さん
2012/04/27(金) 23:06:54.5800213世界@名無史さん
2012/04/27(金) 23:12:24.190赤い坂が書き込んでいますわ
0214世界@名無史さん
2012/04/29(日) 10:04:11.74030万とか50万という数字は信用できん。
0215世界@名無史さん
2012/04/29(日) 13:40:15.37O0216世界@名無史さん
2012/04/29(日) 19:59:04.7600217世界@名無史さん
2012/04/30(月) 01:07:58.310第一次元寇の時も元軍2万5000人に高麗軍1万9000人くらいだし
元が他国を制圧する場合に用意する戦力はだいたい2〜4万程度だったんだろう
第二次元寇が14万とやたら多いのは南宋の兵の処理の為だったんだし
0218世界@名無史さん
2012/04/30(月) 01:48:03.7300219世界@名無史さん
2012/04/30(月) 02:58:33.540元軍も居たよ
0220世界@名無史さん
2012/05/08(火) 23:09:47.830凄まじい戦力差の説は誇張?
0221世界@名無史さん
2012/05/09(水) 18:44:10.880歴史学者の肩書を持つ小説家の言い分だけどねw
0222世界@名無史さん
2012/05/09(水) 23:50:34.790その付近での戦闘はあったんじゃないの?
クラコフだって焼かれたんでしょ?
オーストリアにも侵入したって説もあるし
0223名無し募集中。。。
2012/05/12(土) 17:49:20.1000224世界@名無史さん
2012/05/14(月) 00:06:36.31O相撲界を制圧しつつある。
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