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【悲劇の清朝王女】川島芳子2【男装の麗人】

レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001世界@名無史さん2006/06/02(金) 01:43:120
男装の麗人川島芳子嬢こと清朝王女愛新覚羅顕シ様について語りましょう。

前スレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1042167850
0886世界@名無史さん2009/06/25(木) 23:04:480
そういうときは、文章の一節をまるごと検索してみな。

ttp://y-fuka.way-nifty.com/blog/2005/03/post_4.html

↑引用先はこの個人ブログ。下のほうのコメント欄の
投稿のコピペらしいな。たいして信用できそうな
情報とは思わんが。
0887世界@名無史さん2009/06/27(土) 00:59:370
ちょっと暇潰しを・・・
ttp://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/04/index.html

これは、作家の城島明彦とかいう人のプログ。
4/11,4/14,4/19付けでテレ朝の川島芳子番組についての感想を書いている。
「インチキ番組だ!」という結論、というか総論はいいとしても、
各論がまるでなってない。曰く、

 「親中派と呼ばれる日本の政治家には、中国との国交を回復した田中角栄
と娘の田中真紀子、故橋本龍太郎、リタイアした野中広務、河野一郎の息子の
河野洋平、満州国大連生まれのエロ拓≠アと山崎拓とその盟友だった加藤紘一
らがいる。公明党、社民党、共産党も中国と親しい」

よって、彼らが知らないのに、芳子が生きてるなんておかしい、という論理
だ。あんさん、そりゃ無茶苦茶でござりまするがな。
中国共産党は、知ってる事実をすべて親中政治家に報告しないといけない
という取り決めでもあるんですか?かって胡耀邦は、中曽根首相を自宅に
招いたというだけで失脚の一因を作ったのに・・そういうことも知らない
んだろうね。
0888世界@名無史さん2009/06/27(土) 01:09:570
「中国と政治的なパイプがある国会議員が、誰ひとりとして、
川島芳子が生存していたことを知らなかったというのは、
きわめて不自然である」

いや・・全然不自然じゃないと思いますけど。そもそも興味もないでしょうし。

「もし本当に生きていたのなら、特に山口淑子が知らなかったというのは、
信じがたい。 生存していたのなら、彼女の親分だった中国との国交を回復
した田中角栄が知らなかったはずはない。もし知っていたら、田中真紀子
にも話しているだろうが、あのおしゃべり女が黙っているはずもなかろう」

と城島氏の空想は羽根を広げていたのであった。
別に山口淑子さんは、芳子の親戚でもなんでもないんですが・・
生涯唯一無二の親友でもあるまいし。
李香蘭が芳子とあったのは、学生時代に数回、女優になって1,2度、
後は九州で一度会ったくらいじゃないですか?一般的にはそんなに
親しいというほどの間柄でもないと思いますが・・
城島氏よ、あなたは、自分の生死を、親兄弟よりたまに会う程度の
知り合いに真っ先に伝えたいのですか。人間の感性としておかしい
でしょ。
まあ、これも山口淑子の書いた本の悪影響ですかね。
0889世界@名無史さん2009/06/27(土) 01:18:460
「山口淑子は、田中角栄に口説かれて、自民党の国会議員に当選したが、
議員になる前は、フジテレビの昼のワイドショー「3時のあなた」の司会者を
5年間していた。 フジ・サンケイグループの取材力をもってすれば、
川島芳子が生存しているか否かを確かめるぐらいのことは簡単にできたはず」

山口淑子が「3時のあなた」をやってた当時は全くの文化大革命の
最中ですがな。当時在中のマスコミは「赤旗」に至るまで国外追放処分
になったのを知らないんですか。そんなことできるわけないでしょうに。
それに、吉林を含む東北3省は、それからも随分長い間、未開放地区で
取材どころか日本人が立ち入ることさえ禁止されていた。
文革中に中国にいた日本人がどれだけ劣悪な環境下におかれていたか
さっぱりご存知ないようだ。
0890世界@名無史さん2009/06/27(土) 01:26:360
まあ、いってることの論理展開がかくもトンチンカンで、
偉そうなことをいってる割には現代中国に関する本などほとんど
読んだことがない、というのがまるわかり。
中国でいついつにどういう出来事があって、その時日本との関係は
どうで、どういう人物がどうかかわったのか、とかを全く知らないで
思いこみの激しい推測だけで延々論旨を展開している。

字数だけ多くて内容は中学生レベル。お話にもならない。

せめて「ワイルド・スワン」か「上海の長い夜」くらいは読みなさいよ・・

この人の本は絶対買うまい、と心に決めた。
0891【^▽^】田中隆吉 ◆4FfyOtW0fiF5 2009/06/27(土) 04:02:56O
川島芳子は国府に処刑されました。
0892【^▽^】田中隆吉 ◆4FfyOtW0fiF5 2009/06/27(土) 04:08:40O
俺を裏切って笹川に走ったバチが当たったんだお
トリップが変になってんの笹川の倅のサイバーテロかお?
0893川島芳子2009/06/28(日) 11:09:09O
ファッキン田中隆吉!!!
0894豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 2009/06/28(日) 14:10:130
川島芳子は国府の銃弾に斃れました。
0895世界@名無史さん2009/06/29(月) 18:46:060
>>884
>カンジュルジャップ自身がなんぞの物語の主人公なんだよね?

そうなの?それは聞いたことがないです。
パプチャップ一家の消息は、長女の娘(芳子の兄と結婚)と次女がわりと長生きしていたらしいけど
カンジュルチャップ、ジョンジュルチャップの釈放後や子供の話は聞かないですね。
カンジュルチャップが再婚相手と子供が生まれてからは芳子が出産祝いを持っていたとあるので
子供がいたことは確実だけど、何をしているんだろう。

カンジュルジャップとジョンジュルジャップと芳子の兄憲均は溥儀と同じ撫順戦犯管理所に収容されています。
労働なんかしたことない溥儀は紙箱張り作業で憲均に馬鹿にされ、雑草と間違えて苗を抜いてしまいジョンジュルジャップに馬鹿にされ、
昔はこいつら自分にぺこぺこしていたのに!と相当頭にきていたようです。

カンジュルは大蔵経という意味で、モンゴル人の名前としてはカンジュル〜さんも、〜ジャップさんもありふれた名前だし、
中国語のサイトでカンジュルジャップで検索したら同名者がたくさんひっかかる。
ひょっとして調査団はカンジュルジャップという名前だけ見て芳子の元夫に間違いないと飛びついているんじゃないか。
だとしたらお粗末すぎるけどな。
0896世界@名無史さん2009/06/29(月) 19:38:240
「太陽は勝てり」という物語らしいですよ。モデルになった
カンジュルジャップと芳子がのちに実際結婚したと。
http://nob.internet.ne.jp/note/note_23.html
>>895
そこに書いてあるだいたいのことは知ってますが、なにゆえ
それほど興味がある、というわけでもありませんので、
カンジュルジャップに特化して記憶してるということはないですねえ。

2人の死亡が68年と71年ということは、恐らく文革の余波で
批闘集会にひっぱりだされたあげくに憤死とか自殺とかでは
ないですかね。いずれにしてもまともな死に方とは思えません。

>撫順戦犯管理所
カンジュルジャップなんて満州国の役職の中では下っ端ですから
実際いてもわさわざパネル展示するほどのこともないのでは。
先日長春の偽皇宮にいったときも、大物は写真入りで展示して
ありましたが、カンジュルジャップなんていなかったと思いますよ。

>名前だけ見てとびついている。
もしも非があるとすれば、それはあんなニセモノを用意した
張ト氏のほうでしょう。こっちはデータがないんだから、テレビ局に
「これは芳子の元夫が作った物語である」といわれれば「そうか」と
思うしかないです。つーか、もしウソだったら、野崎てめえ切腹モノ
だからな。マジで許さんぞ!
0897世界@名無史さん2009/06/29(月) 19:55:080
撫順戦犯管理所のエピソードは溥儀の「わが半生」にあります。
偽名にしてあるけど、見る人が見たら誰のことかすぐわかります。
わざわざ自伝に書いている溥儀も相当ねちっこい性格ですがw

896さんは専門家かとお見受けします。どこかの大学の先生でしょうか。
0898世界@名無史さん2009/06/29(月) 20:16:050
別に専門家じゃありません。(が、将来専門家になる可能性もないではない)
いえることだけ公開すると、留学含め中国にはトータルで4年くらい
住んでいます。ですから、まあ喋るほうはほぼペラペラです。
留学は北京でしたが、遼寧、広東にも仕事で駐在したことは
あります。学生時代はスカウトされて通ってた大学で日本語の講師も
してましたし、遼寧時代は日本人会の幹事もやってましたので
瀋陽総領事館のメンバーとも懇意にさせてもらってました。
大物の知り合いはほぼ北京時代ですかね。日本にいるよりも
おもしろい人とよく知りあうもんですから。
北朝鮮方面もそこそこ詳しいですよ・・実際いったこともありますし、
拉致問題からみでは横田夫妻ともお食事したこともあります。
ただ、朝鮮語に関しては、ハングルが多少読める程度なので
知識はあっても朝鮮関係は「専門」とは思ってないですけどね。
0899世界@名無史さん2009/07/01(水) 18:14:520
野崎インタビューを読んだら、芳子さんを長春の町おこしに使おうとしている意図がみえみえ。
そのうち「川島芳子が隠れ住んでいた村」を観光地にして金儲けしようという算段なのでしょう。
芳子さんを人寄せパンダみたいにして利用しようとするのはやめてほしい。
芳子さんは生きている間もいろいろな連中に利用されていたのに、死んでからも変な連中が群がって利用しようとして
本当にかわいそうだ。
0900王道楽土2009/07/01(水) 18:19:56O


[●]≦☆ ̄>
 G\(OmO)<もう一度、満洲国を建国してやるか?!
  \゙※:@゙\


0901伊達順之助 ◆4FfyOtW0fiF5 2009/07/01(水) 18:53:42O
中華民国籍になっていたとはいえ日本人の俺が
漢かんとして処刑されて川島芳子が処刑されないんじゃ筋が通らん!
0902世界@名無史さん2009/07/01(水) 20:29:380
>>899
>芳子さんを長春の町おこしに使おうとしている意図がみえみえ。

そういえば、先日言った長春の「偽皇宮」でも芳子関連の書物を
売店に売っていて、「買わないか」と誘われたけど、日本円で
5000円くらいで高すぎるのでやめました。半値くらいなら考えた
んですが、手持ちもなかったし。
芳子を利用した町興しというのは、まあ、実現しないと思いますね。
中国というのは、一度「売国奴」のレッテル貼られたら何百年たっても
とれませんし。芳子の銅像ができて、それにツバを吐きかけるのが
訪れた人の作法とかになっても困るでしょ。

それと、私は上にも出てる遼寧の撫順に昔住んでたんですが、そこは
かの有名な李香蘭の故郷です(生まれは奉天だが)が、そこでも彼女の
存在はほぼ無視ですから。さすがに年配者は知ってますけど、
公式な刊行物とかにも出てないですし、若者は「李香蘭?誰それ?」
てな感じです。ひどいのになると「夜来香?そりゃテレサテンの歌だろう?」
とかいう始末です。
純然たる民間人で、戦争にかかわってない彼女ですらその程度の扱い
ですから、「奸漢認定」されてる芳子は、なおのこと日のあたる存在には
ならないと思いますね。

0903世界@名無史さん2009/07/01(水) 20:54:480
>>902
芳子関連の書物ってどんなのですか?
5000円って300元以上?法外ですね。
どんな豪華表装でしょう。
中国の芳子本って日本の本の焼き直しか、根拠不明のトンでも本のどっちかですよね。
0904世界@名無史さん2009/07/01(水) 20:59:060
どんな内容か確かめようと思ったら最低3-4時間はかかりますよ。
服務員がウルサいので知らん顔して通り過ぎたので
何の内容かは知らないですね。
0905世界@名無史さん2009/07/01(水) 23:16:260
そういえば、上坂冬子が「私の人生、私の昭和史」の中で、芳子からみで、
実兄憲立氏にインタビューした時のエピソードを書いてるけど、
2日間のインタビューで200万円も取材料がかかったと愚痴ってるな。
もちろん、聞いたことにはちゃんと答えてくれたし、資料も提供して
くれたらしいが、どうも一筋縄ではいかない厄介な人物だったらしく
「二度と会いたいという気にならない」と書いている。

さすがに本人が生きてる間は書けなかったようだが、20年以上たって
憲立も死んで、どうにもいいたくなったらしい。

そういう話を聞くと、愛新覚羅一族に対するイメージもかえなきゃ
いかんと思うな。
0906世界@名無史さん2009/07/01(水) 23:31:570
憲立も粛親王家の中では問題児だからな。
ダンサーと結婚したり、ブローカーに転身したりしたんで
粛親王家からは異端視されている。
芳子と憲立はよく似た兄妹だよ。
0907世界@名無史さん2009/07/02(木) 01:15:270
そうかもしれませんね
0908世界@名無史さん2009/07/02(木) 01:54:240
憲立も若い時は相当素行が悪かったらしいから、
芳子に対してえらそうなことは言える立場じゃない。
だけど生活費に困ると妹の私生活を切り売りして儲けていたからどうかと思う。
彼も芳子を利用して金儲けしたうちの一人だ。

憲立は素行に問題があったが、機を見るのに敏感で、共産政権ができるや、
これはやばいと踏んで、子供は妹に押し付けて出国規制が緩いうちにさっさと香港経由で日本に脱出。
一族が共産政権で地獄を見ている間も、妹のスキャンダルを売って日本でのうのうと暮らしていたから
一族から非難されても当然だろうね。
0909世界@名無史さん2009/07/02(木) 17:33:570
愛新覚羅の一族も、みんな何やかにやで一癖ある人ばっかりですね。
別に悪人とはいいませんが。唯一皇弟溥傑くらいですかね。
悪い噂がないのは。
溥傑はベルトリッチの「ラストエンペラー」を2回みたそうですが、
「映画だから事実とは多少違いますが、面白い。面白すぎます」
と喜んで見ていたそうです。懐の深い人ですね。
0910世界@名無史さん2009/07/02(木) 23:50:040
溥傑はいい人だけど、奥さんが…

詳しくは日本近代史板の浩慧生スレで
0911溥儀2009/07/03(金) 00:45:350
漢奸は処刑されて当然!
0912世界@名無史さん2009/07/03(金) 01:01:580
>895他 カンジュルジャップ、ジュンジュルジャップの
消息が知りたいといっていた人へ

ジュンジュルジャップのその後の情報が少しわかりました。

ttp://laiba.tianya.cn/laiba/CommMsgs?cmm=102489&tid=2653591914727658580

Elshtain 在2009年2月27日 22:36说 ,
「他最后一次出现在历史资料里是1967年11月中旬为他在海拉尔国营林场
附近自缢的弟弟正珠尔扎布(就是中间那位)收拾遗物,并与林场职工
一起将其遗体埋葬在海拉尔东郊满是积雪的坟坑之中」

↑パソによっちゃあ表記されないかもしれません。また上のHPは見て
いいけど、リンクとかを押さない事。ウィルスが入ってくる危険性があります。

これによると、(カンジュルジャップで検索かけたのですが)
弟のジュンジュルジャップは67年11月に内蒙古ハイラル近くの林場
で首吊り自殺して、兄のカンジュルジャップが遺体を引き取りに行き、
現地作業員と一緒に発見現場近くの雪の坑道の中に埋葬したそうです。

やっぱり私の思った通り自殺してましたね。その時期の死亡なら
たいていそんなもんです。
今忙しいんですが、またヒマを見て他に中国のサイトあたって
彼らの消息を探してみます。
(中国のサイトはロシアンルーレットみたいであぶないんですが・汗)
0913世界@名無史さん2009/07/03(金) 01:05:140
*すまん、「坑道」じゃなく「墓穴」ですね。訂正。
0914世界@名無史さん2009/07/03(金) 02:56:520
(追記)
ttp://laiba.tianya.cn/laiba/CommMsgs?cmm=102489&tid=2653591914727658580

あわててたら、下のほうにもう少し詳しい情報があったので見落としてた。

簡単にいうと、ジュンジュルジャップは釈放されて後、公民の身分で
ハイラルの国営林場に勤めた。妻も子も無い。(妻はソ連の爆撃で死亡した)

ttp://blog.wenxuecity.com/blogview.php?date=200803&postID=12211&c_lang=gb2312&&c_lang=big5
(↑よく知らないが奥さんてこの米山蓮江って人?)

10年あまり林場の宿舎にて思想改造しながら過ごした後、文化大革命期に
「牛鬼蛇神」「走資派」として江衛兵に隔離審査され、そのことを理解
できず、絶望し、67年11月中旬に、何も遺言を残さず、一人雪の上に青い羊
の帽子を置き、3枚の毛沢東像章(バッジか?)をきれいに並べて、首を吊った
そうです。
0915世界@名無史さん2009/07/03(金) 03:03:040
まあ・・なんつーか自分の予想通りのストーリーでしたな。
少なくともジュンジュルジャップについては。

ちなみに、その文章の途中で、上に書いた弟の遺体を引き取った、
というのがカンジュルジャップの最後の消息だと書いてあるんだよね。
ウソかホントか知らないけど。
本文中のカンジュルジャップについては、主に満州国時代のついての
ことで、釈放されてからのことはのってないから、どっか別のサイトに
記載されてる可能性はあるな。
つけ加えておくと、コメント欄に書いてあるジュンジュルジャップの
評価は、悪意のあるもんじゃなく、コメント者は事実は事実として正当に
評価してますよ。中国人にしては珍しい位。

ということでひとまず。
0916世界@名無史さん2009/07/03(金) 09:25:290
どうもありがとうございます。

ジョンジュルジャップ、自殺していたのか…。なんかショックだ。
カンジュルジャップもかなあ。
芳子にしろジョンジュルジャップにしろ、
日本に協力したために非業な死を遂げた人の話を聞くと憂鬱になっていたたまれなくなる。
0917※悪魔の陰謀※2009/07/03(金) 14:50:21O
「強制動員真相究明ネットワーク」は、2005年7月18日に結成されました。
共同代表は、になっているのは、戦争責任資料センター事務局長 上杉 聡、NPO法人アジア太平洋資料センター理事 内海 愛子などです。
彼らは、朝鮮半島と繋がっております。
●この中で、超党派での「恒久平和議連」の話が出てきます。
これは、「恒久平和調査局設置法案(正式名:国立国会図書館法の一部を改正する法律案)」を成立させようとする勢力であり、筆頭には鳩山由紀夫がいます。
民主党政権になれば、反日法案が次々に成立すると思われますが、この法案もその一つであり、しかも日本に重大な悪影響を与える法案です。
●今回、彼らは、日本政府に対して、以下の要望書を出しました。
@ 日本の植民地支配、侵略戦争などに関わる過去清算について(要望)
A 市町村が保有する朝鮮人強制動員被害者の認定資料の調査と提供の促進について(要請)
B 朝鮮人強制動員犠牲者の遺骨奉還について(要請)
C 朝鮮人等の未払金の実態調査について (要請)この中で、超党派の恒久平和議連・・プ
0918世界@名無史さん2009/07/05(日) 14:04:120
>>916

気の毒といえば気の毒かもしれませんが、そんなに予想外の不当な扱いや
不運な末路であるとは私は思いませんね。
なぜなら彼ら兄弟は満州国が存在した当時は
幹部としてそれなりにいい暮らしをして贅沢をしていたわけです。
古来武士だの軍人だのというものは、戦いに勝ったら戦利品を分捕り、
負けたら捕まって首をはねられるのが当然です。
かっては満州国の幹部として権勢を誇り、負けて何も罪を問われなかったら
そっちのほうがよほどおかしいですよ。ただ、この場合、彼らは
収容所に長期間入れられていたわけで、釈放された時点でその罪は
チャラになったとも考えられますが。
溥儀の一族の中でも、日本とかかわるのが嫌で、ついていかなかった人達
もいます。彼らは新中国ができても何ら罪には問われていません。
そういう選択肢もあったわけで、それは本人の判断ですからしょうがない
ですね。
それと、文革で吊るしあげられたのは、何も日本に関係した人物ばかり
じゃないし、文化大革命運動というのは、基本的に反日に主眼を
置いた政治運動じゃないですから。迫害されても歯を喰いしばって耐えて
生き抜いた人のほうが多いですよ。劉少奇夫人も北京郊外の秦城監獄に
15年も放りこまれてましたけど、彼女なんか一貫して反中行動なんか
一切してなかったんですからね。刑務所に入れられる理由すら本来は
なかったのですから。
「自殺」というけど、刑務所に収容されている人間は、自殺をさせないために、
ヒモや刃物の類は一切もたせてもらえません。郊外で首を吊ったということは、
逆にいうとそれができるだけの比較的自由な環境下にあったということを意味
しています。ハイラルは国境の町ですから、もう少しがんばって、
モンゴルへ逃げよう、なんて考えなかったのですかね。

そう思うと、ジュンジュルジャップなんかは、なまじ育ちがよすぎた
だけに、羽振りのよい時はいいけど、落ち目になったら一気に本来の
ひ弱さが出てしまったのかもしれませんね。
0919世界@名無史さん2009/07/05(日) 14:22:080
そうそう、当時のモンゴルは「モンゴル人民共和国」で、ソ連の衛星国家
であり、中国と同じ東側共産国家の一員でした。
中国から逃亡者がモンゴルに入ってきたら、基本的に捕まえて送り
かえしますが、ジュンジュルジャップなら匿ってもらえた可能性は
あります。なぜなら、本来中国人とモンゴル人というのは、大変に
仲が悪いんです。外蒙古と内蒙古を分離したことにも不快を感じてます。
社会主義モンゴルの頃はそれでも一応同じコミンテルンの一員、ということで
関係を保ってましたが、社会主義政権が崩壊してから、露骨にモンゴルの
中国離れが進んでます。
中国人なら知ったことではないが、蒙古の英雄、パプチャップ将軍の
忘れ形見であるジュンジュルジャップなら、みすみす中国に引き渡すなんて
考えられない。たぶんモンゴル政府の中でも、命をかけて守ろう、という
勢力があったはずです。

自殺するくらいなら、命をかけてモンゴルまで逃げたらなんとかなった
のではないかと私は考えます。
0920世界@名無史さん2009/07/05(日) 22:27:440
918は冷たいね。そんな言い方しなくても。
今だから、耐え抜けばいずれ終わるとわかるけれど
当時生きていた人にとってはいつ終わるともわからない地獄の日々。
これが永遠に続くと思ったら絶望して自殺してもおかしくはない。
亡命すればなんて簡単に言うけど、67年っていったらジョンジュルジャップも
もう60歳くらいなはず。若い頃ならともかく、そんな年になって体力的にもきついでしょうに。
0921世界@名無史さん2009/07/06(月) 01:24:360
別に簡単にーなんていってませんよ。
「外国に逃げる、という選択肢もあったのに、そこで命を絶って
しまったのは、自分の意思・選択なんだからしかたないよ」って話をして
るんです。
あ、参考までにいっておきますと、今、中国東北部には20-30万人
と言われる北朝鮮の亡命者がいます。(正確には経済難民ですが)
その中には60以上の老人も多いですよ。
もっとも当時そういう発想は思いいたらなかったかもしれませんが。

文革で迫害された人は、中国全体でみれば、日本に関係した人よりも
国民党に関係した人のほうが多いし、もっいといえば何も罪がないのに
迫害され、死んでいった者のほうが圧倒的に多いです。
いわば、紅衛兵や造反派からみれば、理由なんてなんでもいいんです。
彼らを追い落とし、とって替わる理由づけがありさえすれば。

>>920さんがジュンジュルジャップの最期に思いを馳せる感性は、
それはそれで大事にされればよいと思いますが、
「日本に関わったことで死ぬ羽目になった」というのはちょっと
違うと私個人は思ってますので。
満州国に参加したのも自分の意志。
自殺という選択をしたのも自分の意思。

それを後からどうこういっても仕方ない、と思ってるだけです。
0922世界@名無史さん2009/07/06(月) 23:11:43O
この人のお墓へ行きたのですが、最寄り駅の分かる方はいますか?
0923世界@名無史さん2009/07/07(火) 01:30:500
芳子の墓でしたら、松本市蟻ヶ崎の正鱗寺です。
松本駅からバスかタクシーで行ってください。
0924世界@名無史さん2009/07/07(火) 05:02:57O
>>923 有難うございます^^
0925世界@名無史さん2009/07/07(火) 17:40:370
七夕なので笹川良一・川島芳子愛の伝説
川島芳子と笹川良一は愛人関係にあった。
しかし笹川は川島と寝るときも「川島はアヘン中毒だから
眠ると殺されかねない」と眠らなかったそうだ。

爺さん、川島芳子に惚れてたんだよね。
戦後隠し撮りされた川島の入浴姿がゴシップ誌に出そうになった時
金と恫喝で公表させなかったのは知られた話。

笹川先生直々に風呂場で立てひざしてアソコを隠した
川島芳子の写真を見せてもらったことがある。
そのときすでに笹川先生は「ボクちゃんはどこかで生きているはず」
といっていたな。

A級戦犯容疑者だった故・笹川良一氏は巣鴨拘置所での尋問に
「中国では何でも金で片がつく。あの遺体は別人だと思う」と話したという。

笹川良一は、1985年、中国の最高権力者であったケ小平と
北京の人民大会堂で面談した。
和やかな雰囲気のなかで笹川が
「昔の恋人だった川島芳子の墓を探してくれ」と
と言うと、さすがにケは返事に窮してしまった。
0926世界@名無史さん2009/07/07(火) 18:40:100
4月21日付の中国のネット記事

http://www.djbkw.com/dswz/2009/0421/article_225_1.html

この記事中によると、カンジュルジャップが書いた(とテレ朝のHPにある)
「蒙古民間故事」は、カンジュルジャップが書いたものじゃなく
「翻訳したもの」らしい。(恐らくモンゴル語→中国語)
ややこしい書き方すんな! しかし、彼は60年釈放で62年出版なので
時間的にそういうことをしているヒマがあったかどうか。
が、詳細は確認できなかったが、カンジュルジャップは、死ぬまでに
いくつかの文物(恐らく独白記とか歴史資料)を残してる、という書き込み
もあったので、その位はまんざらウソではないかもしれない。

しかし、この記事にも大問題があって、ことここに至ってもまだ
方ばあさんが残したという「満州国関連図」6枚について
「これは疑いもなく日本関東軍の機密であり、誰にでも見ることが
できないものだ」などと大仰に書いてある。
だから、それは戦後作られた模造品だっての!
中国人というのは、自国の文字の歴史もロクに知らないのか!
「週刊プレイボーイ」だってもちっとましなルポするぞ。
レベル低すぎ。
0927世界@名無史さん2009/07/07(火) 23:10:500
故人ですが、私の祖母が川島芳子さんの高校の後輩です。
直接的な繋がりはなかったのですが祖母から話を聞いた事がありますよ。
もう確かめようがないのですが、恐らく祖母も人から聞いた話だったのではないかと。

いつも馬で登校していて、相手に呼びかける時は「きみ」だった。
歴史の授業になるとそっと席を外すので理由を聞くと
「私の国が滅んだ話を聞きたくありません」と答えた。
男装したのは軍人さんと恋愛をしたからで、当時はおおぴっらに男女交際なんて出来なかったし
成就出来なかったので、男の人のように振る舞っていた。
しかし、本当に美しい、気高い人だったと。

あまり詳しく覚えていない上に、面白くない話ですみません。

同じ松本市内に住む中国人一家が日本国籍を取得した際に
「川島」と名乗っていました。
そこの娘さんが言うには「自分は川島芳子の子孫だから川島と名乗るんだ」と言う事でしたが、
本当かどうか分かりません。
個人的には嘘じゃないかと思っていますが。

実は、松本市では川島芳子と言う人物は知る人ぞ知ると言った扱いです。
少なくとも若い世代は彼女について知りません。
特にこの人について学校で習ったり、ゆかりの地が観光地として扱われる事は少ないんです。
それでも地元の新聞に目を通すと彼女について触れている年配の方の記事が稀にあったりします。

長文失礼しました。
0928世界@名無史さん2009/07/08(水) 02:32:330
>>925
芳子はアヘン中毒じゃないです。
芳子は兄にアヘン中毒になった人がいて、アヘンを嫌っていたからアヘンはやっていない。
ただ、戦場で負傷して痛み止めの注射が手放せなくなり、人前でも太ももをあらわにして注射を打っていたので誤解されているのでしょう。
(ソース、李香蘭自伝と上坂冬子「男装の麗人川島芳子伝」)
そのお話では、芳子が笹川に惚れていたというよりも笹川が芳子に惚れていたようですね。
笹川氏本人から聞かれたんですか?
笹川を主人公にした小説だと芳子が笹川に惚れて追っかけていたように書かれていますが、誇張でしょう。
同小説では、笹川が粛親王家の財産整理のために無報酬で一肌脱いだように書かれていましたが、
上坂本によると、笹川は川島浪速の代理人としてかなりの金額の報酬を得ていますし。

>>926
回想録などをいろいろ執筆しているのはジョンジュルジャップの方です。
おそらく書き込みはカンジュルジャップとジョンジュルジャップを混同しています。
ジョンジュルジャップは文史資料にいくつも文章を書いているので、物を書くのがわりと好きなタイプだったのでしょう。
一方、カンジュルジャップはの書いたものは、撫順戦犯管理所の供述書以外では確認していません。
(もしありましたらご教示ください)
だからカンジュルジャップはあまり物を書くのが好きなタイプではなかったのだろうと思います。
ですから、本当に芳子の元夫のカンジュルジャップの作品なのかなと疑問に思っているしだいです。
0929世界@名無史さん2009/07/08(水) 02:37:070
>>926
貴重なお話ありがとうございます。
地元の新聞に芳子の記事が載るというのはうらやましいですね。
もしよろしければ記事を見つけたらここで紹介いただけないでしょうか。
地元民以外でも芳子記事を見たがっているファンがここには多いでしょうから。

>「私の国が滅んだ話を聞きたくありません」と答えた。

自分が読んだ松本高女の関係者の回想では芳子は、中国は遅れていると優越感を丸出しにしている
歴史の教師の授業が嫌でボイコットしていたそうです。この話は有名なんですね。

>男装したのは軍人さんと恋愛をしたからで、

山家亨少尉のことでしょう。
山家との交際は目撃談がいろいろあるので相思相愛だったのでしょう。
なぜ成就しなかったのか?川島浪速が別れさせた?自分の女にしようとしたからだろうか?

>同じ松本市内に住む中国人一家が日本国籍を取得した際に 「川島」と名乗っていました。
そこの娘さんが言うには「自分は川島芳子の子孫だから川島と名乗るんだ」と言う事でしたが、

おそらく川島廉子、尚子母娘のことでしょう。芳子の子孫ではなく姪ですね。
川島浪速の養女として入籍して日本国籍を持っているので川島姓を名乗る根拠はありますが、
川島家を継いだ浪速の甥良継と財産問題で裁判沙汰になり、川島本家とは絶縁しています。
0930世界@名無史さん2009/07/08(水) 08:13:560
ジュンジュルジャップがいくつか文章を残しているのは知ってますよ。
ttp://laiba.tianya.cn/laiba/CommMsgs?cmm=102489&tid=2653591914727658580
この中にもそのことは書いてあります。
ただ、彼に関しては、おおよその釈放後の生活と、自殺までの
経緯がわかってしまったから、そっちのほうを紹介したので、
文章を残したこととかは重要でないだろうと思ってかかなかったんです。
まあ、「みたけりゃどうぞ」といってソース示してるわけで。

カンジュルジャップについては私もそんなに興味自体があるほうでは
ないので、なんともいえませんが、他のサイトの書き込みで文章を
残している、とあったのでそのまま書いたものです。

中国のニュースに関しては「川島芳子自身の定説」「妹顕gの回想」
「先日の長春のでの生存説」の3つに集約されるみたいです。
日本の記事にのってないこともありますが、逆に信用性に乏しいので
単なる思い込みやデマが多いと思ってます。
0931世界@名無史さん2009/07/08(水) 08:30:020
「芳子生存説」に関しては、一種の「都市伝説」みたいなもの、と私は
感じます。中国にもいくつかあるんですよ、「都市伝説」というか、広く
広まってるウワサが。
>>885>>886に出てる芳子生存→逃亡の経緯も、中国で比較的広く
出回ってる「都市伝説」のパターンであれば、別々の場所で全く同じ
話を聞いても別に不思議ではありません。

例えば「金日成に往復ビンタ」という「都市伝説」があります。
これは、朝鮮戦争当時、作戦に遅れて自軍に大損害を出した金日成を、
怒った彭徳懐が往復ビンタした、というものですが、これは
1980年頃の本だと「そういう面白い小話が出回ってる」とあるのに、
最近の本だと「事実」として書かれていて、いやはや
「ウソも百回つけば本当のことになる」を地でいく話だと思ってます。
中国では、人民の知りたいことにメディアが答えてくれないし、
共産党のリーダーの過去もほとんど伏せられてますから、
噂でそういう「都市伝説」とかが出回るんですよ。困ったものです。

「芳子生存説」もそういう「都市伝説」の一種です。中国にはもっと
他にもパターン化したやつがあるんですが、日本の人が知らないだけ
です。日本に関係あるものでないと、聞いてもピンとこないと思い
ますしね。
0932世界@名無史さん2009/07/08(水) 11:09:460
929
アンカーを間違えました。927さんへのコメントです。
0933世界@名無史さん2009/07/10(金) 01:35:240
カンジュルジャップの消息について

ttp://blog.sina.com.cn/s/blog_4d015e2b0100dla6.html

「1950年送回中国,在抚顺战犯管理所改造。
1966年被特赦后回内蒙古科尔沁左翼中旗巴彦塔拉居住。1970年病故」

ということで、このサイトでは1966年に釈放された後、内蒙古の某村
(某村としかいいようがない、さすがにこんなとこ知らない)に
居住した後、1970年に病気で死亡、とある。

カンジュルジャップの死因について書いてあるのは、見つけられた
範囲ではここだけ。しかし、ここでは1966年に釈放とあるのが
気にかかる。またまた例の「蒙古民間故事集」がカンジュルジャップ
の手によるもの、というのが怪しくなってきた。

0934世界@名無史さん2009/07/16(木) 12:37:080
>>882
にある『自衛隊秘密諜報部隊』、今日書店で見つけて、芳子に関連する
部分のみ立ち読みしてきました。
で、結論からいうと、このような本はお金を出して買う価値もないと
思います。時間のムダです。

ここで簡単に内容を説明すると(部分的に記憶が不正確かもしれませんが)
-------------------------------------------------------------------
著者の阿尾氏はかって、所要でかっての済南機関の古谷機関長
の埼玉の自宅を初めて訪ねた。阿尾氏の奥さんが出てきてお茶を出して
くれた。さらにもう一人、老夫人がいたので「あの人は誰ですか?」と
聞くと、古谷氏は「芳子さんだよ、芳子さん」といったのだという。
阿尾氏はかって古谷氏が川島芳子に関わっていたと噂で聞いたことが
あるので「そうか、あの人が川島芳子か」と全てを悟って納得したという。
そして、阿尾氏は「芳子を日本に連れてきたのは田中隆吉に違いない。
田中はかって、45年3月に(北朝鮮の)羅津の司令官に指名された
ことがあったが、阿南惟幾(元陸相・阿南元中国大使の父)に泣きついて
はずしてもらったことがあった。この期間、時間があいたので
45年3-8月の間に芳子を中国から連れ出す時間は十分あったはず。
田中が愛する芳子をみすみす処刑などさせるわけがない。
よって処刑されたのは芳子でない」と考えた。
0935世界@名無史さん2009/07/16(木) 12:41:160
はあ・・こんなくだらない本にコメントするのは疲れるんだけどね。
とりあえず2点問題点を指摘しておく。

@まず、阿尾氏は、芳子と思われる老夫人とは一言も口を聞いていない。
また老夫人も阿尾氏の前では何も喋っていない。かつ、阿尾氏は
古谷氏に「あの人が、あの川島芳子なんですね?」と確認もしていない。
ただ、古谷氏が「芳子さんだよ、芳子さん」というのを聞いて
賢くもすべてを悟って納得し、古谷氏になにも聞かなかったのだという。
まあ、恐らく、同じ「ヨシコさん」でも、古谷氏は当時の林家三平のギャグで
もかましたつもりなのだろう。「ドーモすんません」とかいってるのも
聞き逃したのではないか。単なるハバアに向かって「あれはヨシコさん」
といってるのを聞いただけで即、川島芳子認定なら、そんなもの、
ウチの近所にもウジャウジャいるぞ。
0936世界@名無史さん2009/07/16(木) 12:43:540
A阿尾氏は、芳子が45年8月の、日本敗戦の前に田中隆吉の手引きに
よって日本に逃れてきた、と推理するが、全くの荒唐無稽であるといわざる
をえない。なぜなら、
公式の記録によると、芳子逮捕が報道されたのは45年11月だが、
実妹の顕gは芳子逮捕の直前に大喧嘩しているし、逮捕されて
からも兄の憲立は差し入れなどをしている。(面会は不明)
獄中からも川島浪速や秘書の小方宛に自筆の手紙を書いているし、
なにより何度も公判で聴衆の前で自身の正当性を大演説して
ぶっているではないか。新聞には写真つきで。

では、その時の芳子はもうすでに「影武者」であったという
のか。こんなトンチンカンな説が真に受けられたら、論争も何
もあったものではない。「処刑されたのは芳子ではない」とか
「芳子は獄中で死亡した」とかいう説は聞いたことがあるが、
「逮捕されたのは別人だった」というのははじめて聞いた。
いったいどこをどう叩いたら、こういう珍説が出てくるのか
いっぺん阿尾氏の頭の中を覗いてみたいものだ。
0937世界@名無史さん2009/07/16(木) 12:51:550
以上2点が気がついた点だが、全くの想像と痴呆の産物である。
せめて芳子のことを本に書いて出すなら、彼女がいつどこで
何をやって誰と会っていたかということ位ちゃん調べてこい。

以後 名前を阿呆博政にでも改名したらよかろう。
この程度では、他章に書いてることもレベルが知れるというものだ。
こんなクソ文をそのまま載せた編集者も罪は重いぞ。

阿尾氏よ、今まで何をやってきたか知らないが、もう十分だろう。
聞くと御歳79歳とか。一刻も早く永遠の旅に出てください。
これ以上こっちの世界にいて、根拠のないデタラメをふりまかれると
困るのです。その時は是非A6スケ氏も一緒に連れていってあげてください。

まともに議論する価値も無し!以上!
0938世界@名無史さん2009/07/19(日) 00:50:350
>>869 にも出ているが、例の張ト氏が3月に日本にきて、日本の専門家
と行ったという「学術報告会」内でどういうやりとりがされたかという
内容の一部を中国のサイトで発見したので一部紹介する。
ttp://laiba.tianya.cn/laiba/CommMsgs?cmm=102489&tid=2661030621990671444

-2009年3月2日テレビ朝日社屋内において-

この中で早稲田大学の劉傑教授がなかなかするどい質問をしている。
劉教授:「川島芳子(方ばあさんのこと)は新中国でどんな生活をしていたんだ?
文革のときになぜ捕まらなかった?どうやって中国の南北を自由に往来
していたんだ?」
回答:「私たちはただ彼女が30年生活していたという証拠を見ただけです。
まだ、政治的な立場の新証拠は得ていません。これは(満州事変等と同じく)
政治的立場はかえられないからです」「彼女は般若寺の住職と交流が
あり、その「帰依証」も南北往来の助けになりました」
劉教授「方ばあさんは毎年国清寺にいっていたようだが、誰が費用負担を
したのだ?生活費はどこから来ていたのか?」
回答:「彼女はいくらかお金をもっていましたが、50年代に私(張ト母)が
敗血症をわずらった時に少なくないお金を使い、なくなってしまいました。
1958年から1965年まで于景泰(親戚)が養いました。
1965年から1978年までの13年は,我々が養いました」
0939世界@名無史さん2009/07/19(日) 01:01:060
簡潔だが、劉教授の質問は核心をついている。さすが文革経験者。
いわんとしていることは私と全く同じで、ようするに
「方ばあさんとやらが、新中国(共産党政権)になってから、
あんたらがいってるような生活・行動が本当にできたのか」といっているわけだ。

これに対して回答は、ほとんど答えにすらなってない。つまり、方ばあさん
とやらが本当に実在した政治的(公式)な証拠は何もみつかっていない。
ということである。「帰依証」?それがどうした。そんなもの日本に
例えていえばどっかのファンクラブの会員証のようなものだ。
そんな私的なものが、政府の発行する身分証のかわりになんかなるわけ
ないだろう。中国人として、そんなこといってて恥ずかしくないのか?
劉教授は中国の知識人として、私以上に中国の諸制度のことを念頭に
おいて質問しているはずだ。お金等のことに関しても、かって配給制度
や公共食堂制度がひかれていた中国で、住民登録されていない人間が
食っていけるわけがないということを十分承知の上で聞いている。
0940世界@名無史さん2009/07/19(日) 01:21:270
他の出席者、太田尚樹、山本武利、阿倍由美子等は、この短い
文章だけでは、肯定・否定ははっきりしない。が、
少なくとも、川島芳子が処刑されていない、ということは
可能性として認めつつも、今回の一件に関しては、とても御墨付きを与えた
などとはいえないようだ。もっとも、劉教授だけは、この話は
全く信用していないということが、質問内容からも読み取れる。

尚、この会はテレ朝の後藤はなが司会をしていたようだが、日本で
の専門家のこれらの疑義を聞いてもなお「信じている」とは馬鹿としか
いいようがない。一生中国にいってついでに帰化でもしたらよかろう。

それから、私は前にもこの張トオバンがたびたび言うことを変えている、
と書いたが、最近中国のネットを見ていると、かなり多くの記事で、
方ばあさんが死んだのは、長春ではなく四平(スーピン)だと書いてあった。
四平というのは、長春から南へ100キロほどいった遼寧省に近い町で、
私もかなり昔に一度通ったことがあるが、長春とは全く別の町である。
これでは、いままでテレビ等でいっていたことと全く違うのではないか?
張トの話だと、郊外の新立春の家で立ったまま死んだのではないのか。

馬脚を現してきたということだ。最初はいかにも方ばあさんは、ずっと
自分の近くにいたようなことを言っていたが、その後調査が進み、公式な
証明が無いことや、証言者があまりに少ない、という疑いの目に焦って、
「実は冬場は市内の般若寺へ、夏は南の国清寺へいっていた。死んだ
のもここではなく四平だった」とか適当に言い出したんだろう。
(↑実際に多くの記事にはそう書いてある)
こんなコロコロ証言をかえる奴など信用できるわけがない。
歴史のねつ造は許されない。いつか正体が暴かれる時がくるはずだ。
0941世界@名無史さん2009/07/21(火) 20:29:320
テレ朝さん、一体いつになったら続編やんの?
もう待ちくたびれたんだけど
方おばあちゃんが芳子だというなら確固たるモノを提示してくれよ!
0942世界@名無史さん2009/07/23(木) 08:58:15O











うんち









0943世界@名無史さん2009/07/24(金) 01:00:280
愛新覚羅徳崇氏について。
ttp://www.56-china.com.cn/china04-12/08q/zgmz04-8m2.htm
中国のネットでいろいろ調べてきました。(上記以外のサイトの情報も含む)
まあ、簡潔にいいますと、河北省で生まれ、幼少時に一家で瀋陽に
引っ越してきた。もともとは文筆家かなにかで、文革の頃は結構苦労
したという。しかし、改革開放以後、広東省で七面鳥の養殖などの
商売で成功し、今、瀋陽では「愛新覚羅徳崇商店」なる名前の会社まで
つくっているという。愛新覚羅としての系図をさかのぼると、太祖ヌルハチ
までいくとか。でも、愛新覚羅としては分家の分家らしく、なんでも先祖
の言い伝えで「北京にはいってはならない」とか言われていたらしい。
八大親王家などに比べると、愛新覚羅といっても全く低い家柄のようだ。
-----------------------------------------------------------------
で、ここからが自分の見解なのだが、これって所謂「熊沢天皇」とかと
同じでねえの?という感じだ。昔は愛新覚羅姓は名乗っていなかった
らしい。(記事では、中共になってからは、本姓を隠すのが普通だった
とあるが)商売などで成功し、急に「ウチはヌルハチから別れた由緒
ある愛新覚羅一族」とかいいだしたらしい。
(また記事には「最近、セレブな響きに憧れ、愛新覚羅を名乗る人間が
増えている」ともある)記事によると、94年の溥傑の葬儀に押しかけ、
末弟溥任と「おお、兄弟よ!」とか抱き合って泣いたとかいうが本当
かどうか怪しいものだ。
しかし、自称か他称か知らないが「ウチは今や愛新覚羅の宗長、いや族長」
などといっているというのは、全くけしからん事である。
仮に本当にヌルハチの子孫だとしても、(記事によると、今中国に愛新覚羅
一族は推定で30-40万人はいるそうですから)
関東軍から全く相手にされなかった貧乏たれ風情が何が族長だ!
これでは、他のまっとうな愛新覚羅一族が相手にしないのもわかる。

自分の会社に「愛新覚羅徳崇商店」などという破廉恥な名前をつけている
のを見ても、この人は単に愛新覚羅姓を商売に利用したいだけでは
ないかと思ってしまう。(ちなみに、中国で会社の名前に人名を入れる
という習慣は基本的にありません)
0944世界@名無史さん2009/07/24(金) 01:02:410
しかし、この「方ばあさん」の一件、

〇矛盾だらけの証言で、存在したかどうかもわからない「方ばあさん」を
「川島芳子である」といいはる張ト。
〇領事館に相手にされてないのに「自分は中国残留日本人孤児」と
主張する張ト母。
〇派振りがよくなってから急に「愛新覚羅」を名乗りだして、
「族長」を称し、商売に利用している徳崇。

はっきりいって、「詐欺師集団」でねえのこれ?

おい筑波大の野崎さんよ、アンタこういうこと全部知っててなお連中の
いうこと信じてるのけ?単に詐欺の片棒、いや歴史捏造に手を貸してる
だけなんでねえの?
調べたところによると、6月14日にも早稲田大学で「研究会」とか
開いたらしいなあ。で、他の出席者は「間違いない」と太鼓判押して
くれたか?いいかげん目を覚まして、常識もって物事見ろよ。
0945世界@名無史さん2009/07/24(金) 01:13:230
>>941
あるわけないだろそんなもの。
後藤はなの編集後記読んだら「関東軍や仏教グループが芳子を助けた」
とかあるけど、錆びた薬さじとなんかの「帰依証」
あとは、正体不明のタレコミ電話の怪情報だけだろ。そんなんで
どうやって科学的に立証するんだよ。番組続かねえよ。
まあ、続編やるのは勝手だけど、社長のクビが飛ばないように
注意するんだね。「あるある」とか「バンキシャ」とかの例も
あるからさ。
日本人が中国の社会制度知らないと思ってナメた番組つくってると
後でたっぷり後悔することになるとだけいっておくよ。
0946世界@名無史さん2009/07/25(土) 03:35:43O










生ゴミ









0947世界@名無史さん2009/07/27(月) 14:02:270
>>936
まったくその通りですね。
東京裁判でキーナン検事の証人になった田中隆吉が、芳子を助けるためにキーナンに泣きついたという説は聞いたことがありますが、
敗戦以前の逮捕もされていない段階で助ける必要なんてないし、芳子本人が法廷に出席しているのに、めちゃくちゃですね。
おそらくこの人の頭の中ではいろいろな説がごっちゃごちゃになっているのでしょう、、、
0948世界@名無史さん2009/07/27(月) 17:30:060
>>947
だからこんな糞な本、お金を出して買う必要ないといってるんです。
発行されたことで、もう既にひどい害悪を生んでます。

なぜなら、このアホ、いや阿尾氏は台湾でそこそこ知名度があるらしく、
すでに台湾のサイトでは、ろくに検証されることも無しに、
「ミスター阿尾は生きてる川島芳子に会ったらしい」
とか既成事実化されていっぱい紹介記事が出てるんですよ。
日本人は芳子に詳しいので、こんなヨタ文、まともに受けとってる人は
ほとんどいないようですけどね。

だからこっちの世界にいられると迷惑だからさっさと逝ってくれと
いってるんです。
0949世界@名無史さん2009/07/27(月) 20:14:41O
黒木メイサと堀北真希みたいに絶対レズファックしまくり!
0950世界@名無史さん2009/07/30(木) 01:26:11O
この人は同性愛者じゃない。
0951世界@名無史さん2009/07/31(金) 14:28:13O
山口淑子さんと撮った写真はないのですか?
0952世界@名無史さん2009/08/01(土) 03:43:360
ないでしょうね。私も見たことないですし。
というよりも、そういう物証がないから、「李香蘭・私の半生」が出版されるまでは、
世間一般には、川島芳子と山口淑子が、面識があったかどうかも知られていなかったのでは
ないですか。その頃生きていたわけではないので推測ですが。

逆に出版されてからは、世間の誇大妄想が暴走している感じです。

意外にも山口淑子と浩は一度も会ったことがないらしいですし、
そのあたりは本人に語ってもらわないことには、推測だけでは
事実はわからないものですよ。
0953世界@名無史さん2009/08/01(土) 14:12:060
>>952
『李香蘭・私の半生』新潮社文庫版の173p

・・・溥潔さん、浩夫人には会ったことがある。・・・満州皇室の一族もほとんど存じ上げている。
みなさんの前で何度かうたったこともある。けれど、宮廷で、溥儀皇帝の前でうたった記憶は全くない。

とあります。
親しい関係だったかはともかく、面識はあったんじゃないですか?
まあ、芳子とは全然関係ない話ですけどねw

0954世界@名無史さん2009/08/01(土) 18:27:130
ああ、山口淑子と溥儀でしたかね?
確か記憶では淑子と浩のどっちかが「見かけたことがある」
というのを後でどっちかが否定したと記憶していたんですが。

調べるのも面倒なのでそういうことにしといてください。
0955世界@名無史さん2009/08/03(月) 22:00:490
満州皇族をほとんど存じ上げているって
本当かな。溥傑夫妻と交流するようになったのも戦後のことじゃないかな。
戦前だったら女優なんて、知名度はあっても役者風情と低く見られていたんだから、
おつきあいできたかどうか怪しい。
山口の本人の証言だけだからどうとでも言えそうだけど
0956世界@名無史さん2009/08/03(月) 23:41:340
吉岡安直をあいだにおけば、山口淑子と浩が仲がいいとは
とてもおもえませんね。

つーか、あんまり深入りしすぎるとスレチになるので
おもいっきりやりたい場合は当該スレへ
0957豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 2009/08/04(火) 07:36:22O
>>955
皇族・王族・貴族と無縁で下層階級出身の俺でさえ交流せん。
俺は一介の大統領or国家主席に過ぎないし(しかも仮想)、
ましてやそんな古い偏見を少なくとも公に口にしたら非難される
時代の者だけれども、俺の芸能人嫌いもあってか、
少なくとも親密な交際など絶対にしない。
権勢を利用しようとされるとの俺の思い上がりもあるしw
戯れ言はともかく、俺も山口の言うことには嘘というか
自分の存在を大きく高く見せたいそれもあると思うよ。
山口に限らず、それこそ芸人に限らず、人にはそういうところがあるから。
以上は川島芳子の生死の問題とは無関係な話でした。
0958世界@名無史さん2009/08/10(月) 23:51:350
おもいっきりスレチ覚悟で少しだけ。
こここんとの酒井法子の件を見ていて、やっぱ中国に関わる
女って激動の人生を逃れられないのかあ、と思った。
山口淑子、川島芳子、テレサ・テン、酒井法子・・

中国にいた95年頃、中国の高校生とかと話をしていて、
「日本人で誰知ってるか」という話になったとき、まっさきに
あがったのがジウジン・ファーズ、酒井法子だった。
当時、日本人としては唯一松下電器のCMに出ていたので
日本人の代表みたくみられていたのは当然だろう。
山口百恵や中野良子も古い世代には有名だけど、引退・半引退
状態だったこともあり、若年者には圧倒的に酒井法子だったね。
私は「もう日本ではそんなに人気があるタレントじゃないですよ」
といって笑ったのが懐かしい。

ということで。
0959世界@名無史さん2009/09/02(水) 21:29:480
小方八郎が川島芳子の注射は麻薬じゃなくて
鎮痛剤のフスカミンだといってるけど、
フスカミンていう鎮痛剤が本当にあるの?

俺の知っているフスカミンて毛の染料に使う
工業用の薬品の名前なんだけど。
白髪染めの薬と間違えたんじゃないの?

もし芳子の打っていたのが鎮痛剤だったとしても
中身の成分にアヘンから作るモルヒネが入ってんじゃない?
鎮痛剤の成分ってモルヒネ入ってること多いよ。
それならアヘンはやってなくてもアヘンから作った
モルヒネ中毒だった可能性はあるわけで。

誰か医学薬学系に詳しい人教えてよ
0960世界@名無史さん2009/09/03(木) 18:07:410
しらんがな。
厚生省の担当部署に理由を説明して
聞けば、ちゃんと教えてくれると思うよ。
0961世界@名無史さん2009/09/03(木) 20:01:090
ウィキペディアの芳子項目を荒らしているやつ、ここに出没していたやつだろう。
別人の写真を貼って最悪だな。あれ、どうみても芳子じゃないだろ。
さんざんえらそうなことを言ってたくせに、芳子の顔もわからないとは(笑)
なんか弁解してみろよ。
0962世界@名無史さん2009/09/03(木) 22:23:120
さんざん出没していた奴だが、俺のことか?
はて、なんのことかわからんので今見にいったが、元に何を書いていたか
をよく知らないのでどこをどういじったのかわからないのだが?
そもそも俺はパソコンの知識にうとくて、ウィキの編集のしかた
なんか知らんのだよ。
なんか以前見たときに比べると、写真が増えてるなという印象だが
それか?
あるいは、カンジュルジャップ・ジュンジュルジャップの消息については
みつけてきたのは俺だから、その部分かい?

君ねえ、世界中の誰でも閲覧可能なネットの書き込みみて、なんで俺
がやったときめつけられんだよ。ハッキリいうが20000%違うよ。

が、事実として正しい部分に関しては誰がかきこもうがかまわんと
思ってるがね。もとよりここには著作権などないし。
もっとも、カンジュルジャップがハイラルに住んだというのは
違うんじゃないか。>>933の俺の引用文ではそうなってないしな。
ハイラルの近くにいたのは弟のほうだろ。

ホレ、なんかいってやったぞ。おまえも誰のこといってるのか
過去ログさしていってみろや。
つまんねえこというんなら、二度と出てくんなボケ!




0963世界@名無史さん2009/09/03(木) 22:41:330
追記:

おい、ウィキペディアの書き込みした奴。誰か知らんが
ここみてろんだろ。
>>933にちゃんと書いてあるやろ。ハイラルじゃねーぞ。
訂正しとけ。中国語読めんのかもしらんが。
どうせ書くんなら、正しい情報を書け。
写真の件は俺は関知しないので知らん。

もっとも、中国人のいってることだから、どこまで
正確かは知らんがな。 以上。
0964世界@名無史さん2009/09/04(金) 00:11:490
>>962
違ったんならすまなかった。
変な奴が北白川宮成久王の写真を芳子の25歳の写真とか言って大ぼら吹いて張り付けてるのさ。
そいつは張るだけ張って説明もしないでとんずらこいたんだ。
悪質な荒らしさ。
ここを見ていることだけは確かだがな。
おい、見ているんだろ。なんとか言ってみろよ、張ったやつ。
0965世界@名無史さん2009/09/04(金) 00:15:080
25歳の写真じゃなくて1925年頃って書いてあったな。
どっちにしろ大嘘写真だし、ひどいでたらめだ。
0966世界@名無史さん2009/09/04(金) 00:42:330
>>964
わかった。俺も最後の一文はとりけそう。いいすぎたかもしれん。

俺は、俺が見つけてきたことを(正確なことなら)
ウィキに書き込んでもらってもいいと思ってる。
俺にはそんな知識はないし、ここにあるだけじゃいずれ
流れるからな。
それに、カンジュルジャップ兄弟の消息とか、頼まれたから
探しただけで、自分ではもともとそんなに興味ないんだよ。
そんなカルトクイズみたいなことまでやってたら、延々
捜索対象が増えるだけだしな。

テレ朝の番組のロジックを崩すのも、川島芳子が過去にどういう
人物だったとか何やってきたかとか調べてもあんまり関係ないと思ってるし。
どうせやつらは、過去の出版物を見てトレースしてるだけだからね。
そりゃ合致するだろうさ。それよりも、早稲田の劉教授のように、
戦後中国の社会体制と方ばあさんとの矛盾を突くほうがよっぽど効くしな。
0967世界@名無史さん2009/09/04(金) 09:59:390
悪質荒らし「wikiの121」は芳子の悪意ストーカー。
自分の感想文レベルの芳子の外見に対する批判をwiki本文に書き込んでいた基地外
(そんなのチラシの裏にでも書けよ、ボケ!)
上から目線でさんざん芳子についてえらそうなことを言っていたが、
討論相手に芳子に関する基礎資料も読まずにネットだけで小手先に調べていたことを見抜かれる。
全然年代の違う記事を持ち出しては、芳子は粛親王の葬儀に参加しなかったなどということを捏造し、
芳子は親の葬儀にも行かない親不孝者だというレッテルを張ろうとした。
ソースを求められると、他のwiki項目や百度など胡散臭いものを並べ、
信憑性に疑問を持たれると、ここはwikiだからこれでも立派なソースだと開き直る。
別人の写真を貼り付け、説明を求められても回答しない。
都合が悪くなって逃亡したのだろう。
ネット上には芳子に詳しい人がたくさんいるから、適当な嘘書くとすぐにばれるんだよ!
なんとか言ってみろ。
0968世界@名無史さん2009/09/04(金) 17:44:110
俺は966だが、よくわからん世界の話だな。
その荒らし野郎がどういう奴なのか判然とせんが、
ここを読んでいたのは確かにしても、ロム専かなんかで
ここにはほとんど書きこんでいないのではないか?

まあ、ウィキが百科事典みたいなものだとしたら、
「事実」は書いてもいいけど「評価」
(「事実」に対する自分の感想)はあんまし書くべきもん
ではないと思うけどな。

俺はもともと戦前の話は専門じゃないし、ウィキに書き込み
しようなんて思いもしないが・・まあ、よく相談してやってくれ。
0969世界@名無史さん2009/09/05(土) 10:48:270
荒らし野郎の書いているものなんて事実とは言えないようなものばかり。
ネット上で適当に風説を拾ってきては事実のように書き込んでいるだけ。
見てきたように嘘をつく典型。
なかには明らかな捏造も入っている。
極めて主観的な芳子への中傷をwikiに書きこむ非常識野郎。
なんで捏造までして芳子を貶めようとしているのか知らんが、最低最悪のゴミカスだ。
0970世界@名無史さん2009/09/11(金) 17:35:380
作家玉岡かおる(昔ブロードキャスターに出てた人)のブログでこんなの見つけた
------------------------------------------------------------------------

 偶然テレビをつけたら、「女たちの中国」をやってました。日テレ開局55年
記念番組だそうです。 なんと、李香蘭と、愛親覚羅浩。
 そう、『自分道』(角川ssc新書)で、私が取り上げ、書かせていただいた
お二人です。 実際にお目に掛かってお話を聞いた、山口淑子さんと、福永
コ生さんが登場されていました。 私の取材に応じてくださった時もそうで
したが、お二人ともお変わりなく、日本がたどったひとつの歴史の生き証人
をつとめられているのですね。
 内容は『自分道』で書いたとおりのお話でしたが、くりかえし、あらたな
読者視聴者に知ってもらうことがお二人の役目かもしれません。
 そういえば『自分道』の校正時、山口さんとのやりとりで、「川島芳子さん
は本当は処刑されずに生き延びた、っていう説がでてきていますからねえ」
とのご指摘があり、「川島芳子は処刑された」との表現を、「と言われている」
とあわてて書き足したことを思い出しました。
 一見さだまってくりかえしなぞられる歴史も、あらたな事実が掘り返され塗り
替えられる可能性があるってことです。異説の出現は楽しいものです。
 それはさておき、逆境の歴史の中を懸命に生きた方たちが伝える事実を、
お二人からしっかり聞きとげたいものです。
 テレビ見逃したみなさまは、拙著『自分道』で、お二人が語る歴史をなぞって
くださいませ。
 --------------------------------------------------------------------
山口淑子もだいぶ洗脳されかかってるのか。まあ、張トと直接会う前の
 話なら、会ってから考えもかわったかもしれないけどね。
 この人、社会主義政権に対して免疫ないからなあ。すぐ信じちゃうし。
 ヤレヤレ。
0971世界@名無史さん2009/09/12(土) 00:18:250
中国のサイトをウロウロしていたら、例の「方ばあさんの一件」に関して
面白い書き込みをみつけた。
全部訳していると長くなるので(辞書ひかないと不明の部分も有)
要点の部分のみ一部だけ紹介する
ttp://laiba.tianya.cn/laiba/CommMsgs?cmm=102489&tid=2663455775274357844

-------------------------------------------------------------
- 川島芳子が長春で隠れ住んでいたなんてとても信じられない-

(前略)もしも国民党が芳子に何か目的があって助けたのなら、1946年当時の
長春の国民党の統治時には、完全に日本に送り返す能力もあったし、
台湾に送ることだってできた。もしも長期潜伏の目的なら、こんなやり方
ではすぐに身分が露呈する。戸籍が無い、名前が無い、家から出ない等々。
もしも本当に芳子で、潜伏するのが目的なら、彼女の知恵なら完全に偽りの
身分を用意するはず。長春攻囲戦の折、たくさんの難民が農村に逃げてきた。
芳子はこの機会をとらえて、完全に偽りの身分を手にいれられたはずだ。
しかし、彼女はこの機会を逸した。これは、彼女がスパイではなく、
また川島芳子でもないということを証明している。

彼女があの時代の長春に長期潜伏するなんてできないことは、常識のある人間なら
知っている。解放後の時期であれ、文革の時期であれ、一つの村に身分の
はっきりしない、どこから来たかもわからない人間を匿うなんて無理だ。
匿われている人間が歴史的問題人物ならなおさらだ。
張女史の提供している「証拠」にも問題がある。簡体字で書いてある
2枚の関東軍関連図面はまやかしだし、望遠鏡とか蓄音器とか、日本画とか、
そんなもの日本が投降した後の満州の街には、どこにでもころがってたよ。
「落ちてる舶来品を拾う」なんてのは、当時の流行語になったもんだ。
当該人の特殊身分を示すものなんかじゃない。
0972世界@名無史さん2009/09/12(土) 00:22:060
張女史の紹介している、(方ばあさんの)生活の仔細にも疑いがある。
日本語を教えて、日本の歌を歌って、日本の踊りを踊る?全く笑い話さ。
一人の高級女スパイが、自分の身分を暴露しているのかい?
芳子が化粧をしていたとか、棒で犬を殴り殺したとか、さらに不可能だよ。
農村の常識のある人なら、農民は化粧をしないことを知っている。
これじゃ、隠れている人間が、自分に注意を向けさせるようなものさ。
それに、近所の犬を好き勝手に殺していいのかい?

川島芳子が立ったまま死んだのをこの目で見た、というのにいたっては、
幻想小説の読みすぎじゃないか。居士は座るもんだ。たったまま死ねるのは
神だけさ。伝説だよ。 とにかく、川島芳子が長春に隠れ住んでいたなんて、
ありえないことだ。
(中略)中国のメディアはあきらかに好奇心まる出しだし、日本のメディアは
(居てほしいという)願望がにじみ出ている。ただ、妹の金黙玉の「デタラメだ」
という言葉が事実と符合しているのさ。
---------------------------------------------------------------------
(引用終わり)
0973世界@名無史さん2009/09/12(土) 00:25:380
いやあ、この投稿を見つけた時は一種感動を覚えたね。
中国人でもまともな思考のできる奴はいるもんだと。
なんだか、読み返してみると、前前からの私の主張とよく似ているが、
もちろん私が投降したものでは無い(とはっきり断っておく)
そもそも、私は書くほうはネイティブ並みとはいかないし、読んでいて
何か所も意味のわかないところがあって、翻訳上省略した。
思うに、書き手は戦後の流行語とかを知ってるところを見ると、中高年以上の
中国人男性と推察するが・・・

とにかく、「方ばあさんの遺品」なるものが、現地中国人の目から見ても、
敗戦時の日本人の遺物であるという可能性が高いということだ。

下のほうに、「犬を殴り殺していいかどうか、昔と現在の農村では基準が違う」
とか、「人という字が芳子の筆跡と全く同じだ」とか、無意味に怒鳴るとか
反論にもなってないことをいってる野郎がいるが、そりゃ中国人から
しても、こういう理詰めでやられたら、知識の無い若者なんかにゃ
とうてい論破はできまい。(ま、本文も転載らしいが・・)
投稿日付が4月21日で、ちょうど中国メディアが方ばあさん(芳子)の報道を
ストップした頃と合致してるが、何か関係あるのかね?

野崎君、残念だったね。終わったよ。中国人の目から見てもインチキだってさ。
0974世界@名無史さん2009/09/12(土) 01:20:110
日本メディアの前で堂々と方おばあさん=芳子説を唱えた野崎と
中国メディアの前で同じく堂々と主張してしまった王慶祥はどうするんだろう。
無名の野崎はともかく、王慶祥は溥儀研究者として中国では有名だし地位も名誉もあるのに
こんな与太話に飛びついて今まで築いたものをみんな失ってしまうんじゃないかと
人ごとながら心配してしまう。 
0975世界@名無史さん2009/09/12(土) 01:32:550
>>974 実は。
ttp://laiba.tianya.cn/laiba/CommMsgs?cmm=102489&tid=2663455775274357844

の下のほうに、もっと緻密で詳細な、遺物の否定論文があるんですよ。
なぜそういうタイミングでブツを出してきたかとか、そういうことを
いったかとかも含めてね。シャーロックホームズ並みの論理展開です。
面倒くせえからださなかったけど。今読んでるとこです。
かなり複雑な文体なので、完全訳はむつかしいな・・
こりゃ、これらの筆者と対峙したら、張ト、野崎一派は100%勝てませんね。
また機会があったら要点だけでも紹介します。
0976世界@名無史さん2009/09/13(日) 03:03:190
上にも書いてあるように、中国のサイトで方ばあさんの遺品に関する
考察論文があったので紹介します。

http://cclog.cn/archives/430

元はよく知らないが、長春の市民有志の運営するブログらしいです。

尚、翻訳上では、意味不明、本筋に関係ない部分は省略し、意訳も随所
にしています。また、著者と私の意見は必ずしも同じではありません。
私は方ばあさんは存在自体していないと思ってますし。

テレ朝ドキュメンタリ宣言HP(川島芳子)
http://www.tv-asahi.co.jp/d-sengen/sp/index.html
遺品の部分です。合わせて見ると理解が深まります
http://www.tv-asahi.co.jp/d-sengen/sp/sp3.html

以下、翻訳の部分に入ります。 ↓
0977世界@名無史さん2009/09/13(日) 03:04:420
「方ばあさんは川島芳子」に対する私の疑義

○川島芳子が東北の長春に来るというのは、歴史背景と符合していない

芳子が長春の新立城の付近の農村にきたのは、1948年秋のことらしいが、
この頃、ちょうどこのあたりは、我が軍(解放軍)に解放された直後に当たり
軍事上の重要支配地域でり、往来人には厳しいチェックがされた。
それなのになぜ芳子はこのような危険な地域にわざわざやってきたのか。
死刑から逃れてきたのではないのか。これらのことから考えても
方ばあさん(芳子)がこの時期に東北にきたというのは、時代的背景にあわない。

○もしも方ばあさんが川島芳子なら、もっとも隠さないといけないものは何か

私が考えるに、それは、日本の特務、スパイという身分、および一切の「日本人」
の痕跡だろう。しかし、張ト氏およびその母親の提示した方老人の生活はそう
ではない。日本語を話し、日本の歌を歌い、日本の踊りを踊った。はなはだしく
は日本の国歌さえ歌ったという。かの地で彼女は「三反五反運動」「文化大革命」
などの折、あえて敵国のものを教えていたのか?
それらのものがばれると恐れなかったのか?
これら(日本語・歌・踊り)は張ト母子が、方ばあさんが芳子であると
証明するために、故意に捏造したのに違いない。
ついでにいうと、張トが方ばあさんから教えてもらった
日本語を話しているというのは、まったく信じられない。
80年代、つまり張トが学校にいっていた頃、わが国全体に「日本語学習ブーム」
があり、大部分の小中学校の外国語は日本語だった。
そのような社会背景下で、どうして張トのいうことを信じられようか。
また、彼女の祖父はかって日本語通訳ではなかったのか。ならばどうして
張トの日本語が方老人からのみ学んだと信じられようか。
0978世界@名無史さん2009/09/13(日) 03:05:360
○証拠である、筆跡、写真、名前が全て無い。これが信じられるか?

張トは、方ばあさんが芳子であると証明するために、でたらめな物証を出して
きた以外、直接の物証を何も提出していない。これにも疑いがある。
方ばあさんが、一定の場所に30年も居住していたというのに、筆跡、写真、
指紋などは一切無い。はなはだしくは名前までもだ。これで信じられようか?

方はあさんは張ト親子に30年に渡り、日本語を含む文化芸術を教えて
きたというのに、自筆の文章のひとつも残さず、一篇の日本語さえ残っていない。
全く信じられないことだ!

資料を検討して、私はふたつの説を考えた。
ひとつは、方ばあさんは確かに存在して母子2代に多くの知識を教えており、
残されたものを見ると、ひょっとすると日本人の可能性もある。しかし、
張ト母子は彼女を川島芳子であると称するために、本当の筆跡を公開し
ないというもの。

もうひとつは、方老人はもちろん川島芳子ではなく、そんなに多くもの
知識ももっておらず、日本語も解さない。しかし、張ト母子は彼女を
川島芳子であると称するために、数々の証拠物件を提示しているというものだ。

が、これらの説は現在の段階では証明のしようが無い。
0979世界@名無史さん2009/09/13(日) 03:06:210
写真については、母親段氏のいうところによると、方老人は元々写真を撮らず、
残してもおらず、ただ、一枚帰依証上の写真が残っていたが、1978年に方老人
が死去した折に祖父が手元に残したが、2004年にその祖父が亡くなると
一緒に燃やしてしまったという。

これにも疑いがある。張ト母子は、小方八郎あての獅子像とか、多くの遺物
はちゃんと残していたにも関わらず、なぜ唯一の証拠ともいえる写真を
燃やしてしまったのか。理解できない。また、祖父と方ばあさんは正式な
夫婦ではなく、また張ト母子も血がつながっていない。なのになぜ
祖父と一緒に写真も燃やしてしまったのか。これは、段氏の母親
(張トの祖母)に対しても大変な不敬である。張ト母子はなぜこんなことを
したのか?

(下の)名前についていえば、張ト母子のいうところによると、方老人は
30年にわたり、外界との往来を一切せず身を隠し、一部の人だけに会い、
ただ、仮名のみを身分としていたという。張ト母子は小さい頃から方老人
のそばにいたが、なんという仮名かも知らず、段氏の母親も名前を
教えなかったという。方老人は戸籍もなく、ただ帰依証のみを身分証替りに
していたというが、この帰依証には名前が書いてあるはずで、それは当然
段家も知っているはずだ。しかし、段氏の母親は一切教えなかったというのは
一体なんなのだ?
私は、張トは故意に名前を隠したと考える。そうすれば、方老人のことが
報道されても、下の名前がないために身元は探しようがなくて、
永遠にわからない。そして、方老人が残したと称する遺物を出すことで
「方ばあさん=川島芳子」という証明にしようと企んでいるのだ。

一切の不可思議なことは、違った角度から見るとすべては明らかになる。
筆跡、写真、下の名前がないことも、おなじことなのだ。
0980世界@名無史さん2009/09/13(日) 03:09:060
○あの関東軍関係の図面は誰がなんの目的で買ったのか?

方ばあさんの遺物のなかで、ニセ関東軍図面のことが暴露されると、
とたんに大衆の疑義が持ち上がった。誰がなんの目的で買ったのか?

調査会の出した本にはこうある。

「ひとつ確実にいえるのは、これは絶対に川島芳子のものではないと
いうことである。なぜなら、方老人が死去した1978年以前にはこのような
ものは存在すらしておらず、1983年以後に段連詳が骨董店などで買うことが
できたということだ。彼がこれらのものを買ったのは、ひとえに
昔の彼の経歴からくる「懐かしさ」以外のなにものでもない。」

しかし、私はそう思わないし、段連詳が買ったとも考えない。
たとえば、これらの図面がもし本物だったら、調査団は
「段連詳が買ったもんだ」なんていうだろうか?
張トは「これは段連詳が買ったものだ」とか言うだろうか?
(もし本物なら)必ず他の書画骨董と同じように「川島芳子の使ったもの」
と称し、「方ばあさん=川島芳子」との結論におしすすめるはずである。

私がこれを段連詳が買ったと考えない理由は以下だ。
0981世界@名無史さん2009/09/13(日) 03:09:480

調査団がいっているようなストーリーも可能ではあろう。しかしだ、
もし調査団のいってるように、本当に(1983年とかの)改革開放以後に
ニセ地図を買ったとしたら、そして、川島芳子を保護していたのが
本当だとしたら、どうしてその頃市中に出回っている芳子関連のものを
買わなかったのか?彼女はとうに死んでしまい、(証言によれば)
手元にあるのは写真一枚だけだ。なんでまた用もない関東軍関連
の図面なんか買ったのか。方ばあさんの秘密がばれるのを恐れたのか?
いや、そんなことはない。その事実は誰も知らないことだし、
芳子関連のものを集めるのは、関東軍関連のものを集めるのよりも
遥かに危険が小さい。これらのことが示す事実はひとつだ。

つまり、段連詳は芳子など匿っておらず、だから芳子関連のものも
収集してはいないのだ。さらにいうと段連詳本人が、関東軍関連図面を収集
したのでもない。
集めたのではなく、「ニセの証拠にするために買った」のだ。
だが、買った当初はこれが偽モノとは気付かなかった。だから
後で話に破綻が起きたのだ。
ただ一人段連詳のみに大衆の興味をひきつけさせ、他の人間から
目をそらさせようとしている。まさか張トその人が買ったのでは
あるまいか?私はその可能性が非常に高いと考えている。
0982世界@名無史さん2009/09/13(日) 03:10:440
○方ばあさんが張トに与えたという「浴嬉図」は方ばあさんが描いたのか?

いわゆる「浴嬉図」(落合芳幾の浮世絵の模写)は、方老人が、母親段氏が
妊娠したときに描いて、これから生まれる張トに与えたという。
ならば描いたのは1966年頃ということになるが、専門家の検証にによると、
少なくとも描かれて5-60年はたっているということだ。(途中略)
すると、最低でも1958年以前ということになるが、どうして1966年に
描いたなんていえるのだろうか?
(注釈:調査団はこれらの事実が判明すると、記述の内容を変更したそうです)

私はこの絵は方老人が描いたものではないと断定する。根拠は以下だ。

張トによると、これはまだ見ぬ張トにあてて送ったものというが、子供が
こんな絵をもらって喜ぶだろうか。1966年ならすでに文革がはじまっている
というのに。またこのようなやり方は普通、自分が死んだ後のことなどで
するものだが、張トが生まれてもまだ方老人は死んでいない。
こんなものを残す必要なんかないのだ。しかもだ、この絵は方老人が
生きている時にもらったのではなく、張トが成人して画家になってから
段連詳からもらったというのだ。方老人は張トに絵を教え、その他の絵も
与えているというのに、なぜこれだけを生前与えなかったのか。

また、後になって、日本人野崎氏から、「これは明治時代の日本の浮世絵
を模写したもの」と指摘があると、「模写したものだ」といっていることを
変えてきた。ならば、原本はどこにあるのか?張ト母子は、方老人から
もらっという絵を今でも所有している。原本が紛失するわけがない。
さらにいうと、1966年の新立城なんて田舎で、こんなに鮮やかな色彩の
筆や絵の具を、いったいどこからもってきたというのだ。

以上のことを考えると、これはとても方老人が描いたものとはいえない。
これも方老人と芳子を結びつけるための道具のひとつだ。
張トの証言などはまったくのデタラメにすぎない。
0983世界@名無史さん2009/09/13(日) 03:12:570
○七宝焼の獅子像の中の書きつけなど、全くのまやかしにすぎない

張トの提供した方ばあさんの遺物の中で、獅子像は面白いもののよひとつだ。
張トによると、これは、臨終時の段連詳が、「小方八郎に渡してくれ」
といって張トに託したものだという。
中には「小方閣下宛て 秀竹」と16文字(省略)。さらに「浴嬉図」と同じ
「広幸」の文字があり、これをもってして、方老人は芳子だという。

これはまったくのお笑いだ。「秀竹」って誰?
そもそも書きつけは誰が書いたのだ?なんでこれが証拠なんかになる?
「秀竹」というのは、張トの話の中にだけ登場する、どこに住んで何を
やっているかもわからない、誰も見たことがないという謎の人物だ。
それを張トの証言と、書きつけだけを見て「方老人=川島芳子」と断定して
いる。こんな荒唐無稽なことがあるか?
「秀竹」という人間が本当にいたという証拠もない。書きつけが彼が書いた
という証拠もない。書きつけが偽物だったら?あるいは人と文字の両方が
虚像だったら?まずは、その「秀竹」という人の身分と川島芳子との関係
をはっきりさせ、その後に書きつけの真偽を調べるべきだろう。
調査団はそんなことも一切やってはいない(中略)
0984世界@名無史さん2009/09/13(日) 11:19:500
仮に、この書きつけが本当に「秀竹」が書いたものとし、宛先が「小方八郎」
だったとしても、いくつかの明らかな疑問点がある。

もしもこの書きつけが、言われるように、川島芳子が秀竹に託して小方八郎に
あてたものだとしたら、なぜこのような特殊な書体を使うのか。
秘密の暴露を恐れたのだとしたら、なぜ「秀竹敬具小方閣下」などと署名
などするのだ。もしも筆跡から身分の暴露を恐れたとしても、こんな難解
な書体を使う必要などない。(中略)
それに、獅子像の中に密封しても無意味だ。常識のある人なら知っている
が、密封された七宝焼は税関を通らない。必ず中を開けて調べられる。
これでは、伝達の目的を達せないばかりでなく、税関からあらぬ疑いを
受けることになる。段連詳は警察の通訳をやっていた人間だ。そのようなことを
知らないはずがない。
この目的は簡単だ、方老人と芳子を結びつけるためである。書きつけと新聞紙、
灰を故意に入れ、段連詳が生前入れたと偽ったのだ。
0985世界@名無史さん2009/09/13(日) 11:22:590
○「浴嬉図」と「秀竹書きつけ」の関係

「浴嬉図」と「秀竹書きつけ」を結びつけることによって「方老人=川島芳子」
と宣伝するためである。ここで、私がこのふたつのモノの本当の正体を
推理してみよう。

ともに出てくる「広幸」の文字を、「浴嬉図」が落合芳幾の模写だと判明
する前は、芳子が「大変幸せだ」という意味で書いたといっていた。
しかし、絵が浮世絵の模写だとわかると、この言い分が矛盾することに
なってしまい、そこで「広幸」というのは「秀竹のペンネーム」という
ことにしてしまったのだ。しかし、日本の専門家によると、この「広幸」
は商標だという。画家が自分の名前を絵の中に入れたりするものだ。
すると、このふたつのモノの由来は大変はっきりする。
つまり、書きつけは元々「浴嬉図」とセットであったのだ。
恐らくは絵の説明の部分だったのだろう。日本や中国ではこういう
ことは大変に多い。推理すると、「浴嬉図」の原画は探し当てた。
しかし、原画には「広幸」の文字が無い。(注:落合芳幾の絵だから当然だ)
書きつけのほうは原画がみつかっていない。
こうすると、あの書きつけが特殊な書体で書いてあったのも納得がいく。
あれは一種の「芸術作品」だったのだ。
宛名は恐らく、「秀竹」という日本人が「小方なにがし」という日本人に
宛てて送ったという意味ではないか。すると、「芳魂-」というのも、
当然川島芳子ではなく、落合芳幾を指す、ということになる。
こうして、「浴嬉図」と書きつけの2点を使い、絵は芳子が描き、
描きつけの中の「秀竹」を謎の人物として登場させたのだ。

(注釈:訳者としては、この説には矛盾を感じます。「小方閣下」なんて
ザラにいませんから。恐らくこの部分は張トか誰かが後で付け足したのだと
思います。ただし、「芳魂」というのは落合芳幾を指しているというのは
納得です。なぜそこに気がつかなかったのかと目からウロコの落ちる思いです)
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。