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紀元・暦法を集めるスレ

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0001世界@名無史さんNGNG
古今東西、歴史を記す上で欠かせない紀年法・暦制・元号について
幅広く語りましょう。
現役のもの、マイナーなもの、非公式なものまでいろいろどうぞ。

0785世界@名無史さん2005/07/01(金) 22:46:040
閑古スレだし新話題もいいんでは。
0786世界@名無史さん2005/07/07(木) 08:16:010
本日は旧暦6月2日。七夕にあらず。
今年の七夕は8月11日。
0787世界@名無史さん2005/07/07(木) 11:44:240
暦は天子が臣民に授けるもの。
本邦では明治6年にグレゴリオ暦に基づいた太陽暦を公布した。

支那では清朝滅亡以来共和制で天子不在で暦を授ける人が居ないし、朝鮮では
意固地になって歴史的事実である大韓帝国独立や日韓併合の正統性を否定し
つづけているから、清朝の授けた暦に頼らざるを得ない。
0788世界@名無史さん2005/07/07(木) 11:48:150
すると朝鮮は併合の時まで旧暦を使っていたということ?
0789世界@名無史さん2005/07/07(木) 11:49:330
なーに云ってんだか
0790世界@名無史さん2005/07/14(木) 22:02:290
自作の暦法を考えた人いる?
紀元なら誰でも考えそうだけど。
0791世界@名無史さん2005/07/15(金) 02:52:48O
少し前にヘビ使い座って流行ったじゃん?あの発想ってイイと思わない?一年を28日×13ヵ月にしちゃうの。一ヵ月は7日×4週間。
で元日は特別な日として、合計で365日。
そうすれば月の満ち欠けや安全日とかが覚えやすいと思うのだが…

俺が銀河皇帝か世界大統領になったら、この暦にしちゃおうと思う。
0792世界@名無史さん2005/07/15(金) 04:42:090
>>791
コントが1849年に発表ずみ。
0793世界@名無史さん2005/07/15(金) 22:01:460
>>791
月の満ち欠けや安全日は29.5日だから、28日の暦じゃどの道あわない。
0794世界@名無史さん2005/07/24(日) 12:33:300
大の月を三ヶ月おきに規則正しく配置するのもいいかも。
アケリス女史らの世界暦で既に提唱されているけどね。
曜日も固定できて助かるけど、カレンダー屋は商売失ってしまうなw
0795世界@名無史さん2005/07/25(月) 05:27:020
一ヶ月は30日で固定すべき
0796世界@名無史さん2005/07/25(月) 23:23:560
>795
端数はどうするよ?
0797世界@名無史さん2005/07/29(金) 13:58:510
元旦・春分・夏至・秋分・冬至は日付なしに汁
そうすれば毎月30日でも問題ない。
0798世界@名無史さん2005/08/09(火) 00:43:320
フランス革命暦では半端の5日を「サン・キョロットの日」と読んでたね。
0799世界@名無史さん2005/08/09(火) 00:45:040
スマソ、キョロット→キュロットですた・・・ _| ̄|・∵、' ギヨターン
0800世界@名無史さん2005/08/09(火) 01:46:200
800世紀ゲット
0801世界@名無史さん2005/08/09(火) 05:23:44O
1507日毎に閏日を入れる。
その月が31日なら一日増えて32日になる。
0802世界@名無史さん2005/08/09(火) 08:20:160
元モー娘。の石川梨華ちゃんは1月19日生まれ。
ずっと丑年生まれと言っていたが、先週のモー娘。番組のなかで
節分までは子年ですよ、とDr.コパに言われていた。
0803世界@名無史さん2005/08/10(水) 05:12:560
>>802
うーん、そのへんどうなんだろうねー。流派によるんじゃないか?
日の干支も変わり目は前日の23時(つまり子の刻から)という説と
0時から(つまり子の刻は前半と後半で日が別れる)という説があるし。
年だったら、節分よりも冬至じゃないかって気もするなぁ。
0804あやめ ◆C0.O2CxIMg 2005/08/10(水) 21:13:090
年始は正月朔日(元旦)であって立春ではありません。従がって節分は干支の変わり目とは
直接の関係はありません。
ただし立春などの節気は太陽月の第1日なので、孟春の月の初日で1歳が開始すべきものと
考える説もあるかもしれません。
0805あやめ ◆C0.O2CxIMg 2005/08/10(水) 21:37:100
民俗的にはともかくとして暦法上は1日の始点は0時に一定しています。つまり
子の正刻が日の変わり目で当然ながら日の干支の切り替え時点です。子の初刻
(23時)ということはないと思います。
流派って何の流派?
0806あやめ ◆C0.O2CxIMg 2005/08/10(水) 22:36:270
前のレスに既に書きましたが、あやめ(というか叔父の)の改暦案を提示しておきます。
この案は太陽の運行に暦月を対応させ、かつ単純明快な月の日数配置を実現した点です。
1、置閏法は現行のものに加え紀元年数が4000及び10000の倍数の場合は平年とする
(これで1年の平均日数は365.2422となり真太陽年にかなり近似します)
2、年初は春分とする
3、平年は最初の5ヶ月を全て各31日とし、その後の7ヶ月を各30日とする
4、閏年は最初の6ヶ月を全て各31日とし、その後の6ヶ月を各30日とする
(つまり第6月だけは平年は30日で閏年は31日となります)
5、暦月を週などの回帰サイクルとシンクロさせない
ケプラー法則により視太陽の運動は徐々に速くなり徐々に遅くなります。春分から霜降までは中気から中気までの
日数が30日強または31日強、以後次の春分に回帰するまでは29日強です。
そこで私案暦法によると中気と月初がほぼ近接することになり、西向く侍にお伺い立てるまでもなく 月の大小は
直ぐ記憶できます。
古代から一定した周期で長期に亘り継続してきた週や干支などの秩序を尊重し、これを強いて實定暦法と調節し
不自然な枠に嵌めることは敢えてしないこととしました。
0807世界@名無史さん2005/08/11(木) 05:21:170

さて、今日は七夕。天気が心配。
0808世界@名無史さん2005/08/11(木) 08:31:070
>>806

1について。「真太陽年」というのはきいたことがないけれど、平均太陽年の
ことでしょうか。平均太陽日・真太陽日と混同しているのではないかとおもい
ます。

「紀元年数が4000及び10000の倍数の場合は平年とする」ですが、紀元4000年
の人がそれを覚えているかどうか……。

2について。ほかの項目のように定めると、春分をぴったり年初にすることは
不可能だとおもいます。「おおむね年初」ということでしょうか。
なお、春分から次の春分までは 365.2424 日なので、春分の日付に関しては現
行のグレゴリオ暦のほうが >>806 の案よりも正確です。

3・4は基本的にイラン暦とおなじ方法ということだと理解しました。

0809世界@名無史さん2005/08/12(金) 06:59:010
インドみたいに同じ日付が連続したり、日付けがジャンプしたりする暦の方が面白いし
わけわからないって問題はあるにせよ、神秘的で有り難みがある。

わかりやすければいいってもんじゃないだろ。
0810世界@名無史さん2005/08/12(金) 07:16:210
2月5月8月11月12月を大の月(31日間)とし、
現在の2月17日を1月1日(年初)とすると

春の1月2月3月は毎月の「3日」が
それぞれ雨水(=上巳の節句)・春分・穀雨(=雛祭)。

秋の7月8月9月は毎月の「7日」が
それぞれ処暑(=七夕)・秋分・霜降。

夏の4月5月6月は、月と同じ数の日(3からふえていく)
4月4日が小満、5月5日が夏至(=菖蒲の節句)、6月6日が大暑。

冬の10月11月12月は夏と逆に(7からへっていく)
10月6日が小雪(=勤労感謝の日)、11月5日が冬至(=星祭)、12月4日が大寒。
0811世界@名無史さん2005/08/12(金) 07:21:510
現在の閏日は300年に一度とか4000がどうのとか割り切れる年は
やっぱり入れないとかあまりにも複雑で訳分からない。

1年は365.2422日なんだから閏日の入れ方でもっともわかりやすいのは
イ)10年に2日→5年に1日の「小閏日」
ロ)100年に4日→50年に2日→25年に1日の「中閏日」
ハ)1000年に2日→500年に1日の「大閏日」
ニ)10000年に2日→5000年に1日の「特大閏日」
とすれば、覚えやすい。忘れても計算しやすい。

0812世界@名無史さん2005/08/12(金) 12:41:090
イラン暦風というなら
ttp://hosi.org/b/trees.cgi?tw=&log=&dir=&search=&mode=&v=48&e=res&lp=48&st=0
もあるよ。
08138082005/08/13(土) 05:17:330
>>812

おもしろい!でもやっぱり気の長い暦だな……
0814世界@名無史さん2005/09/04(日) 13:09:400
>>812
周期が1749年1ヶ月か…
0815世界@名無史さん2005/09/07(水) 09:11:480
2006年は、いつもより1秒長い1日で始まることに決定。ホントの話ですってば!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050906-00000031-rbb-sci
 日本の標準時の維持・通報を実施している情報通信研究機構(以下、NICT)は、2006年(平成18年)元日に、7年ぶりの「うるう秒」調整が行われることを広く通知した。これにより、同日は平常より1日の長さが1秒だけ長いこととなる。(RBB TODAY)
0816世界@名無史さん2005/09/18(日) 08:04:440
十月十日は旧暦で数えるべし。
0817世界@名無史さん2005/09/22(木) 00:03:390
過ぎてしまいましたが、9月11日はエチオピア暦の新年。
秋分に由来していそうですが、同様の暦法は他にもあるかな。
08188082005/09/22(木) 06:21:180
>>817

エチオピアの閏年の入れかたはユリウス暦とおなじなので、正月の
グレゴリオ暦での日付はだんだんおそくなっていくはずですよね。
したがって秋分ではなかったのではないでしょうか。

秋分からはじまる暦というとフランス革命の時の暦をまず思いだし
ます。
0819世界@名無史さん2005/09/25(日) 23:02:440
>>818
古代ユダヤ王国も秋分から1年が始まってなかったかな?
08208082005/09/26(月) 07:03:030
>>819
ローシュ・ハッシャーナーですね。

旧約聖書ではどうみても春から1年がはじまっているので、
いつどのようにして秋が年初になったのか私にはよくわかりませんが。
0821世界@名無史さん2005/09/27(火) 19:44:040
>>820
ソロモン王が死んで南北に分裂してからは
イスラエル(北王国)は春分から始まり
ユダ(南王国)は秋分から始まる暦を使っていたそうです。
もともとは春分から始まる方は宗教暦で
秋分から始まるのが政治暦だったらしいですが。
0822世界@名無史さん2005/10/10(月) 14:51:070
いずれも日没を一日の始まりとする暦とセットになっていませんでしたっけ。
日が沈む夕、
日が縮む秋。
何か一貫した理由がありそでなさそな。
0823世界@名無史さん2005/10/18(火) 20:41:290
フランス革命暦age
0824世界@名無史さん2005/11/04(金) 00:33:460
バハーイー教は19を聖数と見なすため、独自のバハーイー暦も
19日×19ヶ月+4日、という構成。
新年はたしか9月の秋分近くだったかな。
セム系民族の暦には秋分始まりがたしかに多いね。
バハーイー教自体はイラン生まれだけど。
0825世界@名無史さん2005/11/04(金) 12:51:470
新年は春分みたいですよ
ttp://hosi.org/u/wiki.cgi?Calendar%2FWhen%2FExe%2F%E6%9A%A6%E8%AA%AC%E6%98%8E%2F%E6%9C%AC%E7%B7%A8%2F%E4%B8%AD%E6%9D%B1%2F%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E6%9A%A6%2F%E3%83%90%E3%83%8F%E3%82%A4%E6%9A%A6
0826世界@名無史さん2005/11/26(土) 00:42:150
イラン発祥だからやはりペルシア系太陽暦がベースになっているみたいだね。
0827世界@名無史さん2005/12/03(土) 17:41:540
A.U.Cは既出ですか?
0828世界@名無史さん2005/12/24(土) 22:06:520
湯治、いや冬至ですよ!
・・・過ぎちゃったけどw
0829世界@名無史さん2005/12/24(土) 23:23:140
柚子か唐茄子か
0830世界@名無史さん2006/01/01(日) 08:39:410
日本でいまだに旧暦の正月を祝っている地域ってあんの?
0831世界@名無史さん2006/01/01(日) 11:13:240
ageましておめれとう
0832世界@名無史さん2006/01/01(日) 11:14:200
うちは旧暦カレンダー使ってるよ
0833世界@名無史さん2006/01/01(日) 12:06:450
>>830

横浜・神戸・長崎の中華街は間違いなくそうだろ。
0834世界@名無史さん2006/01/01(日) 15:28:200
毎年旧暦カレンダーを作っている。
先勝友引先負仏滅大安赤口を横軸にして
旧暦の日付とこれに対応する新暦日付を併記する。
が、
閏年の表が13月あってバランスが悪い。

そろそろ今年のも作ろ。
0835世界@名無史さん2006/01/01(日) 16:09:030
太陰暦って24節季は意味があるけど
仏滅のような6曜にはあまり意味がないと聞いたような希ガス
08368342006/01/01(日) 16:52:410
六曜を曜日軸にして旧暦表を作ってみれば
単なる曜日に過ぎないのがわかりますよ。
先勝 1月1日、7月1日、閏7月1日(今年)
友引 2月1日、8月1日
先負 3月1日、9月1日
仏滅 4月1日、10月1日
大安 5月1日、11月1日
赤口 6月1日、12月1日

0837あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/01(日) 21:17:100
恭賀新禧 あけましておめでとうございます
本業の都合(ということにしておけばいいかんじ)で御無沙汰してました。
年も改まりましたので、これを機に世界史板に還ってまいりました。また宜しくね♪
でお正月にふさわしいのは?と案ずると、やっぱりここ「紀元・暦法を集めるスレ」ね。
ということで本スレの初期のレスを回顧してみました。
そうしたら>>156に十数個の紀元のリストが書かれていたのを発見しました。
当時このレスに気が付かず見過ごしていましたが、今日から何回かこれについて
書いてみようと思います。
156の名無しさんはこの情報のソースを明示していません。そこで>>157のレスでは
「よくこれだけ集めたね」とナイーブに賛嘆するレスも付けられていたりします。
しかし記載内容を検すると何箇所にも疑問符が付けられ、洋文から転訳されたらしい
漢字表記がそのままになっています。原拠が漢籍であることが窺われます。
実はこの一覧表は清の光緒三十年に刊行された張璜の著作から転写されたもので、
156氏は一部を推定して表示したのですが、他は十分には判明しなかったようです。
0838あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/01(日) 21:22:470
原拠である張璜が編纂した書物は「歐亞紀元合表」で1世紀以上前に、上海の
慈母堂というところから出版されています。
620ページの大著の冒頭部分に「天下大事紀元表」というものが掲記されていて、
24個の紀元がリストアップされています。不思議なことに156氏は新>古へと
時系列を逆順に記載していますが、原著では古>新の順に排列されています。
では以下に原著の記載を転記することとします。
なお原著では対応する支那の年次を付記していますが、ここでは省略します。

天地開闢按君士但丁城公會議(在680年)謂據猶太古史推算在_______5508
・・・・・・・・按本篤會修士某君推算在________________4963
迂師利迂斯時俗通行歴紀元在_________________________4004
喇賓(Rabbins)國人開國紀元在________________________3761
印度國紀元在___________________________________________3101
猶太古祖亜巴郎元年在__________________________________2015
希臘首君鰓克勞伯元年在________________________________1582
希臘古亜林毘城毎四年一次戯會元年在_______________________776
0839あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/01(日) 21:31:500
(続き)

羅瑪建都元年在_________________________________________753
古巴彼鸞王拿暴拿撒爾元年在_________________________747
日本紀元在________________________________________________660                           
羅瑪總統攝政監國元年在_____________________________509                           
希臘古馬者道尼王大亜立山駕崩之年在______________323                           
古西里亜王鰓鸞古斯元年在_________________________311                           
羅瑪總皇儒略歴紀元元年在___________________________45                           
西班牙開國元年在________________________________________38                           
希臘古矮克西城毎五年一次戯會元年在_______________31                           
羅瑪總皇奥吾斯多元年在______________________________27

ここまでが西紀前のものです。
0840あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/01(日) 21:34:350
(続き)

羅瑪總皇第阿克來西虐待教民在__________________284                           
俄部古亜爾黙尼開國元年在________________________559                            
回教始祖穆罕黙コ出亡立教紀元在______________622
波斯王野斯奪熱爾元年在___________________________632  
美國民主合衆開國元年在_________________________1774   
法國民主開國紀元在_______________________________1792

以上です。
0841あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/01(日) 21:36:420
なぜか行揃え桁揃えがうまくいかないです。困った。
0842あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/01(日) 21:37:490
では先ず劈頭の開闢紀元ですが156氏が指摘しているとおりです。
この西紀680-1年の第3回コンスタンチノープル公会議は、単性説の残滓
単意説を否定したことで知られています。天地創造を西紀前5508年として
算出した根拠は、うちにある書物では判明しませんでした。ユダヤ文献の
記載からとありますが、タルムードは前3761年としているので違います。
「創造紀元」"minyan liyesirer"または「世界紀元」"minyan haolam"という
ユダヤ教の紀には3種の起算点があり、1:アダム創造直前、2:アダム創造、
3:アダム満1歳のそれぞれ1年づつずれる年次を取っています。そして
キリスト紀元に対応させると1:3761/60、2:3760/59、3:3759/58となります。
2年に跨っているのはユダヤ暦では9-10月に相当するティシュリ月1日を
1年の元日としているからです。実用上のユダヤ式創造紀元は前3761年と
考えておいてよいでしょう。
聖書学的には七十人訳ギリシャ語写本では天地創造は前(以下では前を
省略します)5270年、コンスタンチノープル版では上記のように5508年とし、
ヘブライ語の正典では3994年、但し4111年とする異本もあり、サマリタン版
正典は4305年、同じく異本は4424年としています。
この外に歴代の年代学者の説が色々とありますが省略しときます。
0843あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/01(日) 21:43:190
天地開闢も無事に済んだので、あとの分は一休みして明日から少しづつ書くこととします。
0844世界@名無史さん2006/01/01(日) 21:47:480
明けましておめでとうございます。

あやめさんお久しぶり
0845世界@名無史さん2006/01/01(日) 22:40:380
あやめ、うぜえ。

ここは貴様の日記帳でも雑記帳でもない。一人でダラダラ、何レスも使うな。

二度と来るな、ボケ。
0846世界@名無史さん2006/01/01(日) 22:53:410
イスラム化される以前の中東ではどの暦法が用いられていたんでしょうか。
エジプトとペルシアはそれぞれ独自の太陽暦を持っていたようですが、
セム系民族はやはり太陰暦を使っていたんですかね。
現存するユダヤ暦もそうですし。
0847世界@名無史さん2006/01/01(日) 23:37:390
>>846 五月蝿
0848あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/02(月) 18:05:410
「歐亞紀元合表」の「天下大事紀元表」(以下「紀元表」と略称)の諸紀元から
昨日は冒頭の開闢紀元―コンスタンチノープル式創造紀元を解説しました。
これに続く3個の紀元もやはり創造紀元の一種です。
156氏は2番目に挙げられた「本篤會修士某君推算」の「本篤」が判らなかった
もののようです。本篤會は"Benedictine Order"ベネディクト会のことです。
現任の教皇ベネディクト16世は支那の各メディアなどでは「本篤十六世」と
表記されています。Benedictionは祝福とか感謝の意味らしいです。
ベネディクト会は周知のように西紀6世紀初頭から続く修道会で、その修士の
誰かが西紀前4963年を創造紀元と推算したものらしいのですが、この修士の
名など詳細は調べきれませんでした。また推算の根拠も不明です。
0849あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/02(月) 18:08:340
「紀元表」は次に「迂師利迂斯時俗通行歴紀元」を挙げていますが、156氏は
「迂師利迂斯」が何のことか判らなかったようです。これは"Ussherius"です。
即ち17世紀にアイルランドの大司教であったアッシャー”James Ussher”が
1650年に著した「旧・新約年代記」で前4004年を世界創造の年次と算出し、
ジャイムス一世欽定訳聖書に採用されたものです。アッシャーはヒブル版の
聖書に依拠して本文に現われる事件の年数を順次合算して、アダム誕生から
イエス降臨まで4004年と算定したもののようです。つまりアッシャーの当時に
「俗に通用せる紀元」ではなくアッシャーによって一般に通用することになった
紀元なのです。なお原漢文に「時俗通行歴紀元」とある「歴」は「暦」の代用の
字で、著者が清朝の人民なので乾隆帝の名の「弘暦」を避諱したものです。

次の「喇賓(Rabbins)國人開國紀元」も156氏は判らなかったもののようですが、
”Rabbin”がRabbi(ユダヤ教法学者)の複数形と気が付けば解明が容易です。
昨日も書いたようにタルムードで前3761年とされている、創造紀元の一種に
過ぎません。「ラビンス国の開国紀元」なんていう代物ではないのです。
江戸時代の黄表紙に吉原を「アリンス國」としたものはありますが(笑)
08501562006/01/03(火) 15:57:380
>>837-849
すごい遅レスですなw でも面白そうなんで期待してますぜ。
0851あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/05(木) 20:27:030
御期待くださってありがとう、あなたに本年いいことありますように。
さて「紀元表」には次に「印度國紀元」を挙げています。単にインドの紀元と
説明しているだけなのに、何の根拠あってか156氏はインドの「建国紀元」と
記述しています。古代インド人は凡そ時間空間の構成について、現実的な
認識を伝えていないように思われます。示されているのは常に観念的体系に
過ぎません。ある特定の時点で国家が創建されたとする伝承は存在しません。
インド人の歴史意識では建国紀元なんて有り得ないんです。
では西紀前3101年は何の紀元でしょう。これはカリユガ"KaliYuga"の元年です。
ヒンドゥー的観念では4期の大劫が循環的に継起するものとされています。
そして各大劫がそれぞれ20中劫に分かれています。
こうしたアイディアは佛教にも入ってきています。その時系列の概略を述べると
KritaYuga172万8000年(4800年)/TretaYuga129万6000年(3600年)/
DvaparaYuga86万4000年(2400年)/KaliYuga43万2000年(1200年) 
現在はカリユガ期に入っていて前3101年から開始されたというわけなんです。
この年次をどのように特定したのかは調べきれませんでした。いずれにせよ
実際に何らかの事件が発生したという性質のものではなく、回帰的暦法の
数術により設定されたものです。
0852あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/05(木) 20:32:030
各ユガの年数は人間にとっての時間であって、括弧内は神にとっての時間です。
0853あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/05(木) 20:32:580
カリユガは世界の終末時期で「末法の世」とか「濁悪の世」とか呼ばれています。
佛教では成劫>住劫>壊劫>空劫の順で時間が進行し循環すると説き、
やはり現在は「壊劫」に属しているとされています。初劫の「成劫」では先ず
「器世間」即ち無機的物質が発生し次いで「衆生世間」生命が出現する、
「住劫」はこうした存在が安定し繁栄する時期ですが、「壊劫」からが衰退期で
世界は崩壊し消滅して行き、そして完全な虚無が支配するのが「空劫」です。
こういう思想は「阿毘曇論」や「倶舎論」や「智度論」などいろんなお経の中に
出ています。日本の中世には民衆にも知られるようになり「水鏡」の序にも
詳しく書かれています。
このように「世の中だんだん悪くなる」思想は誰もが懐くものですが、古代
ギリシャではヘシオドスが黄金時代>白銀時代>青銅時代>英雄時代
>黒鉄時代という時代区分があって、やはり下降歴史観で語られてます。
もっとも半神である英雄が支配する時代のみは、ヘシオドスにとっての
現代から上昇期として回顧されています。この4時代変遷観はローマの
オウィディウスにも反映しています。
0854あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/01/05(木) 20:37:570
訂正
ヘシオドスにとっての現代から > ヘシオドスにとっての現代である黒鉄時代から
0855世界@名無史さん2006/01/05(木) 23:53:380
質問です。
2007年、または2012年はアステカの暦で言う「1の葦の年」ですか?
0856世界@名無史さん2006/01/09(月) 16:06:490
周期的に繰り返すといえば、古代ローマの
インディクティオー(15年)
エパクタ(19年)
0857世界@名無史さん2006/01/09(月) 23:36:090
>>846
ゼノビア女王で有名なパルミュラことタドモルの例でいうと、
セレウコス紀元を使用して、月名はユダヤ暦と同じくセム系のものを使っていた。
ペトラやハトラなどセレウコス朝の支配地域だったところは、凡そセレウコス紀元を
使うのが普通だったらしい。

このスレでもすでに説明されていると思うが、セレウコス紀元はアレクサンドロス大王の
近臣の一人でバビロニア総督セレウコス1世が即位した紀元前312年10月1日を紀元
としている。そのためパルミュラなどでは10月(Octber)にあたるティシュリ月から
新年が始まる。墓碑銘などから判明しているパルミュラの月名は以下の通り。

ティシュリ月(Ocober)
カーヌーン月(November)
キスルール月(December)
テベト月(January)
シェバト月(February)
アダル月(March)
ニサン月(April)
イヤル月(May)
スィワン月(June)
キニヤン月(July)
アブ月(August)
エルール月(September)

例えばパルミュラ出土の
ゼノビアの彫像に刻まれている年号はセレウコス暦の「582年アブ月」とある。
西暦に換算すると紀元後270年8月ころということになろうか。実際には墓碑銘の記年は
日+月名+年号(100の位+10(or 20)の位+1の位)の順で、おおよそ墓碑銘の最後に
書かれている。
0858世界@名無史さん2006/01/25(水) 21:39:500
age
0859世界@名無史さん2006/01/30(月) 08:12:050
旧暦正月2日age
0860世界@名無史さん2006/01/31(火) 04:46:120
ツァガーンサルの日付でもめてたのは結局どうなったの?
0861世界@名無史さん2006/02/08(水) 01:18:280
今更なネタですが、プロテスタントには世紀の区切りを99年と00年の間に置く教義があるのでしょうか?

ミレニアムの頃、イギリス政府が2000年を21世紀の始まりとするような事を言っていたし、
Back to the Futureでも「キリストの誕生した年」と言いながらタイムマシンを0年に設定していたので。
0862世界@名無史さん2006/02/11(土) 09:10:100
本日のTV番組、建国記念の日関連の特集は皆無。
0863世界@名無史さん2006/02/11(土) 23:16:170
雲に聳ゆる高千穂の、高嶺颪しに草も木も靡き伏しけむ大御世を、仰ぐ今日こそ楽しけれ
0864世界@名無史さん2006/02/17(金) 10:49:540
>>861
そんな教義はない(はず)。
中国共産党が1999年が建国50年で区切りがいいんで、2000年から21世紀みたいなこと言ってたのは覚えてるけど。
0865世界@名無史さん2006/02/17(金) 10:51:170
祝3周年!
0866世界@名無史さん2006/02/17(金) 10:59:190
>>864 聖飢魔Uもな
0867閣下2006/02/17(金) 23:54:080
ウェァーハハハハハ!
西暦1999年は魔暦元年。故に魔暦1世紀は魔暦100年である西暦2098年までだ!
でも本場所の場所名には元号をつけるのだぞ。
ウェァハハハハハ!
08688612006/02/18(土) 00:36:060
>>864
>>866
ありがとうございました。
聖飢魔Uは知りませんでした。
0869世界@名無史さん2006/02/20(月) 20:52:280
age
0870世界@名無史さん2006/02/25(土) 08:43:270
>>861
教義というよりも、初歩的な暦の知識を知らない人がそれだけ多いということじゃないのかなぁ
現在の日本にもいませんか「春分などの24節季は太陰暦のものだから
太陽暦では算出できない」とか思っている人
0871世界@名無史さん2006/02/25(土) 12:01:130
いるいる。
「旧暦の方が日本の四季に合っている」とかね。
そりゃ節季は合っているけども…。

ちょっと旧暦の知識は廃れ過ぎだね。

あと西暦年号と旧暦日時を直結して書く馬鹿。
例えば新橋〜横浜間鉄道開通式典の日を
「1872年(明治5年)9月12日」とか平気で書く馬鹿が後をたたない。
「明治5年(1872年)9月12日」ならまだしもだ。
「明治5年9月12日」は「1872年9月12日」とは全然別の「1872年10月14日」で
あることが理解できてない。
歴史に安易に西暦を持ち込みたがるやつには閉口する。
0872世界@名無史さん2006/02/25(土) 16:25:110
>>871
そうだな。
明治5年=1872年ではないな。

「明治5年9月12日(1872年10月14日)」と併記するのが一番かと。
0873世界@名無史さん2006/02/27(月) 03:15:170
小林弦彦著『旧暦は暮らしの羅針盤』(NHK出版生活人新書)って本によると
閏月が四・五・六月になると(気候としての)夏が長引き
十・十一・十二月にあると冬が長引くというが本当かね?
0874世界@名無史さん2006/02/27(月) 21:05:050
嘘に決まってる。
元冦のさなかに、日本の宣明暦と元の授時暦で置潤法の差から、日付けが
一月ずれてる時期があるよ。
0875世界@名無史さん2006/03/01(水) 08:49:280
>>874
でもその本ではちゃんとデータ(ただし現代の。元寇とかの昔のは無し)あげてるよ。
まぁ旧暦といっても置閏法は天保暦で計算は現代天文学だろうけど。
0876世界@名無史さん2006/03/02(木) 19:49:100
ここで更なる燃料投下
http://www.biwa.ne.jp/~toda-m/history/yeargap.html

これをなんと見る?
0877世界@名無史さん2006/03/02(木) 20:42:330
>876
わあ、ホントこいつ馬鹿丸出しだな。
なんで元禄15年=西暦1702年という大前提が間違っていることに気付かないかな?
偉そうに主張してる癖に暦の知識なさすぎだろ。
それとも半端な知識をひけらかしてるとこ見ると思想的偏向なんだろうか?

一般的な中国系太陰太陽暦が「たまたま」1〜2ヶ月程度しかローマ系太陽暦とずれてない
から特定の日本年号と特定の西暦年号を同一視しても問題が生じるケースが「少ない」という
だけのことだろうに。
その少ない問題にまさにはまっているのが討入りの日付けなわけだが。
一体、グレゴリウス暦との差異がどの程度までの暦なら西暦紀元年号を継ぎ木して
「問題ない」とか思ってんだろ?

「日本の貞享暦における“1702年”」だって。気違いじゃねエの?
だから西暦万能主義者って嫌いなんだ。
なんでも現代の尺度で割り切ろうとする歴史と文化に対する敬意を欠いた奴の典型だな。

西暦濫用の弊害のひとつは、欧米系の歴史記述の一般的欠点でもあるが、
どんな歴史的時点の記述でも現代風の西暦記述で満足してしまって、
当時の人々の時間的認識への理解から読者を決定的に遠ざけてしまうことだな。
多くの場合、そのことに記述者すら無自覚なほど麻痺してしまう。



0878世界@名無史さん2006/03/03(金) 15:02:400
>>876
こやつ、単なる無知だろ。

>「県」は秦の始皇帝にまで遡れる地方制度であり、
>律令以前の日本の地方単位である「あがた」にもこの字が当てられています。
>それに対して、「府」という用語が地方制度の名前として使われた歴史は、
>漢字文化圏全体を見渡しても明治以前には無さそうです。 
(http://www.biwa.ne.jp/~toda-m/geo-hist/prefrank.html)
とか言っているし。
0879世界@名無史さん2006/03/03(金) 20:16:330
>>877
サイト主に個人的な恨みがおありの方ですか?

内容には同意できるけど、人をなじらないと話が出来ないってのは、ちょっとねえ。
0880世界@名無史さん2006/03/03(金) 20:23:340
>>878
これは・・・単なる無知ですね。
0881世界@名無史さん2006/03/04(土) 01:48:280
>>877
>なんで元禄15年=西暦1702年という大前提が間違っていることに気付かないかな?
>その少ない問題にまさにはまっているのが討入りの日付けなわけだが。

山川日本史でも、討ち入りの日付を便宜上1702年と表記する旨を断っていたような。

でも、現代人にとってグレゴリオ暦は常識過ぎて盲点なのかも。
民国暦は(春節があるにもかかわらず)冬至の10日後に切り替わるし、
無宗教の人もキリストの生まれた年を紀元元年とする定義を疑っていないし。
0882あやめ ◆C0.O2CxIMg 2006/03/06(月) 15:12:430
高校生のころテレビでライシャワーさんが日本の高校生を何人か相手にして、日本の歴史につき講演をされ
質問を受けておられました。たぶん駐日大使を退任されてから来日された時かと思います。
一人の男子高校生が「先生の御本に平治の乱が1159年に起きたとありますが、教科書には1160年の
事件となってます、どうなんでしょうか?」と質問しました。ライシャワーさんは放送局の人に歴史便覧か
歴史辞典みたいな本を持ってきてもらい、「ここを見てください、平治という年号は1159年になってます、
教科書の方が何か勘違いしてるんだと思います」と答えられ、質問者も納得し司会者は「さすが専門家ですね」と
感心してました。これがずっと頭に引っかかっていて、ある時ふと思いついて岩波の「日本文化総合年表」だったか
日付まで判る年表で調べたところ、平治の乱の重要事実―六波羅行幸から内裏周辺の源平闘諍などは、十二月も
末の事件であって西暦だと1160年に入っているんです。教科書編纂者はやっぱり慎重周密でした。
赤穂浪士の討入りもそうですが年末の歴史事件は要注意です。
0883世界@名無史さん2006/03/06(月) 15:39:270
赤穂浪士の討ち入りはグレゴリオ暦の1月30日。
0884世界@名無史さん2006/03/07(火) 00:37:510
ユリウス暦とグレゴリオ暦でも違ってくることがあり得るんだけどね。
アイザック・ニュートンの生年月日はユリウス暦1642年12月25日、グレゴリオ暦1643年1月4日(和暦では寛永19年11月14日)
グレゴリオ暦の施行は1582年10月15日からだが、ニュートンの母国のイギリスでは1752年から採用されたのでニュートンの
生年は1642年としている場合と1643年としている場合がある。

ちなみに、日本にある記念日には1582年以前もグレゴリオ暦を採用して旧暦から西暦に変換しているものもある。
2月11日の建国記念の日(G暦 BC660/02/11 = 和暦 神武天皇 1/01/01 = J暦 BC660/02/18)
6月10日の時の記念日(G暦 AD671/06/10 = 和暦 天智10/04/25 = J暦 AD671/06/07)
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