紀元・暦法を集めるスレ
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0001世界@名無史さん
NGNG幅広く語りましょう。
現役のもの、マイナーなもの、非公式なものまでいろいろどうぞ。
0711世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 18:34:3100712あやめ ◆C0.O2CxIMg
エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 18:59:230>「皇紀」って,昭和15年(西暦1940年)ごろになって,急に使はれ始めたんだよね.
>(一部の好事家の間では明治ぐらゐから,いちおう存在してたわけだが)
「皇紀」は明治五年に太政官布告で正式に日本における通年紀年法として採用されたものです。
官庁学校などでの公的使用が廃止されたのは敗戦後のことです。昭和十五年には皇紀2600年
記念式典が盛大に挙行されたので、特に意識されるようになったのは事実です。
0713世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 19:14:570産まれたのは2601年のはず(しかも満州)なんだが、子供の頃によく周りの
人たちが歌っていたので耳に残っているらしい。
0714世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 19:27:000閏年ニ關スル件
明治三十一年五月十一日
勅令第九十號
~武天皇?位紀元年數ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス但シ紀元年數ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス
Retrieved from "http://wikisource.org/wiki/%E9%96%8F%E5%B9%B4%E3%83%8B%E9%97%9C%E3%82%B9%E3%83%AB%E4%BB%B6"
0715世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 19:28:300大正時代は元号からとって十三式とか付けられていたようです。
昭和に入っても元号からとった一式二式・・ってのも使われますが
そのうち大正系と昭和系のナンバリングが被っちゃうのは明白なので
皇紀からとった89式、90式・・・零式、一式って体系に切り替わって行ったようです。
http://www.netlaputa.ne.jp/~kitsch/gunji/navy.htm
0716世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 19:54:340うっわ複雑な計算だぁ.................
と思って式を書こうと思ったらグレゴリウス暦そのままじゃねーか!
「六百六十ヲ減シテ」ってなんだよ!思いっきり西暦準拠じゃねーか!
0717世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 20:38:300別の選挙で「数千万年(かず・ちまと)」などという候補者が立ったことがある。
0718717
エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 20:39:280年齢から計算するとどちらも昭和十五年生まれだった。
0719世界@名無史さん
NGNGこんなスレがにわかに活気を帯びるとは
0720世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 14:46:570「このスレがこんなことでにわかに活気を帯びるとは 」と訂正すべし。
0721あやめ ◆C0.O2CxIMg
エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 15:39:150お母さんが歌ってたのは「紀元二千六百年奉祝の歌」だと思います。
歌詞は次のとおり
金鵄輝く日本の 榮えある光身にうけて 今こそ祝へ この朝 紀元は二千六百年
あゝ 一億の胸はなる
キーンシカーガヤクニッポンノー ハエアルヒカーリミニウケテー
イーマコソイワーエ コーノアシター キゲンワニセーンロッピャークネーン
アーアイーチオクノー ムネーワナールー
戦時中に父は町内会の青年部長だったので、この歌はよく歌ったようです。
身内のお通夜の席で誰かが歌いだしたら、めったに歌なんか歌わない父も
一緒に歌ってました。今回は節の伸び縮みを叔父から教わって再現してみました。
0722あやめ ◆C0.O2CxIMg
エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 15:41:210文章などにはよく引用されます。性質上いろんなヴァージョンがありますが叔父が
記憶してたのは次のような文句です。
金鵄あがって15銭、はえある光30銭、鵬翼高い50銭、機嫌の悪い父ちゃんは
ああ母ちゃんの胸を吸う
最後が品のよくない終わり方ですが、本でよく見かけるのは「ああ一億の民は泣く」と
いった文句で、「民衆の為政者に対する不満が」とか「反戦気分の表現」とかコメントが
付いてます。叔父に言わせると後付けの批評で、「目先の戦時インフレに対する民衆の不満は
あったろうが、政治批判より戦争の貫遂しか生き残る道はないと思っていたから、一億一心
耐乏生活に甘んじてたんだ。まして反戦気分なんて毛筋も見られない。ああいう気分の高揚は
今の人には想像不能だろう。北朝鮮と同じだ」
0723あやめ ◆C0.O2CxIMg
エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 16:25:030「金鵄」は元の「ゴールデンバット」で、蝙蝠が向き合ってる図柄のパッケージだった
そうです。敵性語ということで改名されたようです。
0724世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 16:43:180あゝ 一億の民は泣く
というバージョンの方が有名では?
0725あやめ ◆C0.O2CxIMg
エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 17:10:030戦時中の総動員体制を批判する言説が圧倒的に盛んだったからです。多くの書物に
引用されている歌詞は「民は泣く」で他のヴァージョンは余り見かけません。しかし
叔父に「民は泣く」を聞いたことがあるか尋ねたところ、「戦時中には聞いたことが
ない、戦後に新聞などで読んで初めて知った」と言っていました。実際に戦時中から
「民は泣く」ヴァージョンが一般的だったのか、多少の疑念を懐いています。叔父が
記憶していたような猥雑なものの方が替え歌の生態上は普通であって、政治批判とか
権力風刺とかは必ずしも民衆の意識になじむものとは言えないのではないでしょうか。
世の識者という人たちにとっては「批判精神」を潜めたものの方が好ましいのでしょうが。
0726世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 18:38:2500727世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 18:57:360付け加えておくとな、光とゴールデンバットは戦後も売られておったよ。
「元」ゴールデンバットではのうて、戦時中だけ名前が「金鵄」となって
おっただけじゃ。
じゃが、鵬翼という煙草は吸ったこともないが、見た記憶もないのぉ。
はて、どんな煙草じゃったかの。
>>724
「嗚呼一億の金が減る」ではなかったの。
0728世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 18:58:2400730あやめ ◆C0.O2CxIMg
エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 19:29:300叔父は申しております。もちろん戦後は売ってないそうです。
0731世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 19:35:100ふぉ。何か勘違いをしておるようじゃの。光は姿を消したが、
ゴールデンバットならば、おそらく現在も製造しておるじゃろ。
戦後も安煙草の代表はゴールデンバットと朝日じゃったが、
吸っておったのは朝日のほうじゃ。
光のほうを買った記憶はないのぉ。高級煙草として一世を風
靡したピースが出現しておるで、光は包装のデザインの印象
は強いが、味のほうの印象は薄いの。
0732世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 20:23:190裏のたばこ屋にカートンで買いにお使いによく行った。
0733あやめ ◆C0.O2CxIMg
エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 21:03:420祖父は「はぎ」というのを吸ってたそうです。
0734世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 21:54:150戦後じゃと、みのり、ききょうといった銘柄があったように記憶し
ておるの。
昭和の30年頃には、まだ煙管を使う年配者はそれなりにおった
で、どの煙草屋にも刻みはおいてあったように記憶しておる。
40年代も半ばじゃと、もう注文がなければ刻みは置かないとい
う店がほとんどじゃったのぉ。
じゃが、ゴールデンバットと同様、刻みタバコも細々じゃろうが今
でも生産しておるのではないかの。
0735世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 23:59:350銘柄はききょうでした。
たまにキセルも使っていました。
昭和40年代の話です。
0736あやめ ◆C0.O2CxIMg
エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 00:34:510http://www.lsando.com/oldcigarette/oldcigarette1.htm
「鵬翼」も「金鵄」も「光」も「ゴールデンバット」も「はぎ」も「ききょう」もありました。
0737世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 00:56:4500738世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 01:45:130すばらしく美味しい煙草ですよん。
0739ぢゅらさん
エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 03:46:140朝鮮では清朝に降伏した後、公的には清の正朔を奉じることになったが、
豊臣秀吉の朝鮮の役で援軍を出してくれた明に感謝するという意味と、
夷狄である満洲族の清なんか認めねェぞという意味で、
朝鮮末期まで私的には「崇禎○○年」という年号がかなり広範囲で使われていた。
0740世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 04:06:200からも、西晋最後の年号である「建興」を使い続けていた。
0741世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 10:20:0800742世界@名無史さん
エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 12:01:2800743座布団取り上げ↑
エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 12:30:570たとえば五代の晋(後唐)は、後梁の年号を拒否して唐の年号・天祐を使い続けたし。
0744あやめ ◆C0.O2CxIMg
エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 15:34:250前涼が晉の年号の「建興」を奉用し始めたのは張寔が建興五年と称してからで、
その後も張茂-張駿-張重華と続いて建興四十一年に至ったところで、張重華の
庶兄の張祚が継ぐと自立して皇帝を称し、和平と改元して三年に至りましたが、
一族の者に殺され重華の子の張玄靚が立てられ、再び建興四十三年に復しました。
建興四十九年まで続いた時点で東晉の情勢が判明したためか、升平五年の奉用に
改まったのですが、その翌年に東晉が隆和と改元した情報は伝わらなかったと見え、
引き続き次の張天錫の代まで升平が使われ、前秦に滅ぼされた時点で升平二十年に
至っています。
0745あやめ ◆C0.O2CxIMg
エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 15:37:300伝えられていることです。永安(張寔)永元(張茂)永楽(張重華)太始(張玄靚)太清
(張天錫)といった諸号です。しかしこれに対応する史実は「晉書」や「通鑑」など
信頼できる史書には見当たりません。「十六國春秋」に出てるのではないかという
想定説もあるのですが、崔鴻の原書は湮滅してしまっており、僅かに「太平御覧」に
引用されているのみであって、そこからは「和平」の外に独自に改元した事実は全く
窺えません。近年になってアスタナやハラホージャなど新疆の遺跡から出土した
文書が「文物」などの専門誌に紹介されていますが、そこには「建興卅六年」とか
「升平十一年」など年紀を示すものばかりで、前記の独自年号は発見されていません。
こうした独自年号は実在しなかったものと考えてよいかと思われます。
ではこれら前涼の独自年号はどこから出てきたものかということになりますが、宋の
晁公武の「昭徳先生讀書後志」に龔頴の「運歴圖」という書に前記の諸号の記載が
存在することを紹介しています。しかし晁公武も龔頴が何を根拠にこのような年号を
記述したのか、大いに疑念を懐いていることも付記しています。
0746あやめ ◆C0.O2CxIMg
エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 16:03:550宋代のちゃんとした学者の著述に載せられたことから、後世の類書が追随
するに至ったもので、龔頴の「運歴圖」というのは随分と罪な本です。
0747世界@名無史さん
2005/04/06(水) 21:15:010しかし、「なんだよ、まだ桃の花咲いていないのかよ!」
あほはやっぱりあほ。
桃の節句は4月11日だよ。暦くらい見てから出かけろ!
0748山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
2005/04/07(木) 11:30:590源頼朝も、十月宣旨で朝廷から「東国沙汰」を任されるまでは、寿永年号を
使用していませんでしたね。
0749山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
2005/04/07(木) 11:37:580では、半年前の年号がまだ使われていました。
0750世界@名無史さん
2005/04/07(木) 12:18:060昔はどの程度で伝わったの?
重要な文書や記録や日記が改元を知らずに書き残されてたんでしょうか?
0751世界@名無史さん
2005/04/07(木) 15:41:350日本じゃ五日くらいか? なんにしろ十日以上ってことはないでそ。
0752世界@名無史さん
2005/04/07(木) 21:31:5600753世界@名無史さん
2005/04/08(金) 02:20:4500754世界@名無史さん
2005/04/09(土) 23:47:1900755世界@名無史さん
2005/04/23(土) 03:06:2800756世界@名無史さん
2005/05/02(月) 00:24:480天明でずっと通して書いてきたそうな。
0757世界@名無史さん
2005/05/02(月) 18:36:230江戸時代の日記は基本的に干支では?年号ころころ変わるから
0758世界@名無史さん
2005/05/02(月) 18:57:1900759あやめ ◆C0.O2CxIMg
2005/05/02(月) 23:23:5100760世界@名無史さん
2005/05/10(火) 11:03:3704月29日 みどりの日→昭和の日
5月 4日 国民の休日→みどりの日
なんだ。休日が増えるんではないんか。
0761世界@名無史さん
2005/05/10(火) 15:09:0800762世界@名無史さん
2005/05/10(火) 17:13:3500763世界@名無史さん
2005/05/10(火) 17:44:0600764世界@名無史さん
2005/05/10(火) 18:46:200明治天皇の誕生日は文化の日です。戦前は「明治節」だったはず。
0766世界@名無史さん
2005/05/10(火) 20:41:3800767世界@名無史さん
2005/05/10(火) 20:44:560休みを増やせ!!
0768世界@名無史さん
2005/05/10(火) 22:31:540歴代外の北朝・追号天皇とかもぜんぶ入れればなんとか365日埋まらないかな?
0769世界@名無史さん
2005/05/11(水) 00:43:320やっぱり祝日は休みの方が良いですよ。
0772世界@名無史さん
2005/05/11(水) 15:58:0900773世界@名無史さん
2005/05/11(水) 19:03:0500774世界@名無史さん
2005/05/11(水) 20:24:440たまに働く日があれば十分。
0775世界@名無史さん
2005/05/13(金) 00:19:3200776世界@名無史さん
2005/06/02(木) 02:30:420一週五日制度が施行された時期があったっけね。
日数を計算するのにはキリがよさそうだが、結局一週七日制に戻ってしまった次第。
0777世界@名無史さん
2005/06/02(木) 18:33:550フランス革命の時は1ヶ月30日を10日ずつに分けて10日目が休日。休みが少ないと評判悪かった。
江戸時代の日本は休みはないけど10日単位のようです。おかずに魚がつくのは1の日とか5の日。
幕末に出来た歩兵隊は10日に1回休みでした。
キリはいいけど西洋の習慣とあわずに廃止。
0778世界@名無史さん
2005/06/02(木) 23:00:2200779世界@名無史さん
2005/06/03(金) 14:34:460月の変わり目に休みまでの日数が変動するのが欠点ですが・・・(w
0780世界@名無史さん
2005/06/11(土) 12:39:340革命暦では時刻の単位まで十進法を徹底させたんでしたっけね。
1ヶ月=30日、1週間=10日、1日=10時間、1時間=100分、1分=100秒、
毎年末に5日間の閏日を置く、と。
曲がりなりにも約12年間(1793年11月24日〜1805年12月31日)
公式に使われたのは意外に長くもあるか。
その後パリ・コミューンで数ヶ月だけ局地的にフカーツしてたのね。
0781世界@名無史さん
2005/06/15(水) 19:14:590やはり日常生活では3で割り切れないと何かと不便だしね。
0782782
2005/06/15(水) 19:15:4300783あやめ ◆C0.O2CxIMg
2005/06/30(木) 20:49:530主人公が住んでいる舞阪町の広報によると隣の町との間に、地域活性化を目的とする公共事業である
戦争が始まる旨が町民に通知されます。この戦争は発生日と終了日が既定されている予定調和的事件で、
非現実的であるにも拘らず着実に戦死者が増加している。しかし身辺では何の物騒な変化はなくて、
静謐な市民生活が日々に営まれてるように見える。ところが主人公にも町民の義務として戦争の参加が
要請され、スパイに任命されることになります。具体的な行動としては隣町の女性と偽装結婚をして
隣町に潜入し、敵情を偵察して報告することになります。しかし敵情の内容も戦争のドンパチな惨状とか
リアリティは全く見て取れない内容です。
そういうわけで筒井康隆作「三丁目が戦争です」みたいな擬似イベント風ハチャメチャ活劇とは全く異質な、
不思議な「戦争文学」です。ところでこの事件が起こっている近未来(というほどの予想も感じられない)は
「成和23年」という設定になっています。もちろん「昭和」+「平成」というネーミングから現在を暗示した、
ファンタスチックなリアリティ(形容矛盾?)を意図したものでしょうか。
これとは全くテイストを殊にする人気アニメ「さくら大戦」では帝国華撃団が活躍する時代を「太正」年間に
指定しています。
こうしたフィクションに現われる元号について、しばらく語ってみたいと思います。「こんなのもある」と
情報お持ちの向きはお知らせください。
0784世界@名無史さん
2005/07/01(金) 14:54:0200785世界@名無史さん
2005/07/01(金) 22:46:0400786世界@名無史さん
2005/07/07(木) 08:16:010今年の七夕は8月11日。
0787世界@名無史さん
2005/07/07(木) 11:44:240本邦では明治6年にグレゴリオ暦に基づいた太陽暦を公布した。
支那では清朝滅亡以来共和制で天子不在で暦を授ける人が居ないし、朝鮮では
意固地になって歴史的事実である大韓帝国独立や日韓併合の正統性を否定し
つづけているから、清朝の授けた暦に頼らざるを得ない。
0788世界@名無史さん
2005/07/07(木) 11:48:1500789世界@名無史さん
2005/07/07(木) 11:49:3300790世界@名無史さん
2005/07/14(木) 22:02:290紀元なら誰でも考えそうだけど。
0791世界@名無史さん
2005/07/15(金) 02:52:48Oで元日は特別な日として、合計で365日。
そうすれば月の満ち欠けや安全日とかが覚えやすいと思うのだが…
俺が銀河皇帝か世界大統領になったら、この暦にしちゃおうと思う。
0794世界@名無史さん
2005/07/24(日) 12:33:300アケリス女史らの世界暦で既に提唱されているけどね。
曜日も固定できて助かるけど、カレンダー屋は商売失ってしまうなw
0795世界@名無史さん
2005/07/25(月) 05:27:0200796世界@名無史さん
2005/07/25(月) 23:23:560端数はどうするよ?
0797世界@名無史さん
2005/07/29(金) 13:58:510そうすれば毎月30日でも問題ない。
0798世界@名無史さん
2005/08/09(火) 00:43:3200799世界@名無史さん
2005/08/09(火) 00:45:0400800世界@名無史さん
2005/08/09(火) 01:46:2000801世界@名無史さん
2005/08/09(火) 05:23:44Oその月が31日なら一日増えて32日になる。
0802世界@名無史さん
2005/08/09(火) 08:20:160ずっと丑年生まれと言っていたが、先週のモー娘。番組のなかで
節分までは子年ですよ、とDr.コパに言われていた。
0803世界@名無史さん
2005/08/10(水) 05:12:560うーん、そのへんどうなんだろうねー。流派によるんじゃないか?
日の干支も変わり目は前日の23時(つまり子の刻から)という説と
0時から(つまり子の刻は前半と後半で日が別れる)という説があるし。
年だったら、節分よりも冬至じゃないかって気もするなぁ。
0804あやめ ◆C0.O2CxIMg
2005/08/10(水) 21:13:090直接の関係はありません。
ただし立春などの節気は太陽月の第1日なので、孟春の月の初日で1歳が開始すべきものと
考える説もあるかもしれません。
0805あやめ ◆C0.O2CxIMg
2005/08/10(水) 21:37:100子の正刻が日の変わり目で当然ながら日の干支の切り替え時点です。子の初刻
(23時)ということはないと思います。
流派って何の流派?
0806あやめ ◆C0.O2CxIMg
2005/08/10(水) 22:36:270この案は太陽の運行に暦月を対応させ、かつ単純明快な月の日数配置を実現した点です。
1、置閏法は現行のものに加え紀元年数が4000及び10000の倍数の場合は平年とする
(これで1年の平均日数は365.2422となり真太陽年にかなり近似します)
2、年初は春分とする
3、平年は最初の5ヶ月を全て各31日とし、その後の7ヶ月を各30日とする
4、閏年は最初の6ヶ月を全て各31日とし、その後の6ヶ月を各30日とする
(つまり第6月だけは平年は30日で閏年は31日となります)
5、暦月を週などの回帰サイクルとシンクロさせない
ケプラー法則により視太陽の運動は徐々に速くなり徐々に遅くなります。春分から霜降までは中気から中気までの
日数が30日強または31日強、以後次の春分に回帰するまでは29日強です。
そこで私案暦法によると中気と月初がほぼ近接することになり、西向く侍にお伺い立てるまでもなく 月の大小は
直ぐ記憶できます。
古代から一定した周期で長期に亘り継続してきた週や干支などの秩序を尊重し、これを強いて實定暦法と調節し
不自然な枠に嵌めることは敢えてしないこととしました。
0807世界@名無史さん
2005/08/11(木) 05:21:170さて、今日は七夕。天気が心配。
0808世界@名無史さん
2005/08/11(木) 08:31:0701について。「真太陽年」というのはきいたことがないけれど、平均太陽年の
ことでしょうか。平均太陽日・真太陽日と混同しているのではないかとおもい
ます。
「紀元年数が4000及び10000の倍数の場合は平年とする」ですが、紀元4000年
の人がそれを覚えているかどうか……。
2について。ほかの項目のように定めると、春分をぴったり年初にすることは
不可能だとおもいます。「おおむね年初」ということでしょうか。
なお、春分から次の春分までは 365.2424 日なので、春分の日付に関しては現
行のグレゴリオ暦のほうが >>806 の案よりも正確です。
3・4は基本的にイラン暦とおなじ方法ということだと理解しました。
0809世界@名無史さん
2005/08/12(金) 06:59:010わけわからないって問題はあるにせよ、神秘的で有り難みがある。
わかりやすければいいってもんじゃないだろ。
0810世界@名無史さん
2005/08/12(金) 07:16:210現在の2月17日を1月1日(年初)とすると
春の1月2月3月は毎月の「3日」が
それぞれ雨水(=上巳の節句)・春分・穀雨(=雛祭)。
秋の7月8月9月は毎月の「7日」が
それぞれ処暑(=七夕)・秋分・霜降。
夏の4月5月6月は、月と同じ数の日(3からふえていく)
4月4日が小満、5月5日が夏至(=菖蒲の節句)、6月6日が大暑。
冬の10月11月12月は夏と逆に(7からへっていく)
10月6日が小雪(=勤労感謝の日)、11月5日が冬至(=星祭)、12月4日が大寒。
0811世界@名無史さん
2005/08/12(金) 07:21:510やっぱり入れないとかあまりにも複雑で訳分からない。
1年は365.2422日なんだから閏日の入れ方でもっともわかりやすいのは
イ)10年に2日→5年に1日の「小閏日」
ロ)100年に4日→50年に2日→25年に1日の「中閏日」
ハ)1000年に2日→500年に1日の「大閏日」
ニ)10000年に2日→5000年に1日の「特大閏日」
とすれば、覚えやすい。忘れても計算しやすい。
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