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紀元・暦法を集めるスレ

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0001世界@名無史さんNGNG
古今東西、歴史を記す上で欠かせない紀年法・暦制・元号について
幅広く語りましょう。
現役のもの、マイナーなもの、非公式なものまでいろいろどうぞ。

0212世界@名無史さんNGNG
>>209-210
刹那は1/75秒って聞いた事がある。
ttp://www.sutv.zaq.ne.jp/yuba/kusa/014p.htm
0213世界@名無史さんNGNG
1須臾=0.8時間=48分、 1蝋縛=1.6分=96秒、
  1怛刹那=1.6秒、 1刹那=0.0133秒=1/75秒=約1/100秒

昔の人にとっては実用の世界ではもちろんなく、もはや観念の領域だったのでしょうな・・・
漢字で書いてあるけれど起源はインドの宇宙観かな?
0214世界@名無史さんNGNG
大きい数の単位のほうも同様で、元はバラモン教の宇宙観からかと。
0215世界@名無史さんNGNG
塵功記にも数詞以外に時間単位なども載っているのかな?
0216世界@名無史さんNGNG
age
0217世界@名無史さんNGNG
マヤ暦の正確さはどうよ?
0218世界@名無史さんNGNG
>217
一時はグレゴリオ暦をしのぐ精度などと喧伝されていましたが、
それほどでもないことが最近の研究で明らかになっていまつ。
少なくとも、閏日がないという一点を取ってみてもたいした精度ではない、と。
0219世界@名無史さんNGNG
なんだ・・ガクーシ
0220太国玉NGNG
>>120  天孫降臨始原 
どうして年の1桁の数字まで特定できたの?
 B.C.3113年8月11日 マヤ文明始原   真のバクトゥン完了は何時かなあ?
0221世界@名無史さんNGNG
おや?
電波板で「天津甘栗のデブ祝詞」唱えてるデブ国タマがきてるな。
電波板じゃなかった、宗教板カエレ
0222太国玉NGNG
ふ〜ん。よく読んでくれているんだ。  再度,唐土(toad)へ帰る!!
0223太国玉NGNG
あら〜っ  忘れ物!
 大腹胃  獅駝伏三魔
0224世界@名無史さんNGNG
天体を規準に日を数える暦法として
古今東西に存在したものとしては・・・
太陽暦・太陰暦のほかには
金星暦くらいかな?
0225世界@名無史さんNGNG
十二支で年を数えるのはある意味木星暦の名残りといえる
0226あやめNGNG
>>211
「続きをおねげえ」されてたのに長らく放ったらかしにしちゃってて御免なさいです。
冬至も近づいたことですしぼつぼつ書き継ぐことにしましょう。
>>199-206  で中気と合朔に即して暦月の配列と置閏の準則について解説しましたが、
記述が煩雑で理解しにくい部分があったかもしれません。
そこで実例を挙げて中気と対応する合朔を表示し細かく説明してゆくことにします。
先ず平年の事例について本年つまり平成十五年癸未歳における暦月の配当を一覧表に
作ってみました。
2002A.D.の冬至から始めているのは既述のように冬至が編暦上の基準時点だからです。
2004A.D.の雨水まで延びているのは陰暦極月が雨水直前の合朔の前日で終るからです。
つまり編暦のためのデータは現行暦の3年に跨る数字が必要になるわけです。
日時データは天文年鑑登載の日本標準時に基づくもので、左方に合朔の日時を右方に
中気の日時を表記してあります。
02/12/04 16:34 とあるのは2002年12月04日16時34分を示すものです。
0227あやめNGNG
a 02/12/04 16:34 冬至02/12/22 05:51
b 03/01/03 05:23 大寒03/01/20 20:53
c 03/02/01 19:48 雨水03/02/19 11:00
d 03/03/03 11:35 春分03/03/21 10:00
e 03/04/02 04:19 穀雨03/04/20 21:03
f 03/05/01 21:15 小満03/05/21 20:12
g 03/05/31 13:20 夏至03/06/22 04:10
h 03/06/30 03:39 大暑03/07/23 15:04
i 03/07/29 15:53 処暑03/08/23 22:08
j 03/08/28 02:26 秋分03/09/23 19:47
k 03/09/26 12:09 霜降03/10/24 05:08
l 03/10/25 21:50 小雪03/11/23 02:43
m 03/11/24 07:59 冬至03/12/22 16:04
n 03/12/23 18:43 大寒04/01/21 02:42
o 04/01/22 06:05 雨水04/02/19 16:50
p 04/02/20 18:18
0228あやめNGNG
一覧して継起する合朔の間に順序よく中気が挿入されていることが判ると思います。
合朔の中間に中気が存在しない場合つまり閏月の発生は見られないということです。
a十一月、b十二月、以上は前年壬午歳
c正月、d二月、e三月、f四月、g五月、h六月、i七月、j八月、k九月、l十月、
m十一月、n十二月、以上本年癸未歳
o正月、次年甲申歳
このように暦月が順当に配列され、春分が二月、夏至が五月、秋分が八月、冬至が
十一月と、二至二分と季節も正しく対応しています。
なお去年即ち平成十四年壬午歳も同じく平年でした。参考までに日時データ一覧表を
掲示しておきます。
0229あやめNGNG
a 01/12/15 05:47 冬至01/12/22 04:21
b 02/01/13 22:29 大寒02/01/20 15:02
c 02/02/12 16:41 雨水02/02/19 05:13
d 02/03/14 11:03 春分02/03/21 04:16
e 02/04/13 04:21 穀雨02/04/20 15:20
f 02/05/12 19:45 小満02/05/21 14:29
g 02/06/11 08:47 夏至02/06/21 22:24
h 02/07/10 19:26 大暑02/07/23 09:15
i 02/08/09 04:15 処暑02/08/23 16:17
j 02/09/07 12:10 秋分02/09/23 13:55
k 02/10/06 20:18 霜降02/10/23 23:18
l 02/11/05 05:34 小雪02/11/22 20:54
m 02/12/04 16:34 冬至02/12/22 05:51
n 03/01/03 05:23 大寒03/01/20 20:53
o 03/02/01 19:48 雨水03/02/19 11:00
p 03/03/03 11:35
0230あやめNGNG
次回は閏年の事例について書きます
0231世界@名無史さんNGNG
木星暦なんてあったの?
0232あやめNGNG
木星紀年法のことかしらね
火星暦というものを主張してた人がいたように記憶します
0233世界@名無史さんNGNG
・・・で、187にもある「一月一日がなぜ現在の位置に設定されたのか?」と言う疑問には答えていただけるのでしょうか?
0234世界@名無史さんNGNG
もう答えがでてるだろ
0235世界@名無史さんNGNG
>>234
旧暦はね


今の太陽暦は何を根拠に元日を冬至でも立春でもない半端な日に定めたのかと
0236世界@名無史さんNGNG
何で一日のはじまりは十二時なの?
0237世界@名無史さんNGNG
イスラム暦では日の入りが一日の始まりらしいよ
0238世界@名無史さんNGNG
クリスマス・イブもそうでしょ。
日没からクリスマス=25日が始まって、
その日没から夜明けまでがクリスマス・イブということ。
0239世界@名無史さんNGNG
>>233-235
だから、もともと元日=冬至だったんだよ。
閏日の入れ方がまずくて長い間に徐々にずれてきただけ。
0240世界@名無史さんNGNG
???
冬至の翌日?
0241世界@名無史さんNGNG
グレゴリオ暦に改暦したときに端数となった日数を
冬至に加えたせいだとか読んだ記憶が・・・
0242世界@名無史さんNGNG
ロムルス暦まで遡れば元旦=冬至じゃないの?
0243あやめNGNG
>>236
これはコンスタンティヌス大帝の時に開催されたニケアの宗教会議で、春分を
3月21日に固定したため、自ずから現時点が1月1日になってしまったんです。
じゃ何で春分を3月21日にしたのって疑問が湧くでしょうが、これはいろんな
いきさつがあって長くなるのでそのうち書きます。
(例によって「そのうちのあやめ」で御免なさい)
0244あやめNGNG
強いてお正月と天体現象の関係をこじつけるとすると、地球の近日点通過が
概ね1月の2〜5日くらいに起こることかしら。
もちろん全くの偶合で元日の発生はここ20年ほどでは見られていません。
しかし正月松の内に地球と太陽が最も接近していることは意識してよいことかも。
0245あやめNGNG
最近での閏年の事例として2001A.D.の合朔と中気のリストを掲げます。
0246あやめNGNG
a 00/11/26 08:11 冬至00/12/21 22:37
b 00/12/26 02:22 大寒01/01/20 09:16
c 01/01/24 22:07 雨水01/02/18 23:27
d 01/02/23 17:21 春分01/03/20 22:31
e 01/03/25 10:21 穀雨01/04/20 09:36
f 01/04/24 00:26 小満01/05/21 08:44
g 01/05/23 11:46 夏至01/06/21 16:38
h 01/06/21 20:58
i 01/07/21 04:44 大暑01/07/23 03:26
j 01/08/19 11:55 処暑01/08/23 10:27
k 01/09/17 19:27 秋分01/09/23 08:04
l 01/10/17 04:23 霜降01/10/23 17:26
m 01/11/15 15:40 小雪01/11/22 15:00
n 01/12/15 05:47 冬至01/12/22 04:21
o 02/01/13 22:29 大寒02/01/20 15:02
p 02/02/12 16:41 雨水02/02/19 05:13
q 02/03/14 11:03
0247あやめNGNG
一見して明らかなように6月21日20時58分から7月21日4時44分の
両合朔の間には中気の発生が見られませんでした。本来なら五月の次の月が閏月になるべき
筋合のところですが、暦日は夜半(午前0時)から始まることになっているので、暦月の初日の
朔日も合朔を含む日の夜半が起点となります。
従って6月21日は合朔の発生する20時58分より前の午前0時に朔日が始まりますので、
夏至の発生はその後である16時38分になるので6月21日から五月が始まるわけです。
そうなると5月23日11時46分の合朔から五月朔日の前日までの間には中気が存在せず、
四月の次のが自ずから閏月に当ることになる次第です。
下に各月の排列を示します。
a十一月、b十二月、以上は前年庚辰歳
c正月、d二月、e三月、f四月、g閏月、h五月、i六月、j七月、k八月、l九月、
m十月、n十一月、o十二月、以上本年辛巳歳
p正月、次年壬午歳
なお来年2004A.D.甲申歳も閏年となります。3月21日と4月19日に発生する
合朔の間に中気が存在しないため、三月の次が閏月に当ることになります。

今回のは正則的な閏年の事例でしたが次回には変則的閏年事例を示します。
0248あやめNGNG
早速訂正
三月の次が閏月に当る>二月の次が閏月に当る
0249世界@名無史さんNGNG
さて、皇紀2663年ものこすところあと3日余りとなったわけだが。
たくさんある紀年法のうち、来年がキリ番年になる紀元って何かありますか?
0250世界@名無史さんNGNG
>>249
レス番号の100台の中間くらいにいろいろあるからその中から計算して探してみれ。
報告もよろしく
0251世界@名無史さんNGNG
>迂師利迂斯(?)の時に俗に通用せる紀元=BC4004年

これ何の紀元だろう? だがしかし!これって明日で・・・
 ジャスト6000周年じゃんか!
 
0252世界@名無史さんNGNG
今年は「征露100年」でもあるんだな
0253世界@名無史さんNGNG
旧暦(太陽太陰暦)の元日は、立春に一番近い新月 なんだが、
西暦の元日の定義はどうなっているんだろう?
0254世界@名無史さんNGNG
へぇ
0255あやめNGNG
>>253
だから >>243 をよく読んで下さい
0256世界@名無史さんNGNG
号外祭り!!! 2004年は千葉総帥の年!
チバック第3代皇帝の千葉総帥の新スレができたよ!!
この神々しさ!この癒しのお姿!!たまんないね〜
みんなも遊びにいこうよ!!フォウ!
┌────────┐
│J 謹賀新年    │          
│O 臣民たちよ  . │
|K  %%%%%%%%   |
|E   6|-○-○ |  . |
|R   |   >  |   │
|    \ ∇/    ..|
|    /  \     |  
│    |     |   │
│あけまして     .│
│  おめでとう!! │
└────────┘
明けましておめでとう!チバック帝国千葉です
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/kitchen/1072942920/l50
0257世界@名無史さんNGNG
>>255
でもなーコンスタンティヌス大帝のときと、いまとでは、暦法事態違うだろ。
現に、春分は、三月二十一日とはきまってなくて、二十日のときもあれば、二十三日の
年もあるだろ。
0258世界@名無史さんNGNG
やっぱり春分か秋分で一年を区切るのが自然なのかなあ。
あ、でも東アジアは立春はじまりが多いか・・・
0259世界@名無史さんNGNG
冬至で区切るのが自然でそ
0260あやめNGNG
>>257
だからー、置閏法が厳密でなかったため春分が必ずしも3月21日に当らなくなったため、
ユリウス暦をグレゴリオ暦に改めて調節したわけなの。日本の暦では標準時の関係で3月
20日が春分になっちゃう年もあるけど、キリスト教国では概ね3月21日になってる筈。
1583A.D.以降で3月23日になってる年なんてあるの?
これで理解してもらえたかなー。
0261世界@名無史さんNGNG
せりぬんてぃぃぃいっぃうsづ
0262世界@名無史さんNGNG
保守
0263世界@名無史さんNGNG
>>260
そんなヨタ話はいいから、グレゴリオ暦の元日の定義を出してみろよ。
0264世界@名無史さんNGNG
て言うか春分の日を3月21日にした根拠ですね。
「割礼年初」がどうとか言う話もあるようですが。
0265世界@名無史さんNGNG
ユリウス暦の元日の定義は、3月21日を春分としたときの1月1日だろ。
春分基準で明確。
現行のグレゴリオ暦では定義してないだろ?
0266世界@名無史さんNGNG
最近このスレ、あやめ先生と子供(ガキ)たちの授業みたいだ。
あやめ先生が、暦について授業をしていると
ガキA「先生、スリーサイズは?」
ガキB「なぜ、結婚しないの」
ガキC「……(ガンバレあやめ先生)」
0267世界@名無史さんNGNG
インドの太陽暦の暦日は、同じ日付けが二日連続したり
逆に日付けが一日分ジャンプしたりするんだよね。
月の末日は30日でごく稀に29日の日付けで終わるけど31日というのはない。
それなのに年間の日は合計365日か366日ちゃんと計算あうんだよなー。
合理的なのか非合理なのかよくわからないとこが面白いね。
0268世界@名無史さんNGNG
東南アジア・チベット・モンゴルの伝統的な暦法も
インドの太陽暦の影響を受けているんですよね。
意外にも広大な範囲で使われているのね・・・
0269世界@名無史さんNGNG
ウク暦などはそれに当たりそうですね。
しかも今やイスラム大国になったインドネシアでも健在だそうです。
0270あやめNGNG
このところお仕事多忙でネットやってられなかったんですが、やっといくらか
余裕が出来たので久しぶりで顔出ししました。時恰も立春なので暦の話題です。

>>267
インドやチベットの暦に欠日や余日が出現する事情について書きましょう。
インドの暦法で日付を決定する基準は朔から次の朔までの時間を30等分した
"Tithi"です。Tithiは合朔の時刻を0として太陰(お月様)が白道上を12度
移動した角速度を1単位とし、その順番に暦日を対応させるシステムです。
暦日は日の出から始まり次の日の出までが1単位日です。そこである日の
正午ころに合朔が発生したとすると、翌日の正午より少し前くらいの時刻に
第1のTithi(以下では「T1」と表示します)が終わります。このT1の終了
時刻を含む暦日を当該月の第1日とします。
ところで朔望月の長さには変動があるのですが、平均値は29.530589日(29日
12時44分02.878秒)となっており、Tithiの平均値は凡そ23時37分
28秒です。通常の暦日は24時間ですからTithiの替り目の時刻は漸次繰上り
遂には1暦日中の早朝と深夜と2回Tithiの終了が発生することがあります。
0271あやめNGNG
仮に早朝にT25が発生し深夜にT26が発生し、次に翌日の夜にT27が
発生したような事例では、暦日は先に発生したT25に対応した日付で規定され
第25日となり、翌日はT27に対応して第27日とされます。
つまり1暦日中にTithiが2回含まれる事例では後発の方は無視されてしまい、
これを"Kshaya Tithi"「欠日」と称します。逆に次のTithiが翌日でなく翌々日
発生するような事例もあるようで、この場合は同じ日付が2回連続するわけで
"Adhika Tithi"「余日」と呼ばれています。
インドの暦法は複雑で閏月ばかりでなく「欠月」も存在します。これについては
後日に書くことにします。
0272世界@名無史さんNGNG
イスラム暦新年age
0273世界@名無史さんNGNG
【もっとも合理的な暦(合理暦)】

合理的な10進数を採用するため、1年を10か月に分ける。
月の名称は0月から9月までとし、偶数月を37日間、奇数月を36日間とする。
ただし、閏年は最後の月である9月も37日間にする。
月と同様に、日も0日から数え始め、35日または36日で数え終わる。
1年の始まりは0月0日であり、1年の終わりは9月35日(平年)または9月36日(閏年)である。

七曜は宗教的にどうしても必要な場合に限定して採用し、公機関または
民間企業を含む一般生活においては廃止する。
その代わりに、5日または10日の周期を採用する。
日付の末尾が4または9の日を休日とし、3または8の日を半休日とする。
また、月末の35日、36日も休日とする。

合理暦を採用する場合、同時に合理時制も採用する。
合理時制は1日=10時、1時=10刻、1刻=10分、1分=10厘、1厘=10秒とする。
月日と同じように0から数え始め、1日の始まりは0時0刻0分0厘0秒であり、
1日の終わりは9時9刻9分9厘9秒である。
ただし、慣用表記として、時分秒のみの表記(0時00分00秒)も認めることとする。
0274世界@名無史さんNGNG
>>273
なんか、フランス革命暦みたいだ。
0275世界@名無史さんNGNG
勝手に作る紀元「ユリウス紀元」

ユリウス通日の起算点である紀元前4713年(-4712年)を0年(1年ではない)とする。
今年(2004年)は2004-(-4712)=6716年
0276世界@名無史さんNGNG
イスラム太陽暦についておしえてください。
0277世界@名無史さんNGNG
>>273
↓こんなのもあるよ
ttp://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/univunit-j/j23.pdf
0278世界@名無史さんNGNG
>>273
合理的にするなら月や時分秒なんて単位(゚听)イラネ

2004/1/1 00:00:00 => 2004年0日
2004/3/4 23:30:00 => 2004年63.979日
0279世界@名無史さんNGNG
ソ連がグレゴリオ暦に変えたのはやっと1923年で
ロシア正教会は現在でもユリウス暦。したがってクリスマスは一月七日。

イギリスもプロテスタントなので最初は抵抗し、1752になって変更。
アメリカにおける英植民地も同様で、新旧二つの暦の併用される事態がしばらく続いた。
わざわざ旧暦old style=OSと新暦new style=NSなどと
付記して区別つけることも行われた。

イギリスは1752の9月2日からいきなり14日になったため
ただでさえ混乱したのに、地主などが11日分の地代を払い戻さずに
取りたてたせいで、ついには暴動まで発生した。
0280世界@名無史さんNGNG
>>279
イギリスでは年初も3月25日にあったらしいね。
24 Mar. 1701の翌日が25 Mar. 1702になる。
これを日本語で書くと、「1701年3月24日の翌日が1702年3月25日」というものすごい混乱を
引き起こすことになるが、西洋では月を数字で呼ばなかったから混乱は少なかった。

1752年にグレゴリオ暦に改暦するときに、同時に年初を1月1日に改正したから、
イギリスの1752年は3月25日から12月31日までで、途中で11日除かれたから271日しかなかった。

ちなみに、ユリウス暦をグレゴリオ暦に改暦するときに、ローマの10月15日とか
イギリスの9月14日のように中途半端な日付を選んだのはキリスト教の宗教行事と重ならない
時期を選んでいるらしい。
もっとも、ベルギーなどでは1月1日に改暦したため、クリスマスがなくなったりしたようだが(藁
ttp://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/when/when2.html#6
0281世界@名無史さんNGNG
モンゴルの伝統的な暦法はチベット暦と同じ系統のものなのでしょうか。
0282世界@名無史さんNGNG
>>224
古代エジプト暦は太陽じゃなくてシリウスの一年回帰を基準にしていたはず。(まったく同じことだが)
0283世界@名無史さんNGNG
>>278
そこでUNIX時ですよ。
0284あやめNGNG
>>275
Julian period を起点とする紀年は存在するんです。
但し4713B.C.を0年として翌年から起算するのではなく、直ちに元年としています。
従って今年はこの「ユリウス紀元」では6716年ではなく6717年となります。
一般に暦法関連の書物やサイトでは必ず「ユリウス日」について説明してありますが、
「ユリウス年」について触れたものは稀なようです。書籍としては渡邊敏夫著「暦」
(「西暦1937年はユリウス週期の1937−(−4713)=6650年に当たるのである」)
サイトとしては下記のものが僅かに見かける程度です。
http://eric.home.sprynet.com/Julian.htm
"1998 is the year 6711 of the Julian Period, since 6,711 years have elapsed
since the year 4713 B.C. The Julian Period will be completed in the year 3267,
which is 1,269 years from now, and 7,980 years after 4713 B.C."
ということなので、インドのカリユガみたいな回帰紀元の一種です。
0285あやめNGNG
>>281
多分そうなんだろうと思ってたんですが実際はそう単純じゃなく、毎年の末には
来年の元日はいつなんだか各宗派でもめるらしいです。
通常の公式行事や生活はグレゴリオ暦でやってるようですが、更に日本や支那の
太陰太陽暦も行われてるらしく、ややこしいから一本にまとめてくれという声も
あるんだとか。
http://www.mopi-npo.com/mopitusin-28.htm
ここの「ウランバートル特派員報告」のとこを読んでください。
0286あやめNGNG
ところでユリウス日の説明というと必ず「このネーミングの由来は決して
ユリウス暦からではありません、スカリゲルが叔父さんの名から採ったもの
なんです」という断り書が付いてます。
でもお父さんとかじゃなく叔父さんていうのが何か不自然。よほど大恩ある
叔父さんなのかもしれないけど(あやめも叔父さんちに厄介になってるので
解からなくもないけど)、その辺の事情が説明されたためしがない。
当時は既にグレゴリオ暦に切り替わってはいるけど、この暦元の設定は全て
ユリウス暦によってなされているんだし、その命名に当たってスカリゲルが
まるきりユリウス暦を意識してなかったとは思えないんです。
でもあくまで想像に過ぎないんだし、御本人がそう言ってるんじゃ信じる外
無いけどね。
0287世界@名無史さんNGNG
漏れの本では「スカリゲルの父親の名前」と書いてあったけどなぁ。

父親(叔父?)の名前がユリウス・カエサル・スカリゲルのようなので、父親の名前は
ローマ皇帝のユリウス・カエサルから取られたという可能性も否定できないんだけど。
0288世界@名無史さんNGNG
西欧近代にはいり、機械時計の技術が進歩したため、
人々の時間のとらえ方が直線的になったという説を
聞いたことがあるんですが、本当ですか?
0289世界@名無史さんNGNG
>>288
それって、円環的から直線的な歴史(時間)観っていう、よくある主張じゃん。
直線的な時間感覚への移行の最大の要因は、ユダヤ教経由のキリスト教。
天地創造→律法下→恩寵下→最後の審判
0290世界@名無史さんNGNG
>>273
36日・37日の周期って、合理性はあるの?
0291世界@名無史さんNGNG
機械時計が普及すると、時間は円環的に捉えられるようになるんではないの?
0292世界@名無史さんNGNG
大学の授業で去年やったなぁ。

ケルト人達は、季節が循環的にやってくるから時間に対して循環的に捉えてたんだけど
キリスト教が普及してきて終末思想が出てきて直線的になったとかなんとか。
0293世界@名無史さんNGNG
>>290
0.1年=36.52422日だから、近似すれば36日か37日になる。

もともと、年と日の間には合理的関係(ここでは10進法の関係)が成立することはない。
したがって、年と日の間に月を作るのならば、合理的関係は年と月の間か、月と日の間にしか
成立させることが出来ない。
月と日の間に合理的関係を成立させるとするならば、1か月が10日で1年が36月と5〜6日となる。
年と月の間に合理的関係を成立させるとするならば、1年が10か月で1月が36〜37日となる。
別にどちらを採っても同程度の合理的関係が得られるが、従来の1年=12か月に近いほうの
案を採った次第。

>>291-292
インド哲学では「時間は循環するもの」と捉えられていたため、未来はすなわち過去であるので
歴史を保存するということに消極的だったとか。
0294世界@名無史さんNGNG
もっとも合理的な暦を標榜するからには、そりれなりの合理的なものが要るんではないの?
0295世界@名無史さんNGNG
今夜の世界ふしぎ発見はマヤの暦。
ミステリーハンターは巨乳画家の川幡由佳。
0296世界@名無史さんNGNG
ちなみに、世間で「マヤ暦」として流通している「1か月が28日×13か月+1日」の暦は
20世紀になって新たに考案された「ドリームスペル暦」とでも呼ぶべきもので、
本当のマヤ文明で使われていた暦は「1か月が20日×18か月+5日」の暦が正しい。
0297世界@名無史さんNGNG
>>296
フランスの学者コントの考案したのもそれだったっけか?
0298世界@名無史さんNGNG
>>297
そう。あと、KODAKの社長のイーストマン・コダックの提案したのも28日×13月+1日の暦。
詳しくは http://personal.ecu.edu/mccartyr/calendar-reform.html を見てくれ(英語だけど)。

それから、エリザベス・アケリスが作った国際世界暦協会がHPを持っていたなんて
知らなかった。
http://www.worldcalendar.org/

これは漏れのサイトだけど、まぁ見て頂戴な。
http://onpumoe.hp.infoseek.co.jp/
0299世界@名無史さんNGNG
もし世界暦に改暦されるならば、現行グレゴリオ暦の元日が日曜である
2006年、2012年、2017年・・・からになるのか。近いような遠いような。
0300あやめNGNG
現行グレゴリオ暦の長所は置閏法が太陽の回帰周期にかなり正確に対応し、閏年の計算が比較的簡明である。
短所としては
1 毎月の日数と順序が不規則である。 2 年初が無意味な日に置かれている。 3 週日と暦日が変動する。
といったところでしょう。
このうち週日と暦日の変動はむしろ長所といってよいものとも言えます。週や干支のサイクルが数千年のスパンで
一定しているところに意味があって、歴史的にしばしば改変を蒙る実定暦法から独立して補証的機能を果たしており
無理に一致させる必要はないと思います。しかしこれまで提出された改暦案はこれに拘ったものが多いようです。
さて私の改暦案の核心は、太陽の運行に暦月を対応させ、かつ単純明快な月の日数配置を実現した点です。
1、置閏法は現行のものに加え紀元年数が4000及び10000の倍数の場合は平年とする
(これで1年の平均日数は365.2422となり真太陽年にかなり近似します)
2、年初は春分とする
3、平年は最初の5ヶ月を全て31日とし、その後の7ヶ月を30日とする
4、閏年は最初の6ヶ月を全て31日とし、その後の6ヶ月を30日とする
ケプラー法則により視太陽の運動は徐々に速くなり徐々に遅くなります。春分から霜降までは中気から中気までの
日数が30日強または31日強、以後次の春分に回帰するまでは29日強です。
そこで私案暦法によると中気と月初がほぼ近接することになります。そして西向く侍にお伺い立てるまでもなく
月の大小は直ぐ記憶できます。
0301あやめNGNG
日本におけるグレゴリオ暦の採用が明治初年であることは、歴史情報というより
普通学歴レヴェルの常識と言ってよいでしょう。しかし最近になって織田信長の
政権による実施が計画されていたという驚愕の研究が発表されました。
立花京子著「信長と十字架」(集英社新書)によると天正十年末に予想される閏月
問題について、当年十二月の次に置くべきか翌年正月の次かの吟味に信長は或る
申入れを朝廷筋に行っている、これについて関係者の対応には困惑が伺われる、
これは単純な置閏のための計算といった事情による停頓とは思えないので、実は
信長はこの際において天主教国における改暦に、日本の暦制度の根本的改革をも
連動させようとの思惑を実践に移したのではないか?という学説なのです。
天正十年はキリスト紀元では1582A.D.に相当します。これでピンときた方も
おられるでしょう。そう、教皇グレゴリオ13世がユリウス暦からの改革断行に
踏み切った年です。但しこの改暦実施が日本に伝わったのは2年後だそうですが、
信長はヴァリニャーノら親近のイエズス会バテレンから得た情報によって、夙に
教皇が改暦を断行するであろうという事態を予想していたのではないか、そして
置閏の議が諮問されるタイミングを捉えて純太陽暦採用を朝廷にせまった。その
背後には日本の政権を操ろうとするイエズス会の野望があった、と立花さんは
考えるに至ったのです。
0302あやめNGNG
立花さんはイエズス会を先鋒とする南欧勢力に示唆され応援された信長が、
彼等の目論見による日本全国統一と朝鮮への出兵まで画策していたという
展望を説き、その布石について細かく解明しています。そして信長の自己
神格化が路線の逸脱として南欧勢力から評価された結果が、本能寺の変で
秀吉に切り替えられてしまった。という筋書きを立花さんは描いておられ
説得力に唸ってしまうと同時に、一種の陰謀説には危なっかしさも感じます。
この辺は大いに語りたいけど日本史テーマなのでよしときましょう。また
立花さん本人の「出来上がり方」についても関心があるんですよね。
0303世界@名無史さんNGNG
今夜の「その時歴史が動いた」は・・・
0304世界@名無史さんNGNG
近世では、元号と干支を組み合た紀年法が一般的でしたが、(今年なら平成甲申)
昭和でこれをやってしまうと同じ表記で2つの年を混同してしまう場合があります。
(昭和丁卯→昭和2年(1927年)、昭和62年(1987年))
これは昭和という元号が60年以上続いたからなのですが、
過去に日本を含む東洋で60年以上続いた元号はあったのでしょうか?
辛酉・甲子に改元する慣例もあったようですが・・・
0305世界@名無史さんNGNG
組み合わせ次第では
十干 × 十二支 =で1周期120年分を表せるのにモターイナイ気もするな。

連・会などのさらに大きな単位を挙げたのは北宋の程でしたっけ?
0306世界@名無史さんNGNG
>>304
だからこそ、60年越えないように辛酉・甲子に改元するんだろ
0307あやめNGNG
多分60年以上続いた元号は清の聖祖の康煕六十一年というのが唯一の事例でしょう。
そこで康煕壬寅が復出してしまい、恐らく後になって密かにこれはまずいという議が
あったのでしょう。乾隆帝は乾隆六十年に皇太子に譲位して翌年元日からは嘉慶元年と
号することになって復出は避けられました。しかし宮中で用いられる時憲書ではなお
引き続き乾隆年号を称していたということなので、乾隆六十三年が有りえたわけです。
なお連続使用ではありませんが元では至元という元号が世祖の代と順帝の代と2度も
使われました。これは乙亥・丙子・丁丑・戊寅・己卯・庚辰がダブってしまいました。
0308あやめNGNG
>>305
十干も十二支も偶数なので順番に組み合わせていくと60通りしか
出現しないんですよ。
0309あやめNGNG
>連・会などのさらに大きな単位を挙げたのは北宋の程でしたっけ?
これは >>117 >>118 を参照してください。
0310世界@名無史さんNGNG
>>300
> 2、年初は春分とする

ただこれをやると「どこの子午線を基準にするか?」を決めないといけないんだよね。
春分は全地球上で同時に発生するが、時間帯(および日の境目)は地域ごとに違うから。
その意味では、天文学的に関係のない現在の歳首はある意味合理的とも言える。
0311世界@名無史さんNGNG
一昨昨日4月21日が旧暦3月3日。
北関東では桃の花が只今満開。
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