紀元・暦法を集めるスレ
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0001世界@名無史さん
NGNG幅広く語りましょう。
現役のもの、マイナーなもの、非公式なものまでいろいろどうぞ。
0199あやめ
NGNG決しました。即ち1回帰年を整除する12個の区分点が存在すると仮定すれば、これ
に12会合月を対応させることで暦月を太陽の運行に結合させることができるわけで
す。ただしこの1区分の日数は1会合月の日数よりいくらか長いので、当然この区分
点から外れてしまう月が生じます。そこでこのような月を閏月として設定します。こ
のようにすれば暦月は常に太陽の運行によってチェックされていることになり、回帰
年秩序は表面には顕われないものの隠然として暦年を管理していることになるのです。
この区分点は太陰月である会合月に対する太陽月上の指標として実際には24個設
定されており、その奇数番目のものは各太陽月間の区切りとして、偶数番目のものは
上述のように暦月との対応の目安として機能しています。これが謂わゆる24気で春
分秋分夏至冬至大寒立春など季節ごとに馴染まれているものです。太陽月間の区切り
を節気と言い暦月との対応の目安を中気と言っています。
以上の説明で太陰太陽暦の構造の基本となっている観念は理解されたものと思いま
す。そこで次に太陰太陽暦の諸要素の規定について順に説明することとします。
0200あやめ
NGNG半と呼びます。この時刻は旧時代では首都における地方真太陽時、清朝であれば北京、
江戸時代であれば京都における南中(子午線上を真太陽が通過した瞬間、即ち正午)
から次の南中までの時間の中分の時点が夜半です。現代では地方標準時に拠ってい
るものと思います。日本の場合は東経135度の子午線が時法の基準となります。昔
の天文記録の中には午前3時で日付が代わるように書き留められたものもありますが、
その場合でも編暦上は午前0時を採用していたはずです。
暦月は合朔を含む暦日から始まりこれを朔日と呼びます。合朔とは既に述べたよう
に太陽と太陰が同一黄経上に位置した瞬間です。太陽も太陰もその運動量を決定する
諸元は多項に亙るため、運行現象は平均的なものでなく朔の発生は一見不安定なうえ、
朔の時刻を予知するためには複雑高度の計算を必要とします。冒頭に掲げた会合月の
値は観測データを平均したものであって、実際の朔の間隔は若干の伸縮があります。
0201あやめ
NGNGわず、平均会合月の値を用いて朔の時刻を計算するものもありました。このような朔
の決定法を平朔法と言います。これに対し真の合朔を個別に求めるのを定朔法と言い
ます。ここで注意しておかなければならないのは日としての朔は、合朔の時刻からで
はなく合朔を含む暦日の夜半から進行するものである点です。つまり当然のことなが
ら暦月は常に暦日の整数倍として形成されているわけです。従って平朔法の場合は平
均値を用いるからと言って毎月の日数が一定するということにはなりません。平均値
の日の端数がどの月に組み込まれるかにより29日の月と30日の月が成立すること
になりますが、平朔法では大体において月の大小が交互に発生し、十数ヶ月ごとに大
月の連続を見るというように比較的安定した形になっています。平朔法にはこのよう
な常用暦としての長所はあるのですが、新月の出現や日食などの天文現象が本来ある
べからざる時点で発生することがあって、天体暦としての本来の目的を果たさないこ
とになります。この辺は実際の天象の反映を指向する定朔法の利点です。その代わり
小月ばかり大月ばかりが数回連続するといった体裁の好くないことが起こります。し
かし現行の旧暦は定朔法を採用しています。
0202あやめ
NGNG初日を朔、末日を晦と特称します。また太陰が衝(太陽との黄経差が180度となる
こと)の位置に在る日を望と言います。
暦年は雨水を含む暦月に始まりこれを正月と呼びます。雨水は24気の第3で太陽
が黄経330度を通過する瞬間です。24気は前述のように1回帰年を区分する点で
すが、本来は1回帰年という時間周期を直接に等分したものではありません。天の赤
道または黄道上を15度づつ24等分したもので、現在は黄道上を春分点から順次分
割しています。これは謂わゆる黄道12宮それぞれの原点と中点に相当しています。
視太陽がこの各宮の原点を通過する瞬間を中気とし、この中気を含む暦月を雨水から
数えて順次正月、二月、三月、・・・・、中気を含まない月を閏月と称えます。
0203あやめ
NGNG太陽はかなり偏差のあるケプラー視運動をしているので、年間各時点における軌道上の
速度には相当の消長があります。概して言えば冬は短く早く夏は長く遅いのです。そこ
でまたしても合朔の間隔に平均値を導入したように、中気の間隔も時間上で平均化する
暦法が行われていました。これを恒気法と言い実際の中気を求めるのを実気法と言いま
す。
恒気法は視太陽が等速運動をしているかのように擬制するもので、季節といくらかの
差違が生ずるものの平朔ほどの不都合は感じられないし、間隔が一定しているので閏
月の挿入などは判り易いと言えます。これに対し実気法の場合には中気の間隔が最も
長い期間と最も短い期間の差が2日以上になり、しかも短期の方は定朔法による合朔
の間隔よりも更に短くなってしまいます。そこで1暦月の中に2中気を容れるような
月次の配置上困った事態が発生することがあります。
0204あやめ
NGNGての真実性や整合性を追求したいということか実気法を採用しています。それから恒
気実気いずれを問わず注意しなければならないのは、暦日の夜半から合朔の間に中気
の発生を見た場合です。中気は本来はたとえどんなに離れていてもその前に在る合朔
と結合すべきものです。しかし暦日は夜半から始まり、朔日は合朔を含む暦日であり、
暦月は朔日から始まり、暦月の月名を決定するのはその暦月内に存在する中気である
という太陰太陽暦の編暦規則の解釈からは、このような事例に限っては中気はその直
後に発生した合朔と結合する外ないようです。
0205あやめ
NGNGと思います。要するに各月が含む中気に対応して雨水から始まる中気の順序で月名を
称し、中気を含まない暦月を閏月と称するということです。恒気法の場合はこれで何
等の問題を生じないのですが、実気法では既に触れたように中気の間隔が合朔の間隔
より短くなっていると、1暦月の間に2中気が存在することになりどちらの中気に従
って月名を決すべきかという問題が起きます。インドの太陰太陽暦法などでは先に発
生した中気で月名を定め、後で発生した中気に対応すべき月名は飛ばしてしまいこれ
を欠月と呼んでいます。しかし清朝や徳川末期の暦法では次のような方法で解決しま
した。
0206あやめ
NGNGでいます。これらは視太陽運動にとって昇交点や降交点の通過、最高緯や最下緯の到
達といった、地球との関係で意味のある天文現象の生起時点であって、他の中気のよ
うに技術的に設定されたものとは異なるからです。従って2至2分については春分は
二月、夏至は五月、秋分は八月、冬至は十一月に固定することとし、他の中気につい
ては直後の月に繰り下げることとしました。これは1月2気現象の2、3ヶ月後には
たいてい中気を含まない暦月が続いており、本来は閏月となるべきところですが、順
次繰り下げた月は最終的にはこの空き家へ送り込んでしまえば始末できるという考え
方です。ところがごく稀に当てにしていた空き家が2、3ヶ月先では見つからない、
そうこうするうち次の2至2分が来てしまうという事態の発生することがあります。
この場合は已むを得ませんので冬至と十一月の関係だけを固定し2分や夏至の移動を
許します。冬至は太陽運動が消極から積極に転じる折り返し点ということで、歳時の
原点として絶対化され中気と月名の配当上でも固定されているわけです。
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