つーかSFやりたかったんなら普通のSFで良かったんじゃねえの?篠原のアストラみたいに
編集が押し付けたのが岸本自身の下らん自負があったのか知らんけど「岸本といえば和風漫画の大御所」みたいなブランドに縋って無駄な侍要素入れたのがことごとく足引っ張る要素になってるな
義だの勇だの申し訳程度の武士道用語をどうとでも解釈できるフワッとした定義のまま使ってて何がどういうシステムになってるのか全く分からない
そういう精神論をSF設定に組み込むなんて一番相性悪いって分からんのか?