この、「私がそうしたいから」が、二人共通の行動原理であるように見える。

ユリウスと共に鬼と戦っていた5人の仲間たちは、「全人類の勝利」「すべての民を守り抜く」「食われない世界を目指す」ために、どんなに疲れても兵に犠牲が出ても
、戦い続けることを選び、鬼とは交渉の余地なしと結論付けた。そして目標まであと少しの所まで来ていた。
ノーマンに近いのは、むしろこの彼らだと私には思われる。

ユリウスと5人の仲間、エマとノーマン…

エマが「あのお方」に願い出た内容は、全食用児と全鬼との今後の生き方・さらには社会を大きく変えることになる、大変重大な内容である。
それをエマが、「私がそうしたいから」と、一存で願い出てしまって良いものなのだろうか?

本来なら、アジトにいる全食用児に諮って(本当は農園にいる子たちも参加できれば良いが仕方ない)、
会議をするなり選挙をするなりして、皆の同意を得る形をとってから、皆の代表という立場で、皆の総意として伝えるべき内容ではないのか?

食用児たちにもそれぞれ、いろんな考えがあるはず。
自分たちを家畜として飼ってた鬼を生かしておくなどとんでもない
、人間界に行くなんてできるんだろうか、行くのはそれはそれで怖い、行っても自分たちの居場所なんてないかもしれない、
差別さえされるかもしれない、鬼を絶滅させて、住み慣れたこの世界で、アジトで、このまま生き続ける方が良い、等々…

ノーマンは、皆を救ってくれて、平和な暮らしに導いてくれるボスとして、アジトのほとんどの子たちの支持を得ている。
GF・GPの子供たちも、ノーマンが自分の考えを伝えた時、エマ以外は皆大喜びで賛成していたし。

一方、エマが七つの壁に出発する前、GFとGPの子たちにその考えを伝えた時、少なくとも「賛同者」はいなかった。
ただ、エマは好かれているから、エマがしたいようにして来なさいと励まされはしたが…
ましてエマが知らない、またエマを知らない、他の多勢の子たちは、何も知らない。

一個人の人生の選択、というようなことなら、「私がどうしたいか」ということを一番大切にして決めていいし、決めるべきだと思う。