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第177話 弟
巌勝と縁壱が生まれた時代
双子は跡目争いの原因になるため不吉とされていた

弟の縁壱は生まれつき不気味な痣もあり父は殺すと言っていたが
それを聞いた母は烈火の如く怒り狂い手がつけられなくなったため
縁壱は殺されず10歳になったら寺で出家させる手筈となった

巌勝と縁壱は部屋も着物も教育も食べ物も大きく差をつけられ育てられそのせいか縁壱は母親離れができず
巌勝はいつも縁壱が母の"左脇"にぴたりとくっついていたのを見てそんな姿を子供ながらに可哀想に思った

縁壱に与えられた三畳の小さな部屋へ巌勝は父の目を盗んで遊びに行き
自分の持ち物を渡せば父に気づかれるため笛を作って渡したが
縁壱は赤子の頃から笑うこともなければ喋りすらしなかったので耳が聞こえないものだと思われていた

そうでないと巌勝が知ったのは2人が7歳になった頃
巌勝が庭で素振りをしていると縁壱は音もなく松の木の影に立っていた
それだけでも内心肝を冷やした巌勝だったが
「兄上の夢はこの国で一番強い侍になることですか?」と
初めて口を効いたかと思えば流暢に喋りかけられたことで
息が止まるほど驚いた巌勝は木剣を取り落としてしまった

そして10歳になったら寺へ追いやられ僧侶となるのが決まっているのにも関わらず
縁壱は自分の将来がわかってるのかわかってないのか自分も侍になると笑顔で言い出し巌勝は正直それが気味が悪かった
母を見ればすぐにしがみつく縁壱が命を懸けて戦う侍になれるはずもないと思ってもいた

しかしそれ以後、縁壱は稽古中に教えてほしいとうろちょろするようになったため
巌勝に剣技を教えていた父の輩下が戯れぶ袋竹刀を持たせ持ち方と構え方を口頭で軽く伝えた
それだけの教えで縁壱に打ち込んでみろと父の輩下は構えるが
巌勝がどれ程打ち込んでも一本取れなかった父の輩下を縁壱は瞬きする間に四発叩き込み失神させ
父の輩下が打ち込まれた首、胸、腹、足は骨にこそ異常はなかったが拳大に晴れ上がった

だが縁壱にとって人を打ち付ける感触は耐え難く不快なものでその後、侍になりたいとは言わなくなった
しかし縁壱の強さの秘密を知りたかった巌勝は食い下がって詰め寄ると縁壱は驚くべきことを言い出した

「打ち込んでくる前に肺が大きく動く骨の向きや筋肉の収縮、血の流れを良く見ればいい」
縁壱には生き物の体が透けて見えるのだと理解するまで時間がかかった
生まれつきの痣と同じく生まれつきの特別な視覚、そしてそれに即応できる身体能力
今まで縁壱を哀れんでいた巌勝だったが自分より遥かに優れているのを思い知らされた

だが縁壱は剣の話をするよりも巌勝と双六や凧揚げがしたかった
巌勝は剣の道を究めたかったが縁壱にとって剣の道は童遊び以下だった

父の輩下はこのことを父に報告し立場が逆転するのだろうと巌勝が怯えていると
縁壱から母が亡くなったことそしてこのまま寺へ旅立つこと
兄からもらった笛を兄だと思いながら挫けず日々精進すると伝えられる

縁壱の笑顔や巌勝にとってはもうがらくたでしかない笛を大事にしてることが
理解できず気味が悪くなり巌勝は何も言葉を返さなかった

縁壱が去った後に母の日記を読んだ巌勝は
縁壱は自分が後継ぎに据えられると気付き予定より早く家を出ることにしたらしい

巌勝が知らなかった母の病も死期も縁壱はわかっており
母は何年も前から左半身が不自由になって苦しんでいた
縁壱は母にしがみついていたのではなく病で弱っていた母を支えていたのだった

巌勝はその時、嫉妬で全身が灼けつく音を聞いた縁壱の才能を心の底から憎悪した