攻殻機動隊でも銃夢でも、サイボーグ体になったキャラクターは「自分は本当は脳まで機械またはコピーなのではないか、本来の自分はすでにこの世にいないのではないか。自分では確認のしようがない」というジレンマと戦うものだけれど

ずっと弱い機械頼りの体で自分自身の健康なパーツは脳だけだったはずの八丸が、脳も含めて丸ごと機械に置き換えられても「これで親孝行できるぜ!」て感想しかないのが、もうコイツ人の心ないなって思わせられて怖いですよね。

猫八も全くスルーなあたり、サムライになる時点で、そこの部分に疑問持たないように人格プログラム組まれてるんだなと想像できます。
カツ八のくだりや、猫八が五十年も非効率な捜索してることからも、ロッカーボールに組み込まれているサムライOS(素の記憶をベースにした人格エミュレータ)は若干精度が低い、という解釈も可能かもしれません