そもそも宇宙は明治期に翻訳する際にuniverseの意味を当てられただけで、本来仏教用語で精神世界なんだよな
阿吽で言われる世界の始まりと終わりという要素が、そのままマンダラとパンドラに乗っていればわりと話は早くて
阿吽は右左で表されるけど、仏教世界では常に左優位、終わりの方が優位とされるわけで
何者かの意思によって動いているのなら世界は維持されるのではなく、終わらせにかかるのが自然なんだよ

つまり、このサム8世界の宇宙とは不動明王じゃなくて、例えば如来とか菩薩みたいな奴の精神世界で
アタも目的は世界征服みたいな陳腐なのではなくて、ある意味物の原理通り終わらせにかかってるのに対して、不動明王や達磨の師匠っぽいのはそれに反抗している、みたいな話の可能性はある

最大の問題は、マンダラとパンドラの位置関係が出るコマで左右入れ変わってるから、別にそういう話ではなさそうなことだ