周永康の腹心、死刑執行――劉漢兄弟ら5人(遠藤誉) - 個人 ...
タイトルHPより引用
>>99年に周永康が四川省の書記(1999年〜2002年)として赴任してくると、
>>二人の関係は一気に濃密になり、劉漢は周永康の長男・周濱とビジネス関係を結ぶようになる。

>>2001年に不正をしたとして拘束されそうになったのだが、
>>「一本の電話」により逃れることができた。
>>電話の主は、周永康。
>>四川省の書記なのだから、最高トップの座にいる。
>>書記というのは、もう少し正確に言えば
>>「中国共産党四川省委員会書記」のことである。
>>公安も検察も、そして司法さえ、中国共産党の指導下にある。
>>その「書記」が「劉漢を逮捕するな」と言えば、それで済む。
>>それ以降、劉漢の企業は爆発的な成長を見せるようになり、
>>劉漢は中国国内だけでなく、
>>アメリカやオーストラリアなどで上場する企業の主となるに至る。
>>経営する企業の数は30社を越え、
>>ついには四川省公安関係の人事まで、
>>彼のひと声で動くほど、周永康に食い込んでいった。

>>2012年11月15日に習近平政権が発足すると、
>>習近平はすぐさま四川省の汚職撲滅運動に着手し始めた。
>>その結果、劉漢は2013年3月13日に拘束され、
>>2014年2月に部下の36人とともに提訴された。
〜中略〜
>>2014年5月23日に死刑判決を受け、
>>法廷で大泣きするマフィアのボスの姿がネットを覆った。
>>8月7日に上告していたが、一審判決が覆ることはなく、
>>2015年2月9日に弟の劉維や部下3人とともに死刑が執行されたのである。