まああれだ。何かを統一しようというのは良いことだ。
だけど、統一してしまうという事は、何かに特化して手続きを増やしてしまう事と
一緒である。
特化しないで統一すると、バラバラの時よりも複雑で所によって非効率になる。

 共産主義のような統一的な経済は、国力の増幅にはうまくいく。
一つの主義を覚えてしまえば全てに通用する。
しかし、ある面では非効率で自由経済に劣る場面がある。
また革新や競争を阻害してしまう。
 自由経済は、実行効率が非常に効率が良く、革新も起こりやすい。
反面、統一がとれず全体を把握することが非常に困難であり、
実際的に不可能と言える場合もある。一時的に把握できることもあるが。
バッドノウハウだらけの経済である。
 自由経済は局所で特化することができるために効率のいい場面もあるが、
ひとたびうまくいかなくなると全体に波及したり、連鎖的な失敗が起きたりする。
基本的に常に大きなリスクを抱えている。
 共産主義が汎用的で統一されたシステムだとして、自由主義が殆ど統一をとらない
出来るに任せたシステムだとする。
 共産OSの方は、全てが統一されていて扱いやすいだろう。安定もする。
しかし、手続きが多すぎてパフォーマンスが落ちていたり、インターフェースを
一元的にしなければならないために開発コストが非常にかさむ。
 自由OSの方は、実行効率や開発効率がとてもいい。
しかし、汎用性に欠けており、移植性が悪い。保守性も悪い。なかなか安定しない。
インターフェースがコロコロ変わる。開発コストは安いが、開発者の教育に
コストが掛かる。
いわゆるバッドノウハウシステムということだ。

バッドノウハウと開発効率は一体である。
バッドノウハウの多いソフトは開発効率がいい。
バッドノウハウの少ないソフトは開発効率が悪い。
だから、バッドノウハウを否定すると言うことは、開発を止めてユーザーに
成り下がることを意味するだろう。