気づいてあげられなかった、という発想が拙そうだ。

人の気持ちや思いというものは「気づいてやる」ものではなくて
気づくものというか、ある意味気づいて当然、気づけなければ
それでオシマイってものだぞ。
「気づいてあげられなかった」とナチュラルに表現するあたりに
独善の臭いを感じる。

・気づけなかった
・わからない、そんなつもりはなかった
・記憶にない
・自分は〜のつもりだった

かなりアウトな言い訳の羅列に思えるが…
省みて、思い当たることは本当にないのか?