愛知県安城市 Part28(ワッチョイ)
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0692名無しさん (スップ Sda2-v5Rg [49.97.110.66])
2020/12/16(水) 20:52:02.18ID:jKknki+ld植物のヨシはヨシズに使われたりして有効利用されているけど、昔は葦(アシ)と呼んでいたわけで、アシは悪しに通じるから、ヨシに改名させられただけなんだよね。
「人間は考える葦である」という言葉は何時まであってもアシのままだけど。
日本は言霊の国だから、そこに拘る。
作家の伊沢元彦氏に言わせると、日本が大東亜戦争に負けたのは、言霊を意識し過ぎた軍部のせいでもあるそうだ。
追田排水とせず、追田悪水なのは、ある意味ストレートで小気味良い気もする。
>>684
>東端と西畑
>橋目町とか宇頭
密かに飛行機マニア?
東端には昔、軍の飛行機の訓練用滑走路があった。今でも地下豪や弾薬庫跡の遺跡があるね。
橋目町の三菱自動車の工場辺りも、昔、軍の滑走路。
橋目と言えば、自動車工場の隣には北野廃寺跡があり、三河に古くから中央に影響力を与える有力な豪族?がいたことを推察させる。
三菱の社宅の前には、天智天皇の皇子である(とされる)大友皇子が実は生きて落ち延びてきて、そこで(匿われて)暮らし、その後に葬られたという伝説の古墳がある。
安城の姫小川古墳の近辺にも、天智天皇の母 皇極天皇の弟 孝徳天皇の皇女 綾姫が流れついて(匿われて)暮らし、姫塚や姫小川古墳に祀られているという伝説がある。
宇頭には、 日本武尊の弟?とされる五十城入彦皇子の古墳がある。ここは三河でも数少ない宮内庁管理の古墳。
この様に、三河特に矢作川の周辺には、中央が手を出せない程の有力者がいたと思われるのだが、歴史研究がなかなか進展しない。
橋目の小針が、尾張氏に関係するのではないかとする、歴史研究家もいる。
歴史は地名に隠される一例かも?(笑)
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