安城東ができる前、当時の安高は日教組一派が幅を利かせていて、進学校ではなかった。
よって、大学進学を考えている優秀な中学生は、刈谷や岡崎や西尾等周辺市の公立へ行くか?名古屋の私立へ行くしかなかった。
そんな背景から、地元の中学教師や保護者達の熱望で、安城東が開校した。
だから、734さんの指摘の通りになった。
開校当初は進学実積の為に、文武両道を掲げながらも実質超学業優先シフトだった。
部活はそこそこにされ、授業、補習、宿題漬け。
文化祭なし。修学旅行は勤労奉仕。男女交際禁止。

東大、京大へ実積作れたころから漸く、学生が息をつける学校になったんじゃないか?