愛知県安城市 Part22
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0938名無しさん (スップ Sd8a-2g+Z)
2019/06/05(水) 10:42:52.95ID:gl1oOZbLd>足利尊氏は、後醍醐天皇を討伐すべく、鎌倉を出発した。
途中、三河の矢作川のほとりの矢作宿(三河県岡崎市)で三河の足利党19家の兵馬の出迎えをうけたが、ここで倒幕の決意を固めた。
三河人とて九州人とて、一般の義務教育上の歴史情報だけで、皇室が三河を怖れる理由を理解するのは難しいと思うぞ。
↓せめて、これくらいは補足しないと。
朝廷が、南北朝に別れた時代がある。
足利尊氏の勝利で南北朝が北朝の流れに一本化される。
その数百年後、江戸の末期、(北朝の)孝明天皇やその皇太子は、維新のどさくさに紛れて薩長によって暗殺されてしまう。
そして、長州の田布施に匿われていた南朝の末裔である大室寅之助が明治天皇としてすげ替えられる。
よって、明治天皇、大正天皇、昭和天皇、平成上皇、今上天皇は皆、系図上では北朝であるが、血統は南朝なのである。
皇居前の広場に、南朝の後醍醐天皇に就いて討死した楠正成の銅像があるのは、南朝の最後の忠臣を讃えているからである。
皇室は、その歴史に関して因果応報があるのではないか?と不安になり、代替わりがあった時などに、北朝の忠臣達の拠点である三河地区を訪れるというわけである。
(秦や海部や細川の一族から総理大臣が出てくるのも、不思議ではなくなる。)
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