>>909
この際、ついでに書いておく。

安祥周辺には志貴荘があり松平信光に制圧される前には畠山氏もしくは和田氏が治めていたようである。

畠山は遡れば秦氏にたどりつく。秦氏は弓月氏をはじめとするが、古代ユダヤ人との関連が一部に指摘がされている。
秦氏の秦は、大陸の秦に繋がり、秦の始皇帝の方士徐福はBC200年前後に来日し、其のまま日本に留まったという記録が中国側にある。
その徐福が目指したのは神仙思想の蓬莱山であるが、東三河には鳳来山がある。
豊橋・豊川周辺に秦氏に関わる史跡が多く残る。
徐福の一行は富士山方面へ移動したり、熊野へ移動したりした痕跡もある。

注目されるのは、パワースポットであるゼロ磁場地帯を生む中央構造線が、
諏訪から鳳来山や本宮山や豊川稲荷を通過し、伊勢神宮(下宮)以西に到達していることである。

また、大化の改新の推進者孝徳天皇は、不破の関より東の三河大伴を忠臣としていた。

天皇のレガリヤであるはずの、草薙の剣は天武天皇に祟るので、手許でなく尾張熱田神宮に封印される。
草薙の剣の別名は天叢雲剣。ヤマタノオロチの尻尾から出てきたとされる。剣の名は所有者を表す。天叢雲剣は天叢雲命がもっていた。

伊勢神宮神官家度会一族の祖先に天叢雲命がいる。
更に、ヤマタノオロチ伝説の原型になる話が 、なんと西尾市の八ツ面山周辺にある。徳川家康が矢作川(御川)を碧南方面へつけかえるまで、西尾の八ツ面脇の矢作古川が本流だった。
昔の矢作川は良く氾濫した。ヤマタノオロチが暴れるように。

天武天皇の妻、持統天皇は晩年老体に鞭打って三河に行幸した。鈴鹿の関、不破の関の外にわざわざ自らだ。
その持統天皇と藤原不比等は、土着の太陽神アマテルを無理無理、女神アマテラスにし、皇祖神にしてしまった。
アマテルなどを祀っていたのは元々伊勢神道の度会一族。北辰信仰に源流がある。証拠に神道の初元神は天御中主神。
藤原系荒木田氏の内宮派遣以降は、下宮のみの神官家に追いやられていく。

今上陛下は皇太子時代に、御忍びではなかったものの(偽書扱いされてきた古文書をも収集し所蔵されているという噂の)西尾の岩瀬文庫にわざわざ足をお運びになられた。地方の一文庫に。


↑妄想ではない。
ここらへんまで書けば、尾張や東三河を含めてこの西三河が霊的に重要な地域で、皇室自体が注視している理由が理解・納得できるかい?