鈴鹿市について語りましょう 其の31
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0759名無しさん
2019/02/24(日) 18:19:21.46ID:isvhwytg戦時下の鈴鹿市について、調べた時、不審に思った事柄を記す。
毎年夏、終戦の日近くになると、年配の人が、市立図書館・公民館・イオン鈴鹿店
使い、戦争に関する展示紹介の場を開く。人的被害と云えば、広島長崎の原爆展が
定番になる。本田技研工業・旭化成の関係者、九州出身の人が多く、彼らにとって
「故郷」だし、惨事であったことは確かだが、ここは鈴鹿市。鈴鹿市でも何か被害
あったならば、それ紹介すれば良いはず。なぜ、こちら鈴鹿市での出来事は、海軍
工廠の生産能力を評価する内容に始終し、被害となると、扱いが非常に小さくて、
言及を避ける?のかと。
「生存者・目撃者の証言により、倒壊した建物は***だった。死傷した人々は当時
*****の就業中だった。年齢は***で、出身は***であった。遺体は***で通夜を
営み、火葬は***であった。」ここまで具体的になると、不都合もあるのかね?
ということに気付きました。
「他の者が紹介している算所集落は、算所町に存在した岡田集落のことを指す。」
「戦時下の算所町は、現在の算所町よりも大きく、住所表記には市立牧田小学校が
含まれる。」「故人の弔いとして、弁天という名の場所に石碑が建つことは、一家
の恥と扱われる。娼婦=弁天で、身内を売った、違法な就労、という事実に気付か
れる。戦後、法事の機会はあったはずだが、人々が集まったという話は無い。」
「21世紀の現在、宗教における弁天は、インド仏教で支持されたり、日本では
年賀状の図柄に登場するが、これは人々が窮地に追い込まれた時、助けてくれる
どころか、崖から突き落とすような存在として知られる。決して縁起良いもの
ではない。他人を巻き込んで事件事故を発生させれば、他人を押し倒した分、
見返りの金品が手に入る、という考え方をする。現在の政権に不満をもつ人が
不支持の立場を取る時に使用したり、町内会を踏み台にして壮大な詐欺行為を
働く者が好んで弁天を支持する。元は、悪政を執れば国が滅ぶ、王族同士で
争えば庶民が被害を被る、という考え方だったけれど、拝金主義に解釈が染り、
商売盤上・才能開花とか本来のものとは著しく異なる教えとなった。」
このような出来事も、併せて知りました。
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