【東美濃ナンバーは田代正美20年来の東濃経済界支配の集大成】
田代正美はバロー発祥の地である恵那で経済界を牛耳っても頭打ちとして、地元
企業に恵那の経済界支配を譲り、岐阜県の拠点都市ながら衰退著しい陶磁器業が
経済界のメインである多治見で経済界を牛耳る(事実上の乗っ取り)ことにより、
東濃全域をはじめ岐阜県での経済界支配を目論んだ。

多治見商工会議所会頭は地元企業の前畑陶器の後、TYKが3期12年も支配していた。
田代はよそ者ながらカネと権力で求心力を集め、副会頭の座で長年甘んじながらも
這い上がる時期を伺っていた。そして、TYKが会頭を退任し、会頭にのし上がると
即座に多治見商工会議所幹部はこれまで名を連ねていなかった金融や流通など、イ
エスマン企業を登用し経済界の私物化を進めていった。

ところが、田代は会頭になって目立った功績を残せておらず、退任の時期も迫る
なか焦っていた。そこに千載一遇のチャンスとして転がってきたのが、ご当地
ナンバー「東美濃」だった。東濃は民力は低く、住民運動が起こる土壌が無い。
声を出す者は排除すれば良い。力のある者はやりたい放題できる東濃は田代に
とっても都合が良かったのだ。