【社会】25年に及ぶホームレス支援の活動から見えた本当の絆の在り方とは何か。 | 第三文明 奥田知志 [5/28]
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0001かじりむし ★@転載禁止
2014/05/28(水) 21:40:12.71ID:???0http://blogos.com/article/87328/
WEB第三文明<月刊誌『第三文明』2014年5月号より転載>2014年05月28日 14:07
25年に及ぶホームレス支援の活動から見えた本当の絆の在り方とは何か。
「助けて」と言える社会を見据え、その基盤となる思想を語る。
◆「絆は傷を含む」という覚悟に立つ
ホームレス支援や困窮者支援の活動を通じて感じることは、「努力が足りな
い」「怠けている」といった「助けられる側」への自己責任論とともに、「助
ける側」に向けても「助けるなら最後まで自分ひとりの責任でやりなさい」と
いう自己責任論があることです。このような自己責任論がある中では、助ける
ことのハードルが上がり、おいそれと人助けなんてできなくなってしまいます。
震災前の2010年のクリスマスの時、匿名の人から児童相談所にランドセ
ルが届けられました。いわゆる「タイガーマスク現象」です。この現象は無縁
社会にあっても「この世の中も捨てたものじゃない」と、人と人とのつながり
がまだあることを多くの人に想起させたことと思います。
たしかに行為そのものは並大抵のことではないですし、とても良い行為だと
思います。私が気になったのはそれが匿名のもとに行われたことです。この匿
名性の中に「これ以上関わると危ない」というような出会いの回避があったの
ではないかと感じています。
つまり「子どもたちの役にたちたい」という思いとはうらはらに、直接子ど
もたちと出会ったら「もう知らない」とは言えなくなってしまうことを恐れ、
一歩踏み込んだ顔の見える関係へと踏み出せなくなってしまったのではないか
と思うのです。
たしかに直接出会うことで時には傷つくこともあります。実際に私どもの支
援の場でも、よかれと思ってしたことが「こんなもの必要ない」と言われてし
まうことが何度もありました。
しかし、私はその傷つくことも含めて絆≠セと思います。誰かが自分のた
めに傷ついてくれる時、「自分は生きていていいのだ」と確認することができ
る。逆に自分が傷つくことで誰かが癒やされると知る時、そこに自分の存在意
義を見出すことができる。本当の絆とは、こうした自己有用感や自己尊重意識
で構成される相互性を持つものです。
だからこそ、私は「絆は傷を含む」ものだと言い続けてきました。このこと
を覚悟しない限り、本当の絆を結ぶことはできないと思います。
(以下略。詳細はソースにて)
省略部分の見出し:
◆「助けて」と言えない子どもたち
◆弱者から次代の花形が出る
◆傷を分かち合う社会の仕組みづくり
0002名無しさん@13周年@転載禁止
2014/05/29(木) 21:06:54.51ID:CUvawuGm0■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています