川沿いの土手ではガードレールがゆがみ、道路のアスファルトは剥がれていた。
ダム放流のサイレンが鳴ったら川に近づかないように、という警告の看板も、
道路に刺さった支柱が根元からなぎ倒されている。濁流の威力を物語っていた。

 ◇目に見えない豪雨の傷痕深く

 野村小学校の避難所で夕食と風呂を済ませて戻ってきたいとこが「これからどうしよう」
とつぶやいた。豪雨から1週間、着の身着のままで、近くの川で水を浴びながら過ごし
ていたという。ようやく人心地がつき、これからのことを考えるようになったのだろう。
自宅は元通りにするのか。畑はどうするか。「直すにも、壊すにも金がかかる。
どうしたらいいんだろう」

 高齢者の多い野村地区では、自宅が無事でも水害を機に農業や酪農業をあきらめよう
と考える人もいるのだろう。体育の水泳ができなくなった学校もある。豪雨が地域に
残した爪痕は、目に見える被害だけではない。

 とはいえ、心和む瞬間もあった。

 夕方、野村小学校で涼んでいると、自衛隊の男性隊員が「タオルがなくてもお風呂に
入れますよ」と声をかけてくれた。お礼を言って断ったが、被災者にとっては心強い
だろうと感じた。

 被災した人々はすれ違えば部外者の私にも会釈をしてくれるし、作業の合間には
ボランティアの方々との会話も弾んだ。伯母は「ボランティアに来てくれるって、
本当にうれしいのよ。いつか逆の立場になったら、私も行ってあげたい」と言う。
疲労と不安の中に、たくさんの優しさと支え合いがあった。人々が意外に明るかった
のは救いだった。