武田勝頼 part41
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0086人間七七四年
2021/11/27(土) 22:38:21.18ID:Nr3Bb+Xw>穴山党から目立った死者が無い、
それ、比較的、って事じゃないの。
>朝比奈三郎右衛門、諏訪部助右衛門尉
この二人が倒された事は、さすがに平山氏も知ってるでしょ。学者さんなめすぎだと思う。
>右翼の土屋・一条・穴山が第三陣まで突破
軍鑑だと、第2の柵まで突破、みたいな感じじゃなかった?第三陣まで破ったら、信長の本陣まで行っちゃうんじゃ。
>穴山信君は河内国人衆とも繋がりが深く長篠戦後彼らの為に徳川と交渉したという逸話
軍鑑で言うと、第何品の話?ついでに、河内は穴山の領土だから、君の言う逸話が仮に本当にあるなら、自身の領土の関係者を助けただけの話だと思うよ。自身の領土の関係者を助けるのは、そこまで不可解な話じゃないでしょ。
結局の所、軍鑑の品52において、穴山が戦わないで退いたように書いているのは、
上にも書いたように、比較的、って事じゃないの。あるいは、部隊を敵軍勢まで接近させて激しくやりあうような戦いはしなかった、って事じゃないの。
前を行く味方軍勢についていく事とかはして、流れ弾とかで家臣が倒される事はあったとしても、そんなに前線に立って激しくやりあう事はしなかった、みたいな感じじゃ。
実際に、軍鑑では真田や馬場や土屋が激しく戦っている描写はあるけど、穴山については、そんな描写ないように思うけど。
君が挙げている倒された穴山関係の二人の武将だって、土屋の軍勢の関係者や、真田の軍勢の関係者の方が、多く倒されてると思うから、
やっぱり穴山は他の軍勢と比較して、そんなに激しく戦ってなかったんじゃないの、とも言えるんじゃないか、と思うけど。
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