織田はおそらく敵が誰かとか気にせずに鉄砲の連射で応じたと思われるけど、信長公記だと武田軍の攻撃順は
山県→武田信廉→小幡党→武田信豊→馬場信春
注目は馬場が最後の攻撃に記されているところで、甲陽軍鑑では馬場は右翼の一番隊になってる。それが最後ってのは多分崩壊した武田中央軍と右翼軍の残存兵力を結集して攻撃してきたんじゃなかろうか。
馬場が攻撃してきた時点で右翼は二番三番隊隊長真田兄弟、四番隊隊長土屋が討死、五番隊穴山衆からも死者が出てるという最悪の状況だし…