>>713 >>712
また変な事を書いてるように思うけど、実際には、勝頼の長篠での立場で考慮しても、
軍鑑で武田の重臣達の多くが設楽での決戦に反対してたように思われる事からも、
あの状況で決戦する必要性はなかったように思うけど。
仮に第三次包囲網で毛利や上杉が参戦してくる事を勝頼が想定しなくても、
武田は対上杉に一万もの軍勢を、軍鑑だと長篠の時には信濃に置いてたようだから、
こんな不利な状況で戦う必要はなくて、戦力を温存しつつ次の機会を待つ、というのは、
普通に考えられそうな事だと思うけど、それで君は君の論旨に反対する人をレッテル貼りしようとしても、
しょうがないように思うけど。

>>707
だから、そもそも当時の状況だと、織田徳川勢自体が、設楽から長篠城までの道のりが険路で、
移動が厳しくて近づけなかったようなのに、そんな事書いてもしょうがないと思うけど。
しかも、>>311にも似たような事を書いたけど、三河物語とか読むと、長篠城周辺から設楽まで行く道に、
途中の川を渡る橋が一つしかなかったようだから、その橋を破壊してから撤退すれば、
設楽の織田徳川勢はただでさえ距離の遠い武田勢が撤退したのを追いかけながら、途中で橋の修復をして、また追撃しないといけないから、
普通に考えたら、少なくとも史実よりは多くの武田勢が信濃に帰れると思うけど。
下手したら、織田徳川勢主力とろくに戦闘しないまま、信濃に帰る事も出来そうに思うけど、どうかな。