そして長篠の戦いの時、長篠住民は織田徳川に協力する事を選んだ。だから長篠にいた元武田領住民ってのは武田から逃げて来たんじゃないかなと思う。
まず、設楽原防御陣の建設への協力。そしてそこで見たモノを武田軍には決して伝え無かった。
また鳶ヶ巣山砦攻略戦では設楽貞通が選んだ住民が道案内をしたという。
こうして織田徳川に住民が力添えをしたという話がある一方、武田に力を貸したという話は聞かない。なんかあるのかな?
長篠住民が織田徳川に親密なのは設楽貞通が徳川派であること、苛政の武田を嫌ったことの他に信長の対応も考えられる。信長は長篠住民から板戸や畳を買ってそれを盾に使ったというが、しっかりカネを払うのが信長の戦略だったのだろう。
当然、馬防柵建設の賃金も弾んだはず。最後は資本力がモノを言ったか。