信長は設楽原に着くや否や防御陣地を構築してる
それは第一陣は2キロ、それを第三陣まで構築した。しかも第二陣からは銃眼まで設置。武田軍を根切りにする為に鉄砲も大量配備。
これだけの資材は以前から用意発注してないととても集まらない(しかもこの陣地は十九日には完成してる)
信長が布陣した極楽寺は連吾川までを広く見渡せる絶好のポジション。信長が以前より長篠の地形を良く知っていたからこそ出来たこと。
設楽原保存会は「現地の地形に詳しい者が居たはず。鳥居強右衛門の話と関係あるのか?」と書いてるけどまぁ徳川家康だろう。
家康には長篠の国人衆、設楽氏がついてる。そこから地形情報を得て戦術を練り上げた。
十八日の到着以前から作戦が動いている以上、信長が長篠の地形を知らない云々は否定される。