菅沼くんの間違いを解くと、
1 信長は十八日に到着すると同時に極楽寺に布陣し馬防柵を設置、堀や銃眼を設置させ鉄砲隊に攻撃させ武田軍を前進させてる。馬防柵の距離は「連吾より浜田」約2キロになる。更に鉄砲は数千丁に及ぶ。明らかに防御陣地(厳密には「防御」では無く「攻撃」陣地)で戦うのが信長の意図である(岐阜から資材を運んだなら以前からの計画)
2 長篠城は決して降伏しない。何故なら奥平信昌は人質を武田に殺されてる。だからこそ2週間も耐え抜いた。後詰が来た今、開城したら武田と織田徳川に殺されかねない。死力を尽くす覚悟であるが故に長篠城は落ちない。
3 長篠城周辺には武田軍が防御陣地を構築する場所が無い。長篠から西は有海台地が邪魔で敵の動きがわからない。更に別所街道を抜かれると武田軍は絶体絶命となる危険過ぎる場所である。逃げ場が山しか無くてとても逃げられない。