信長がこの合戦にあたって鉄砲数千丁をかき集めてる。同然玉薬は十何万発、下手すりゃ何十万発も撃てる様してたろう。
更に柵は約2キロ。木材だけで膨大な量になる。
これを信長は岐阜から持ってきた。根拠は「長篠にそんな木は無かったはずだ」というものだけど
理論的に考えれば徳川にも頼んで準備したんだろう。でも徳川とて「出してくれ」で出せるとも思えん。かなり前から頼んでたはず。
つまり信長の脳内では既に設楽原決戦の絵図は描かれていた事になる。唐突に戦争するハメになった武田とは違って。
勝者は必然的に勝ち、敗者は運命的に負けるってところか。