信長が長篠を知り尽くしてる証拠はその行動にある。
十八日に着陣した信長は極楽寺に布陣してる。ここからは設楽原連吾川一帯を見渡せる絶好の場所
同時に連吾橋より浜田まで柵を建てさせてる(長篠日記)更に柵は三重、銃眼まで備えた絶対防御陣地となる。
更に鉄砲隊を武田軍陣地に派遣して鉄砲攻撃を実行させる。これにより武田軍は退却不能に陥る。
信長の一連の動きは明らかに長篠の地形や武田軍の布陣を知り尽くしてないと説明出来ん。
設楽原を決戦の場に選んだのも含めてね。