北條上杉の関東戦争の経過を概観するに、
・北條は「郷村基盤の確立維持による領国強化」
・上杉は「領国拡大によらず即物的な利得獲得による救貧」
が基本戦略かと思う。
両者とも深刻な自己矛盾を抱えつつ、戦国大名の政策・戦略に於いて隣接する両者が何の因果か両極端に立っていて、それだけに関東戦争はイデオロギー闘争としての性質が強い。

「甲陽軍鑑」の記述などからすると(史料の性質上信頼性は留保付きだが)、武田はやや上杉寄りだったように見える。
それが或る時点を境に北條方向へ変質していったようにも感じられるが、より俯瞰的には信縄/信虎路線への回帰とも云えないことはない。
その契機が政治的事件なのか環境/社会的事件なのかに注目して色々と渉猟し始めた。