設楽原の馬防柵は2-3キロ造られていたと思われる。武田軍が柵のあるところしか突撃出来てないから。しかもそれは三重だった。
とすると丘陵部であることをかんがえてマルっと5キロとして、高さ20メートルの木が250本必要…
柵なんだから複数の木材を組み合わせるとして300本くらいは必要だったはず。
どこからそんな木材を取ってきたんだろう?
設楽原についてから伐採したんじゃ間に合わないだろうし、やはり岐阜から持ってきたのか。
一番現実的なのは家康が前もって集めてたんだろうけど。