武田勝頼part40
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0001人間七七四年
2021/11/15(月) 23:27:04.48ID:NfIypezJ過度な長文は控えましょう
あんなへっぽこ武将に仕える兵は気の毒じゃ
※前スレ
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1635082289/
0002人間七七四年
2021/11/15(月) 23:28:16.92ID:4VWoDzSk0003人間七七四年
2021/11/15(月) 23:32:16.93ID:E5bXkUUb信長公記の中の訳について語ってたのに、最後は訳について語れず煽りと、個人の見解に変わっててワロタ
負け犬やなw
0005人間七七四年
2021/11/15(月) 23:41:27.59ID:E5bXkUUb信長公記の中の武田から見えないように兵を隠したという信長の計略は何のためにやったか説明してくれ
むしろ武田殲滅のためにどうにかして誘き寄せたくて嵌める気満々だったから
兵を隠したんだろ?
菅沼と一緒で信長がやる気なかったようにしたいんだろ?
0006人間七七四年
2021/11/16(火) 00:11:41.78ID:kxrn3kWf特に北条相手には逆に削り取ってた。
そこまで無能かな?
親父が北条と再同盟して織田を裏切ったのが大失敗だったという結論にしかならないが。
0007人間七七四年
2021/11/16(火) 00:22:06.02ID:KUHIZwFc武田が西から削り取った分東に拡がる北条。
伸ばした偽手(支城領)が各々自律運動機能(氏照、氏邦、氏規、他)を有しつつ全体として整合的に動く。
粘菌か何かか、あれは。
0009人間七七四年
2021/11/16(火) 00:38:17.98ID:KUHIZwFc「無能」とか「親父が」とか、物事を個人属性に帰して事足れりとするのは軍記脳や司馬厨やゲーム脳の通弊だ。
そういう愚者になりたくないんなら事象考察に当たって先ずは記名性を全て切り捨てること。
武田なら武田を含む「構造」を、それこそ自然環境条件やそれによる社会情勢まで遡って設定して、
政治/軍事事件はその構造の末端露頭として考えること。
個人名など構造内の要素に付された識別記号に過ぎない。
0011人間七七四年
2021/11/16(火) 01:01:43.28ID:72qPFCC8信長が激怒したのも信玄の不義理についてだよね
0012人間七七四年
2021/11/16(火) 03:21:20.93ID:W+jJYsD1信玄の不義理なんかいつものこと
今更でしかない
諏訪から始まり、長尾、今川、足利、徳川、北条、そして織田
信玄と関わる奴らはみんな被害者
信玄の本質を見抜けない奴らも悪い
0013人間七七四年
2021/11/16(火) 12:08:46.56ID:XISr+pnW主に北条が御館の乱で景虎派の武将から奪ったとこぐらいじゃ?
0014人間七七四年
2021/11/16(火) 12:46:38.97ID:KA00SXIfとすると丘陵部であることをかんがえてマルっと5キロとして、高さ20メートルの木が250本必要…
柵なんだから複数の木材を組み合わせるとして300本くらいは必要だったはず。
どこからそんな木材を取ってきたんだろう?
設楽原についてから伐採したんじゃ間に合わないだろうし、やはり岐阜から持ってきたのか。
一番現実的なのは家康が前もって集めてたんだろうけど。
0015人間七七四年
2021/11/16(火) 12:58:47.78ID:DULeel7z>設楽原の馬防柵は2-3キロ造られていたと思われる。
思われてない
連合川沿いはほとんど水田だから不要
田道や丘沿いに柵を立てた
0016人間七七四年
2021/11/16(火) 13:05:38.12ID:LbRBe8BF0017人間七七四年
2021/11/16(火) 13:48:48.26ID:XlqRLsZf0018人間七七四年
2021/11/16(火) 14:14:09.96ID:KA00SXIf甲陽軍鑑だと三重だったらしいが。
0019人間七七四年
2021/11/16(火) 14:42:03.26ID:PknEbdj/初見で距離感まではわからなかったぞ
0020人間七七四年
2021/11/16(火) 15:38:09.08ID:F4wJzgBN0021人間七七四年
2021/11/16(火) 15:51:37.24ID:xTM54y4t0022人間七七四年
2021/11/16(火) 16:49:47.97ID:AY3cpE++0023人間七七四年
2021/11/16(火) 17:29:30.95ID:TAc628Y+決戦要求出てきた相手が動かないから「打つ手無し」と思い込んだとか…
まぁそしたら史料なりなんなり残ってるか…
0025人間七七四年
2021/11/16(火) 20:26:00.00ID:/jTn07bK段段に隠したのは兵力を過小に誤認させるためでしょ
信長はできれば決戦をしたかった
でも相手も馬鹿じゃないからでてこないだろうと思っていたらのこのこやってきたので喜んだ
そう記録してあるじゃないか
0026人間七七四年
2021/11/16(火) 20:33:04.70ID:Ty0eM+Igアホな奴が信長はやる気なかっただの言ってたが、信長は最初から武田を殲滅するためにアレコレ策を打ってたんだよね
金子拓の本から信長は意図しなかっただの捏造してたアホがいたが
武田贔屓の平山でさえ信長が兵を隠したことが奏功したと書かれる有り様w
0027人間七七四年
2021/11/16(火) 20:48:41.98ID:DULeel7z0028人間七七四年
2021/11/16(火) 20:49:20.17ID:/jTn07bKまず一番大事な戦略目標は長篠城の解放と武田の撤退
それだけでも十分だったのに決戦に乗ってきたからありがたいわね
しかも後方を押さえたから相手は容易に引くに引けぬ
0029人間七七四年
2021/11/16(火) 20:53:45.41ID:xTM54y4t三方ヶ原が3000
高天神城1574が2万だったから、長篠では2万くらいと考えていたのかな
0031人間七七四年
2021/11/16(火) 21:02:52.99ID:Ty0eM+Ig鉄砲隊派遣して節所だと分かる18日の前の15日の時点から細川に武田を根切り(殲滅)すると書いてるんだから武田を殲滅する気満々
それで殲滅したいがために信長は兵を隠したりアレコレ策を打った
最初から武田を殲滅したいという戦意は高かったのがわかる
0032人間七七四年
2021/11/16(火) 21:14:00.88ID:wbitVZUQ陣地築いてじっくり攻めようとしてただけでどうしようもないってことはないだろ。
川で部隊が分断されてるから鳶の巣山砦攻められたら防ぎようがないってのは変わらないし。
0033人間七七四年
2021/11/16(火) 21:17:02.54ID:/jTn07bKそりゃそうなんだけど
とびのすに籠られてたら手出しはできなかった
もしくは大損害を覚悟だったろう
もちろん、釣り出す布石はさまざま打っていたが、まさか本当に正面に出てくるとは思ってなかったんじゃないかな
長篠解放が戦略目標で、それが達成されれば不満はない
四郎が馬鹿すぎる
0034人間七七四年
2021/11/16(火) 21:21:38.62ID:Ty0eM+Igそもそも撤退させたいなら兵を隠さずに全軍見せてこちらの数の利、敵の不利を示せば良かっただけだし
釣り出して挟撃することが目的なら信長の目的は殲滅だと分かるはず
0035人間七七四年
2021/11/16(火) 21:27:32.38ID:/jTn07bK発想が短絡的なんだわ
軍事を理解していないというか
軍事ってのは相手にこちらの要求を強要させる政治の一手段に過ぎない
もちろん、信長はできれば決戦したかったし布石も打っているが、四郎が乗ってこなければできなかった
そう史料に書いてあるでしょ
0036人間七七四年
2021/11/16(火) 21:30:49.74ID:wbitVZUQ西側包囲の有海村の山県穴山は退路が限られているため進軍してきた連合軍に殲滅、
って感じで長篠城北側の本隊は逃げられるだろうけど、それでもかなりの損害になったと思うが。
0037人間七七四年
2021/11/16(火) 21:32:18.14ID:Ty0eM+Ig史料にも15日の時点から根切りといい、長篠の戦いは信玄などの不義理にや近年の鬱憤を晴らす戦だったと書いてる
史料見ずに脳内軍事を語ってるのはお前な
0038人間七七四年
2021/11/16(火) 21:36:37.25ID:/jTn07bKそこら辺の文句は信長の口癖だから
ほかの史料も読んでみればいい
一応言っておくが、信長は決戦をしたかった
ただ、それの選択権は四郎にあった
公記にはそう描写されているし、他とも整合する
軍事的常識とも
0039人間七七四年
2021/11/16(火) 21:38:20.76ID:Ty0eM+Ig自分が軍事を理解してるつもりなのか
信長は兵を隠したり色々策を打ったりしていて
駄目なら次の手、次の手と戦況が変わるのが普通なのに
信長があのまま動かずボーとしてるのがお前の軍事という奴?
発想が一番短絡なのはお前だろ
0041人間七七四年
2021/11/16(火) 21:44:05.77ID:KA00SXIf設楽原での馬防柵は連吾川から浜田まで築かれていた。
具体的には連吾橋が南端(山県が「柵の無いところ」を攻めようとして連吾橋を迂回して南進してるから)となる。北端の浜田は現在地名が無いが森長か浜田屋敷とのこと。
これを繋げると長さは2キロを超える。これが第一柵なら相当長く勝頼本陣からすればさてどうするかと迷いそうだが…
現在設楽原にあるのは保存会が設置したレプリカで記録にあるものを一部再現したらしい。
0042人間七七四年
2021/11/16(火) 21:45:05.13ID:NaOvF4Nwまあ信長に限らず他の武将でもよく使われるフレーズではあるけど
根切が使われてる信長の書状は約1400通ある内の6通しかないから口癖は言い過ぎかな
0043人間七七四年
2021/11/16(火) 21:49:46.97ID:NPpKDSnn0044人間七七四年
2021/11/16(火) 21:51:22.18ID:Ty0eM+Igちはみに鳶ノ巣は川にも囲まれてないし酒井の4000の別動隊が山を遠回りしたルートでも攻められた
発想が短絡的なのはお前な
しかも手出し出来なかったなんて書いてねーよ
0045人間七七四年
2021/11/16(火) 21:51:34.76ID:/jTn07bK太田が「とびのすにいたら手出しできなかった」と書いて、のこのこ出てきたら信長が「天運じゃー」と続いてるんだけども
大規模野戦は双方が望まないと生起しない
信長はいろいろ手を打ってはいたが、なぜこんな単純なことが理解できないのか不思議だわ
0047人間七七四年
2021/11/16(火) 22:00:02.27ID:/jTn07bK信長文書の研究がいま手元にないのであれだが
鬱憤を散ずなんかは公記にも頻出する
>>44
「とびのすにいれば何にもできなかったのにー」、もしくは別の写本かなにか知らないが「何もできなかっただろうにー」と書いてあるんでしょ
君はね、起こった事実、結果を知った上で語っているだけ
あそこで決戦が起きない世界は普通にあり得る
というかそっちの方が普通
0048人間七七四年
2021/11/16(火) 22:00:09.23ID:Ty0eM+Ig何れともなすべからず侯ひしを
手出しできなかったじゃなく、仮定文だから、史実のような結果(優劣)にはならなかった、な
0049人間七七四年
2021/11/16(火) 22:02:02.84ID:DULeel7z違います
信長公記のどの訳もあんたのように訳してません
いずれともなし=優劣つけ難い
史実のような結果にならなかったなんて意味はありません
優劣つけ難いなのに、あの大勝と惨敗の結果にはならなかったなんて意味は全くありません
0050人間七七四年
2021/11/16(火) 22:02:23.97ID:wbitVZUQ0051人間七七四年
2021/11/16(火) 22:04:05.04ID:Ty0eM+Ig>君はね、起こった事実、結果を知った上で語っているだけ
>あそこで決戦が起きない世界は普通にあり得る
お前も自分で仮定文使ってるが史実の決戦が起きた「結果」と自然に比較してるよな?
仮定文というのは、そういうことなw
0052人間七七四年
2021/11/16(火) 22:07:25.78ID:Ty0eM+Ighttp://home.att.ne.jp/sky/kakiti/shincho11.html
>この川を前に当てて鳶の巣山に陣を張っていれば、勝頼はその後の惨劇を見ることはなかったはずであった。
ここではこう訳してるみたいだけどなw
0053人間七七四年
2021/11/16(火) 22:08:38.95ID:/jTn07bK仮にそう訳しても、きみの論は破綻してるでしょ
そもそも、なにが論の主軸なのかも分からないんだけど
信長は英雄だから必ず決戦に持ち込んで大勝できたはずだ!と言いたいのか?
確かに結果はそうなったね
としか返答のしようがない
他の人はその先の話をしてるんだが、理解できる?
0054人間七七四年
2021/11/16(火) 22:09:24.87ID:DULeel7z用語の意味からして間違ってる
要約したら以下の通り
「勝頼が川を前にあて、鳶が巣山に陣取っていれば優劣つかなかったのに、長篠城に備えを残して滝沢川を渡り設楽が原に陣取ってきた。信長は天の与える所、悉く討ち果たそうとおっしゃった」
0057人間七七四年
2021/11/16(火) 22:14:11.15ID:Ty0eM+Ig現実の織田の大勝は否定する文だよ
お前が>>33でも言ってるようにお互い損害が出る戦になるかもしれないのを否定するもんではないよね?
史実の結果を否定しているだけで
「手出しできなかった」とは訳さない?お分かり?
0058人間七七四年
2021/11/16(火) 22:15:27.33ID:wbitVZUQ流石に鳶の巣山に武田本隊いれば
酒井の奇襲隊程度で蹴散らすことは出来ないだろうし、それ以上の大軍で山越えは難しいだろうし、
狭い別所街道から攻めても攻めきれないだろ。
0059人間七七四年
2021/11/16(火) 22:16:20.81ID:NaOvF4Nw公記にもちょくちょく出てくるのは知ってるが具体的にどれくらい出てくるのか数えたことはないから公記の方は把握してないわ
信長発給文書の方は前に調べたことあるんで多分間違いないと思う
鬱憤を散じも今軽く調べてみたが多分3通
こっちは今ざっと調べたものだからもしかしたら抜けがあるかもしれん
根切が出てくる信長書状
・(天正2年)7月23日付河尻秀隆宛織田信長朱印状写
「種々一揆共懇望仕候へとも、此刻可根切事候之間、不免其咎候」
・(天正2年)8月5日付長岡藤孝宛織田信長朱印状
「大坂根切之覚悟専用候」
・(天正2年)8月7日付河尻秀隆宛織田信長書状
「願證寺これも落居程有間敷候、色々わひ候けにて候、中々取上ましき由、堅申付候間、可為根切候」
・(天正2年)9月30日付織田信長黒印状
「彼院家并下間父子・平尾坊主父子三人、是等者舩ニ蟄居候を捜出、於目前刎首候、
相紛迯延候者共、自方々歒之首到来候、連々如申根切迄候」
・(天正3年)5月15日付長岡藤孝宛織田信長黒印状
「於無敗軍者、所与天候条、可根切候」
・(天正3年)5月20日付長岡藤孝宛織田信長黒印状
「十八日押詰鉄炮放候、通路も不可合期候、却而擒候、此節根切眼前候」
鬱憤を散じが出てくる信長書状
・(天正3年)7月20日付村上国清宛織田信長黒印状写
「甲州武田事、旧歒候条、被散欝憤度候間、信長同事ニ馳走候様ニと連々承候」
・(天正3年)5月26日付長岡藤孝宛織田信長黒印状
「近年之散欝憤候、連々如申候」
・(天正3年)11月28日付佐竹義重宛織田信長朱印状
「而去五月、於三・信堺目遂一戦、甲・信・駿・上之軍兵多分討果、散欝憤候」
0060人間七七四年
2021/11/16(火) 22:22:17.11ID:Ty0eM+Ig>「勝頼が川を前にあて、鳶が巣山に陣取っていれば優劣つかなかったのに、長篠城に備えを残して滝沢川を渡り設楽が原に陣取ってきた。信長は天の与える所、悉く討ち果たそうとおっしゃった」
優劣とは何かって話な
仮定文だから史実の織田の大勝、武田の惨敗を否定しているだけで
織田、武田お互い被害が出る戦とも、武田の撤退&長篠城救出成功かもしれない
「手出しできなかった」とは訳さない
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