四戦紀聞が信用出来ないのはそうなんだが、
堀についての記述があるのは長篠合戦記とこれを基にした四戦紀聞くらいしか無い、ってのが厄介なんだな。
信用出来る史料、信長公記・三河物語・甲陽軍鑑の中で堀に触れてるのは三河物語だけでそれも目の前の川を堀代わりにしたという記述のみ。
設楽原陣地を構築した織田もそこに突っ込んで死者を出しまくった武田も堀には触れてない。
だから史料を純粋に信じる立場になれば空堀なんか存在しないということは出来る(長篠合戦記は後世の作り話とするしかないが)
ただ、馬防柵が騎馬隊対策だったという説は否定されて久しい。織田徳川共に警戒してるのは武田の歩兵部隊だった訳で、そうなれば歩兵突撃を防ぐ為の手段は可能な限り使ってたろう。
なら堀があったというのは真実だと思われる。置かない理由が無い。