鳶ヶ巣山砦が朝8時に攻撃された、ってのは信長公記の記述なんだけどあんまり信用したくないんだよなぁ。
五月二十一日、今の六月だと3時には明るくなって8時には完全に明るかったはず。
そんな中四千五百という大人数の接近に気付けないってのは武田兵は何見てたん?って話になる。
しかも鳶ヶ巣山砦が攻撃される可能性は非常に高い。別所街道が徳川支配だからね。故に医王寺山に陣を張ってたわけで。
武田本隊が動けば、敵は絶対鳶ヶ巣山を攻撃してくる。なればこそ三千人も割り振ってた訳で。
砦という防衛施設もあるのに、鎧袖一触に粉砕されて全滅してる。朝の8時にそんな無様を晒す程武田軍が落ちぶれていたとは思いたく無いんだが…