村越の口上に福島、黒田らは発憤して、犬山城、竹ヶ鼻城、岐阜城を落とし、岐阜と赤坂の先で石田方と対峙した
このままだと戦後の発言力が低下すると恐れた家康は急ぎ西上してきた
西軍も、伏見、田辺、津、大津を落としたが、輝元は戦後の発言力確保をはかるため、みずから大坂から美濃へ出向く考えあってしかるべきところ、なかったようだ
また、当日、南宮山から悠然と立ち去る毛利勢を見て、黒田長政は、怒りが込み上げた。かれらは、かすり傷一つおっておらず、中には汗も掻いていない者すらいたのである。
━━なんてことだ。こいつらは、合戦中投げやりに過ごしたのだ。