関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part23
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0001人間七七四年
2019/04/15(月) 07:50:51.22ID:AwHFP63g前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part22
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1549630474/
0008人間七七四年
2019/04/15(月) 07:57:32.97ID:AwHFP63g東軍21000〜23000対岐阜城2000〜3000.
それでも戦力比7〜11倍。単純に戦力比で落ちてもおかしくない計算。
それに加え敗走後の低士気状態、秀信の微妙采配、守備兵戦力分散、
ろくにしてないであろう籠城準備(野戦築城含む)
そりゃ1〜3日で落ちるだろう。
これを島津義弘1000を加え、8000で籠城準備もするなら落ちないか、落ちても東軍は甚大な損害を被ると見る。
29000対8000でも戦力比約4倍。この条件での攻城例がほとんどないように、一般的にこの戦力比、
守備兵数で力攻めは考えにくい。それでも力攻めするならその根拠を提示すべき。
0009人間七七四年
2019/04/15(月) 07:58:03.27ID:AwHFP63g798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 15:21:52.18 ID:aAd9kU2e [2/6]
それから8月19日付井伊直政、本多忠勝宛黒田長政、徳永寿昌、奥平貞治連署状からは
村越茂助の件もあってか木曽川渡河は成功しようが失敗しようが損害が多かろうが
相当の覚悟で敢行するつもりのよう。
木曽川渡河美濃進攻を「天下之勝負」と捉えているみたい。
なので、多少の戦力差(目安としては1.5倍くらいまでか?)なら後詰決戦に応じる可能性は
けっこうあるように思える。
もちろん合理的判断で清洲に撤退する可能性もある。五分五分と見る。
438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/19(火) 14:11:49.52 ID:KJmLICXK [1/3]
上のほうで東軍先鋒が大坂や大垣城より援軍来たら退くって言ってる人いるが
徳川家康文書の研究 中巻 8月22日付文書によると
井伊直政と本多忠勝の戦況報告では竹ヶ鼻城を落とし、
明日岐阜城を包囲して攻撃する予定であること、
来ないと思われるが万一大坂から後詰が来た場合は先にその援軍を抑えて大垣城を攻撃すると家康に送っている
もし大坂方から後詰が出たならば、岐阜は押し置き、まずは後詰の軍を食い止めて
大垣城に付け入って乗り崩す。
これも諸将は評議で一決した。
※付け入って とは、敗走する敵を追撃し、そのまま敵の城に攻め込む戦法
とある
岐阜城後詰め決戦は発生するよ 岐阜城は付け入り戦法されたからすぐ落ちた
■■2■■
703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/22(金) 13:14:03.72 ID:jiua8RjV [14/17]
岐阜城が落ちず秀信軍が無傷で健在
墨俣付け城も27日の宇喜多到着で攻めに転じることができるので付け城阻止
9月2日の大谷吉継ら到着で完全に上回ることができるので
木曽川の西から東軍を駆逐でき木曽川を挟んでの大軍による渡河防衛が完全に機能し
関ヶ原でのぶつかり合いが木曽川になり
大軍通しの戦いでも関ヶ原と違い渡河防衛では渡河部隊との少数の戦いになるから完全に膠着
後は大津城を降した名将の立花宗茂らも合流
膠着になると上杉が最上を降しフリーになり野心ギラギラの伊達もどうなるか…
■■3■■
810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 22:35:55.59 ID:aAd9kU2e [5/6]
それと木曽川挟んでの膠着状態になった場合、東軍はおそらく犬山城を狙ってくる。
西軍はすみやかに伊木山、鵜沼を占拠し野戦築城、犬山城にも援軍送って増強するべき。
対秀忠でおそらく最前線になる。
伊木山に毛利秀元&吉川広家、鵜沼に小西あたり配置するといいかも。
個人的には家康、秀忠が来る前に和睦するのを強く推したい。
812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 23:24:51.03 ID:aAd9kU2e [6/6]
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着後西軍のなすべきことは木曽川渡河迎撃と秀忠迎撃。
正直兵力が足りない。
対前田は以前にも述べたように田辺城組を敦賀に5000、北ノ庄に1万ほど援軍派遣すればいいと思う。
前田利長は利政抜きでおそらく兵18000〜2万(丹羽3000を付け加えるなら21000〜23000)と思われるので、
北ノ庄の16000〜17000、敦賀5000で抑えられると思われる。
この情勢なら双方とも積極攻勢はしないと思われる。
おそらく北ノ庄で対陣。
大津組の立花、筑紫、小早川秀包計5000は美濃方面に向かうと思われるが
毛利元康はわからない。この情勢なら輝元、元康は美濃に出陣すべきだと思うが。
小早川秀秋の動向はまったくわからない。
輝元、元康美濃出陣ならなんとか兵力は足りる。
0010人間七七四年
2019/04/15(月) 07:59:41.51ID:AwHFP63g原案たる叩き台は以前のスレに出てた>>7
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>8
岐阜城早期落城させない為の手段が>6の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
岐阜城の想定籠城期間は2週間。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、石田援将河瀬、松田ら1000、島津義弘1000、計8000
大垣城:石田5700、小西5000、計10700
8月27日に宇喜多18000が大垣到着、
9月2日 大谷ら9600関ヶ原山中村着陣
9月1〜3日頃 白瀬峠経由ではなく関ヶ原、垂井経由で相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら(3000〜5000大垣入城
9月7日毛利秀元、吉川15000、安国寺1500、長束1000、長曾我部2100ら伊勢方面隊19600南宮山到着。
東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>7の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>9の1
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>9の2のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>9の3
なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>6の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か
東軍
史実通りの最速で家康本隊が清洲到着9月11日
岐阜城到着9月13日(江戸清洲間を11日間走らせたための休息1日とった)
史実通りの最速で秀忠の美濃到着は9月18日前後
家康本隊と秀忠隊がいない8月下旬〜9月上旬までに東軍先鋒隊を壊滅させることができれば西軍に勝ち目が出てくる
壊滅できなければ木曽川より西側から東軍を駆逐しての大軍による渡河防衛での膠着になる
8月下旬〜9月上旬までが勝負
0011人間七七四年
2019/04/15(月) 08:00:35.91ID:AwHFP63g岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/4567.pdf
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/3-4567.pdf
山上部・山林部の分布調査では、金華山及び周辺の山の尾根線上に多数の遺構が存在すること
が明らかになりつつあり、その多くが絵図に描かれた砦と対応する。また絵図や文献の検討の結
果、江戸時代に尾張藩が管轄した範囲が戦国時代の直接の城域である可能性が高く、その大半が
現在の金華山国有林として受け継がれていることが判明した。城下町を取り囲む惣構の土塁はこ
の直接の城域に対応しており、城と町が一体として成立・機能していたことを示唆している。調
査成果から岐阜城の城域を最大限に捉えると金華山に瑞龍寺山、上加納山を含んだ山塊全体、西
側の岐阜城下町とそれを取り囲む惣構、東側の達目洞を含んだ範囲となる。
国史跡岐阜城跡で石垣が新たに見つかりました!
http://www.city.gifu.lg.jp/32568.htm
一部抜粋
<山城としての岐阜城の評価について>
・ これまでの岐阜城の概念(山上の詰城+山麓居館という二元的構造)を
考え直させる大きな発見。
国史跡岐阜城跡 山上部の発掘調査で信長期に築かれた石垣を確認しました!
http://www.city.gifu.lg.jp/26193.htm
◎岐阜城跡で初めて鉄の矢じりを発見(2区)
鉄鏃(てつぞく)の長さ14.6cm、幅2.0cm
→慶長5年(1600)8月23日の関ヶ原の戦いの前哨戦で使用された可能性がある。
遺物は軒平瓦、飾り瓦、鉄鏃など コンテナ4箱、破片数約500点が出土
歴史遺産と都市文化創造V――都市城壁(惣構)を町づくりにいかす
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2006/03/0603hist-heri.pdf
近代岐阜忠節用水流域における都市形成に関する研究
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00063/2011/2011-04-0072.pdf
農林水産省東海農政局 木曽川水系土地改良調査管理事務所の案内
http://www.maff.go.jp/tokai/seibi/kensetu/kisocyou/html/pdf/014-99.pdf
上記より抜粋
忠節用水は古来、金華山麓に取入口を設けて、岐阜の旧称井ノ口村
の名を生んだといわれる農業用水である。天文3年(1543)の長良川の大
洪水により岐阜市忠節の地に取入口を移し、以来400余年幾多の変遷を
経て引水が続けられた。
関ヶ原当時の引水部や用水経路がいまいちよくわからないが、
惣構の水堀が用水兼用だったとするならば、非常用水源となりうるのではないだろうか。
また、水の手口という名称から、その麓、丸山の辺りが取水口じゃなかったのではないかと
思うがどうだろう?
0012人間七七四年
2019/04/15(月) 08:01:04.32ID:AwHFP63g白峰氏は考察論文、「伊勢国津城合戦頸注文」及び「尾張国野間内海合戦頸注文」に関する考察(その1)―津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討
の中で以下のように述べられている。
本稿で扱う野間内海合戦については、前掲『三重県史』通史編、近世1に、
「九鬼義隆西軍に加勢」として立項され解説されている中で、「九月九日・十日両日
尾張知多半島(愛知県)先端部付近での戦闘」であり、
「当時の知多半島は、長島城主福島正頼が預かっていたとみられる(『新訂寛政重修諸家譜』
第二一)ので、北伊勢において東軍に付いた長島城の背後、
ひいては岐阜方面に集結しつつある東軍の背後を脅かす作戦を実行したのであろう。
この作戦には瀬戸内水軍が主となったものと思われ、
これに九鬼水軍が参加したかもしれない。」としている。
野間・内海合戦関連
愛知県史資料編13織豊3より引用
東軍の攻勢によって主戦場が尾張国内から木曾川を越えて美濃国西部へと
移っていく中、尾張・三河両国の海岸部では、西軍方に与した
志摩国鳥羽(三重県)の九鬼嘉隆の軍船が焼き打ちを行っており、
九月には毛利輝元の臣乃美景継・村上景弘らの軍船も伊勢湾に現れた。
毛利氏の水軍は九月九日未明に伊勢湾を渡って知多半島に押し寄せ、
各地で放火や合戦をおこなった。「慶長年中記」九月十日条にも
九鬼水軍による焼き打ちに関する記述がみえるが、
毛利氏の水軍もこれに加わっていた可能性がある。
慶長年中記 巻一
十日 熱田西の海辺四五ヶ所、是ハ敵方九鬼大隅(嘉隆)焼候よし、
岡崎?地鯉鮒(池鯉鮒)へ行に焼見ゆる、熱田海辺より五六町ほと大船一艘、
地ハ紫に白き桐のとうのまく張たる九鬼大隅守のミよし先へ被遣候、
御馬印持候ものさんたか橋にて 御目見いたし候、とかくの御意なし、
次は 慶長見聞書 二
同日(慶長5年7月21日)岩手(伊勢国)城稲葉蔵人(道通)手勢九百六拾人籠候処、
九鬼大隅守(嘉隆)町口迄取懸候へ共、堅固被相抱候間、
敵の人数引退申候、其後九鬼大隅守・堀内安房守(氏善)以下船手の衆卒し、
尾州・参州之灘浦を焼払、漁人村老男女僧侶に不限切捨狼藉前代未聞也、
尾州毛呂崎(師崎)江寄ンとす、
浦のもの内々近日従関東御上を聞て、其間敵をたるめ魚を取て日々に送り、
様々の音信におよひけり、
然るニ案のことく千賀孫兵衛(重親)一夜の内ニ而のりつけ、
大勢籠たるやうニ見せ、浦々に旗を立置候間、
敵驚寄せ不申、其間に松平紀伊守(家信)・小笠原新九郎(広勝)・
同安芸守(小笠原信元)次第ニ乗付申候間、
弥敵船驚きこきのき申候、右ノ海上浦々の悪行の天罰にや、
此口の寄手の大将達のすへ?迄後ニ皆たへはて申候、
武家の習殺業なくて不叶されとも、
分の敵を討て非分の者を不討とはかやうの事にや、
此時戸田三郎右衛門(忠次)・清水権之助(政吉)ハ
大野・とこなへ(常滑)に罷在候間、
舟を出し防候間、敵不叶舟をこきのき引取申候、
0013人間七七四年
2019/04/15(月) 08:01:34.23ID:AwHFP63g浦備前覚書 巻一 無尽集第七七冊
先年関か原御弓矢之時、伊勢地数船之御船指廻し、御国?ハ村上八郎左衛門殿
(景広)・乃美備後殿(景継)御船手不残被差出、
大坂よりハ菅野平右衛門殿(管達長)・村上彦右衛門殿なだ声古ヲ被差添御廻シ被成候、
伊勢之鳥羽ニ者九鬼大隅殿(嘉隆)大坂へ之御馳走ニ、
右之御方々大隅殿江御座候而方角万事御談合被成、
尾張灘手を御働被成御儀定ニ相澄、
おふミなと(伊勢国大湊)まて御座候而、彼表ニ而長々船中各御苦労被成候条、
一夜彼在所にて御休め被成之由、悉宿を取り御休息候処ニ、
乃美備後殿野せつちん(雪隠)へ参と被申、
五六丁家はつれへ被参候而都合被見合候処ニ、
彼在所より弐里間にて岩手と申城を敵方?持堅、
おふミなとの在所からも殊外手広不審ニ相見候条、
各うかと罷居儀ニ而無之候条、夕飯を仕廻、
夜入候者船へ各被召可然之通被申付而、悉船ニのり申候へハ、
夜半迄(過)ニ岩手?夜打ニ心懸人数差出、殊外物あぶなき躰にて、
下々共ニ備後殿御見合之段感入候、一日間ニて血地江御働ニ、
不残御渡り被成候、尾州之内大野と申浦江九月九日未明ニ被打入、
一段仕合能発向被成候、其次ニ二浦同前ニ候而、各御談合ニ、
今日之働ハ不残出来申候へ共、放火不仕候条、
明日之働ニハほうくわ(放火)を専ニ仕候様ニと仰事ニ候、
かたかミと申在所を未明ニ御働、一軒も不残放火仕り、
頓而其次野間の内海と申浦江御仕掛候処、
是ハ先代(源)義朝之御腹被召たる浦ニて候得者、
船本江人数差出相さゝへ候へとも、船よりの御仕掛丈夫候故、
終ニハにけくつし多分追討ニ仕り、
船本より一里半奥ニ義朝之御影御座候故、坊中江おひ入候故、
跡?足長仕ル儀ニてハ無之候条、各引取り候へと被仰付、
不残引取申候、礒兼加賀殿上下八人ニ而、
彼御影之寺放火不仕候へハ、此在所相働専ハ無之候条、
是非共ニ放火仕り引可申と被申候而ふかいりの故、
人数三十計討出取まき候条、別条子細も無之候間、
足床を見合高ミを取可相果覚悟ニ候、
壱人にても足を乱シ候而ハ不叶儀候之条、八人之者ハひつかけ相果覚悟ニ候、
其人数ハ加賀殿上下三人・乃美平左衛門殿上下弐人・
末永惣右衛門・世良源右衛門・末島(島末)与左衛門、
此八人ハ鉄炮弐丁御座候而、引懸五間ほとにて討候やうニと覚悟仕り候処、
敵も其覚悟ミきりはた?と不仕懸候処ニ、舟本江此聞候而、
乃美備後殿・村上八郎左衛門殿自身かけつけ候へハ、
のほりさきを見及引取申候故、無事ニ御しのき、
御両人衆殊外御しかり被成、(乃美)宗勝巳来上りはたらきの仕やうハ御存知ニ而、
深入沙汰之限りと被仰、無事ニ船本御引候事、
二日之間ニ六浦御働殊外出来候事、
誤字脱字はご勘弁。
0014人間七七四年
2019/04/15(月) 08:02:12.95ID:AwHFP63g関ヶ原合戦の真実 Part9
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1545542228/
大坂の陣はどうすれば豊臣方が勝てたか?Part8
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1536754046/
【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 5 【徳川】 [無断転載禁止]©2ch.net
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1498216606/
二重公儀論について考察する [無断転載禁止]©2ch.net
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1472608426/
【秀吉・秀長】豊臣氏・羽柴家総合スレ5【秀頼・秀次】
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1542893023/
誘導は上記適当スレへ。
0015人間七七四年
2019/04/15(月) 08:03:17.37ID:AwHFP63gpart1
https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1477558509/
part2
https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1484991108/
Part3
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1487680538/
Part4
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1492312819/
Part5
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1496748424/
Part6
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1499775019/
Part7
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1502195081/
Part8
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1505981945/
Part9
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1509028014/
Part10
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1512519887/
Part11
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1514907315/
Part12
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1517843376/
Part13
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1522672144/
Part14
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1525775487/
Part15
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1528335113/
Part16
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1530344370/
Part17
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1532773324/
Part18
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1535414790/
Part19
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1537715258/
Part20
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1539777606/
Part21
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1543403991/
Part22
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1549630474/
0016人間七七四年
2019/04/15(月) 08:03:42.77ID:AwHFP63g訂正等は遠慮なくよろです。
また、その他の案としては、美濃主攻案(P17>303)、北陸主攻案、早期尾張進攻案、
鳴海上陸作戦案(P15>702)、9月7〜10日赤坂挟撃案(P19>841)等あり。
また、上記諸表の兵力数は戦闘の損害による兵力減少を考慮しておりません。
0017人間七七四年
2019/04/15(月) 08:08:58.53ID:AwHFP63g関ヶ原の役: 日本の戦史 (徳間文庫カレッジ) 文庫
? 2016/5/7 旧参謀本部 (編集) 1566円
いわゆる今までの一般通説的な関ヶ原合戦はこれ読めばひと通り書いてある。
「関ヶ原」を読む: 戦国武将の手紙 単行本 ? 2018/2/25
外岡 慎一郎 (著) 2160円
北陸方面の前田、大谷あたりを中心にあまり偏った見解なくわかりやすく書かれている。
関ケ原合戦―戦国のいちばん長い日 (中公新書 (642)) 新書 ? 1982/2/23
二木 謙一 (著) 799円
一般的通説の各種エピソードを詰め込んだ小説風。読みやすいことは読みやすい。
直江兼続と関ヶ原 単行本 ? 2014/8/4
公益財団法人 福島県文化振興財団 (著) 1728円
近年出てきた新説、新解釈等は、笠谷和比古氏、白峰旬氏、光成準治氏あたりの
著書が参考になると思われる。
金出したくない人向けには、
国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=%E9%96%A2%E5%8E%9F%E8%BB%8D%E8%A8%98%E5%A4%A7%E6%88%90&viewRestricted=0
ここで関原軍記大成が読める。
0018人間七七四年
2019/04/15(月) 08:11:36.39ID:AwHFP63g現スレはこっちです。
関ヶ原合戦の真実 Part10
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1553429187/
0019人間七七四年
2019/04/15(月) 12:48:45.27ID:VRbVJd5a0020人間七七四年
2019/04/15(月) 21:15:45.49ID:Ypym2heV輝元総指揮の元、ほぼ全軍で東海道を下っていたら、どうなっただろう。
0022人間七七四年
2019/04/15(月) 22:38:02.00ID:hULeafNe0023人間七七四年
2019/04/15(月) 22:42:03.49ID:bRfWK2yo0024人間七七四年
2019/04/16(火) 00:13:10.08ID:wjT64LqF0025人間七七四年
2019/04/16(火) 05:14:45.73ID:x4VZAkbL0027人間七七四年
2019/04/16(火) 14:17:21.05ID:rcTWVx8S0028人間七七四年
2019/04/16(火) 14:24:24.34ID:j1oiJiuQ0029人間七七四年
2019/04/16(火) 14:33:04.04ID:BBXTSgOe負けるが勝ち、と言うだろ
すなわち関ヶ原は西軍の勝ちだ
0030人間七七四年
2019/04/16(火) 14:52:33.38ID:x4VZAkbL前スレ>>14、このスレだと>>16の部分
アンカー以降の書き込みがなくなってたから気になった
スレ立ててくれたのに指摘してごめん
スレ立て乙でした
0032人間七七四年
2019/04/17(水) 07:13:43.77ID:X7CI4rQqやっぱり大坂の陣が起こるんだろ
豊臣の天下は一代限りと承知していた高台院が正解
0033人間七七四年
2019/04/17(水) 08:24:21.02ID:VkVcqU9o0034人間七七四年
2019/04/17(水) 09:21:44.63ID:kuuR2qbJとにかく豊臣家に人材がいなさすぎる
創業者の秀吉がある意味万能人だったから、手足となる吏僚は発掘できても
他家と渡り合えるだけの「政治家」を育てられなかったのが秀吉最大の失敗
0035人間七七四年
2019/04/17(水) 09:44:36.97ID:7gdIEbSIしかし如水は…
0037人間七七四年
2019/04/17(水) 12:56:07.08ID:l2bAoKAD君主もできたかもしれない
半兵衛がいればあるいは
0038人間七七四年
2019/04/17(水) 14:04:35.34ID:wvJR4HsT豊臣家の死因は自殺といっていい
0039人間七七四年
2019/04/17(水) 14:50:29.95ID:qThRoFHnところで、関ヶ原関係者で一番ポコチンでかかったのはだれだ?
秀秋か?あ?
0041人間七七四年
2019/04/17(水) 15:49:43.17ID:qm1zMv9+人望軍功皆無の現場監督
0042人間七七四年
2019/04/17(水) 15:51:50.71ID:qThRoFHn0043人間七七四年
2019/04/17(水) 15:51:50.72ID:qThRoFHn0045人間七七四年
2019/04/17(水) 16:38:46.69ID:qThRoFHn0047人間七七四年
2019/04/17(水) 17:52:59.55ID:qThRoFHn0048人間七七四年
2019/04/17(水) 19:13:22.15ID:8ZhAFrS6毛利宇喜多長曾我部など中国四国の諸大名が海上から大坂城を補給する
頃合いをみて、大谷吉継が韓信のように大国前田家を滅ぼし、
信濃へ出て真田と合流して関東の徳川領を圧迫する
問題は楚軍の補給路を切断した彭越を誰がするかだな?
0049人間七七四年
2019/04/17(水) 19:17:35.04ID:rS/kh2Bs0050人間七七四年
2019/04/17(水) 22:19:23.62ID:NTNpiaeeチンポのデカさは鼻の大きさに比例するという
となると一番は象鼻山近くに陣を取ってた長宗我部盛親であろう
0051人間七七四年
2019/04/17(水) 22:23:49.66ID:LA8HUDYH0052人間七七四年
2019/04/18(木) 10:21:58.76ID:y0k6PuJIなにをするにしたってお手本があるならそこから学びたいしね。家康が勉強家という以前に、秀吉が机の学問を怠っていたんじゃないかな
晩年の秀吉は目の前の脅威を排除することに躍起になりすぎて、その直後に起こるであろうことから目を逸らしていたんだと思うよ
0053人間七七四年
2019/04/18(木) 10:32:03.13ID:qJXWwzhb秀吉が学問を怠ってたという事はないな。
御伽衆を800人もそろえて毎日耳学問で中国の古典とか
日本の和歌とか読ませてたそうだし(自分では読まない)
足利義昭なども御伽衆に加えてたけど純粋に単なる飾りというわけでもなく
足利家の歴史とかもしゃべらせてたと思うよ。
0054人間七七四年
2019/04/18(木) 10:46:14.63ID:EcHvHS3Eそれ天下を取ってからの、50代も半ばを過ぎた辺りのことだろう
ものを学ぶにはちと歳が行き過ぎているな
そのくらいの年齢になると頭に吸収しにくい上に自らの経験値が仇になって
聞いたことをバカにして謙虚にならず、身にならないこともある
特に天下を取って自尊心が最も高揚した時期だろうし
家康のように幼年期の頭の柔らかい頃から吸収し続けたのとは知識の血肉化に歴然とした差があったろう
0055人間七七四年
2019/04/18(木) 11:28:24.28ID:y0k6PuJI身に付いた学問が一つでもあるかい?
学ぶ気持ちさえあれば何歳からでも学問はできると思うけど、社会的成功をおさめた人物ほど自分の経験則が邪魔してしまうものだしね
少なくとも秀吉の学問は秀次を殺し、その子供や妻を大半殺し、長年仕えてくれた家来を殺せば豊臣家がどうなるかという事に対するブレーキとしては役に立たなかったんじゃないかな
0056人間七七四年
2019/04/18(木) 12:48:01.96ID:qpjuidBg逸話レベルで申し訳ないのですが、
秀吉と頼朝評に関する話があって
大雑把意訳で同じ天下人でも俺の方が苦労したから俺の方がすげー!
というエピソードがあります
本当に言っていたのなら、軽視してた可能性はありますね
まぁ、事実かどうかはわからないので参考程度にしかならないですが
0057人間七七四年
2019/04/18(木) 12:51:40.77ID:EcHvHS3E小田原征伐の頃の話だな
頼朝の木像の肩を叩いて天下友達だな、なんて不遜な態度をとるような性格ということ
陽気で型破りと言えば言えるが生まれついての才覚だけで天下取りまでした男が
歴史に謙虚に学ぶなど性格的にも土台無理だったろう
前天下人の足利将軍家継嗣争いというまだ生乾きの歴史からすら学べなかったのだから
0058人間七七四年
2019/04/18(木) 12:56:06.90ID:0ZrX7L+k0060人間七七四年
2019/04/18(木) 15:21:57.66ID:D0A02kFI豊臣家を無視して私財に手をつけたり増田など邪魔者を暗殺したり
清洲城を強行接収したり
田辺城をさっさと落としたりとやる気出せば簡単にできるだろうに躊躇したりして
電撃作戦の挙兵の効果を自ら減じてる
0061人間七七四年
2019/04/18(木) 18:09:19.38ID:WkQmM8+O秀吉は、頼朝依頼の天下人だから当然過去の偉人より上
頼朝が墓から這い上がってくるものでもなし
0062人間七七四年
2019/04/18(木) 19:13:46.58ID:qJXWwzhbなんで田舎武者の頼朝如きに謙虚にならねばならんねん
0063人間七七四年
2019/04/18(木) 19:15:42.77ID:KMbmXJQ+漢の初代皇帝・劉邦は文字すら読むことに暗く、学問に精通どころじゃなかった
儒者の陸カが劉邦に儒学のすばらしさを説くと、
劉邦は怒って「私は馬上で天下を取ったのだ。詩経や書経にかまっておられるか」
と叱り飛ばすと、陸カは「馬上で天下をお取りになっても、
馬上で天下をお治めになれましょうか」と言った。
さらに「もしも秦が天下を統一したあと、仁義に則り古代の聖王を見習っていたら、
陛下が天下をお取りになれたでしょうか」と続けたので、ついに劉邦も陸カの言い分の正しさを認めたという
0064人間七七四年
2019/04/18(木) 19:44:22.14ID:qJXWwzhb息子たちには「国を治めるのには文字は必要だろう」と全員に学ばせたとか
0066人間七七四年
2019/04/18(木) 23:53:14.63ID:qpjuidBg比較すると面白い。
関ヶ原で西軍が勝つこととそも関ヶ原に持ち込ませないことならどっちが難易度が低いのだろう?
やっぱり後者かな?でもそれだとスレの趣旨に沿わないし難しいね。余程のハプニングが起きない限り負けそう
0067人間七七四年
2019/04/19(金) 00:02:39.76ID:5q6ii/j50068人間七七四年
2019/04/19(金) 11:17:27.15ID:1xlDuIAN0069人間七七四年
2019/04/19(金) 11:25:05.57ID:1xlDuIAN関ヶ原は、霧の中
東軍の一番槍は福島正則と井伊直政
ご存知の通り、井伊軍は霧モヤの中、抜け駆けで宇喜田の先っちょに接触してしまうチョンボ+島津の退き口で死にかけた準ノウキン
福島は、日本最強のノウキン
この2軍を上手に宇喜田が引っ張り出せたら、それはもう日本最大規模の釣り野伏せ完成!
0070人間七七四年
2019/04/19(金) 17:12:04.99ID:ZivG4IzC0071人間七七四年
2019/04/19(金) 20:51:37.31ID:CtaXueYiだから岐阜城落とされてはいけないのだけれど
いや東軍先発隊が結束して西上した時点で仕方なく西軍に組した諸将はぐらついてるか
西軍の優位は揺らがないと戦で示さないといけない
0072人間七七四年
2019/04/19(金) 21:24:16.76ID:an4BKpdu味方の中に裏切り者・内通者がいるというのならよくある話だが
毛利家という総大将家が敵方に通じてる戦なんて古今東西前代未聞、空前絶後の話
つまり西軍なんて最初から存在しないも同然なんだよ
0073人間七七四年
2019/04/19(金) 21:34:35.29ID:Cn1dcagV実績や経験は両軍で随一だけどな。
0074人間七七四年
2019/04/19(金) 23:32:05.51ID:qB0MtNNVそんなことはない。すべては岐阜城陥落の西軍劣勢印象から始まっている。
戦況次第で日和見連中は有利な方に態度を変える。
0075人間七七四年
2019/04/19(金) 23:42:54.67ID:VUQk7lzc西軍はその程度の存在に過ぎないということ
0076人間七七四年
2019/04/20(土) 00:21:19.35ID:srxJJn57東軍を峡間に引っ張りだしたら、三成の大砲を活用、一気に混乱+桃配り山まで押し返しで、逃げ惑う肥満体爺の家康なんて楽勝で首落とせる。
小西行長でも島左近でも島津豊久でも、簡単な仕事だろ
0077人間七七四年
2019/04/20(土) 05:55:14.08ID:EdJ4F78T0078人間七七四年
2019/04/20(土) 07:17:21.95ID:X2TdaPnA無骨な武人である義弘とエリート官僚意識が強い三成では相性が悪い
島津は豊臣に負けて降伏した身分であり、豊臣に取り入るために三成の取次が必要だったから
加藤や福島のように不満を見せられる立場ではなく上手く不満を隠し通していただけで
一緒に戦をしたら対立で関係が破綻して戦術どころではないよ
義弘と三成はどちらかが西軍から去るしかない
戦経験を考えたら義弘が残るべきだが、兵力の少なさと外様の立場では主導権を握れないから
義弘が自分の意見を何も通せないことを理由にして西軍を去るべきだった
0079人間七七四年
2019/04/20(土) 09:04:09.82ID:tnnslzXz高名で個人能力の高い武将に任せたら軍全体が急激に全部上手くいくみたいな妄想ってゲームのやり過ぎでしょ
義弘に限らず宗茂が間に合ってたらとか言い出す輩もそうだけど
たぶんあれでしょ、光栄のゲームとかで有名武将がスキル発動するだけでピカッと画面が光って軍勢全体のゲージの色が変わって一気に強くなるとかねw
あんなイメージで語ってるんでしょ
馬鹿馬鹿しい、現実の戦がそんなに甘いわけがないでしょ
0080人間七七四年
2019/04/20(土) 09:28:46.30ID:L8HdmhC3まず無理でしょうねぇ
仮にその場の全員が賛同しても、やりたくても無理じゃないかなぁ
仮に出来たら、今現在の合同軍事演習なんぞやらないでしょう。現実と即してない。
0081人間七七四年
2019/04/20(土) 09:58:01.86ID:HaOwbTQQ自分が総大将となって軍勢を指揮した経験もない。
0082人間七七四年
2019/04/20(土) 10:10:13.47ID:EaIHMESF軍団師団部隊兵士それぞれの単位で統制と訓練でユニット化を徹底した近代以降の戦争でこそ通用するけど
軍勢の成り立ちからして相互の利害関係やら政治的思惑やらで「烏合の衆」であることが前提の
中世以前の、特に封建制下の戦争では机上の空論にしかならないんだよね
0083人間七七四年
2019/04/20(土) 10:30:10.51ID:1Z0ed6V7なんで、分けて連携をとるしか無いけど、西軍は東軍より難しそう
そこからどうにかしないとみんなの話を聞く限りどうにもならんと思う
それ以前にこんな状況にするなと言われたら返す言葉もないけど
0084人間七七四年
2019/04/20(土) 10:45:55.48ID:wDPZBUiN0085人間七七四年
2019/04/20(土) 12:40:22.88ID:EXF/EdGi同感。島津義弘なんて結局ただの猪武者
なればこそ兄貴からも見限られて兵を寡兵でしか用意できずにあんな羽目に。
数居る「鬼○○」の異名をもつ連中なんてだいたい突出して横死してるバカばっかりだしそれと変わらん
0086人間七七四年
2019/04/20(土) 17:51:56.04ID:ZqT7TZhM土地勘も地の利も活かせる相手に戦うの大変だろうよ
しかも作戦立案しても意見が通らないし言葉も通じてるかどうかも怪しい
土地を良く知る旧織田系が指揮したほうがよさそう
0088人間七七四年
2019/04/20(土) 18:27:38.52ID:AQRcWceh0089人間七七四年
2019/04/20(土) 18:40:05.33ID:iqUK9vgn0090人間七七四年
2019/04/20(土) 18:54:03.03ID:wDPZBUiN0091人間七七四年
2019/04/20(土) 18:54:05.31ID:8zhOyl31戦う相手は常に2倍以上、家康が動くってだけで大名がびびる
0092人間七七四年
2019/04/20(土) 20:12:47.04ID:qPTVrOW20093人間七七四年
2019/04/21(日) 10:21:12.38ID:JlEThgky渡河する側が不利なのに強行してくる東軍におそれをなして逃げるってやる気あんのかよ
0094人間七七四年
2019/04/21(日) 12:05:29.74ID:QUBqei1J0095人間七七四年
2019/04/21(日) 13:56:04.22ID:OIzY6WX0主張したいなら「最低限」、結城秀康がどうやれば寝返るのかを書こうや
つっても少しでも調べてりゃ結城秀康は巷説で言われるような宗家の跡取りになれなかったから徳川に不信感持ってるとかいうのは一切見えず
徳川家にかなり親密で、裏切る余地なんか1ミリもないってわかるんだけどもね
0096人間七七四年
2019/04/21(日) 14:49:39.54ID:RPWzhDHn関白の地位で正当化しながら関白一家虐殺をおこなう反逆者。
秀康が養子にされたのも豊臣のせい。なぜ織田家の盟友たる徳川の一門が豊臣なんてクソを助けて寝返ると思うのか
0097人間七七四年
2019/04/21(日) 14:55:34.49ID:RPWzhDHn石田は更迭された元奉行にすぎず、毛利は権大納言にすぎないし、前太政大臣の遺言で政治をたくされたのは徳川と前田。
関ヶ原時に豊臣も公認していない。
つまり西軍は「賊軍」。豊臣にすら認めてもらえない賊軍になぜ寝返る。
、
太政大臣の遺言で政治をたくされた最高位の内大臣が帝の下賜され豊臣の援助を受けて軍を動かしているのに、なぜ徳川一門が寝返ると思うのか。
0099人間七七四年
2019/04/21(日) 15:45:57.05ID:UKYiJw+v0100人間七七四年
2019/04/21(日) 15:50:28.50ID:LxcdmF3L0101人間七七四年
2019/04/21(日) 16:10:26.08ID:WjCbBoTL0102人間七七四年
2019/04/21(日) 16:18:07.07ID:RPWzhDHnその豊臣にすら認めてもらえなかった賊軍が西軍な
0103人間七七四年
2019/04/21(日) 16:26:14.51ID:CXmgSQ1Eつまり西軍が正義だって言いたいのかな、この連呼関白くん
0105人間七七四年
2019/04/21(日) 16:57:12.61ID:RPWzhDHn朝鮮に行って土下座する鳩山だろうと首相は首相だし、現在の安倍がどんなに気に入らなくても首相は首相だ。認めざる得ない。
で、家康は太政大臣の遺言で前田ともに政務をまかされ、最高位の武士で内大臣の職についていて、出陣にあたっては帝から晒布を下賜され
豊臣からも物資援助を受けている。その軍に謀反をおこした賊軍が西軍だ。
石田らは関白殺しの豊臣への忠義を唱えながら豊臣にすら認めてもらえなかった。
0106人間七七四年
2019/04/21(日) 17:03:38.64ID:WbJp2Wrx三好三人衆にかつがれた足利義栄が征夷大将軍になったが、誰も従わず、
織田信長に放逐された
別に信長は賊軍にはならんwww
0107人間七七四年
2019/04/21(日) 17:11:29.39ID:RPWzhDHn石田か毛利を右大臣にする
出陣にあたっては帝に下賜されて応援される
豊臣からは公認してもらい援助を受ける
太政大臣の遺言が新発見されて毛利と前田に政務を託すと書いてある
これらは最低でも必要だな
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