関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part23
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0001人間七七四年
2019/04/15(月) 07:50:51.22ID:AwHFP63g前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part22
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1549630474/
0413人間七七四年
2019/05/06(月) 21:25:44.91ID:nxfUK9aO大河とかでよく見る殿下の子供のようなはっちゃけた振る舞い。
あれってよく考えると恥ずかしいよな。あんなのが一番この国で偉いんだぜ?
愚かなDNAが拡散せずに一代で滅びたのは良かった
0414人間七七四年
2019/05/06(月) 21:56:01.39ID:4RvwWNyMあれで東軍諸将の敵愾心が決定的になったと思う
戦国の世でも人質ってのは出す側が何らかの保証として差し出す形のものだったろうに
差し出す側の同意もなくいきなり一方的に、強奪同然にとろうとするなんて当時でも犯罪的だったんじゃないか
当時他にそういう事例ってあったんだろうか
もし他にないなら三成は非常識極まりないことをやらかしたことになる
0415人間七七四年
2019/05/06(月) 22:01:05.06ID:jEiaBLrb408ほど綺麗ごとばっかり言って会社・組織をダメにするってのはよくわかってる
0416人間七七四年
2019/05/06(月) 22:06:30.35ID:prLU7WBk0417人間七七四年
2019/05/06(月) 22:10:50.79ID:jEiaBLrbその中で新しい発見ができるかもしれん
408ほど西軍を大敗させるやつということはみんなわかってる
いうなら目の敵に斬られる瞬間に知識豊富な軍略をほざいて真っ二つになるパターンw
0418人間七七四年
2019/05/06(月) 22:23:19.95ID:j/pY5YYA史実で毛利家が西国各地に出兵していたのを辞めて、輝元直卒で出撃する、ぐらいしか思いつきません。
0419人間七七四年
2019/05/06(月) 23:08:47.80ID:F08UDjXgjEiaBLrbみたいなことを言うのが叩かれるのであって
最低限の礼儀と常識を踏まえていたら大丈夫ですよ
0420人間七七四年
2019/05/06(月) 23:14:34.85ID:he42GWtW驚き慌てて三成の下に馳せ参じたと思うぞ。
小田原攻めで秀吉の下へ伊達たちが馳せ参じたように。
0421人間七七四年
2019/05/06(月) 23:22:50.56ID:he42GWtW家康が正義だから付くとか、三成が正義だから付くとかじゃなくて
どちらが勝ちそうだから付くとか、どちらについた方が自家に得かで判断してたはず。
岐阜の決戦で西軍が弱いという事実が暴露されたので世論が東軍に傾いただけの話で
それ以前に大軍で西軍が東軍を攻め立てて先勝したら流れは真逆になってたはず。
0422人間七七四年
2019/05/06(月) 23:44:29.16ID:F08UDjXgそのうえで前パートを確認していただきたいんですが
8月8日から10日ころで尾張方面に展開できるのは石田と織田秀信隊程度で、攻略できる兵数をそろえるのがかなり難しいこと
小山評定の有無はともかくそれに近しい意思決定の場が存在し、すでに上杉討伐隊から西軍討伐隊への再編成は済んでしまっていること
また、清洲を仮に落とせたところで福島隊やその他東軍が離反するかどうかはかなり楽観にすぎ、他に有力な福島正則を西軍へ離反させる案が欲しいという所で話が止まってること
があげられてます
0423人間七七四年
2019/05/06(月) 23:51:25.65ID:he42GWtWそうではない。
もっと早い段階で西軍が全軍を尾張に差し向けたらという話をしてる。
0424人間七七四年
2019/05/06(月) 23:54:56.55ID:UiqgmFRoシンプルに言うならば、
「基本方針として、前線諸城、諸氏は、敵主力から攻撃を受けた場合、
迂闊には迎撃、反撃せず、約半月持久を目途に籠城持久し、西軍主力の後詰を待つこと。
後詰到着後、協同し敵主力を撃滅し、西軍勝利を目指す。」
つまり、敵主力が岐阜に来ようが桑名に来ようが犬山に来ようが北ノ庄に来ようが
とにかく前線の城は籠城持久し、敵主力のその地域へ拘束。
味方主力の後詰来援を以って有利な戦力比、地域(地形)で敵主力を撃滅する。
別に岐阜城後詰決戦でなくても桑名城後詰決戦でもいいわけで、
敵主力がどこに来るかはどうでもいい。
徳川に味方するであろう者がそれなりにいるであろう以上、
秀吉の小田原北条征伐のような圧倒的な関東進攻は非現実的で、
現実的に勝利を目指すなら、敵主力を撃滅し、有利な状況、条件で和睦、
これがいちばん現実的だと思う。
>>418
「西軍が勝つ方法」であって、「関ヶ原」という場所で西軍が勝つ方法ではないですよ。
いわゆる9月15日の関ヶ原本戦で西軍が勝つのは議論するまでもなく、
絶望的だと思います。
>>421
わたしもそう思います。だから戦況次第では前田利長も史実のように9月11日に
再南下しない可能性もあると思います。
清洲早期攻略についてはわたしは疑問に思いますが。
0425人間七七四年
2019/05/06(月) 23:58:02.80ID:Pc4Hy+U+背中を押して下さりありがとう
長くなりますが自分の考えを書いてみます
一つは中立の立場の淀殿を西軍に引き込み、正式に秀頼にお飾りでも総大将となってもらう事
関ヶ原なら秀頼は無理に参陣する必要性はそこまでないと思うので
総大将の格はこれで五分かそれ以上に補えるかと
毛利や奉行が出していた空手形が豊臣の空手形に変わるので、例え空手形でも信頼性は増すかと
婚姻を結び家康と縁戚だとしても秀頼はまだ幼君で、秀頼が幼いうちに家康に政権を乗っ取られるかもしれない恐れを淀殿も心のどこかで感じていたと思う
この懸念を西軍は交渉材料として上手く使えたら
次におねさんも何とか西軍に引き込めないかなと
おねさんの説得材料は自分には思い付かないのでごめんなさい
おねさんが西軍に与するとなったら、いくら三成憎しでも福島と清正他の東軍武将が西軍に参戦する目が出てくるかなと
0426人間七七四年
2019/05/07(火) 00:02:41.15ID:i+xqXxVaもっと早い段階というと伏見城落城後すぐとかそういう意味ですか?
伏見落城が8月1日なんで、これでもかなり速い部類かと思うんですけども
伏見落城する前から展開させたいってことですか?
0427人間七七四年
2019/05/07(火) 00:10:13.12ID:okoNS+Ku前田が南下して越前衆は前田に合力。そのまま佐和山攻略。
それに呼応して大津京極も前田(東軍)に離反。
伏見・大津・佐和山と楔打ち込まれる。
小早川秀秋はそのまま前田陣に合流する可能性高し。
こんなかんじのを想像できるが。
0428人間七七四年
2019/05/07(火) 00:33:40.96ID:xhylmRb4せっかく戦力分散してくれてた東軍がまとまって東海道攻防戦に出てくるだけでは?
正面戦力の乏しい西軍が苦しくなるだけと予想できますが?
0429人間七七四年
2019/05/07(火) 00:36:54.94ID:nRuSzQS+この一覧表を見ても尾張に全力なんてありえないことなのがわかる。
0430人間七七四年
2019/05/07(火) 00:37:18.85ID:M3TYAWlj記述していただきありがとうございます
お考えについてですが
当時の西軍も恐らく説得自体はしてたと思うんです
さすがに西軍も自分たちの脆弱性を補う方法が秀頼を総大将にすることであるとは認識していたでしょうし
その上で中立の立場を取られていた可能性がかなり高いのではないかと
少なくともそういった説得はすでにおこなっていた前提で話を進めるべきではないかと考えます
書状は記述に残っていない以上どうしても推測が過ぎてしまう部分ですしね
0431人間七七四年
2019/05/07(火) 01:17:42.35ID:6QgN9zO9稚拙な長文を読んでいただきありがとうございます
西軍総大将への打診と説得は形振り構わず色々な方法で行われてたと思います
おっしゃる通りだなと思いました
422で福島の寝返りに触れられていたのでおねの事を挙げました
やはり自分は勉強不足だと改めて痛感したので、もっと資料を読んで勉強します
0432人間七七四年
2019/05/07(火) 01:25:06.15ID:3EvLUheN・秀頼(の周辺)に諸大名が求めるもの=所領の安堵を担保する
だけの軍事力は存在しない(現にお膝元で「謀反」が発生しても自力で鎮圧
できず家康に助けを求めている。)にも関わらず、西軍に付く=東軍と敵対
するという決断を引き出せるのかという疑問。
・家康は参内して陣中見舞いを拝領しており、会津征伐軍は豊臣軍であると
同時に官軍でもあった。秀頼が総大将として参加するだけで朝敵になるリスク
を諸大名が負うのかという疑問。(上記の通り当時の秀頼には諸大名に
提供できる実質的な見返りは何もない。)
あと、これは筋論・ベキ論の話なので、諸大名の判断とは関係ないと思うが、
秀吉遺言により成人まで政務は家康が見ることとなっているのに、
秀頼(の周辺)が突然、「これからは直接秀頼が政治をやる」と言い出すのは
遺言違反になるんじゃないかと思わないでもない。
0433人間七七四年
2019/05/07(火) 02:51:43.70ID:jSB0cWuZ秀吉の遺言で秀忠利長の事が書かれているように利家同様に家康はそう長生きしないと思われているかと
秀吉利家家康は数年程度しか生年が違いませんから当然の話ですが
ですから史実では秀吉の死後20年近く長生きする家康にとって代わられる可能性より
淀殿にとって遥かに現実的な脅威は彼女が頼みもしないのに徳川を撃つと挙兵して大坂城を占拠している西軍の方かと思われます
なので淀の協力を取り付けるなら決起前じゃないと難しいと思われますが
そのような理屈で説得ができるかどうか更にはそのような工作が露見しないかというとかなり厳しいかと
0434人間七七四年
2019/05/07(火) 05:48:34.12ID:kHkajTEF豊臣厨は同じ主張しかしないからな。
豊臣は絶対正義で秀頼は悲劇のヒロイン。
そしてこのスレなら腹黒いタヌキどうすれば倒せるのとかいい
直江状だの内府違いの条々だの言い出すとい。豊臣が商業化してて理屈が通じないんだよ。
0435人間七七四年
2019/05/07(火) 07:18:13.08ID:aJZ50Xbx西軍の前線の城に篭城してもらって大軍を引き付けてもらうのを期待とか無理無理w 無い物ねだり
そもそも西軍の城で何日も持ち堪えた所なんて無いでしょ
どこも戦わずさっさと諦めるか、城主や守将の中に裏切り者が出て寝返るか、1、2日だけ戦ってすぐ降伏開城か
ことごとくこのパターン
唯一骨があったのは死ぬまで戦った大聖寺城の山口父子くらいかな、しかしこれも1日で落城だし
犬山城? 援軍として送り込んだのが稲葉・竹中・加藤貞泰ってメンバーからしてもうヤバすぎでしょw
北ノ庄城? そこは何もしなくてもそのまま死んでしまうような病気で危篤状態の城主、囲まれただけで開城でしょw
一方東軍は伏見城の鳥居は徳川家だから事情が別としても、長谷堂城とか大津城とか田辺城とか
絶望的な状態から何日も粘ってるわけで、このパターンの城は西軍には無い、だから>>421みたいなのも違うわ
正義云々は無論関係ないだろうがやっぱり東軍と西軍じゃヤル気・士気が違うよ
0436人間七七四年
2019/05/07(火) 08:42:52.54ID:SF8eSO9O前田は、巧妙に態度を粉飾して兄弟で別れてる様に見えるんだけど?
何処かで決定的な野戦でも起こるまで、日和見すると思うな、下手に南下したら西軍主力に
各孤撃破されて詰むだけでしょ、位置的に東軍主力の援軍は来ないし。
京極は、家康が尾張まで出て来てから慌てて東軍に寝返ったんで、西軍優性の流れで動くはずが
無いよ。
それと史実の流れは、清須の兵糧を東軍が手入れてる事が大きいからね。
尾張が取られれば、大軍の兵站が持たない、家康の性格だと東海道に出ないでしょ。
0437人間七七四年
2019/05/07(火) 09:48:41.28ID:twFRK77u領主不在を占領するだけで勝利確定の西軍圧倒的優位なのにね
あれこれIFしなくても軍事侵攻するだけで終わる
0438人間七七四年
2019/05/07(火) 10:47:04.05ID:M3TYAWlj前スレでも指摘されてることですが
前田隊を各個撃破できるだけの戦力はどれ?
また、前田隊が日和るだろうと西軍側がなぜ認識できるのか
史実の流れで清州の兵糧を東軍が手にしたがゆえに大軍の兵站が保ったとされる具体的な根拠も前スレで尋ねられているのに答えられていない
これらの質問にしっかり答えてもらわないと、ただただスレの議論引っ掻き回すだけの荒らしですよ
0439人間七七四年
2019/05/07(火) 14:02:36.69ID:SF8eSO9Oこの当時の前田は77万石のはずで、根こそぎ動員して最大で25000でしょ、で勿論空にして出られる状況
では無いので、近江に出せるのは15000とかでしょ、畿内に居る西軍主力が放置するんですか?
で、この状況で南下するって主張しても家老が命令拒否する気がするんだが。
清須に東軍主力が着陣した時と違って、前田単体なら兵力の底が見え見えですよ?
それとも前田に呼応して東軍に寝返る大名の当てでも有るんですか?
0440人間七七四年
2019/05/07(火) 14:55:32.25ID:04R/bEB7出先なのでID変わってますが438です
元の主張はかなり早い段階で全軍で尾張に攻め入るというもの
で、畿内のどこに西軍主力が残るのですか?
あなたの西軍総兵力はどこにいてどれだけいる計算なのかまるで読み取れないんですけれど
また他の質問もあるのですがそれらへの応答は?
0441人間七七四年
2019/05/07(火) 15:58:22.74ID:6SIyNIqG絶対に天地がひっくり返ってもありえないと思うんだけど
そんな勇気があるなら前田兄弟が天下獲ってたぞ、まず間違いなく。
0442人間七七四年
2019/05/07(火) 16:18:56.20ID:RzZhwkBS0443人間七七四年
2019/05/07(火) 16:20:13.22ID:xhylmRb40444人間七七四年
2019/05/07(火) 16:23:45.04ID:6SIyNIqG前田ビビリブラザーズは人質のママンの事など当然忘却の彼方で
「私どもは最初から秀頼様の御味方だよん」と西軍に合流すると思うんだが。
0445人間七七四年
2019/05/07(火) 16:32:06.10ID:xhylmRb40446人間七七四年
2019/05/07(火) 16:39:28.61ID:AVgl4EkCためなので、やっぱり情報戦を何とかしないと
0447人間七七四年
2019/05/07(火) 19:02:33.22ID:LR9FInIOしかし、東軍が来る前に清洲落とすのはかなり迅速に動かないと厳しい。
0448人間七七四年
2019/05/07(火) 22:15:32.62ID:xhylmRb40449人間七七四年
2019/05/07(火) 22:23:50.67ID:7h4McSU4例え淀殿が西軍に加担しても勝てないよ。
ここで名前が挙がる黒田だろうが真田(真田は局地戦で勝っただけで全面戦争したら滅んでた)だろうが居ても勝てない。
そもそも家康が慎重だっただけで秀吉にも全面戦争やれば勝てた可能性のが高い。
本当に徳川が豊臣と殲滅戦やるなら北条伊達を取り込んで東国のスーパーパワーで決戦を挑むだろうし
0450人間七七四年
2019/05/07(火) 23:59:38.96ID:M3TYAWlj史料を基にした実証、これを重視してやらなければこういう遊びは成り立たないです
0451人間七七四年
2019/05/08(水) 02:46:34.35ID:d2e9uu6q0452人間七七四年
2019/05/08(水) 08:01:01.93ID:uIcOP/+e出すでしょ。
基本、ほとんどの武将が勝ち馬ライダーで、
どっちが勝つかわからんから日和見したり曖昧な態度取ってるだけで。
吉川が安濃津でやる気出したのも西軍が勝ちそうな気がしたからで。
0453人間七七四年
2019/05/08(水) 08:54:07.48ID:3FVlnRcS決戦なんてやらずに長期戦に持ち込めば大阪からより近い毛利の天下で家康は不利になる
0454人間七七四年
2019/05/08(水) 09:22:54.22ID:IrBT1m/i0456人間七七四年
2019/05/08(水) 09:39:23.73ID:3FVlnRcS0458人間七七四年
2019/05/08(水) 09:56:09.76ID:NInwSeuv状況的には桑名の開城交渉したの明石じゃないかと思うけど。
まぁ逆に言えば明石と本多くらいしか頼りになりそうなのがいないかんじだけど。
0459人間七七四年
2019/05/08(水) 10:52:01.89ID:C9hYUWXg史実は開城交渉ばかりしてて温いわ
力による制圧を西軍が主導して全国にその情報が広がれば戦国時代再びなのに
0460人間七七四年
2019/05/08(水) 13:07:27.94ID:uIcOP/+e利長が嘘言ってないなら、伏見の後詰が目的なので、
越前衆の動向次第だが南下はすると思う。
史実同様、伏見が落ちたら引き返すだろうし、
佐和山攻略に向かうか、湖西経由で南下するか
それとも丹後の細川と合流するかなんとも言えないが。
というか、全軍尾張はないわ。伏見の無力化くらいはしないと。
0461人間七七四年
2019/05/08(水) 14:46:33.58ID:HljarSHV居城でも無い城でここまで粘るなんて援軍のアテがあるのではと、
疑心暗鬼にさせた重要な戦いと言える
0462人間七七四年
2019/05/08(水) 16:15:32.90ID:SZeGM4gI書状から推測して清州福島と岡崎田中は八月初めには帰城していると言う説もあるから
もしその様な状況なら伊賀上野・安濃津・松阪を後回しにしても清州城を攻略すると言うのは
事実上不可能になってしまう
八月上旬は前田利長の軍事行動が活発だった時期でもあるし、それを放置して尾張方面に
戦力を集中して進出と言うのはちょっと無理がある作戦だと思う
0464人間七七四年
2019/05/08(水) 17:10:35.60ID:JXhTXLjt清洲を攻めたら東軍はパニックになって負けると言われてもなんのこっちゃとしか
0465人間七七四年
2019/05/08(水) 17:50:12.83ID:bwh88JOx>居城でも無い城でここまで粘るなんて援軍のアテがあるのではと、
>疑心暗鬼にさせた重要な戦いと言える
そんな史料は無い。勝手に脳内設定を事実のように書くな。
読点の使い方も分からない劣等が。
0466人間七七四年
2019/05/08(水) 17:55:32.83ID:HljarSHV伏見城攻めの最中に即座に上洛する東軍を迎撃するため、
瀬田に兵力の大移動を命じた史料があります
0467人間七七四年
2019/05/08(水) 18:12:29.45ID:bwh88JOxはぁ・・・上方から関東方面に向けて兵を移動しておくのは当然だろ?
伊勢方面だろうと美濃方面だろうとな。
それと援軍のアテって何が関係してるんだ?というか、その妄想の根拠となってる
史料は?それと句読点の使い方くらい学校で習ってからネットやったら?
0468人間七七四年
2019/05/08(水) 18:27:28.82ID:HljarSHV句読点なんてテキトーよ、テキトー
中川家文書に毛利が瀬田い移動したのは東国から上洛した
者を、迎撃するためとある
0469人間七七四年
2019/05/08(水) 18:46:14.92ID:ijOM1ixH0470人間七七四年
2019/05/08(水) 18:55:04.26ID:nQ2FMPkpこのスレは、超時空権現イエヤスを讃えるスレじゃ無いのでその内容が貴方の本音なら
移動すべきだと思いますね。
歴史って、何をしても同じ結果って解釈と、僅かな初期条件の違いで全然違う展開って二つの
見方が有ります。
北の獅子王は、リッツェンの戦いで不用意に前に出て戦死しましたが、戦闘自体は完勝です。
戦死してなければ歴史は変わったでしょ。
このスレの趣旨は、初期状態で西軍が史実と違った行動を取ればです。
史実で起こらなかった展開なので、あまり証拠出せとか???
0471人間七七四年
2019/05/08(水) 19:03:24.12ID:o182mkNu煽りガイジはROMってろ
0472人間七七四年
2019/05/08(水) 19:07:08.82ID:3nZzjvoa内容でギャフンと言わされてるから句読点でしか反撃できないわけで
0473人間七七四年
2019/05/08(水) 19:23:35.83ID:JXhTXLjt0474人間七七四年
2019/05/08(水) 19:59:05.79ID:KfIya1+J瀬戸内支配しようと思ったら、大坂抑えるのが最も重要に決まってるじゃん。
秀頼もいるし、いろんな意味で大坂抑えるために、最も数を割くのは当然。
0476人間七七四年
2019/05/08(水) 20:39:52.84ID:ijOM1ixH毛利の四国九州攻めは隣国攻めだし毛利の余力の表れじゃないか
0477台所頭 村松忠之進
2019/05/08(水) 20:44:35.07ID:IrBT1m/iたいかう検地では29万石
0479人間七七四年
2019/05/08(水) 20:56:58.35ID:JXhTXLjt石高(内高)と実高に差がある場合は実質的ただの低税率
0480人間七七四年
2019/05/08(水) 21:06:14.59ID:ijOM1ixH石高で家格が決まる風潮だった時代だからわからんでもないけど
敗戦して7カ国から2カ国に削減された家が無理やり50万石超と申告する神経がわからん
領民に対して苛政を敷いてでも家臣の取り分を確保したかったのか
まあ敗けたのが悪いんですけどね
0481人間七七四年
2019/05/08(水) 21:09:55.52ID:zPZ56i1b毛利は領地よりも石見銀山だよ。
世界の産出量の1/3を産出してたんだぞ。どんだけ金持ちだったか分からん。
輝元は朝鮮出兵の時に、毛利は6万動員するって言って秀吉を大喜びさせた。
実際に豊臣から要請された人数が3万だったから3万しか出さなかったようだがね。
0483人間七七四年
2019/05/08(水) 21:33:07.05ID:us5t9z7M毛利ってのは名義を貸してくれただけで有難い存在
現代に例えれば、そのままじゃ信用なくてどこも融資してくれない
だから「絶対に貴方に迷惑はかけませんから!」と三成が土下座して頼み込んで保証人にサインして頂いた人みたいなもんだ
この場合、実際いかにその人に迷惑をかけないかってのが頼み込んだ側の果たすべき道義的義務だろうがよ
なのにその人がどう動いてればなんて話にすりかえるのは、たとえ仮説でも本末転倒なのはわかるだろ?
「何言ってんだコラ、絶対迷惑かけないという約束だから名義貸してやったんだろバカ」といわれて終わりだ
0485人間七七四年
2019/05/08(水) 21:52:56.53ID:D+E+OeQzそれで地元をはなれて地の利のない関ヶ原や美濃や尾張で戦うというのだから、負けて当然だと思うよ。
家康に勝ちたいなら、まず朝廷に献金して右大臣に任命してもらい、秀吉の遺言が新発見されて、帝に下賜されて出陣しないと。
そして地の利のある土地で戦い、命令したことが確実に行われ、軍規が厳正であることが必要。
西軍にはすべてが欠けている
0486人間七七四年
2019/05/08(水) 22:06:26.39ID:ijOM1ixH奉行衆と宇喜多だけではどうしようもなくて毛利の兵力無しで西軍の旗揚げは不可能
それが何を意味するのかが毛利家はわかっていなかったと
0487人間七七四年
2019/05/08(水) 22:08:21.10ID:OIQMqM7nわたしは尾張早期攻略は今のとこ関心低いんでてきとーだけど、まぁ一応調べてみた。
池田輝政
池田家履歴略記 巻之三 には、8月13日尾州清洲着陣とある。
黒田長政
黒田家譜 巻之十 には、8月14日尾州に着、とある。
細川忠興
細川忠興軍功記 には、8月7日浜松、8日吉田、9日御油(一日逗留)、11日岡崎、
12日名古屋万松寺、13日清須、とある。
一柳直盛
一柳中興御系図御手柄物語覚 には、
8月9日(自領尾張の)黒田城に帰陣、とある。
とりあえず信憑性は別として。
0488人間七七四年
2019/05/08(水) 22:14:48.03ID:IrBT1m/i0489人間七七四年
2019/05/08(水) 22:27:02.27ID:OIQMqM7n>>424が基本方針で、敵主力が、いつ、どこから来るのか予測困難な状況なので、
北ノ庄、岩村、岐阜、犬山、大垣、桑名の線を戦線とし、
大垣あたりに西軍主力が待機し、後詰決戦を以って敵主力を撃滅し西軍勝利を目指す、
というのが堅実じゃないかなぁと思う。
内線の利を生かして機動打撃軍的西軍主力で各個撃破を狙う。
西軍主力は毛利・宇喜多あたりの3万〜5万程度かな。
前線拠点には当面持ちこたえるべく7000程度の守備兵は必要と見る。
おそらく石田の構想もこれに近いものだったんじゃないかと思う。
ただこれの弱点は明確にあって、多方面同時侵攻されると対処しきれなくなる。
0490人間七七四年
2019/05/08(水) 23:37:48.80ID:9bQ9EMcl史実からできるだけアレンジを加えずに勝たせるのが非常に重要な要素だと思うので
岐阜後詰決戦案を詰めていくのが最良かと考えます
多方面同時攻撃についても、それこそ包囲側がよほど緊密な連携取れてなければできないので
やはり史実よりもかなり有利に西軍が立ち回れるものだと思えます
現状岐阜城後詰決戦案で練りの甘い部分はどこでしょうか
そこを今後ピンポイントで話し合えれば議論しやすいかなと
0491人間七七四年
2019/05/08(水) 23:45:56.42ID:sNaX3mdh0492人間七七四年
2019/05/08(水) 23:50:52.28ID:vpCIrTjw「どうにかして西軍を勝たせるスレ」じゃないだろ
0493人間七七四年
2019/05/09(木) 00:04:10.03ID:7qtUz7KU諜報力を強化するしかない
0494人間七七四年
2019/05/09(木) 00:34:58.97ID:Auv3hYiTよく考えるともうひとつ弱点があって、家康、秀忠共に東海道から来て清洲に入られると
お手上げ状態になる。
それと前提として、丹後田辺、大津、松尾山等他所に戦力割かれると有利な戦力比に
もっていけなくなる。
>>493
秀信は東軍先発隊の木曾川渡河の兆候を掴んだから迎撃に出れたと思うよ。
問題は「なぜ迎撃を選択した?」で。
0495人間七七四年
2019/05/09(木) 00:46:46.73ID:gy8K1uj3祖父を見習ってやってみたとか。
0496人間七七四年
2019/05/09(木) 01:09:52.16ID:cSHVKmOx最初から篭城したとしてもせいぜい1日で落ちたのが2〜3日に伸びるだけ
つまり史実では8/22に野戦、8/23に篭城戦をして落城なわけだが
最初から篭城を選んだとしても落城日が8/24〜8/25日あたりになるだけだろう
単に事前の野戦で損耗した分の兵力が温存されたというだけの条件変化で
まるで見違えるような鉄壁の防御力を誇る堅城に変身するみたいな理屈は一体なんなんだろうか?
0497人間七七四年
2019/05/09(木) 01:12:10.77ID:7qtUz7KU東軍には美濃尾張出身者も多く地の利で有利とは言い難い上に野戦としては兵数の差もありすぎた
0498人間七七四年
2019/05/09(木) 01:24:06.83ID:4IRYU151引き込み役なしの急ぎ働き可能です
0499人間七七四年
2019/05/09(木) 02:27:32.65ID:OBXxKYX2史実で東軍が二手に分かれたのは、東海道のみで進撃すると無理があるからでは?
昔の街道って、幅5メートルが良い所ですよ?
昔はさあ、兵糧もだけど大軍が集結した状態だと衛生状態が悪く成って疫病が良く流行る。
>>496
野戦で敗北した後の籠城だと、城方の士気が落ちて別物だと思うんだけど。
ゲームとかでは、籠城してる味方を後詰めしに来た援軍が野戦で敗北したら自動的に落城
判定してる事も多いくらいで。
0500人間七七四年
2019/05/09(木) 02:36:05.71ID:hk+biqql城主の能力でこうも脆くなるかと悲しくなる
0501人間七七四年
2019/05/09(木) 03:04:01.66ID:JEAFlgQH岐阜城が落ちたら西軍に大打撃なのはわかるけど、元城主の池田輝政がいるから岐阜城の構造と弱点、周辺地形も知られている以上、伏見城の鳥居元忠の籠城戦みたいにはうまくいかないと思う
0502人間七七四年
2019/05/09(木) 03:23:39.66ID:80sej8gk0503人間七七四年
2019/05/09(木) 03:35:43.05ID:YVronYvq伏見みたいに孤立無援というわけじゃないんだから
0504人間七七四年
2019/05/09(木) 06:49:31.99ID:hk+biqql(守備兵がそもそもそんなに置けない)
ただし標高330m金華山の山頂にあるのでレーダーとしての役割はメチャメチャ優秀
東京タワーのてっぺんから敵の動きを監視してるイメージだとわかりやすいかな
なので丸見えの敵の動きをよく見て兵を指揮すれば尾張方面からは渡河するのも至難のはず
実際信長はそれでやたら苦労したし
信孝や秀信はあっさり落とされてるのでそういった用兵はできなかったんだろうな...
0505人間七七四年
2019/05/09(木) 08:13:58.75ID:cSHVKmOxつまり尾張まで見通せる、終わりからの侵攻を素早く察知できる高所というのが利点で
尾張方面から敵が来たら出陣して布陣、木曽川を渡らせないようにして侵攻を防ぐ
というのが稲葉山城時代(斎藤時代)からの設計思想
木曽川という天然の防衛ラインを活かすための城が岐阜城であり
逆にいえば敵に木曽川を渡らせてしまったらもう岐阜城は終わり
だから秀信が打って出たのはそのコンセプト通りでなんら間違ってないし
現実に秀信は侵攻をきちんと察知して対応してる
最初から籠城してればなんていうこのスレの話は
城に引きこもったまま敵に簡単に渡河させろという意味なわけでそれはおかしいだろう
0506人間七七四年
2019/05/09(木) 08:28:01.64ID:cSHVKmOxただ敵はこれだけではなくて池田たちの別働隊にまでは手が回らなかったという話
結局渡河を許してしまったのは敵の数が多すぎたせいで秀信の用兵のせいではないと思う
秀信が5〜6千、東軍が3万以上
そのうち福島たちが半分の1万5千とすると3倍の相手くらいまでなら渡河を防いで岐阜を防衛できる
ただし6倍は流石に無理ってこと
斎藤vs織田時代もこんな大差はついてなかったろう、末期になって寝返り者が出るまでは
では残りの池田たちにまで対応するにはどうすれば?といったら
やはり石田・小西といった大垣からの増援が不可欠だった
三成が作った戦場には輝元が来なかったせいだとか他の人間のせいにするのに
他の戦場に三成が遅れたケースだと三成は悪くなくて他の西軍(この場合は秀信)のせいってのがね
三成中心にモノを見すぎだと思うわ
0507人間七七四年
2019/05/09(木) 08:57:08.61ID:80sej8gk0508人間七七四年
2019/05/09(木) 09:07:35.15ID:4IRYU1510509人間七七四年
2019/05/09(木) 09:11:49.51ID:Fyi07T2S(福島正則の動きがまさにそう)
その場合は濃尾平野に大軍を配置して包囲殲滅する
織田信長は何度もこれをやられたので時間をかけて西美濃三人衆を調略した
そうして西美濃から援軍が来ない状況をつくって一気に北上して稲葉山城を攻略した
大垣城にこもって援軍を出さない三成の動きはまさにこの信長が美濃を攻略した時と同じ状況をつくってしまった事になるかな
0510人間七七四年
2019/05/09(木) 09:25:36.47ID:JEAFlgQHそもそも小さな山城で人がそんなに入れない
敵に金華山の麓まで来られて長期に陣取られたら岐阜城の落城は濃厚なんだよね…
岐阜城の抱えた弱点から防衛戦は野戦→籠城の順番になる
>>504-505が指摘してくれてるように、金華山からの眺望を活かして東軍に絶対に渡河させない軍の配置と指揮、防備を厚くする方向だと思うな
0511人間七七四年
2019/05/09(木) 10:33:20.03ID:2UdA45Lu日本は朝鮮半島情勢をまるで把握しておらず対馬の宗氏が提出した六色図以外は
まるで朝鮮半島の情報を持ってなかったがそれは三成がちゃんと調べておらず
しかもそれを埋め合わせるようにデタラメな情報ばかり秀吉の報告してたから。
それと全く同じミスを関ヶ原でもしてる。一番大事な東軍の動きを三成はまるで諜報しておらず
自分の希望的観測だけで軍を動かしてた。基本的に軍事に関しては丸っきり素人でウルトラ馬鹿だったんじゃないのか?
0512人間七七四年
2019/05/09(木) 10:36:22.98ID:2UdA45Luそういう不利な情報を秀信に言上したら西軍を裏切って東軍になびきかけないから
三成が忖度して「東軍も6000人程度でござる。安心するでござる」と言上してたんだろうな。
しかも忍者もまかず、まるっきり調べもせず自分の希望的観測だけで。
0513人間七七四年
2019/05/09(木) 10:41:09.05ID:Qil6XLc4山頂の主郭は山城で狭いですが西方の惣構と5つの上り口に10ほどの出城と砦に囲まれた巨城ですよ
ゆえに早期落城の原因は緒戦での損失逃亡による兵力不足です
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