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武田勝頼 part17

レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001人間七七四年2019/04/10(水) 13:33:03.02ID:a8HD/jGA
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1553253429/

前スレ 武田勝頼 part16

武田勝頼とそれに関連することを語りましょう。
0002人間七七四年2019/04/10(水) 13:54:14.89ID:tpClhJI8
テンプレ

根拠のない話は根拠がないと正直に申告しましょう。
根拠を問われたら必ず史料などを示すこと。

提示できなかった場合は根拠がなかった、あるいは論破されたとみなされます。
0003人間七七四年2019/04/10(水) 17:17:07.71ID:DmBLzzyd
>>2
菅沼ねえ乙
0004人間七七四年2019/04/10(水) 18:42:24.70ID:TfWgOhqB
菅沼って何者?
0005人間七七四年2019/04/10(水) 19:18:41.71ID:AlKQcZb4
人に史料出せ出せ言うけど自分は一切出さない人
0006人間七七四年2019/04/10(水) 19:23:48.01ID:AlKQcZb4
古文現文問わず国語が苦手なやつだな

書状のトンチンカンな訳を指摘してやったり、妄想話を論破してやった事も何度もある

まともに議論すると不利だから最近は揚げ足とりとかスレの進行妨害に徹してるもよう
0007人間七七四年2019/04/10(水) 19:41:43.84ID:E+fJftk/
ただの粘着荒らしじゃねーか
0008人間七七四年2019/04/10(水) 19:47:46.78ID:YiaItTpX
>>2
ID検索するとこれしかID無いからいつものIDチェンジしまくる奴だな
0009人間七七四年2019/04/10(水) 20:04:22.60ID:DmBLzzyd
「長篠の戦いで家臣団が死んだという資料をおまえらは出せないのだから家臣は誰も死んでない!!!」!
とかイキってた奴が >>2だろ
0010人間七七四年2019/04/10(水) 20:10:18.76ID:oBeuBSaE
>「長篠の戦いで家臣団が死んだという資料をおまえらは出せないのだから家臣は誰も死んでない!!!」!
こんなこと言ってる奴いたかな?
0011人間七七四年2019/04/10(水) 20:17:44.03ID:oBeuBSaE
>928人間七七四年2019/04/08(月) 11:16:15.88ID:Obss0po3
>でも実際具体的にどういった裏づけがあるのかは見てみたいな

>いくらでもあるというが実際どれくらいあるのか
>またそれが本当に戦死による代替わりと確認できるのかどうかも

そんなやり取りだったかなと調べてみたがこれかな?
これを「長篠の戦いで家臣団が死んだという資料をおまえらは出せないのだから家臣は誰も死んでない!!!」!
ってことにしちゃうのはまさに根拠を示さないとどんなガセを言われるかわかったものじゃないという典型じゃないか

それともその愚かさを示すために敢えてやったのか?
0012人間七七四年2019/04/10(水) 20:26:29.69ID:qGv54x0Z
長篠討ち死にリストだが、とりあえず名のある有名な武将だけ挙げて見た
間違ってたら教えて
・内藤修理亮昌豊(昌秀)
・馬場美濃守信房(信春)
・山県三郎兵衛昌景
・真田源太郎信綱
・真田徳次郎昌輝
・土屋右衛門昌次(昌続)
・原隼人佐昌胤
・安中七郎三郎景繁
・望月左衛門信永
・河窪信実
・三枝宗四郎守友
・高坂昌澄
・和田業繁
・飯尾助友
・五味貞成
・名和無理之助(宗奏)
ざっと頭に浮かぶのはこのくらいの名前かな
0013人間七七四年2019/04/10(水) 20:36:20.52ID:k1Gjn9vz
確実に死んだってソース出せと言われる
0014人間七七四年2019/04/10(水) 20:40:52.98ID:0qWPSXd+
>>13
信長公記に書いていたはずだが。
甲陽軍鑑にもある。
0015人間七七四年2019/04/10(水) 20:45:50.66ID:DmBLzzyd
>>14
ここに信長公記と甲陽軍鑑の該当部分をアップしろと言われる
0016人間七七四年2019/04/10(水) 20:51:37.23ID:rzbZSVqW
おまえの次のセリフは『信長公記も甲陽軍鑑も信用できない』という!
0017人間七七四年2019/04/10(水) 20:51:42.12ID:E+fJftk/
やっぱりただの粘着荒らしやないか
0018人間七七四年2019/04/10(水) 20:55:22.56ID:f89EVKG4
純粋にどんな史料があるのか疑問に思うのはいいじゃないか
0019人間七七四年2019/04/10(水) 21:12:29.02ID:YiaItTpX
>>2のIDが現れない件について
0020人間七七四年2019/04/10(水) 21:27:36.55ID:E+fJftk/
と言う訳なので粘着荒らしは出入り禁止で
0021人間七七四年2019/04/10(水) 21:33:42.96ID:0qWPSXd+
>>12
死にすぎだよなやはり。
追撃戦でほとんど死んだんだろうが、やはり背後に酒井が回った時点で犠牲を覚悟で撤退してたら、この半分も死ぬことはなかったろうに。
0022人間七七四年2019/04/10(水) 21:39:06.21ID:E+fJftk/
犠牲は最小限で済んだかもしれないが
本願寺に対する義理を果たさなかったと見做されて
寺社の支持を失い勝頼は追放されたかもね
浅井朝倉の救援もできず長島を見殺しにしてるから
内外の信用を繋ぎとめる為にはあそこで一戦交えるしかなかったと思うよ
0023人間七七四年2019/04/10(水) 21:45:44.64ID:f89EVKG4
もともと浅井朝倉本願寺が頼み込んで信玄を味方に引き込んだんだからそんな義理ないだろ
0024人間七七四年2019/04/10(水) 21:50:22.87ID:q0w8LYyO
4月12日までのpringのアプリ新規登録、せこい奴ばっかだね。
招待コード使って新規登録してもらうだけで、自分に500円入るのに謝礼しない奴ばっか。
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0025人間七七四年2019/04/10(水) 22:05:17.20ID:YiaItTpX
そもそも義理があるなら1573年の将軍義昭追放
浅井朝倉の滅亡をスルーしてる時点で義理立てする相手はいない
1574年の長島一向一揆があるうちに勝頼は西上作戦しなければいけないのに
1574年2月に明知城攻めては帰りの単発
1574年6月に高天神城攻めてはまた帰りと単発
そうこう長島を餌にしてるうちに9月に長島一向一揆が降伏
1575年4月までに三好が降伏し本願寺も和睦してるから
1575年5月時点で勝頼の義理はどこにも存在しない
0026人間七七四年2019/04/10(水) 22:33:54.74ID:0/x5/gfX
寧ろ長篠の時点で内心反織田勢力の信用を失ってるのでは
0027人間七七四年2019/04/10(水) 22:43:47.85ID:Tf0/zndf
>>25
>1575年4月までに三好が降伏し本願寺も和睦してるから

このときは本願寺と和睦してないぞ。それは10月まで下る。
むしろ三好が降伏してさあ次は本願寺ってとこで勝頼出馬の一報が入って三河に転進した。
0028人間七七四年2019/04/10(水) 23:03:59.50ID:MhOT4O2U
>>18
というか根拠を示せないことは威張ることじゃないのになんでこんなアレルギーみたいな対応するんだか。
0029人間七七四年2019/04/10(水) 23:08:11.28ID:iureU0kZ
通説や定説を疑いたいなら自分で労力使ってやれやって事でしょ

空気読めな過ぎ
0030人間七七四年2019/04/10(水) 23:25:05.37ID:YiaItTpX
>>27
おっとそうだな実際の和議成立は10月だったな
三好が降伏して本願寺もこれ以上継戦しようとしてなかったから
信長は帰ったわけだけど
勝頼はむしろ本願寺が織田の餌になってる隙に長篠を取ろうと攻めたら
信長本隊が来ちゃったと言ったほうが良いね
義理とか考えてないと思うよ
明知城や高天神城の単発攻めを見る限り
0031人間七七四年2019/04/10(水) 23:39:52.90ID:gX+Up4CE
勝頼に義理を優先する考えがあるなら同盟国の北条にあんな仕打ちしないよね
御館の乱以前に北条から北条夫人を貰っておいて上杉なんて同盟国でさえなかったわけだから
0032人間七七四年2019/04/10(水) 23:41:53.77ID:DmBLzzyd
「信長や勝頼が実在した証拠を出せ!」とか次には言いそう。
というかそういう主義者というのがどこの国にも一定数居て
イエスキリストや聖徳太子や山本勘助は実在しなかったと言い張ってるんだよな。
0033人間七七四年2019/04/10(水) 23:44:08.33ID:Tf0/zndf
義理なのか便乗なのか、どっちかに断定しないな。俺はどっちもだと思ってる。
政治ってそうじゃん、大義名分と実利を追うものよ。
勝頼としては本願寺への救済も三河侵攻も両方行える機会だった、でいい。

長篠の戦いにおいて討ち死にした武将のリスト(首注文)は『宣教卿記』にもあるね。
0034人間七七四年2019/04/10(水) 23:53:11.84ID:YiaItTpX
>>31
どういう考えから勝頼が義を重んじる武将だと思ったんだろうな
北条の件の他に高天神城の岡部なんて使い捨てにしたし
人質は即処刑、甲州征伐で裏切った国衆の人質は新府城ごと焼き払う
小さな罪を見せしめと称して斬刑にし、重罪も金次第で赦免
そのうえ、重税で民衆にも嫌われる有り様だし
0035人間七七四年2019/04/11(木) 00:00:24.10ID:V0rPvEE0
>>33
長篠の決戦前の書状だと勝頼は織田勢を劣勢に見てたようだから単に見た目で騙されてボッコボコにされただけでしょう
0036人間七七四年2019/04/11(木) 00:07:30.55ID:ysLEXUdh
>>34
重罪も金次第で赦免。

これは流石に酷いよな戦国時代でも。
殺人や強盗も金次第になるし。
勝頼には内政行政手腕、あるいは部下にそういう存在も皆無だったのかな?
0037人間七七四年2019/04/11(木) 00:24:00.34ID:V0rPvEE0
織田側の史料:信長公記
志多羅の郷は一段 地形くぼき所に侯。敵方へ見えざる様に、段々に御人数 3万ばかり立て置かる

兵を窪地に潜ませ少なく見せていた


武田側の史料:勝頼の設楽原決戦前の書状
然らば長篠の地取詰候のところ、信長・家康後詰として出張候といえども、さし指たる儀もなく対陣に及び候。
敵手立ての術を失い、一段逼迫の体に候の条、無二に彼の陣へ乗り懸り、信長・家康両敵共、この度本意を達すべき儀、案の内に候。

要する信長と家康が後詰としてやってきたが、これというほどの事もなく対陣している
しかし敵は手段に窮して縮こまっている有様であるから、一気に敵陣へ突撃すれば信長・家康の首も取れよう


お互いの史料から内容が合致しているから義理とか以前に信長は策を巡らせ、勝頼はそれに引っ掛かり好機と勘違いしちゃっただけ
0038人間七七四年2019/04/11(木) 00:43:16.73ID:lht052EJ
>>29
根拠を出さなくて済む空気にしたいって?
今の流れはむしろ逆のようだが
0039人間七七四年2019/04/11(木) 00:48:55.30ID:moS5q+Rm
ID変えて自演してるのバレバレだよ

聞いたことないような新説披露するなら史料出せというのはわかる

長篠で武田重臣が多数戦死したというような定説にわざわざ史料出す必要ない 
それを否定したいならお前が根拠出してこいって話
0040人間七七四年2019/04/11(木) 01:18:26.66ID:LqE8nRMd
長篠の決戦の理由は勝頼が織田徳川兵力を見誤っただけなのに

 これ以上織田との国力差が開くとジリ貧だの
 本願寺への義理だの
 勝頼は決戦したくなかったが家臣が決戦を望んだの
↑これらは史料で示せず個人の感想レベルなのにw

勝頼を無理矢理再評価するために責任転嫁してるのは同じ奴だろうけど
そういうのは史料を示せないんだよなw
0041人間七七四年2019/04/11(木) 03:24:27.71ID:Z7wSN6eh
兵力を見誤ったって数万単位で見誤るならそもそも武田の軍制が終わってる
2万人と思ってたら3万人でした(´>∀<`)ゝじゃ済まない

夜間を中心に移動してきたとか、山中を中心に移動したとかないから、それで兵数を大幅に見誤るなら、武田の情報収集能力はゴミとしかいいようがない
0042人間七七四年2019/04/11(木) 04:04:59.03ID:O0KGBSgq
>>40
しねガイジ
0043人間七七四年2019/04/11(木) 06:43:50.83ID:ysLEXUdh
>>40
最初のこれ以上〜ジリ貧はおかしい。
それじゃ太平洋戦争に何の見立てもなく突入した日本だよ。
当時の武田は確かに国力では織田徳川に負けているが、一気に滅ぼされるほど弱くもない。

こういう時こそ、時期を待つか、外交を駆使することが必要なはずなんだが。
0044人間七七四年2019/04/11(木) 06:46:10.47ID:ysLEXUdh
>>40
兵力を見誤った。

これもおかしい。
確かに1000や2000くらいなら見誤っても仕方ない。だが、岐阜から長篠までは平野部もあり、どうして見誤るのか?

仮に見誤っていた、として、見立てや予測は立てなかったのか、疑問符がつきまくる。
0045人間七七四年2019/04/11(木) 07:24:21.66ID:eHVEC0MN
信玄は三方ヶ原の時に織田の援軍数を正確に看破してたね
0046人間七七四年2019/04/11(木) 07:27:39.80ID:WEk2kFRV
>>45
してない。
軍鑑には織田が2万2000とある。
三河方面にあった守備隊まで合わせて誤認していた可能性もある。
0047人間七七四年2019/04/11(木) 07:41:43.77ID:LqE8nRMd
>>43-44
奥三河という自然溢れる所で断崖絶壁で橋を渡るのも高所だらけの絶景
現在も森ばかりで第二東名ができる前はもっと大自然溢れて起伏の激しい土地だぞ?
大軍が全員同じ小道を通って来たってか?
0048人間七七四年2019/04/11(木) 07:44:16.08ID:PByKQm80
信玄の代から武田は情報収集を軽視しすぎやろ
山岳戦が中心で大規模な兵力展開ができない立地で活動してたから
情報の重要性を理解していなかったのかも知れないが
そんで川中島4や長篠でシャレにならん損害を被るという
0049人間七七四年2019/04/11(木) 07:51:37.11ID:PByKQm80
>>47
一度岡アで家康と合流してるから
そこを押さえていれば大まかな兵数は把握できたろ
さすがに万単位で兵力を読み違えるとは考えずらい
だが本願寺と戦って大阪から移動してきてるから
長篠までの行軍で到着が遅れた部隊があると誤認した可能性はある
0050人間七七四年2019/04/11(木) 07:58:35.82ID:jymL7XwM
>>46
浜松に来た援軍数三千と見切ってる書状があるから
0051人間七七四年2019/04/11(木) 08:01:20.89ID:C+TCzojN
武田家というと歩き巫女という忍者集団が有名だけど
信濃領内にある戸隠忍者は武田信玄ではなく宿敵の上杉謙信に仕えてたんだよな
0052人間七七四年2019/04/11(木) 08:03:14.15ID:C+TCzojN
ちなみに歩き巫女というのは元来が諏訪神社の巫女で、諏訪信仰の伝道師として各地を歩き回ってたらしい
それを信玄は諜報活動に活用した。
0053人間七七四年2019/04/11(木) 08:07:02.43ID:PByKQm80
専門の諜報部隊じゃ無いから情報の質もお察しだったろうな・・・
0054人間七七四年2019/04/11(木) 08:07:22.66ID:lsj6pc4W
長篠からわずか4,50年後に描かれた屏風図では、織田徳川軍はよく教科書に載ってる様な
柵の内側から鉄砲隊が整列して撃ってる図じゃなく、小高い山や丘から鉄砲を撃っており
その後方の窪地に兵たちが隠れてる様子がちゃんと描かれてるんだよな
恐らくこれが本当の長篠の戦いの様子だと思う
つまり織田は陣城を築いて、その小高い場所から鉄砲を撃って、背後の窪地に伏兵を潜ませていたと
織田は柵から兵を出して、武田を挑発して武田が攻め寄せれば柵の内側に引いて鉄砲を撃ちはなち
武田が引けばまた挑発して・・・を繰り返したとみられる
0055人間七七四年2019/04/11(木) 08:22:07.58ID:aP4V5+t0
>>50
そんな書状誰が出してた?
宛名と日付は?
0056人間七七四年2019/04/11(木) 08:22:50.80ID:aWkflDFS
>>50
早く証拠
0057人間七七四年2019/04/11(木) 08:27:22.04ID:LqE8nRMd
>>49
岡崎城より吉田城のが長篠に近い
海運等の兵糧運搬の利点から吉田城経由ルートと予想するのが多いだろ
信長は実際は吉田城通らずに牛久保城を通りそのまま東進した
半分が牛久保城から東進、半分が吉田城ルートを通ったら兵力間違うわな
0058人間七七四年2019/04/11(木) 08:27:36.32ID:8bItBClY
菅沼じゃないんだからいちいち根拠出せとかやめろよ
0059人間七七四年2019/04/11(木) 08:43:56.25ID:C+TCzojN
第四次川中島でも信玄の諜報網は謙信軍の妻女山下山を全く知らず大敗北を喫しそうになってたものな
信玄って結構アホちゃう?
0060人間七七四年2019/04/11(木) 08:51:49.84ID:8bItBClY
菅沼の名前を出せば相手の史料名を出せという反論を封じられる
確かにこれは便利だな

今度俺も何の根拠もない適当なことぶっこいた後に根拠出せとかうるさいのがいたら
菅沼の名前使ってみるわ
0061人間七七四年2019/04/11(木) 10:03:52.68ID:jymL7XwM
>>56
帰宅しないと確認できない
0062人間七七四年2019/04/11(木) 10:27:13.40ID:C+TCzojN
長篠で勝頼の家臣たちが死んだ証拠を出せとしつこかった奴は流石に菅沼だろ
0063人間七七四年2019/04/11(木) 10:58:58.93ID:C9xbNBNY
>>62
菅沼か何か知らんがその件で意外と根拠が出てこないことにはちょっと驚いたな。
もっと明確なのかと勝手に思っていたが。
0064人間七七四年2019/04/11(木) 11:02:30.50ID:V0rPvEE0
>>44
酒井の別動隊を察知できず地理に疎かった武田軍にそんな正確な敵の居場所や兵数がわかるんですかね
敵に捕まらないように抜け道等を把握できる者がいないといけないのにおかしいですよね
岡崎まで諜報にいける奴がいるのに長篠周辺のことはさっぱりわからない武田軍ってことになります
0065人間七七四年2019/04/11(木) 11:15:28.22ID:L9uTlTlL
>>63
死ねガイジ
0066人間七七四年2019/04/11(木) 11:20:41.95ID:C9xbNBNY
>>65
そんなことで人に殺意向けるとか正気かよ。やっぱり菅沼ガーとか騒いでるヤツほど危ないな。
考えてみると根拠を出せないことを威張ってる時点で人としておかしいんだが。
0067人間七七四年2019/04/11(木) 11:31:52.65ID:msu+fUoZ
信長公記と甲陽軍鑑で内容が一致してるだけで一級史料として見れるから
敵味方口裏合わせて戦死者偽装する理由がない
0068人間七七四年2019/04/11(木) 11:38:33.49ID:C9xbNBNY
偽装とかじゃなくて同時代史料での裏づけがどこまであるかって話じゃなかったのか?
>>67のようなことを言っていては信長公記や甲陽軍鑑に頼らざるを得ないくらい同時代の裏づけが
少ないことを認めたということになってしまうが。確かいくらでもあると言っていた人もいたはずなのにな。
やっぱりこのスレで根拠を提示するように求めると当初申告していたこととは色々食い違ってくるケースが
多いんだな。歴史を論じることに関してはイマイチなスレだがネット上で人が取る行動の勉強にはなるスレだわ。
0069人間七七四年2019/04/11(木) 11:44:00.88ID:LqE8nRMd
>>68
信長公記と他の史料で一致すれば確実なのに
それでも足りないとか言い出して草生える
0070人間七七四年2019/04/11(木) 11:45:27.82ID:C+TCzojN
歴史上の話は例外なく全てが実体験に伴わない伝聞だから
「〜らしい」「〜と伝わっている」と話すと

「おまえは断言できないのか。自信が無いんだろ!」と煽り
「〜である」「〜で間違いない」と断言すると

「断言できるソースは。そのソースは絶対なのか!」と煽る

こういうのを世間ではアラシと呼ぶんだよ。
0071人間七七四年2019/04/11(木) 11:50:25.59ID:d6cgEAAv
武田の被害が大したことないとか言ってるのは、長篠から半月後くらいに武田勝頼が出してる書状で「我が方が多少の敗戦をした」とか言ってるのを信じているためなのかな?

あれはどう見ても負け惜しみじゃないの?
0072人間七七四年2019/04/11(木) 11:57:54.69ID:C9xbNBNY
>>71
そんなものは信じてないよ。ただ裏付けは思いのほか確認できないことに驚いただけ。
0073人間七七四年2019/04/11(木) 12:00:09.63ID:L9uTlTlL
>>72
死ね知障
0074人間七七四年2019/04/11(木) 12:00:29.71ID:LqE8nRMd
はい、いつもの駄々っ子モード
0075人間七七四年2019/04/11(木) 12:03:06.28ID:C9xbNBNY
>>74
>>73のヤツが?確かに軽々しく人に殺意を向けるヤツは駄々っ子だよなあ。
いや、駄々っ子にも失礼か。しかし根拠を出せないってことを指摘されて
ここまで癇癪起こすもんなのか。これもちょっと驚いたな。
0076人間七七四年2019/04/11(木) 12:09:33.83ID:LqE8nRMd
>>75
いや君のことだよ
0077人間七七四年2019/04/11(木) 12:20:04.94ID:d6cgEAAv
>>72
裏付けって、どんな裏付けしたら納得するの?
軍鑑や公記を否定されたらなあ。
0078人間七七四年2019/04/11(木) 12:27:35.79ID:msu+fUoZ
武田勝頼を中心として戦力立て直し、家督相続絡みで書状は多数あるけど、そんなもんいちいち荒らしの為にまとめて提示する労力費やしたくないんだよ誰も

それに一級史料として記録が残ってるなら誇張など含まれてる当事者が書いた書状なんかよりよっぽど根拠として確かだからな
0079人間七七四年2019/04/11(木) 12:31:55.36ID:M73odWge
>>55
信玄の朝倉宛の書状だろうな。
日付は72年の11月のやつ、15日か19日だったかな?
織田の援軍3千が浜松に着いたが、どういうことなんだ?って聞いてる。
0080人間七七四年2019/04/11(木) 12:34:57.50ID:xcTNmrJ/
以前志賀の陣で完全論破された時も散々駄々っ子してたからな

浅井からの降服、朝倉からの停戦要請を信長が拒絶したと「信長公記」「言継卿記」「尋憲記」に記録がある

ID:C9xbNBNY
で、でも朝倉本人が書状でそう書いてない!本人の書状だから間違ってるハズがない!
0081人間七七四年2019/04/11(木) 12:40:34.06ID:SjPY89+Y
田峯城は長篠から約13`離れたところで城主は武田側の菅沼刑部定忠、城所道寿であったが、菅沼定忠の息子菅沼定利は徳川に従っており、田峯城留守居今泉道善を招降して城を乗っ取るなど、一族分裂のうえ泥仕合の様相であった
0082人間七七四年2019/04/11(木) 13:08:33.65ID:67DQicIH
駄々っ子してないで戦国遺文武田氏編とか高野山の過去帳でも眺めてろ荒らし
0083人間七七四年2019/04/11(木) 13:11:06.60ID:C+TCzojN
あと「平山先生が言ったんだからこれが真実だ!常識だ!」もいい加減にして欲しい。
テメーが平山を神格化するのは勝手だがなんで俺等がそれに付き合わないかんのだ
0084人間七七四年2019/04/11(木) 13:17:19.16ID:d6cgEAAv
>>83
平山はなぜあそこまで勝頼を擁護するんだろうか?
0085人間七七四年2019/04/11(木) 13:19:15.74ID:d6cgEAAv
>>80
え?
でも言継も尋憲もれっきとした信頼性の高い史料だよ。それを否定するのは流石に、、、
0086人間七七四年2019/04/11(木) 14:22:57.47ID:LqE8nRMd
>>16はまこと見事な用兵なり
0087人間七七四年2019/04/11(木) 14:38:32.39ID:67DQicIH
>>84
実家の菩提寺が景徳院で、幼少のころより親から勝頼伝説を教えられてたと聞いた記憶がある
0088人間七七四年2019/04/11(木) 15:04:09.56ID:Qv7xkYhj
>>82
その戦国遺文見てもそんな多くないよな
天正三年以降の文書は4巻にまとまってるけどとてもとても
信長公記にリスティングされているような数ではないし
0089人間七七四年2019/04/11(木) 15:08:37.63ID:Qv7xkYhj
おっと、天正三年から天正六年と書かないと揚げ足取り大好きな荒らしに
あれこれ言われちゃうかなw
0090人間七七四年2019/04/11(木) 15:11:17.18ID:L9uTlTlL
>>89
豚くん登場
0091人間七七四年2019/04/11(木) 15:42:05.22ID:WmaaGhHF
戦死した根拠なんて長篠以降全く記録に残ってないで十分でしょ?
仮に生きていたにしても政治の表舞台から消え去って影響力ゼロなんだし割とマジでどうでもいい
0092人間七七四年2019/04/11(木) 15:45:35.34ID:L9uTlTlL
>>91
またID変えたの豚くん
0093人間七七四年2019/04/11(木) 20:11:44.25ID:WmaaGhHF
>>92
変えてねーよ
長篠で死んでないならその書状なりなんなり出せば確かに討死したか怪しいともなるが、
実際そんなものないんだろ?
0094人間七七四年2019/04/11(木) 20:25:26.21ID:lsj6pc4W
もし仮に、討ち死にしたとされてる武将たちが長篠で死んでなかったとしても
その後の武田軍の体たらくを見るに、武田の重臣も大したことなかったって事になるけどいいのか?
討ち死にした根拠を出せって言ってる奴は要するに、討ち死にしたって信じたくないだけで
長篠後も生きているはずだって願望を押し付けてるだけでしょ
0095人間七七四年2019/04/11(木) 20:32:51.22ID:d6cgEAAv
>>93
自分で探してみたらどうですかね?
0096人間七七四年2019/04/11(木) 20:47:57.07ID:2jluZPIj
うるせえ
0097人間七七四年2019/04/11(木) 21:11:37.49ID:kAU0bfNN
>>96
またIP変えてる(笑)
0098人間七七四年2019/04/11(木) 22:01:02.39ID:c6KQEGhW
>>94
実際大したことなかったんじゃない?
勝頼という傑出した当主の配下にいながら長篠で勝てなかったんだし
0099人間七七四年2019/04/11(木) 22:03:49.99ID:C+TCzojN
明智光秀ですら「死亡したという根拠が薄いので天海になって徳川政権を支えた」と
言い張る輩も歴史界には居るから
0100人間七七四年2019/04/11(木) 22:15:24.32ID:moS5q+Rm
長篠戦死者たち

山県昌景...享年47
馬場信春...享年61
内藤昌豊...享年54
真田信綱...享年39
真田昌輝...享年33
原昌胤...享年44

ここから9年後に武田は滅ぶけど、大半は引退を迎えてそうな高齢化っぷり
0101人間七七四年2019/04/11(木) 22:30:10.56ID:Z7wSN6eh
>>95
探してみたらって…無いものを探しても仕方ないだろ
山縣内藤馬場等が生きてるのがわかる書状が見つかったら大した発見だぞ
0102人間七七四年2019/04/11(木) 23:17:13.03ID:9zn//jTA
>>100
若いのもベテランも等しく死んどるよ
0103人間七七四年2019/04/11(木) 23:39:33.62ID:XXZVRRVn
何かで読んだけど、首帳って織田から上杉にも送られてそこから佐竹にも流れてたはず
0104人間七七四年2019/04/12(金) 00:01:51.09ID:7hOtFASa
>>100
山縣はウィキペディアの父親の記事見る限りでは、47ではなく60近いな。
0105人間七七四年2019/04/12(金) 00:14:12.50ID:FKFhE3/z
>>104
1556年まで源四郎名乗ってる事考えたら47歳くらいで妥当
60歳じゃ信玄より歳上だし
0106人間七七四年2019/04/12(金) 07:23:19.19ID:zl8l6ABh
でも「文書主義者」って少なくないんだろうな。
数年前に既に死亡した親の国民年金を不正受給してた事件で全国一斉調査したら
全国では160歳とか150歳の人が毎月年金を貰ってるケースが大量に出てきたんだよな。
志望届が提出されてないので文書上生存してるという理屈で。
坂本龍馬より年上の人すら居たわけだし。
0107人間七七四年2019/04/12(金) 07:27:17.66ID:bBMM5XUv
何がいいたいんだ?
0108人間七七四年2019/04/12(金) 07:28:01.50ID:zl8l6ABh
>>107
つまり長篠の合戦で勝頼の部下は誰一人死んでなかったと言い張る人が居ても仕方ないと
0109人間七七四年2019/04/12(金) 07:29:00.44ID:bBMM5XUv
>>108
頭大丈夫か?
0110人間七七四年2019/04/12(金) 07:30:09.43ID:zl8l6ABh
>>109
安倍ちゃんをディスってるわけ?
0111人間七七四年2019/04/12(金) 07:39:06.39ID:wpv7tJWr
>>110
戦国板まで来てスレチのアベガーって・・・
前に本能寺の変は武田を滅ぼした信忠、家康への饗応が始まりだからと論破したら
急にアベガーと発狂した奴か?
お前、歴史の知識なくて前後の流れ理解してないからそりゃ叩かれるわ
納得
0112人間七七四年2019/04/12(金) 07:42:58.56ID:5/H1I69n
動機自体がよくわかってない本能寺の変に始まりなんて無いと思う
0113人間七七四年2019/04/12(金) 07:52:25.21ID:zl8l6ABh
>>111
饗応が本能寺の変の原因ってか
変なのはおまえの脳味噌じゃw
0114人間七七四年2019/04/12(金) 07:55:40.98ID:wpv7tJWr
武田を滅ぼした信忠と家康への饗応だよ
明智光秀が饗応役でこれからの信長の居場所、行動予定を知り得た事
精鋭らがいなく甲信に行って手薄で信長も安土城にいなかったこと
途中解任の後に軍を編成しても不自然じゃない流れだったこと

武田が滅んでないと無理だわな
0115人間七七四年2019/04/12(金) 07:55:59.74ID:bBMM5XUv
>>113
電車とかすき?
0116人間七七四年2019/04/12(金) 08:00:56.11ID:zl8l6ABh
本能寺の原因は信長の不用心さ
これに尽きる。
今まで信長が本能寺の変のような不慮の事故で死んでなかった事自体が奇跡なだけだし。
信長が僅かな供を連れて浅井長政と対面した時も遠藤某という家臣が
「信長は危険人物だからぶっ殺しときましょうぜ」と囁き長政が首を縦に振るだけで死んでたし
似たような場面は今までいくらでもあった。
0117人間七七四年2019/04/12(金) 08:02:32.45ID:bBMM5XUv
>>116
その遠藤の逸話が史実である根拠を述べよ
0118人間七七四年2019/04/12(金) 08:07:27.33ID:zl8l6ABh
>>117
じゃあおまえは明智光秀が死んだという根拠を述べよ
0119人間七七四年2019/04/12(金) 08:11:44.56ID:bBMM5XUv
>>118
なに?
光秀が死んでないと思ってるのか?
それは山崎の合戦後に討たれず生き延びたと言いたいのか?
0120人間七七四年2019/04/12(金) 08:13:15.80ID:zl8l6ABh
斉藤龍興の刺客と雑賀孫一の刺客に狙撃されて二度死にかけてるだろ
普通はそういうのが恐ろしいから北条氏政とか島津義久みたいに総大将は
主城から軽々に動かないんだよ。普通は。
0121人間七七四年2019/04/12(金) 08:13:47.32ID:Am3OZKD2
確か前スレで高天神城の降伏した時期の議論も文書一枚でごり押ししようとしてた人いたな
武田徳川にコロコロ服属した時期や人質の移動処刑の確認が取れないって反論に対して
説明できずに暴れてた人も前後の流れの説明できてなかったね
0122人間七七四年2019/04/12(金) 08:15:28.87ID:zl8l6ABh
平山と本多が書状一枚で「武田信玄が高天神城を落としてたのは歴史上間違いない事実ニダ」と言い張り
シンパが「そうニダ!そうニダ!」と騒いでたよな
0123人間七七四年2019/04/12(金) 08:17:55.19ID:zl8l6ABh
信長は義昭とか道三とか家康とか長政の居城に
僅かな供だけ連れてひょこひょこ訪れるのが好きだったけど
相手に悪意があったら董卓みたいにあっさり暗殺されてたぞ。
というか本能寺の変のその日までされてなかった方が奇跡的。
0124人間七七四年2019/04/12(金) 08:24:26.28ID:zl8l6ABh
「人間50年」の価値観の人だから刺客に殺されたら殺されたで
是非なしという考えだったんだろうな。光秀に囲まれても取り乱さずという点を見ても。
そういうのはカエサルにも通じるところがある。
0125人間七七四年2019/04/12(金) 08:30:05.13ID:wpv7tJWr
菅沼スイッチが入ったか
0126人間七七四年2019/04/12(金) 08:31:10.88ID:zl8l6ABh
>>125
つーかお前菅沼だろ
0127人間七七四年2019/04/12(金) 08:35:57.18ID:zl8l6ABh
菅沼軍団はまだ5ちゃんで荒らしてるだけだからいいけど
明智憲三郎はリアルに歴史界や世間を荒らしてるから凄いよな
自称歴史研究家を名乗り荒唐無稽な説を次々と打ち上げ
僅かな資料で強弁はするし、逆に資料の無い部分に関しては妄想たくましく
自説をまくしたてる。
0128人間七七四年2019/04/12(金) 08:41:50.56ID:Am3OZKD2
自己紹介?
0129人間七七四年2019/04/12(金) 08:48:45.89ID:7hOtFASa
>>117
確か浅井関係の軍記。
浅井三代記じゃなかったか?
0130人間七七四年2019/04/12(金) 08:51:45.49ID:7hOtFASa
>>119
仮に生き延びてても、光秀の名ではもう歴史には登場できないから死んだのと同じでしょ。
0131人間七七四年2019/04/12(金) 08:55:52.02ID:7hOtFASa
>>120
逆に世間知らずが多いよそういう大将は。
氏政は言うまでもない。
義久も九州征伐を招き、豊臣政権でも対処を見誤るのが多かった。
フットワークが軽くないとあの時代に天下をとるなんて無理。
0132人間七七四年2019/04/12(金) 08:57:48.87ID:zl8l6ABh
「死」というのは
生物学的な死、社会的な死、法的な死、精神的な死とたくさんあるしな。
その区別を羽柴秀吉は明確にできてたし利用しまくったが
なぜか光秀はその死が曖昧で生物学的な死にこだわりすぎた。
0133人間七七四年2019/04/12(金) 09:00:21.84ID:zl8l6ABh
本能寺の変で織田信長は間違いなく生物学的な死を遂げたが
秀吉は信長を社会的に生き続けさせ、逆に光秀は信長を社会的にも法的にも殺す事ができなかった。
0134人間七七四年2019/04/12(金) 09:03:50.93ID:zl8l6ABh
>>131
始皇帝や家康を見ると幼少の頃に人質に取られ辛い思いをし
人間の表裏や世間の最底辺を実体験するというのは貴重なのかもな
でも徳川家光のように生まれつきのボンボンも安定期には必要なわけだったので
生まれた時代が良かったとしか言いようがない
0135人間七七四年2019/04/12(金) 09:07:06.30ID:bBMM5XUv
>>134
お前も幼少の頃に親に殴られて頭が足りなくなったんだな
0136人間七七四年2019/04/12(金) 09:18:10.05ID:wpv7tJWr
そういえば古代中国や古代ローマを例にいつも戦国時代と比較したり
ハドリアヌスの長城築けと云ってた池沼いたがこいつだったか
0137人間七七四年2019/04/12(金) 10:27:27.95ID:HX2KDYky
>>106
軍の活動もない、発給した書類もない
これでどうして生きてるなんて極論が出来るわけ?
0138人間七七四年2019/04/12(金) 12:24:36.00ID:hMi3Ip88
各スレでキャラを変えながら暴れているっぽい
頭に血が登って別のキャラ設定を出してしまったか?
0139人間七七四年2019/04/12(金) 13:11:50.85ID:6JRgB12b
仮に勝頼が長篠で、あくまで動かずに酒井の別働隊にも対処して対峙していたら、どうなっただろうか?

信長が大軍ゆえに兵糧調達に苦しんで撤退、とかはあり得るのか?
0140人間七七四年2019/04/12(金) 14:15:28.76ID:HX2KDYky
敵地に入ってきてる勝頼の方が先に兵糧つきるやろ
0141人間七七四年2019/04/12(金) 15:48:47.43ID:Am3OZKD2
>>139
第三次信長包囲網時なら信長は早く本拠に戻りたいだろうからね
信長が帰った後の徳川単体なら余裕だったろう
信長公記に鳶ヶ巣山から出て川を渡らなければと書かれてたように周りは断崖絶壁
守りやすい地形ではある

あの時期に単独プレーじゃもう勝頼に外交力が無いと言われても仕方がない
0142人間七七四年2019/04/12(金) 21:44:42.93ID:dY8Jnayv
勝頼 『謙信さんも信長攻めてるし俺達も徳川攻めて援護しようぜ』
家臣 『は?長篠の損害も立て直せていないのに何言ってんの??あんた追放な』

糸冬
0143人間七七四年2019/04/12(金) 22:15:35.68ID:skrp4cdG
そんな家臣がいなかったのが武田の悲劇
0144人間七七四年2019/04/12(金) 22:54:03.06ID:FKFhE3/z
>>143
勝頼が殺した
0145人間七七四年2019/04/12(金) 23:10:53.48ID:dY8Jnayv
誰が殺したクックロビン
0146人間七七四年2019/04/12(金) 23:11:06.01ID:zl8l6ABh
信玄は軍神ではなかった
勝頼は牟田口だった

大体結論出てるやん
0147人間七七四年2019/04/12(金) 23:44:09.04ID:o/fG6jXn
クロワッサンを食べつつ、わずかの近従とともに勝沼から天目山へ一気に駆け抜けます
0148人間七七四年2019/04/13(土) 07:15:37.06ID:28KeoFe1
先祖の武田信満が足利義持に攻め滅ぼされ一時滅亡した地も天目山なんだよな
それに倣ったのだろうか
0149人間七七四年2019/04/13(土) 07:21:55.62ID:SZORGwfM
岩殿城に入れなくてたまたま近くにあった天目山に流浪してただけだろ
0150人間七七四年2019/04/13(土) 07:27:16.01ID:+p5ZXHz8
完成してなかったとしても守備する兵数が足りなかったとしても新府城で
最後の一大決戦はすべきだったな。
高遠城とか各地の城で見殺しにするんじゃなくて武田家臣は全員新府城に集合と号令して良かったと思うぞ。
これ以上の天然の要害は武田領には無かったわけだし。
0151人間七七四年2019/04/13(土) 07:33:05.38ID:SZORGwfM
>>150
朝敵認定されちまったから新府城に行く前に離散するか
落ち武者狩りに遭って新府に辿り着く事すらできないかと
0152人間七七四年2019/04/13(土) 08:03:45.99ID:4+t+6a7t
長篠城は信長の命令で実は内堀と外堀の間に、中堀を掘っていたから
信長からすれば、「自分たちが到着するまで絶対に落ちない」と言う自信はあったんだろうな
だからあんなにゆっくりとした行軍で設楽が原に来てるし、悠々と柵やら陣城まで築く余裕があった
0153人間七七四年2019/04/13(土) 08:55:36.08ID:DW0JqKOn
東西南はグルッと断崖絶壁の川
北面は二百丁の鉄砲だからそもそも近付けない

弱点とするなら北側のが地盤面が高いから大筒や大砲が沢山あれば無力化される
貧乏な武田には無理な話しか
0154人間七七四年2019/04/13(土) 09:02:19.38ID:xt3KQai/
>>148
足利持氏だよ。
0155人間七七四年2019/04/13(土) 09:40:57.41ID:sTVNR+vV
>>148
地形か何かでたまたまそうなったんじゃね?
0156人間七七四年2019/04/13(土) 13:40:51.07ID:+p5ZXHz8
笹子峠が一つ大きな関所になってたんでしょ
今はトンネルがあるから1分で抜けられるけど、あのトンネルが無かったら超えるのは地獄だって。
0157人間七七四年2019/04/13(土) 13:47:05.95ID:b51BVdrK
勝頼が新府城を捨てて岩殿山城を目指したのは、最終的に山梨北部から山越えして群馬方面に逃げる気だったのかな? 現在の国道13号と国道140号を使って。

当時はあのあたりはどうだったのでしょうか?
0158人間七七四年2019/04/13(土) 13:57:59.12ID:DW0JqKOn
>>157
既出の話だな
国道140号は雁坂トンネルの開通に伴って往来が可能になった
雁坂トンネル開通までは雁坂峠の登山コース

60:人間七七四年 2019/02/25(月) 22:57:10 ID:HOaTGcPg
>>57
諏訪地域 標高760m ← 織田軍に凍死者が出た
野辺山高原 標高1,345m
雁坂峠 標高2,082m


同じ時期に装備も無しに親族の女子供引き連れて
登りたいとは勝頼も思わないわな
0159人間七七四年2019/04/13(土) 13:59:31.63ID:EmXicur1
天正壬午の乱で甲斐の地形を上手く活かして北条を手玉に取った武田旧臣たち

街道を進む北条軍の背後に山越えして回り込むとかワクワクする戦い方してるんだよなぁ
0160人間七七四年2019/04/13(土) 14:19:29.90ID:rywSPLt6
>>158
勝頼と信勝と他数名なら何とかなるのでは?
織田軍も徳川軍もあんなところ山狩りしたいなんて思わないだろうし。
0161人間七七四年2019/04/13(土) 14:23:12.19ID:DW0JqKOn
>>160
小山田と親族の女子供を捨て石にして自分らだけで逃げようとしてたなら
まあ小山田の裏切りに文句は言えないわな
0162人間七七四年2019/04/13(土) 14:32:36.86ID:U2STGOSk
重臣たちは勝頼滅亡後のことを考えだしてるし、領民たちは重税で恨み心髄だし
0163人間七七四年2019/04/13(土) 15:01:25.05ID:NHTgifUe
そうでなくとも朝敵だし
0164人間七七四年2019/04/13(土) 16:09:29.22ID:28KeoFe1
>>155
たまたまたまかもしれんが、勝頼はけっこう前例とか慣例を参考にして行動しているところがあるんだよなぁ
0165人間七七四年2019/04/13(土) 19:38:53.65ID:4+t+6a7t
勝頼は莫大な金に目がくらんで北条との同盟を破棄した男であり、
味方が追い詰められても援軍すら出さない冷たい男であり、さらに朝敵でもある。
そんな認識が世間に広まってしまったのです。
0166人間七七四年2019/04/13(土) 19:40:46.39ID:4+t+6a7t
今「ブラタモリ」で甲府盆地やってるな
0167人間七七四年2019/04/13(土) 19:49:05.58ID:4+t+6a7t
天正9年(1581年)正親町天皇は勝頼を東夷(朝敵)と認定した・・・
0168人間七七四年2019/04/13(土) 19:56:10.63ID:vSIfhgU5
信長から誘われた時、和睦しときゃ良かったものを
0169人間七七四年2019/04/13(土) 20:04:24.18ID:U2STGOSk
小山田と穴山という、武田の両山が崩れたのだ。もう、どうにもならぬ
0170人間七七四年2019/04/13(土) 20:09:07.30ID:SZORGwfM
>>168
だがそれは信長の罠だった・・・
のこのこ岐阜に出頭した勝頼は捕らえられ
濃姫のサディスティックな劣情の生贄にされてしまったのだ・・・
0171人間七七四年2019/04/13(土) 20:19:23.25ID:4+t+6a7t
>>168
ほんとそれ
せっかく信長から声を掛けてきたんだから、願っても無いことだったろうに
武田のプライドを優先してしまったばかりにチャンスを逃してしまったんだよな
この勝頼の和睦拒否を信長は相当激怒したらしく、徹底した武田潰しを実行に移すことにしたんだよな

可哀想に・・・・
0172人間七七四年2019/04/13(土) 20:21:48.05ID:4+t+6a7t
わざわざご丁寧に「朝敵」認定までする用意周到さだから
信長は勝頼に対して相当頭にくる恨みみたいなものがあったんじゃないだろうかね
0173人間七七四年2019/04/13(土) 20:23:30.65ID:U2STGOSk
信玄に対する怨みの側杖じゃないのかね
0174人間七七四年2019/04/13(土) 20:51:03.76ID:4+t+6a7t
>>173
それはあると思う
『常山紀談』にこうある
勝頼の首が信長の元に送られて首実検が行われたとき
信長は勝頼の首を見るや否や、凄まじい勢いで勝頼の首に向かってこう罵ったと言う。

「極悪人 信玄の息子よ。

その罰が原因で、汝はこのような姿に成り果てたのだ。

汝の父親の信玄は京の都へ行きたいと言っていたらしいな。

父・信玄の夢を叶えてやるため、貴様の首を京の都へ連れて行ってやろう。

京の都へ貴様の首を晒して、笑いものとなるがいい。」

挙句の果てには散々に勝頼の首を足で蹴飛ばしたりと鞭打つ始末だったらしい・・・
信長が長年抱いていた「信玄に対する恨み」の凄まじさが伺えると思う
0175人間七七四年2019/04/13(土) 20:58:50.19ID:DW0JqKOn
『常山紀談』(じょうざんきだん)は、江戸時代中期に成立した逸話集。
逸話集の形体は、一つの条の中に出典の異なる話が雑然と行を続けて
書かれていて玉石混淆で、信憑性には問題があり
0176人間七七四年2019/04/13(土) 21:48:58.94ID:qPSPS0hv
信長が信玄に怒り狂ってる謙信宛の書状残っとるやろ
「幾重も遺恨更不可休候」
0177人間七七四年2019/04/13(土) 21:51:20.00ID:Ov1soGcP
その恨みを向けられた勝頼がかわいそうだな。
0178人間七七四年2019/04/13(土) 22:03:37.02ID:DW0JqKOn
上の方で信憑性云々って話が出てるのに
江戸時代中期に作られた逸話集をソースに出すのは頭がおかしいんじゃない?
0179人間七七四年2019/04/14(日) 01:12:31.25ID:Vvdaj58t
いちいち信憑性とかにこだわってお前は菅沼かよ
こりずにまた来てるのか
0180人間七七四年2019/04/14(日) 01:21:21.08ID:770QVxGb
信長公記などの信憑性のある史料と
信憑性のない逸話集の常山紀談と区別ができず
同列に扱おうとする知識のないのが菅沼
0181人間七七四年2019/04/14(日) 06:05:20.82ID:v4olpxQ+
まぁ信玄ageしまくってた江戸中期においてすら
信玄の極悪ぶりは認識されてたって事やろ
勝頼は悪くない武田を滅ぼしたのは信玄のせいだと
0182人間七七四年2019/04/14(日) 08:04:37.42ID:pp/o7nH6
そりゃあれだけ、贈り物も贈って、平身低頭頭も下げ続けて、姻戚関係まで結んでたのに
窮地に追い詰められるや否や、いきなり同盟破棄して攻め込んでくるんだもんな
そりゃ誰でも怒るよ
終戦間際に不可侵条約一方的に破棄して攻め込んできたソ連並の汚い行為だし
0183人間七七四年2019/04/14(日) 08:18:55.13ID:770QVxGb
信憑性の有無は戦国当時の史料として多いに関係あるが
江戸時代中期の認識云々は戦国時代の史料に使えないの分かるよな?
0184人間七七四年2019/04/14(日) 08:25:44.60ID:v4olpxQ+
史料としての価値は無いが
現代より当時に近い時代の評価がどのような物だったのかは分かる
研究が進んだ現代の情報の量を取るか
それとも戦国期に近い時代の情報の鮮度を取るか
それは意見の分かれる所だな
0185人間七七四年2019/04/14(日) 08:55:25.84ID:orF/ekY6
俺が第二次世界大戦中の逸話集出しても2.300年後の人たちは史料として扱ってくれるだろうか
0186人間七七四年2019/04/14(日) 08:58:19.59ID:S5s+iROo
戦艦大和の造船技官だった祖父が資材の一部のプラチナで指輪を自作して祖母に求婚した
0187人間七七四年2019/04/14(日) 08:58:54.81ID:770QVxGb
常山紀談
1739年成立、完成は1770年

これが戦国期に近く鮮度があるだって?
戦国時代の関係者はすでに全員死んで現代と変わらんぞ?
しかも脚色物が流行ってる時代
0188人間七七四年2019/04/14(日) 09:21:11.18ID:zWPRG/ce
>>184
分かれないだろ普通に考えて
その情報が正しいかどうか検証したのが現代の研究なんだし
0189人間七七四年2019/04/14(日) 09:22:18.87ID:g4ZPJZ9G
小山田ではなく真田と一緒に群馬の山中に引き込もっていてもダメだったのか?
0190人間七七四年2019/04/14(日) 09:53:25.38ID:v4olpxQ+
>>189
生き残るだけならできたかも知れないが
もう復活の芽は無いから武士としては事実上死んだも同然だな
0191人間七七四年2019/04/14(日) 10:13:29.28ID:X4zOw2nF
あとはジリ貧だと尼子コースか
0192人間七七四年2019/04/14(日) 13:44:22.75ID:M5cMS/ET
当時の真田は外様筆頭くらいのポジションでしょ?
武田って結局一門衆の力が物凄く強い
0193人間七七四年2019/04/14(日) 13:45:21.52ID:nGHkHtLe
我に七難八苦を与えたまえ
0194人間七七四年2019/04/14(日) 13:47:00.69ID:nGHkHtLe
>>192
研究者によれば、武藤家を継いだ昌幸が真田に入ったから譜代成りしたって認識だったと思う
0195人間七七四年2019/04/14(日) 14:00:52.18ID:Z7bPFYeA
>>194
丸島和洋の主張だな
0196人間七七四年2019/04/14(日) 16:37:08.61ID:4k0mUwzN
>>192
武田氏は一門じゃなく譜代の力が強い
信玄、勝頼は一門を警戒し大きな権限を与えなかった
0197人間七七四年2019/04/14(日) 17:05:00.67ID:Ev0qNhnO
真田と群馬引きこもり作戦だめか…が次々に裏切られて山中であっけなくやられるとはまさか思わなかっただろうけど
0198人間七七四年2019/04/14(日) 17:30:20.64ID:odUVF9lj
筆頭家老であった板垣信憲が処分されたように
譜代だ一門だと言っても信玄が処分すると決めたらそれで終わりよ
0199人間七七四年2019/04/14(日) 17:35:48.10ID:/iKUp2UP
信繁生きてたら、義信事件はあったんだろうか。
長篠はどうなったんだろうか。
0200人間七七四年2019/04/14(日) 18:00:27.43ID:/lSmrXKQ
逍遥軒のような扱いになり下がる信繁は見たくないから戦死したままでいい
0201人間七七四年2019/04/14(日) 18:21:33.61ID:h5Iyd1qH
よく考えると、群馬山中に潜伏あるいは逃げ延びるにしても、勝頼は度重なる重税と軍役で民衆の恨みを買ってるから、信長なら民衆に褒美を与えるとか言って山狩りさせそう。民衆の支持なく潜伏なんて無理かも。
0202人間七七四年2019/04/14(日) 18:28:11.82ID:TJtdJXjN
三河弐聯木城攻めの功績のトラブルで原、甘利の侍大将が刃傷沙汰起こしている。信玄はそれを処分している。板垣信憲にしても。
しかし勝頼は処分できなかったのだよ
0203人間七七四年2019/04/14(日) 21:43:55.98ID:Z7bPFYeA
>>202
長篠で大量に人材殺しちゃったせいで気軽に処分しても次の後釜が用意できない状態になっちゃったからな
0204人間七七四年2019/04/14(日) 23:11:41.64ID:rXzRaohX
>>201
日本赤軍は大菩薩峠では民宿に泊まりながら手榴弾の訓練をしてたので
他の宿泊客から警察に通報があり山梨に潜伏してる事がばれちゃったけど
南アルプス新倉や群馬の榛名山、迦葉山、妙義山ベースは警察がテレビで
散々情報提供を求めても全然アジトがばれなかったよね。
民宿などではなく山深いところに自分たちで山小屋を作ったりテントを張ってたから。
0205人間七七四年2019/04/14(日) 23:16:28.60ID:sHy0dn3B
当時じゃ絹や麻木綿の服で碌に温度遮断出来ないような小屋陣幕で、
まともな保存食どころか水も確保出来ないでどう潜伏しろと。

それが可能なら石田三成だって伊吹山中で見つからずに潜伏出来たんじゃないか?
0206人間七七四年2019/04/14(日) 23:18:53.75ID:rXzRaohX
連合赤軍も森と永田のリンチでどんどん構成員が死んでったけど
リンチ+凍死による死者がほとんどだったよね。
リンチされなかったものは木を燃やして暖をとれたから死ななかった
0207人間七七四年2019/04/14(日) 23:24:12.90ID:rXzRaohX
連合赤軍の者たちは飲み水の確保に関しては各アジトの周辺で沢を探して
各自の水筒に入れてたようだが。
というか山登りをする人は誰でもそうするんじゃねえの?水道などないわけだし。
0208人間七七四年2019/04/14(日) 23:26:13.50ID:TJtdJXjN
2000b級の山を越えて沼田領に退去しますので、チョコレートやカロリーメイトを携行して万全体制で臨みます。
0209人間七七四年2019/04/14(日) 23:30:59.35ID:rXzRaohX
佐々成政の厳冬の飛騨山脈(北アルプス)・立山山系越え(富山と浜松の往復)って
どうやったんだろうな。2000メートルを遥かに超える山で現在でも冬山登山をして
しょっちゅう死ぬルートをどうやって往復したんだろ。
当時、凄まじい積雪がある中で往復したようだし。
0210人間七七四年2019/04/14(日) 23:58:04.13ID:sHy0dn3B
沢利用するならいずれ発見されるだろ。

事前に潜伏に適した場所を調査すれば人目に付くし、
事前調査なしでは都合がいい場所が見つからない可能性が高い。
0211人間七七四年2019/04/15(月) 00:02:38.87ID:w4CnNS5j
赤軍派が山岳ベースを設けるようになったきっかけは
PFLP(パレスチナ解放人民戦線)の軍事訓練センターを知って
これはパクらなあかんと思ったらしいね。
フセインとかイラク国も同じものをもってるけどGPSやヘリコプターで
それは念入りに米軍は軍事訓練センターを探し回ってるけど
中々見つからないんだよな。不思議な事に。
0212人間七七四年2019/04/15(月) 00:07:35.96ID:w4CnNS5j
雑賀衆なんて武田家より遥かに狭い範囲にアジトがある事が確定してて
10万人が一カ月以上もローラー作戦で山のありとあらゆる場所をしらみつぶしに
探しまわり根切りなんて息巻いてたわりには、あっさり「無理だ」と諦めて
全軍引き返して越中に攻め込んでた上杉謙信攻めに転身したものな。
0213人間七七四年2019/04/15(月) 00:13:20.12ID:6DiFWNye
織田家に凍死者が出ていた、と言われるし、山中で頑張れば織田家も嫌になって撤退するかな?
0214人間七七四年2019/04/15(月) 00:15:56.00ID:w4CnNS5j
斉藤龍興の捜索を「意味なし」とあっさり諦めた信長だし
いつまでも大軍で山探しするとは到底思えん。
かけるコストに見合わないと思えば無理強いしない性格だし
0215人間七七四年2019/04/15(月) 00:27:00.36ID:6DiFWNye
そうなると勝頼が復権もできるかな?
0216人間七七四年2019/04/15(月) 00:29:17.96ID:w4CnNS5j
龍興と同じくらい復権はムリポ・・
0217人間七七四年2019/04/15(月) 00:30:38.62ID:QNJIYc5n
勝頼には栄えある越中新川郡5万石、さらには肥後1国52万石を
0218人間七七四年2019/04/15(月) 01:50:23.52ID:4/ixyICt
>>214
斎藤龍興は自領の美濃山中でゲリラ戦したわけじゃなく
長島に亡命した反織田勢力の庇護を受けただけだから
0219人間七七四年2019/04/15(月) 10:21:05.15ID:p4NkVsID
勝頼って自分の子飼いはいなかったのかな?
全部父親が付けたか引き継いだ重臣ばかりだよね?
信長、秀吉、家康みたいな子飼いはいなかったのかな?
0220人間七七四年2019/04/15(月) 11:15:02.91ID:w4CnNS5j
信豊とか跡部とか昌幸みたいに信玄から引き継ぎはしたけど
勝頼が特に重用したという家臣ならたくさん居ただろ
0221人間七七四年2019/04/15(月) 11:31:22.46ID:p4NkVsID
誰?
0222人間七七四年2019/04/15(月) 11:31:25.85ID:4/ixyICt
信豊を重用したのが武田滅亡の始まり
0223人間七七四年2019/04/15(月) 11:42:13.84ID:QNJIYc5n
信豊も信廉も、木曾や穴山の織田方通謀を見て、あぁウマいことやりやがったな〜位にしか思わなかったと存じます。
仁科の奮闘だけが唯一神だったわけでして
0224人間七七四年2019/04/15(月) 11:52:35.69ID:5f+TfWmm
奮闘(1日で開城)
0225人間七七四年2019/04/15(月) 12:19:03.80ID:1zwmUIWX
>>223
たった一日で落とされたあの戦いじゃ、お世辞にもあれは奮闘とは言い難い結果だけどね
ただ単に、裏切りや逃亡が続発する中、唯一まともに戦ってくれたってだけで・・・

奮闘ってのは岩屋城にわずか763人で篭って、5万とも言われる島津軍相手に半月間互角に戦い
最後は763人全員討ち死に玉砕という凄まじいまでの執念を見せた高橋紹運の様な戦いを奮闘と言うんじゃないかな
0226人間七七四年2019/04/15(月) 12:33:51.70ID:1zwmUIWX
>>222
しかし信豊って親父の凄さの10分の1も感じないよな・・・
0227人間七七四年2019/04/15(月) 13:54:34.53ID:p4NkVsID
信豊って次男で跡継ぎとしての教育は受けてなかったのでは?
長男が急死したから跡継ぎになったから。
まあそれでもあれだけ酷いわけだけど。

信豊を見てると、やはり長男を失うことの痛手はよくわかるな。
信玄も義信を殺したのがああなったわけだし。
0228人間七七四年2019/04/15(月) 13:55:06.65ID:p4NkVsID
というより、勝頼個人には武田宗家の家督に興味とか野心はあったのかな?
0229人間七七四年2019/04/15(月) 15:05:18.49ID:mHWgNhQw
勝頼は家督に関心などなかったのに武田を継がされた悲劇の軍神
0230人間七七四年2019/04/15(月) 15:32:32.10ID:x8jIeI2w
>>229
長男は元服した段階で養子に出てるから、信豊が嫡男(長男が側室の子で
信豊が正室の子)だったんじゃね?

まあ信豊が元服前に信繁が死ぬから、跡継ぎとしての教育する時間は
あまりなかっただろうけど
0231人間七七四年2019/04/15(月) 16:13:46.29ID:4/ixyICt
勝頼は義信事件以後は武田の後継者として従軍してる経験があるし
諏訪時代でも今川の家臣として前線で戦ってた家康と同じ
何の教育も受けてない秀吉よりマシだろう
毛利元就や上杉謙信も嫡男では無かった
逆に嫡男としてちゃんと教育を受けた今川氏真がアレだから
嫡男の教育とやらは関係なくほぼ本人の才能
0232人間七七四年2019/04/15(月) 16:21:52.89ID:orinnmZ0
勝頼と戦国の世を生き抜いた氏真はどっちが上なの?
0233人間七七四年2019/04/15(月) 17:03:40.66ID:QNJIYc5n
氏真の場合はさっさと見切りをつけたから、家臣団も、不忠者のレッテルを貼られず、心置きなく、武田、北条、徳川と、それぞれの落ち着き先を決めることができた。
しかし、勝頼の場合は、最期の最期まで出血サービスを強いたから、犠牲者が相次いだ。発狂して田野の山の中をさ迷い、滝川、河尻らに攻め殺されてしまったのだ
0234人間七七四年2019/04/15(月) 17:27:22.67ID:zMMLzTyL
最後はほとんど戦わず総崩れでしたやん
0235人間七七四年2019/04/15(月) 18:29:23.12ID:w4CnNS5j
せめて木曽に裏切られた辺りで自分の運命を悟り武田全軍に新府城集合を呼びかけ
最後の決戦をして欲しかった。 そこで華々しく散っても武田家の最後はこれほど華やかだったと
語り継がれるようであって欲しかった。
真田信繁はそういう意味で武士の本懐を遂げたし、北条氏政だって北条家の最後を飾るには
恥ずかしくない戦いを魅せてくれた。
0236人間七七四年2019/04/15(月) 18:41:57.80ID:4/ixyICt
>>233
信玄の駿河侵攻で今川家臣が敵前逃亡や寝返ったのと
信長の甲州征伐で武田家臣が敵前逃亡や寝返ったのと
変わらないじゃないか
0237人間七七四年2019/04/15(月) 19:26:55.05ID:h8qVEilg
>>235
いろいろな意味で無理
新附を守ることに意味は無いから小田原とは違うし、武田の特に譜代の家臣は自分の領地が優先
真田だって勝頼と運命を共になんてしなかっただろう?
0238人間七七四年2019/04/15(月) 19:42:57.76ID:ksMB/4+Q
真田は運がいいと言うか上手く生き延びたよね
勝頼が岩櫃城に行くといったらどういう言動をとったか未知数なもんだけど
小山田をいい具合にスケープゴートにできたな
0239人間七七四年2019/04/15(月) 21:44:22.84ID:6TgRBNOj
>>231
氏真無能説は古いよ
ちゃんとやることやっていた
0240人間七七四年2019/04/15(月) 21:46:44.35ID:6TgRBNOj
>>238
岩櫃行きの提案は信憑性ないからな
その選択はなかったんじゃないかと思われる
0241人間七七四年2019/04/15(月) 21:53:34.66ID:6TgRBNOj
>>226
いや信豊も軍事外交と多方面で活躍してるけどね
官房長官的なポジションとして
勝頼が一番信頼していたのではないかと
0242人間七七四年2019/04/15(月) 22:00:22.77ID:QNJIYc5n
越後との交渉は信豊なんだよ
0243人間七七四年2019/04/15(月) 22:02:15.19ID:pHJ3uaQN
>>241
信頼していたのはいいけどさ、能力がね、、、。
0244人間七七四年2019/04/15(月) 23:06:17.79ID:6TgRBNOj
>>243
能力が低い根拠はないでしょうに
悪いイメージは軍艦の影響によるもので、軍艦は武田滅亡の原因を勝頼時代の幹部に押し付けてる感じだからね
0245人間七七四年2019/04/15(月) 23:38:53.93ID:4/ixyICt
>>239
説が古いと言って何の根拠もなく言ってるいつもの奴か
今川を滅ぼした挙げ句、家康の配下でもやる気がなかったから
城主解任されて戦国武将としては終わったんだけどね

>>241
蒲原城の信玄の書状より勝頼と信豊が無策に城へ攻め登り肝を冷やした
と心配される書状があったんだけどね
その能筋コンビが長篠でやらかしたと
0246人間七七四年2019/04/15(月) 23:41:14.75ID:pHJ3uaQN
>>244
長篠の決断、御館の対応と北条との関係悪化、織田の武田攻めによる対応と敗走ぶり。

他にもたくさんありますが、この3点だけでも軍鑑によるものだけとは思いにくいんですが。
0247人間七七四年2019/04/16(火) 01:05:30.69ID:Gup9TUFb
>>244
勝頼は信玄の負の遺産さえなければ全然違っていたよな
0248人間七七四年2019/04/16(火) 01:13:23.10ID:2wzbT58O
負の遺産の信豊を重用して勝頼自身が有能な家臣の新規発掘&育てられなかったのが悪い
0249人間七七四年2019/04/16(火) 07:49:43.27ID:Vc/MOMcO
>>245
氏真って長篠の合戦に徳川軍として従軍してたって聞いたけどホントなの?
0250人間七七四年2019/04/16(火) 08:48:38.60ID:0SGnjDSn
>>247
武田信玄って外交が上手って言うけど、何処がうまいのかな?

今川も徳川も織田も、いずれ同盟破綻はしたと思うが、その破綻をしたのは全て武田信玄。どうして火中の栗を拾う真似ばかりしたのか不思議でならない。

上杉謙信みたいに律儀を装って上杉憲政を庇護したり、織田信長みたいに北畠や神戸らを利用したりすらしない。

武田の外交的破綻による負の遺産は、間違いなく武田信玄にも責任はあるよね。
0251人間七七四年2019/04/16(火) 09:36:03.73ID:Rls0WCHX
勝頼は軍神と言われるほどの武将だから信玄の負の遺産がなかったら長篠でも勝っていた
0252人間七七四年2019/04/16(火) 10:33:49.93ID:1m6xBkxx
>>250

共同作戦
諏訪と組んで佐久攻め
高遠抱き込んで諏訪攻め
徳川と組んで駿河侵攻
上杉と同盟して小田原遠征
朝倉、本願寺と繋がって三河侵攻

調略
越後の北条、本庄、三河の山家三方衆、美濃の遠山、遠藤...etc

信長や元就に比べればやや格落ちするけど外交、調略で順当に勢力を拡大してるから十分上手い
0253人間七七四年2019/04/16(火) 11:14:50.12ID:LUjQIP9I
>>250
甲信の貧しさを知らないからそういう感想になる
律儀や大義名分を優先したらあそこまで大きくなれない
兵は詭道なり
0254人間七七四年2019/04/16(火) 11:25:49.58ID:0SGnjDSn
>>253
いや同盟破棄が悪いとは言わないよ。
ただ、自分から全部破棄して行くんじゃなくて、うまくやりくり出来なかったのかな、と言いたいんだよ。上杉長尾、諏訪、高遠、北条、今川、徳川、織田と全部だから。
0255人間七七四年2019/04/16(火) 11:36:08.12ID:Tavehisy
甲信の貧しさ自体が信玄の負の遺産なんだけど
0256人間七七四年2019/04/16(火) 11:37:22.28ID:2wzbT58O
駿河侵攻は遅すぎたくらいだな
1561年に義信を上杉に人質に差し出して上杉と同盟して今川北条攻めるべきだった
0257人間七七四年2019/04/16(火) 11:41:46.49ID:0SGnjDSn
>>256
上杉が認めるわけない。
そもそも同盟するなら、関東管領を認めるわけだから、武田は上杉の下位につくことになります。
0258人間七七四年2019/04/16(火) 11:46:06.19ID:N5uK0Kxv
輝虎め…関東管領など今や何の力もないこと知らぬのか。一つの本陣に総大将二人並ぶことなどできようか。和睦の話など白紙に戻せ。
0259人間七七四年2019/04/16(火) 11:46:58.21ID:2wzbT58O
>>257
信玄の信濃守護を謙信は認めたわけだけど?
その段階で北進やめて南進に方向転換すれば良かった
0260人間七七四年2019/04/16(火) 11:50:58.85ID:s2XjNQb6
武田と上杉が同盟を結んで、上杉と北条がタイマン状態になったら上杉は北条に勝てるのかな?
0261人間七七四年2019/04/16(火) 11:51:17.07ID:dU8BpSTa
信玄はマキャベリストを地でいってるからな
0262人間七七四年2019/04/16(火) 11:52:40.83ID:0SGnjDSn
>>259
認めないと足利義輝を裏切ることになるからだよ。その段階で南進は今川義元と衝突になります。
0263人間七七四年2019/04/16(火) 11:54:44.63ID:2wzbT58O
>>260
1561年に上杉が北条攻めて、武田は今川攻める
駿河併合に北条の邪魔が入らず、徳川にも掛川城、浜松城と堅城をやらずに次に三河侵攻できる
0264人間七七四年2019/04/16(火) 11:57:15.14ID:dU8BpSTa
信玄の人生の最大のミスは同盟を結んでた村上義清に対し
高梨政頼と村上義清が闘い始めたタイミングで火事場泥棒しようとして電撃侵攻をした件。
それを上回る電撃和解を高梨と村上がしたのは謎だが、もしかしたら最初から高梨と村上は組んでて
信玄を引き寄せるためのプロレスをしてたのかもしれない。
0265人間七七四年2019/04/16(火) 12:10:41.60ID:jSBjpjOS
武田の滅亡は甲信を豊かな状態で勝頼に引き継がせられなかった信玄の失態がそもそもの原因
0266人間七七四年2019/04/16(火) 12:15:16.83ID:0SGnjDSn
>>265
信玄がそもそも、重税かけて健全な経済システム構築してないし、ゴールドラッシュで取れた金も敵にくれてやるだけしか活用してない。
0267人間七七四年2019/04/16(火) 12:18:59.41ID:dU8BpSTa
甲斐の国はほぼ山でポテンシャルがあまりにも低いけど
信濃はやりようによっては発展する余地が高かったはず。
現在も山梨県が83万人、長野県が210万人だけどポテンシャル的には
当時もそれくらい差があったはず。
0268人間七七四年2019/04/16(火) 12:31:26.00ID:2wzbT58O
  総面積(km2) 人口密度(人/km2)

長野県 13,562    155
山梨県 4,465    187

面積が大きいだけで人口密度は…
0269人間七七四年2019/04/16(火) 12:33:03.57ID:cTpidR1c
父信玄のやりたい放題のツケを背負わされながらも
父信玄ができなかった高天神城攻略という偉業を成し遂げる

勝頼って滅茶苦茶凄い武将じゃん
0270人間七七四年2019/04/16(火) 12:44:23.80ID:LUjQIP9I
高天神城は信玄時代に落ちてた説があるし、落ちてなかったとしても信玄は攻めてないだけ
それに勝頼が落とした頃は徳川は三方ヶ原で弱ってるし、穴山が指揮をとった説もあるし、要するに勝頼は別に凄くない
0271人間七七四年2019/04/16(火) 12:45:51.10ID:cTpidR1c
>>270
まだそんな古い説にしがみついているのか
0272人間七七四年2019/04/16(火) 12:46:08.05ID:LUjQIP9I
>>266
君が考えた経済システムなんて机上の空論だから
そんなもの出来るなら江戸時代以降、甲信はもっと栄えるはず
0273人間七七四年2019/04/16(火) 12:48:07.62ID:cTpidR1c
>>272
>そんなもの出来るなら江戸時代以降、甲信はもっと栄えるはず

信玄の残した爪痕がそれだけ大きかったってことの証明でしかない
0274人間七七四年2019/04/16(火) 12:48:39.08ID:LUjQIP9I
>>271
いや、新しい説だよ
信玄は西上作戦の一回しか徳川を攻めていない
その一回で高天神城を攻撃した記録はない
なのに信玄が落とせなかった高天神城という枕言葉はおかしい
0275人間七七四年2019/04/16(火) 12:49:36.77ID:cTpidR1c
>>274
勝頼過小評価が古いって言ってるんだよ文章読めないヤツだなあ
0276人間七七四年2019/04/16(火) 12:50:49.53ID:LUjQIP9I
>>275
君が高天神城落とした偉業とかデタラメ言うから指摘したんだよ
頭悪いなあ
0277人間七七四年2019/04/16(火) 12:54:42.13ID:yT21tePP
無かったことをあった事にするのは正当な評価とは言えないし、今まであったと思われてたことが実際に無かったとしても過小評価には繋がらない
真実から遠ざかってまでの再評価には疑問
0278人間七七四年2019/04/16(火) 12:55:03.53ID:cTpidR1c
>>276
はあ?
そこに噛み付くの?

だいたい>>270の信玄時代に高天神城落落ちてたという根拠は何?
まさか一部研究者の強引な理屈?
0279人間七七四年2019/04/16(火) 12:55:47.91ID:cTpidR1c
>>277
信玄の負の遺産は事実だし勝頼の偉業も事実だろうが
0280人間七七四年2019/04/16(火) 13:00:34.69ID:L4yWm5c7
>>278
落ちてた説もあるし、落ちてなかったとしても信玄が高天神城手間取ったなんて事実もないからどっちにしても「信玄が落とせなかった高天神城を落とした」なんて偉業は存在しないと言ってるんだよ
0281人間七七四年2019/04/16(火) 13:03:08.60ID:cTpidR1c
最近の信玄過小評価勝頼過大評価は鼻についてたんでこうやって叩かせれば
このスレにはしばらくそれを支持する野郎は出てこないだろうなw

みなさんピュアに対応してくれてどうもありがとうよwww

次は信玄信者演じても面白いかもなw
0282人間七七四年2019/04/16(火) 13:10:22.89ID:dU8BpSTa
ヤフーマップで見れば見るほど天竜峡は秘境だな。
どうやって織田軍はこんな悪路を超えたのだろ。
0283人間七七四年2019/04/16(火) 13:16:25.65ID:dU8BpSTa
織田信忠軍は恵那から中央アルプス越えで下伊那郡に入ったんだっけ?
敵が居なくともこの山越えは偉業だと思う。どんだけ勝頼は手薄にしてたんだろ
ちょっとわけがわからないw
0284人間七七四年2019/04/16(火) 13:19:24.24ID:yT21tePP
手薄もなにも、皆逃亡して誰も守れる人はいなかったんじゃないか?
そもそも木曽が寝返り、木曽征伐も失敗した時点で…
0285人間七七四年2019/04/16(火) 13:22:44.29ID:dU8BpSTa
木曽義昌が守っていた木曽福島も
秋山信虎が守っていた恵那郡も中央アルプスの西側で
その両者を武田が守るのは地政学的に無理だけど
逆にその両者が織田に寝返っても天下の険である中央アルプスの高い壁が
どーんと迫ってるので細い山道が続く渓谷に勝頼が数百の兵でも置いとけば
織田が10万の兵で押し寄せようが通れないと思うんだが。
0286人間七七四年2019/04/16(火) 13:29:45.17ID:dU8BpSTa
孔明だったら敵が細い道を半ば超えたところで
山林に隠してた伏兵が横撃して敵を寸断及び殲滅にかかるだろうな。
信長じゃなくとも「あせるな、できるだけゆっくり進軍しろ」と心配症になり
繰り返し信忠に言い続ける気持ちも分かる。
0287人間七七四年2019/04/16(火) 13:35:24.38ID:1NUTzzrp
>>285
>どーんと迫ってるので細い山道が続く渓谷に勝頼が数百の兵でも置いとけば
>織田が10万の兵で押し寄せようが通れないと思うんだが。
史実じゃその兵が寝返ったから
0288人間七七四年2019/04/16(火) 13:45:19.78ID:dU8BpSTa
勝頼は信豊に命じ大軍を中山道の奈良井宿から標高1200メートルの鳥居峠へ進軍させたが
これがかなりアホな選択かなとは思う。別に大軍で押し寄せる必要もなければ
奈良井宿の狭い土地を守ってるだけで十分なのに。ここに武田兵が駐屯してるだけで
木曽が先導する織田軍は松本の地に入ってこれない。
0289人間七七四年2019/04/16(火) 14:02:20.34ID:yT21tePP
確かにあの時期にそんな標高の高い場所を大軍で押し寄せるのはあほだなw
正攻法しか知らんのか頭使えと言いたくなるな
0290人間七七四年2019/04/16(火) 14:11:03.44ID:1NUTzzrp
攻め寄せる姿勢さえ見せず抑えの兵置くだけで済ますじゃ、
他の連中も連鎖して寝返りかねないからじゃ。
0291人間七七四年2019/04/16(火) 14:24:52.34ID:dU8BpSTa
>>290
負けたら負の連鎖が加速するよ。
奈良井宿の決戦で押し寄せる織田・木曽軍団を地の利を生かして追い返せば
「まだまだこの土地じゃ武田の方が強い。織田方に付いたら滅ぶ」と国人衆に思ってもらえる
0292人間七七四年2019/04/16(火) 14:37:43.08ID:7JCpxYud
討伐の兵が来ないなら、その時点で寝返り連鎖起きかねないので、勝ち負け以前の問題
戦って勝って見せるしかない
0293人間七七四年2019/04/16(火) 14:47:53.31ID:1NUTzzrp
そもそも史実じゃ5千の兵でも木曽から深志のラインを武田は守りきれなったから、
奈良井宿の狭い土地を守るという前提が間違っているんじゃ?
まあ信忠本隊の影響もあって深志まで退いたのかもしれないが。
0294人間七七四年2019/04/16(火) 15:05:28.12ID:GEfxN9Ao
山岳ゲリラ戦も出来なかったからなあ。
大友の武将なんかは豊後に攻め込んで来た島津軍相手にゲリラ戦を展開して苦しめたものだが。
0295人間七七四年2019/04/16(火) 15:40:35.83ID:5PLgAYvA
>>294
誰がゲリラ戦やってたの?
0296人間七七四年2019/04/16(火) 15:45:39.76ID:N5uK0Kxv
(旧)武田方ゲリラ戦については、真田昌幸、依田信繁、曾根内匠くらいしか思いつきません
0297人間七七四年2019/04/16(火) 15:47:25.45ID:dU8BpSTa
信長に攻め滅ぼされたというより
勝手に家臣と領民を酷使して滅んだ感じだよな。
信長が攻めて来ずとも信虎の時のように弟が担がれてクーデター起きてたと思うぞ
0298人間七七四年2019/04/16(火) 16:02:28.93ID:N5uK0Kxv
三方ヶ原、長篠の参戦当事者━━勝頼、穴山、小山田、信豊、信廉ら━━の首を持参の上、織田に降伏を申し出たら、赦免のうえ仁科か信勝の跡目相続はありえたか
0299人間七七四年2019/04/16(火) 16:15:51.96ID:U3c6R8cr
地味に武田崩壊の原因は松尾城主小笠原信嶺の寝返りにあると思う

木曽に敗れるより先に先方衆が戦線放棄したので周辺がガタガタになった
信忠が美濃から出てない時期に裏切るっていくらなんでも早すぎるだろ
0300人間七七四年2019/04/16(火) 16:20:53.60ID:2wzbT58O
平谷村で防衛ライン敷いていたが下条氏長の裏切りで織田の先陣衆に突破されて崩壊
その報告を聞いて信忠本隊が出陣して普通に三州街道、伊那街道を来ただけだろ
織田の大軍が木曽や中央アルプスを越えて同時に攻めたと思ってるのは菅沼と同レベルだぞ
0301人間七七四年2019/04/16(火) 16:21:30.20ID:N5uK0Kxv
その小笠原の離反も、駿河、信濃、上野衆の籠城を見捨てた、例の籠城戦玉砕にある。
0302人間七七四年2019/04/16(火) 19:38:54.91ID:/e+d9IlH
>>298
信勝にそれだけの首刈りは無理。仁科五郎でも大義がないから、味方が集まらないので、最初の二、三人が限度だろうな。
というか、其奴らの首級を挙げられる奴がいるなら、甲州崩れ前に実行できるだろう。
0303人間七七四年2019/04/16(火) 20:12:03.07ID:L4yWm5c7
名門武田のプライドがそんなの許さないの決まってるのにそんな仮定意味あるのか?
0304人間七七四年2019/04/16(火) 20:42:47.15ID:klgwVl/r
>>300
史実は信忠が快進撃したと言うより
裏切りの連鎖で勝手に武田が自滅したと言う方が正しいよな
0305人間七七四年2019/04/16(火) 21:18:26.67ID:l+dSHxfp
自壊してる武田領内を殆ど妨げなく進撃して潰したんだから快進撃ていう表現で間違いないよ
0306人間七七四年2019/04/16(火) 21:18:41.83ID:dU8BpSTa
勝頼の内政は牟田口だもんな
0307人間七七四年2019/04/16(火) 21:55:07.87ID:dFg42OBK
軍政なら優秀だから内政優れてるって意味にならね?
0308人間七七四年2019/04/16(火) 21:59:30.99ID:H2QdW3Wl
軍事的には傑出しているだろ
信玄が落せなかった高天神城を見事に攻略しているし
0309人間七七四年2019/04/16(火) 22:02:20.87ID:klgwVl/r
少なくとも家康がノブに助けてくれないと武田に寝返るぞと
脅迫まがいの泣きつきをせねばならぬ程追い詰める程度には優秀だな
0310人間七七四年2019/04/16(火) 22:12:25.53ID:wjMAqaKh
>>309
それ、出典は三河物語じゃなかったか?
信用できるのか?
0311人間七七四年2019/04/16(火) 22:16:10.54ID:klgwVl/r
脅迫まがいの泣きつきは信用できないかもしれんが
浜松、岡崎を肉薄され三遠の連絡線を寸断されつつあり
徳川が滅亡寸前まで追い詰められてたのは確か
0312人間七七四年2019/04/16(火) 22:21:11.29ID:dU8BpSTa
長篠直前までの徳川家は勝頼に併呑されそうだったしな
0313人間七七四年2019/04/16(火) 22:28:58.08ID:klgwVl/r
まぁあとは長篠であれだけの損害を出してまともな戦力はない筈なのに
駿河を死守しているし、まがりなりにも軍を立て直して上野で北条を押し込んだ
さすがに凡人じゃこんな真似はできない
0314人間七七四年2019/04/16(火) 22:34:24.28ID:Esc+LS+h
史実の話をしてるとは思えないよ

1571年の高天神城、足助城、野田城、吉田城は関係文書の年次誤りで1574年以降だったという説が濃厚
(つまり信玄は高天神城攻めなどしていない)

三方ヶ原の戦いでの家康の戦死者は多く見積もっても2,000人程度で城持ちクラスの戦死者はいない
撤退戦で追撃を撃退もしているし信玄が浜松を見逃したのではなく攻め落とす余力(時間と金)が無かった
東海道沿いの拠点も一つも落とされていないので滅亡寸前とは到底言えないよ
0315人間七七四年2019/04/16(火) 22:44:41.97ID:dU8BpSTa
家康が武田方に寝返ったという虚報を流して
信長の手で家康を殺害させるのが理想だったろうな。
息子と嫁に関しては成功してたのでもうちょいだった。
0316人間七七四年2019/04/16(火) 22:49:38.39ID:klgwVl/r
え?あれは高坂が書いた801本を築山殿が購読してたのを内通と勘違いされたんじゃないの??
0317人間七七四年2019/04/16(火) 22:55:48.72ID:dU8BpSTa
水野、荒木も虚報で殺させたし
安藤らも虚報で追放させたし
信長に対して反間の計は有効
0318人間七七四年2019/04/16(火) 22:56:30.25ID:klgwVl/r
荒木は死んでいないのでは・・・
0319人間七七四年2019/04/16(火) 23:03:54.22ID:N5uK0Kxv
尼崎に逃れた村重以外、一族を囲いの中に閉じ込め焚殺ですよ焚殺。十兵衛光秀の娘は離縁してくれたからよいようなものを
0320人間七七四年2019/04/17(水) 06:14:21.98ID:yrGrxLii
村重の一族と、伊勢の一揆に対しては惨いよな
0321人間七七四年2019/04/17(水) 07:27:29.08ID:Vl8E8TP/
村重の謀反は家臣団が原因(だと信長は思ってる)だからねえ
0322人間七七四年2019/04/17(水) 07:46:03.15ID:+cFIRmPT
>>320
村重→本人と息子が部下と家族を捨てて逃亡。連れもどしたらそれらを助けると命じた部下まで逃亡。武士の風上にも置けない「糞」とまで蔑まれた。
伊勢→信長の家臣と家族を何人も殺した怨敵。
最後の長島攻めの際、大鳥居と篠橋城の一向宗が包囲を解いて長島城への移動を認めてくれるなら上を開城するよう説得するといい、信長が認めて移動させたら、約束を反故にした。
0323人間七七四年2019/04/17(水) 07:55:11.31ID:mTmzNnyQ
織田が武田領に侵攻開始した時点では、勝頼は何とか2万の兵を一応集めてたのに
しかし、まともに戦いもしていないのに気づけば、たったの100人(女子供含めて)にも満たない人数になってたんだよな・・・
あまりにも惨めすぎる最後だよな
やっぱ長篠で本物の武田武士が討ち死にして即席で集めた雑兵どもは役に立たなかったって証拠だな
>>312
やっぱ長篠前の連戦連勝見るに、有能な家臣団が存在してたってのが大きかったんだなと思う
>>316
マジで?
高坂の奴そんなもん書いてたのかw
長篠で四天王のうち3人は討ち死にしたって言うのに・・・
0324人間七七四年2019/04/17(水) 08:00:23.71ID:mTmzNnyQ
>>322
信長って不器用でも必死に頑張ってる姿の家臣に対してはそれなりに評価はしてくれたんだろうか
名言に「必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ」ってあるけど
あと「理念を持ち、信念に生きよ、理想や信念を見失った者は、
戦う前から負けていると言えよう。そのような者は廃人と同じだ」ってのもある
がんばってる家臣には正当に評価してくれたんだな
秀吉なんかはその最たる例だと思うし
0325人間七七四年2019/04/17(水) 08:19:59.98ID:SW53/NjB
>>322
荒木村重のことを知ってれば>>160なんて言葉は出ないよね
0326人間七七四年2019/04/17(水) 08:39:10.15ID:WuK6iJLT
>>323
信玄もそうだけど大名自身が直接管轄してる兵力なんて5,000にも満たないよ
味方の武将が離散していく状況なら突然の話で惨めでもなんたもない
0327人間七七四年2019/04/17(水) 09:22:54.31ID:eo1E+Cf2
攻勢に回ってる時の勝頼は中々のものだが
守勢に回ってる時の勝頼は糞&糞だよな。
天下を獲る人というのは総じて守勢に回ってる時の方が輝いてる
0328人間七七四年2019/04/17(水) 09:34:06.24ID:RcDrf4s0
現実は将棋と違って崩されても相手を詰ませれば勝ちという訳ではないからな
駒にも心と考えがある
0329人間七七四年2019/04/17(水) 09:38:40.20ID:SW53/NjB
劣勢でも防衛戦なら地の利を生かせて戦える
そして返り討ちにして良い条件の和睦を引き出すのが普通
何を思ったのか北条を攻めて敵に回し
防衛戦で織田徳川に損害を与えてないのに
和睦できると思ってた勝頼の外交センスじゃ滅ぶわな
0330人間七七四年2019/04/17(水) 09:47:21.71ID:eo1E+Cf2
勝頼が誕生して二代目を継ぐまでの期間
武田軍は勝ちっ放しで守勢に回った事がないから
長篠で負けた後、どうしてよいのか分からなくなっちゃったんだろうな。
家康みたいに誕生後から負け戦慣れしてると負けても次はどうやって巻き返そうかと
全然こたえないけど。
0331人間七七四年2019/04/17(水) 09:50:01.58ID:2t3cG+z1
家康もほとんど負けてないけどな
0332人間七七四年2019/04/17(水) 09:54:58.13ID:eo1E+Cf2
独立してすぐに一向宗と戦い負け戦から和解して
騙し打ちで寺を全て打ち壊すとかしてた気がするが。
また独立してから2年間は織田方や今川方と戦って
小競り合いで勝ったり負けたり繰り返してついに信長との同盟に持ち込み
やっと生存権を得たと思ってたんだが。
0333人間七七四年2019/04/17(水) 10:00:19.37ID:SW53/NjB
小牧長久手は兵力劣勢だったけど上手いこと返り討ちにして
良い条件の和睦に漕ぎ着けたしな
0334人間七七四年2019/04/17(水) 10:09:29.60ID:eo1E+Cf2
天正壬午の乱も結果的には徳川の独り勝ちだったけど
局地戦的には結構危ない橋渡ってたしね
0335人間七七四年2019/04/17(水) 10:12:40.32ID:YmQqZ3mT
羽柴方は10万で、のち羽柴秀長、筒井順慶が加わり、総数12万。
対する徳川、織田方は1万8000。それで勝つんだから家康も戦上手よな
0336人間七七四年2019/04/17(水) 12:53:33.87ID:MZK2nenO
武田は織田より国力がないから何やっても駄目と言う人も小牧長久手の徳川の件にはダンマリ
0337人間七七四年2019/04/17(水) 13:00:37.60ID:LLs4uFEz
>>333
良い条件の和平???
信雄は大きく領土削られて家康は人質まで出したのに?
0338人間七七四年2019/04/17(水) 13:06:10.67ID:SEw8xZR9
>>337
信雄が削られた、と言っても、北伊勢の一部に伊賀。家康のは養子なんだがな。

あれだけ、国力差が歴然としていて織田信雄や徳川家康にそれくらいの条件しか突きつけられないなら敗北と変わらないな。

家康には逆に妹と母親を差し出してるし。
0339人間七七四年2019/04/17(水) 13:18:36.91ID:SW53/NjB
>>337
和睦すら許されず滅ぼされた勝頼さん…
0340人間七七四年2019/04/17(水) 13:18:46.94ID:TR9bMpu7
>>336
何やってもダメだろう
家康だって豊臣を滅ぼせた訳じゃない
局地戦で勝利しただけでそんなのは浅井朝倉でもできること
0341人間七七四年2019/04/17(水) 13:21:00.32ID:2t3cG+z1
>>340
節目の合戦で負けないだけで全然違う結果になる
長篠で完敗した分際で勝頼過小評価はないだろ
0342人間七七四年2019/04/17(水) 13:22:56.86ID:LLs4uFEz
信濃は不安定化しオマケに家康は病気で和平するしかなかったし、この和平で反秀吉同盟は完全に崩壊
しかもこれで親秀吉派だった毛利上杉が秀吉政権にほぼ組み込まれ完全に逆転不能

あれだけの要求しか出せないなら秀吉の負け( ー`дー´)キリッ
0343人間七七四年2019/04/17(水) 13:34:31.46ID:i0EkqyOD
>>338
取られたのは南伊勢も。
他に信雄の与党と見られていた美濃志摩も秀吉に付いたし。
家康は信濃のいくつかの勢力が秀吉に寝返っている。
0344人間七七四年2019/04/17(水) 13:36:44.09ID:SW53/NjB
敵に損害を与える奮戦せずに高天神城包囲される劣勢なのに
織田に逆らわなければ和睦できると思ってた勝頼の無能さが問題であって
長篠だけじゃないんだよな
0345人間七七四年2019/04/17(水) 13:55:36.79ID:D0pd7Q0c
>>342
ふつーに家康の勝利よ
秀吉は目障りな家康に信雄が擦り寄ったのを口実に
攻め滅ぼそうとしたけど失敗した
だから懐柔に切り替えた
家康からすれば領地の防衛に成功し秀吉の妥協を引き出した訳だから勝利だろ
0346人間七七四年2019/04/17(水) 14:01:02.47ID:YmQqZ3mT
羽柴秀吉は織田家を羽柴名義に切り替えるために柴田、滝川、信孝を葬ってきた。最後に信雄を落とす必要があったが、仮にも主筋だから羽柴側から手出しはまずい
他方、徳川家康は、海道一の弓取りと呼ばれ、織田家同盟国としての存在感を天下に追認させる機会が欲しかった。信長の遺児信雄を奉戴するのは恰好の大義名分となる。
秀吉、家康がそれぞれの思惑でそそのかすんだから、信雄が立ち上がるのは容易かったろう
0347人間七七四年2019/04/17(水) 17:17:47.26ID:eo1E+Cf2
勝頼としては甲州攻めで山間に誘い込み織田軍を散々苦しめて和睦し
甲駿信の領有を正式に認められたら大勝利だろ。
「信長を殺せなかったから負けだぁ」とか意味不明な事を言うんじゃない
0348人間七七四年2019/04/17(水) 17:22:21.38ID:YmQqZ3mT
実際にはそうなっていないものをドヤ顔で言われても困るんだがね
0349人間七七四年2019/04/17(水) 17:39:37.67ID:SEw8xZR9
>>347
山間に誘い込む、と言ってもな。
勝頼と主力が山間で防備を固めても、徳川家康が穴山信君を寝返らせて駿河から甲斐に入ったらアウトだから無理だと思います。
0350人間七七四年2019/04/17(水) 18:42:53.57ID:eo1E+Cf2
家康は新府城跡地に6000名程度で陣を張り42000程度の北条軍が
根をあげて撤退するまで粘ったよね。
なんで家康にできる事を勝頼はできなかったんだ。
0351人間七七四年2019/04/17(水) 18:46:23.68ID:SEw8xZR9
>>350
あれは北条の無理な進軍もあるからなあ。
勝頼があれをやるにしても、やはり背後を北条や徳川につかれるから無理だと思います。織田は慌てる必要はないから。
0352人間七七四年2019/04/17(水) 18:48:45.72ID:LLs4uFEz
北条は他に敵が居て徳川が籠城する戦略的メリットがある
勝頼は孤立無援で籠城する意味が無い
0353人間七七四年2019/04/17(水) 19:01:14.71ID:YmQqZ3mT
北条軍は、武蔵から上野をへて信濃に入り、川中島で上杉と睨み合っている。この時点で相当な行軍だが、徳川軍甲斐進出を聞き、あわてて韮崎まで南下してきた
士卒に里心も出るだろうし、食糧もヤバい。
そこへ真田や依田がゲリラ戦で補給品をかっぱらうわけだから、北条は兵団が多くても士気の低下は相当なもんよ
新府は、勝頼は焼き払っただけだが、徳川方は簡単な改修工事を施し、砦として有効活用している
0354人間七七四年2019/04/17(水) 19:02:34.64ID:eo1E+Cf2
北条軍とできるだけ正面から戦わず
徳川方はゲリラ部隊が次々と北条軍の補給線を襲い食料を奪った事が勝因だよね。
佐久あたりまで進出してた徳川軍は北条軍が来るや一戦すらまじえず甲斐の新府と
古府中へ撤退して軍を建て直してるし。
0355人間七七四年2019/04/17(水) 20:40:18.47ID:mTmzNnyQ
>>347
だから誘い出すとか言う以前に、ただ単に山間を行軍してる途中に兵たちが続々と
槍や鎧を脱ぎ捨てて逃げ出す始末だったんだぞ
そんなボロボロの士気の兵たちにどうやって山岳ゲリラの様な根気のいる持久戦を命令できるというのか
織田が侵攻してきた時点で武田の兵の士気はもうほぼ完全に0に近い状態だったと思うわ
まともに戦う気なんて無かっただろう
0356人間七七四年2019/04/17(水) 20:42:17.87ID:mv/A3xfG
お前らの勝頼好きにも困ったもんだな
悲劇の武將とか言われてるけどただの猪武者やで
0357人間七七四年2019/04/17(水) 21:02:51.65ID:mTmzNnyQ
猪武者って兵の数を頼りに突撃かけたり、強襲で敵を叩くってやり方しかできないから
兵の数が少なくなると途端に弱みをさらけ出す結果になるんだよな
少ない兵でも、知略を駆使して勝機を見い出すってことが出来ないからこの手の猪武者はダメなんだよ・・・
0358人間七七四年2019/04/17(水) 21:56:17.90ID:mjED/07x
ゲリラ戦で何とかなるなら武田は信濃統一さえ出来なかっただろうよ
0359人間七七四年2019/04/17(水) 23:17:42.50ID:ae3BVLv2
領民の信頼と他国の支援があってはじめてゲリラ活動出来るのにどうやって持久戦なんてすんの?
まさか領民から食料巻き上げるのか?
0360人間七七四年2019/04/17(水) 23:26:16.29ID:eo1E+Cf2
信濃の国人にとって北条も上杉も徳川も川尻も森も例外なく侵略者だが
侵略者の家康に信濃の国人たちが信頼と支援をしてゲリラ活動をして助けたのは凄い事だよな
0361人間七七四年2019/04/17(水) 23:31:02.37ID:fC8YlpZr
>>356
勝頼好きというより信玄嫌いが多い印象
だから信玄の話題が多い
0362人間七七四年2019/04/17(水) 23:34:58.37ID:MJPp33KL
まぁ信玄が嫌われたのは
粘着荒らし君のせいなんですけどね
0363人間七七四年2019/04/17(水) 23:58:12.76ID:fC8YlpZr
信玄嫌いなのはいいとして、信玄が悪い=勝頼は有能、みたいなのが多いがイコールではけっしてない
0364人間七七四年2019/04/18(木) 00:01:12.97ID:40WWjwaJ
つーか光栄のせいで勝頼が猛将扱いになっているわな
どうみてもオブの赤備えを従えていた義信の方が猛将なのに
0365人間七七四年2019/04/18(木) 00:07:24.36ID:Lt0fW6Zw
義信は活躍した記録があんまないからな
0366人間七七四年2019/04/18(木) 00:14:48.85ID:KnJF12nJ
信玄は家臣の支持を得て信虎追放に成功したが義信は失敗してるからな
智謀は無さそう
下手すりゃ勝頼と同じタイプ
0367人間七七四年2019/04/18(木) 00:14:49.05ID:cgCpRXno
有名人の信玄を叩けば通ぶれますから
0368人間七七四年2019/04/18(木) 00:22:10.32ID:HZQn6MzI
武田信玄生誕500年を前に、通説の頭刈りこみのデブの肖像画が真正か、決着を期待する
0369人間七七四年2019/04/18(木) 00:30:23.20ID:84EHJqAh
実際の信玄は神経質で繊細でネガティヴ思考で家臣とは比較的フランクで男好き
勝頼は概ねその逆
0370人間七七四年2019/04/18(木) 06:28:52.84ID:RlCjfemc
無策で戦うのが猪武者
愚策で戦うのが愚将
勝頼はどちらかというと後者かな?
損得勘定はしていたらしい・・手前勝手な前提があったようだが
0371人間七七四年2019/04/18(木) 07:56:08.39ID:PrlVgB2c
>>370
やっぱりそんな程度の人間が、あの織田信長を敵に回したこと自体大間違いだったんだよな
武将としての格が違いすぎるわ
0372人間七七四年2019/04/18(木) 09:29:19.47ID:clWlrdea
嫡男が死んだので無競争で相続した控えの人間と
愛知県大会を勝ち抜いた優勝者を比較してはいけない
0373人間七七四年2019/04/18(木) 12:42:33.47ID:S16SMbNi
信長は父親から負の遺産なんて背負わされてないだろ
0374人間七七四年2019/04/18(木) 13:18:59.77ID:HZQn6MzI
織田右府公の場合、守護代のそのまた下の奉行の出だったが、係累との戦いに勝ち抜き、尾張一国を平定した。他の家臣団の、勘十郎信行擁立工作も潰し、妥協を許さなかった。
他方、武田信虎の場合、戦いに勝ってはいたが、穴山、小山田などは親族衆として残すなど不徹底になったうえ、道半ばで家臣団から晴信擁立がなされ、大名支配権の貫徹が不十分のまま、さしあたり信濃に敵を求めた
こうなると、家臣団への根回に時間をくい、抜擢人事にも大きくブレーキがかかるということかの
0375人間七七四年2019/04/18(木) 13:20:57.16ID:k0r8ymhB
>>373
晩年の信秀は病がちで結構勢力を落としてる。
それを引き継いでやっていくのは並では無い。
何より、信秀が弟の信勝にも城と兵力、老臣まで与えていたのは完全にマイナス。
0376人間七七四年2019/04/18(木) 13:52:27.65ID:lR5mP2b4
なんでも親の負の遺産のせいにすればおまいらの無能も正当化できる
0377人間七七四年2019/04/18(木) 13:55:41.32ID:40WWjwaJ
要は信長は身内が敵だらけの大企業の御曹司で、この身内との争いに勝利して、大企業の社長に就任。
そして、となりの大企業を買収して日本一の大企業になる。

信玄は地方の地元名士が代々やっている潰れかけの中小零細企業の長男で
父親がなんとか立て直そうしたが所詮は中小零細、結果無茶してブラック化して社員にクーデターを起こされて追放。
代わりに長男が社長に就任。信玄社長は、父親のようにブラック経営が出来なくてクーデターを起こして社員に実権を握られての苦労する船出

信長は跡を継げれば、それだけで大大名になって勝者。信玄は跡を継いだ所で、まずガタガタな国の立て直しと面倒くさい家臣を掌握が急務で課題。
そしてそこから勢力を拡大させて大大名にならないといけない
0378人間七七四年2019/04/18(木) 14:06:11.72ID:CDrMQTxq
どこが大企業だよ
大企業ってのは通行税だけで年間60000貫入る直江津港をもつ上杉謙信のようなやつを言うんだよ
0379人間七七四年2019/04/18(木) 14:21:04.20ID:8Nfd8ewJ
結局は甲斐から追われても真田と群馬引きこもり作戦が一番生き残る可能性が高かったのでは…
0380人間七七四年2019/04/18(木) 14:38:14.16ID:HZQn6MzI
それは小山田離反による一族滅亡の結果から逆算される推定にすぎず、沼田領に飛び込んできたら最後、安房守昌幸だってどう料理したかわかったもんじゃない
0381人間七七四年2019/04/18(木) 15:05:20.56ID:Ng7JP5b1
>>379
食糧はどうする?
民衆の支持や支援がなければ、山で日干しになる。
0382人間七七四年2019/04/18(木) 15:51:14.60ID:ydvgwngt
勝頼なら人徳あるだろ
0383人間七七四年2019/04/18(木) 16:37:01.20ID:PAgzd4Wb
>>382
金に困って重罪人でも大金出したら無罪にする。
軍役につく者は税金免除の恩典取り消して、税金も高くつける。
余りの税金と軍役の高さに、武田攻めで農民が織田軍に協力を願い出る。
新府城をわずか1年で完成させる負担の大きさ。
0384人間七七四年2019/04/18(木) 18:46:31.95ID:8Nfd8ewJ
何やっても武田家滅亡か…
0385人間七七四年2019/04/18(木) 19:09:55.07ID:qJXWwzhb
よく勝頼の中の人が信玄でも助からなかったとか言う人が居るけど
俺はそうは思わないな。少なくとも内政はきちんとやって民が怨嗟の声で溢れるようなことは
起きなかったと思うぞ
0386人間七七四年2019/04/18(木) 19:18:57.52ID:KnJF12nJ
武田が滅ぶ切っ掛けとなった長篠を回避できるかどうかだな
0387人間七七四年2019/04/18(木) 19:22:57.51ID:hd79Zs02
>>386
勝頼だと、長篠回避できても、いつか何処かでやらかしそう。
0388人間七七四年2019/04/18(木) 21:30:17.41ID:PrlVgB2c
>>383
結局貧乏大名の癖に、身の丈に合わない課税や賦役を課し過ぎたって事かな
0389人間七七四年2019/04/18(木) 22:05:30.46ID:RPxCi35N
>>385
信玄治水はやってるけど内政はダメダメなイメージしかない
>>383の内容もほとんど信玄時代からだよ
0390人間七七四年2019/04/18(木) 23:00:39.49ID:0QQzfx2x
甲信は江戸時代の真田ですら他国より重税に耐えてたお国柄
ギリギリまで酷使徴税して反乱させないのが最善なわけで
信玄は逃散とかされることはあったが少なくとも反乱されてはいない
0391人間七七四年2019/04/18(木) 23:33:23.29ID:40WWjwaJ
だから勝頼は武田の人間じゃないんだよ。しかも諏訪という天敵の人間。
御親類衆筆頭の穴山の息子の方が勝頼より武田当主に相応しいのね
穴山は信玄の妹の息子、信玄の甥になる。さらに穴山は信玄の娘と結婚する。つまり穴山は信玄の甥で娘婿という二重の血縁関係を築いていた。
勝頼からみると穴山は義理の兄になる
血筋をみたら嫡流の血筋は勝頼より穴山の方が色濃く引き継いでいた
こういう穴山の息子は信玄の孫で勝頼の甥で武田の正統な当主に一番近いとされる。一門の分家としても穴山家は格式が高い。

そしてこの穴山の息子に勝頼も娘を嫁がせるという約束があって
勝頼サイドが反故にした。勝頼からすると、この縁組は自分の立場をさらに悪くすると考えたんでしょう
0392人間七七四年2019/04/18(木) 23:39:12.72ID:sUbOlWAf
>>391
流石にそれは間違い。
勝頼は信玄の実子である事に間違いはない。
敵の娘の子でも信玄の種。

穴山信君は武田の女系の流れ。
武士の家では女性の地位は男性より低い。
正当な武田家の当主の息子の勝頼と武田の女系の流れの穴山信君では武田の血の価値が違う。

男系が絶えたなら穴山信君でも武田の当主の地位を要求できるかもしれないが、武田信玄の息子が生きている間は無理。
0393人間七七四年2019/04/18(木) 23:43:00.32ID:HZQn6MzI
だからだ、穴山。静かに、丁重に、四郎の冥福を祈ってやってくれまいか。
0394人間七七四年2019/04/18(木) 23:44:11.28ID:40WWjwaJ
だから諏訪家の人間だっての
これが武田に残っているのなら問題ないが
吉川や小早川も毛利に復帰するのは難しいだろ
0395人間七七四年2019/04/18(木) 23:48:56.02ID:sUbOlWAf
>>394
他にスペアが居ない時はしかたがないだろう。
武田勝頼の下は
仁科盛信
葛山信貞
武田信清
だろ?

養子に行ってない武田信清じゃ若すぎるだろ。
0396人間七七四年2019/04/18(木) 23:54:30.29ID:HZQn6MzI
甲斐征伐で命を落とした、海野次郎龍方の忘れ形見である
0397人間七七四年2019/04/18(木) 23:58:46.14ID:40WWjwaJ
信玄は産まれたばかりの孫の信勝を正統な後継者にしたかったんでしょう
他所に出した人間を戻すのは大変
他の家臣も勝頼が当主になると、諏訪を優遇するかもしれないから
0398人間七七四年2019/04/19(金) 00:34:53.03ID:aVK87RVV
>>392
穴山は武田姓を名乗ることを許された。
穴山信君の息子は母朝は武田信玄の娘、祖母は信虎の娘。父方は武田分家の血筋。

たぶん庶子である勝頼ならそこまで差は無かったと思う。いくら信玄の種でも。

義信なら正室の子だからちがうが。
0399人間七七四年2019/04/19(金) 00:36:57.88ID:z3dDrKRN
>>394
穴山は信玄の息子じゃないから復帰すら出来ないんだよ
0400人間七七四年2019/04/19(金) 00:53:08.56ID:HFZWEkR6
>>398
当時の感覚だと女は名前も記録されない男の種を宿す袋でしかないのよ
0401人間七七四年2019/04/19(金) 06:12:54.03ID:h1m6rbNz
>>393
父上はお優しいですな
0402人間七七四年2019/04/19(金) 06:42:04.02ID:i77pR1Zg
諏訪が天敵とか穴雪が正嫡とかこいつ頭おかしいんじゃね?
0403人間七七四年2019/04/19(金) 06:54:18.84ID:brNtGZWL
>>389
戦国後期にはどこの大名も程度の差はあれど
民衆と武士の相互利益による支配に移行していたが
武田は鎌倉時代の暴力支配のままだった感じだな
武田の指揮官の戦死が異常に多いのも
兵卒の怨み買ってどさくさに紛れて背中刺された奴も結構居たからだろ
0404人間七七四年2019/04/19(金) 08:18:47.63ID:i77pR1Zg
信玄期は黄金がよく獲れたし
戦争はほとんどが勝ったし
普通に考えたら景気が良かったはず
0405人間七七四年2019/04/19(金) 08:21:10.92ID:i77pR1Zg
また家臣や領民の不満不平怨嗟の声を鎮めるため
信虎のような独裁制による上からの押し付けではなく
軍議は合議制にしたし(結論は信玄自身がくだすが)
治水なども百姓の声を吸い上げて実行したものだそうだぞ
0406人間七七四年2019/04/19(金) 08:47:47.82ID:+M8EIqjq
>>404
甲陽軍鑑の記載だけでも

信玄の時代は増税に次ぐ増税だよ
そのまでやって反乱を起こさせないところが信玄の優れた内政手腕と言えるけど、富国強兵とは真逆の政策

金山から産出されている金は寺社への寄進、調略の資金、家臣への報酬などの使い方が主で内政や軍事にまわしたという記録もない
0407人間七七四年2019/04/19(金) 09:01:04.80ID:aGJHxaPA
>金山から産出されている金は寺社への寄進、調略の資金、家臣への報酬などの使い方が主で内政や軍事にまわしたという記録もない

使い道とかも確定されているんだ
戦国遺文だとどの辺の史料でわかる?
0408人間七七四年2019/04/19(金) 09:08:05.93ID:HFZWEkR6
甲信で富国強兵なんて無理だろう
0409人間七七四年2019/04/19(金) 09:10:11.44ID:i77pR1Zg
富国ではなくとも強兵ではあったろ。
モンゴルや満州と似てるが
0410人間七七四年2019/04/19(金) 09:16:43.86ID:XBT9LSq/
鉱山収入を寺寄進や調略に使ったはいいが、国広げてもそれを補ってあまりある収入がなかったから行き詰まったんだろ
金の使い道も理にかなったものじゃなかったんじゃないの?
0411人間七七四年2019/04/19(金) 09:19:19.11ID:i77pR1Zg
第四次川中島でボロボロになっても西進して家康をボコるくらいだし
その頃までは国力が大きかったはずだぞ。
普通は川中島レベルの損害を受けたら出兵するなどとんでもない話で
国の建て直しに数年かかる。
0412人間七七四年2019/04/19(金) 09:24:18.16ID:an4BKpdu
勝頼に限らず信玄の時代から武田は元々自分達より上の兵数の相手に勝った試しがない、強兵どころか弱兵なのよ
中小豪族ばっかり無駄に割拠してる信濃が隣だったおかげで領地を拡げられただけ
駿河だって織田が義元を倒してくれたから火事場泥棒が出来ただけでね
信玄はとりあえず周囲で弱い所があれば攻める、たったこの一点だけにしかやってないのよ
自分にはこれしかないという自覚があったんだろう
だから今川が弱ってるうちに、このチャンスを逃したら永遠に海が手にはいらないと
長男を殺してでも取りにいかなければならなかったわけ

しかしこんなセコいやり方はいつまでも続くわけがないのよ
いずれ嫌でも大勢力の相手と戦わねばならない時がくるわけだが、そうなりそうなときに信玄は運良く死ぬことができた
あの病死はいわば勝ち逃げでもあった
そのツケが一気に来たのが勝頼の時代
勝頼時代にはもう周りに手頃な餌となる弱小豪族が残ってない
これが信玄と勝頼の一番の違い
0413人間七七四年2019/04/19(金) 09:33:55.72ID:an4BKpdu
たぶん武田の諸将も一時期は勘違いしてたんじゃないだろうか、俺たちは強い、と
それが長篠の大敗に繋がった、長篠は彼等が経験した初めての本物の合戦の経験だったわけよ
あの時武田諸将は初めて気付いただろう
今まで俺たちが合戦だと思い込んでやってきたのは、田舎の山奥のおままごとみたいな合戦モドキに過ぎなかったのだ、と
甲州征伐で誰もマトモに戦わなかったのもわかる
それは自分より大勢力の相手には手も足も出ないのを自覚していたからだ

仁科盛信だけは武田の最後の意地を示したとかいわれてるが、あれも実際のところはね…
さすがに信玄の実子じゃ投降したところで自分は無事に済まされるわけがないと気付いていたんだよ
この点に関しては慧眼だった
そしてそれが判ってたから抵抗しただけ、助かる見込みがあればすぐに寝返っていただろう
0414人間七七四年2019/04/19(金) 10:07:43.66ID:XBT9LSq/
草深き、信濃の山での戦なら、さるかに合戦のごときものにて、ただ、田舎風に戦えば済みまする。
されど、天下を相手の戦ならば、田舎人が、ふと、恐れても不思議はあらしゃいませぬ。
0415人間七七四年2019/04/19(金) 10:39:55.60ID:uiZEOjN+
>>413
一理あるが、それは言い過ぎ
信長は574年の勝頼との東美濃(明智城など)の戦いでは、慎重に動いているよ
織田軍の方が大軍なのに、あまり動かさないようにして、城が落ちても奪還に動かない

長篠の戦いは長篠という舞台なら武田軍を大破できるという自信があったのだろう
0416人間七七四年2019/04/19(金) 10:43:36.80ID:uiZEOjN+
いかに織田と武田の間に国力の大差があっても、
一大決戦で総大将の信長が、討ち取られたら織田は終わる
かつての桶狭間のように

だから1582年の武田征伐でも、信長は勝頼自刃までずっと美濃にいたわけだ
0417人間七七四年2019/04/19(金) 10:44:49.97ID:tYqmucik
自分より弱い相手としか戦わないっていうのは武田信玄の戦略が優れていた証拠なんだよな。
0418人間七七四年2019/04/19(金) 10:52:28.10ID:i77pR1Zg
そんな信玄も小田原攻めをしたり上杉謙信とがっぷり四つで戦ったり
西上作戦で織田軍と激突しそうになったりしてるが
0419人間七七四年2019/04/19(金) 10:59:12.30ID:+M8EIqjq
>>411
出兵などとんでもない話なので西上作戦のために臨時徴税して国内から金をかき集めている

それまでも度々繰り返していて、臨時の課税が毎年になり、年2回になり、更にというありさま
その最悪の状態だ引き継いだ勝頼は財政難で更に増税していき完全に破綻した
0420人間七七四年2019/04/19(金) 11:01:04.89ID:dxoFUvbK
>>414
似たような条件の東美濃では武田兵強い
0421人間七七四年2019/04/19(金) 11:03:05.70ID:+HPMMbw8
>>413

>それが長篠の大敗に繋がった、長篠は彼等が経験した初めての本物の合戦の経験だったわけよ
>あの時武田諸将は初めて気付いただろう
>今まで俺たちが合戦だと思い込んでやってきたのは、田舎の山奥のおままごとみたいな合戦モドキに過ぎなかったのだ、と

確かに三方が原で徳川・織田連合軍を敗走させたのも自信になっていただろうしなあ
三方が原なんて田舎の山奥なのになあ
0422人間七七四年2019/04/19(金) 11:04:29.97ID:dxoFUvbK
>>418
北信濃は防衛戦だから戦わざるをえない
小田原は駿河に出兵してる留守居組に襲いかかっただけで北条本体が来たら尻尾巻いて逃げ出してるよ
織田と正面からぶつかってないのはご承知の通り

強い相手とやらないという信玄の優れた戦略
0423人間七七四年2019/04/19(金) 11:05:30.39ID:+HPMMbw8
>>422
北信濃だって所詮越後の田舎者との戦いだしなあ
0424人間七七四年2019/04/19(金) 11:10:12.51ID:uiZEOjN+
信玄も信長との戦いでは、いろいろ策を弄してるよ
織田は強敵だと認識していたのだろう

信玄は大軍で上洛する前から、信長に使者を送って「武田上杉の和平仲介をお願いしたい」と油断を誘う
(ちょうど出陣直後の信玄へ、信長も和平仲介に成果ありと書状を送る。信長もまだ信玄出陣を知らない)
いざ信玄が大軍を率いて出陣すると、甲斐から信濃へ北上し、「あれ?北の上杉を攻めるのかな」
と世間に思わせといて、一気に南下して遠江の徳川領を攻めるという不意打ち
そして越前の朝倉としめしあわせ、挟み撃ちを企画。
0425人間七七四年2019/04/19(金) 11:13:25.08ID:uiZEOjN+
>>422
決戦を避けるのは北条のお家芸でもあるがw
上杉謙信とも最後まで決戦はなかった
でも決戦をすることなく、上杉を東上野に追いやったのは見事だな
0426人間七七四年2019/04/19(金) 11:15:25.78ID:XBT9LSq/
>>416
そうだと思います。国力が開く一方だったから、織田内府信長を戦場におびき出して一大決戦するしかなった。
武田方は負けはしたが、そこまで内府様を、苦しめれば、武田四郎とか侍も、もって瞑すべしでござりましょうな?
0427人間七七四年2019/04/19(金) 12:03:22.29ID:GIK/MSP0
なんで家康は田舎の合戦モドキしか知らなかったような信玄に完敗したの?
0428人間七七四年2019/04/19(金) 12:16:30.27ID:tYqmucik
>>427
三河も田舎だから。

でも田舎者が負けるなら織田は三好や六角に負けてるはずたがら、都会か田舎か意味ないよね。
0429人間七七四年2019/04/19(金) 12:20:17.73ID:XBT9LSq/
いくら家康でも薄い衣で巨岩を受けとめるが如き鶴翼陣形の不利は知っていたろう
当日は真冬で、雪が降り始めていたとも伝えられる。合戦が始まったのは夕方4時で、30分もしたら真っ暗になる。同士討ちリスクもあるから、双方やる気はなかったと考える。
ただ城に籠もってるわけじゃない、という意思表示のため、城外に出て姿を見せるだけの目的だったところ、佐久間隊が浮き足立ち、偶発的に戦が始まってしまったと思えてならない
0430人間七七四年2019/04/19(金) 12:36:09.26ID:e8pEZcx/
結局武田って名門とか言うけど、あれだけ他家に養子出しまくってるの見ると
家臣団の基盤が脆弱だったのがよく分かる
成り上がりの毛利とあんまり変わらんような気がする
0431人間七七四年2019/04/19(金) 12:38:19.75ID:PN93CzDg
>>430
他家に養子出すことが何故基盤が弱いに繋がるのか意味不明
0432人間七七四年2019/04/19(金) 12:38:35.78ID:an4BKpdu
三方が原はそりゃ単純に兵数の差でしょ
あれは勝って当たり前の戦、そういうヌルい戦の経験しか積んでないわけよ武田軍は
相手の方が戦場に連れてきた兵数が上だった場合はもう成す術がないのが武田軍であり
だからこそ信玄は必死でそのシチュエーションになるのを避けてたわけで、それは信玄の一つの能力ではあるけど
そんな武田軍を「強兵」とは言えないでしょ?って話なんだけど、やたら論点をずらすなぁ
弱兵でも数で押せば補えるからね
逆に言えば弱さを数で押すことで誤魔化す軍しか作れなかった、それが信玄時代からの武田の欠点
三方が原の兵数比での徳川軍みたいな状況に、もし武田軍が逆に置かれたらどうなるか?それは長篠の戦いを見ればわかるでしょ
勝頼も判ってたと思う、しかし牧歌的な信玄時代と違って弱い相手しか選ばなくて済むようなヌルい時代じゃなかったわけよ
そんな時代の過渡期にうまく死んで逃げ切ったのが信玄
0433人間七七四年2019/04/19(金) 12:53:48.24ID:EQaIocYC
>>432
それは田舎の合戦もどきよりも少ない兵数で戦うしかなかった側に問題があるんじゃね?
だって田舎の合戦もどきってのは小競り合いみたいなもんでしょ?
0434人間七七四年2019/04/19(金) 12:58:16.42ID:D5+R+Ht4
寡兵の状況を必死に避けようとするのはどこの大名も変わらんだろw
0435人間七七四年2019/04/19(金) 13:04:27.97ID:byOWvfDP
武田は自称名門だよ
初代は双子でこれが武田と逸見の家を起こした
実はこの双子どちらが長男だったのが分からない
この辺で武田には胡散臭さが付きまとう。
さらに上杉禅秀の乱に荷担して武田は甲斐から一時追放状態になる
守護代の跡部に甲斐を仕切る
こいつから甲斐の守護を奪い返してなんとか復帰したのが信虎の祖父で
祖父&叔父vs信虎の父&信虎の身内の争いが起きて信虎が勝利して
戦国大名の武田が誕生する。
つまり武田は最初からガタガタで、武田が戦国大名化したのは信玄が産まれた年
応仁の乱から50年近く経っている。もう北条や今川や関東の大名はバリバリで戦国時代をやっていたのに
武田は甲斐で守護職を取り返して身内で揉めていて今川と北条の代理戦争に場になっていた

歴史家とか小説家やゲームオタは、この辺の経緯を無視しているんだよ。
武田はそこまで恵まれて有能な大名ではない
甲斐の土地も近代まで風土病で死人をバタバタだしていた
季候が厳しく文化も育たない地元商人は甲斐を見限り他国で金を落とす
これだけ問題を抱えていて、ここまで武田を立て直した信虎信玄ラインは超有能だったんだよ
凡将では無理なのね
0436人間七七四年2019/04/19(金) 13:11:35.64ID:W/NCYnQg
北に小中豪族しかいない信濃があったという幸運
0437人間七七四年2019/04/19(金) 13:20:05.25ID:W/NCYnQg
信長もそうだけど相手より多くの兵力を揃えて正攻法で打ち倒すというのは兵法の王道なので何も間違ってない

更にいかに損害を抑えるかまで考えてたので超有能クラスではあると思う

戦術的な用兵だと関東では長尾景虎だろうね
近畿だと朝倉宗滴か
0438人間七七四年2019/04/19(金) 13:36:31.58ID:aVK87RVV
武田信玄って、そういえば敵より少ない兵力で戦ったことってあったか?

いつも敵より多数。むしろそれで二回も大敗してるし。
0439人間七七四年2019/04/19(金) 13:47:48.92ID:YwlDcsf6
尾張兵は弱兵だと言われてるが
実は甲斐兵こそ弱兵だった
0440人間七七四年2019/04/19(金) 13:49:22.28ID:aVK87RVV
>>439
いつも思うけど、尾張兵が弱兵って何がソースなの? 武田兵上杉兵は強いって多門院日記に確かあったけど。
0441人間七七四年2019/04/19(金) 14:04:04.10ID:D5+R+Ht4
>>438
塩尻峠とか
0442人間七七四年2019/04/19(金) 14:08:11.15ID:W/NCYnQg
>>440
姉川の戦いね
半分以下の浅井に突破されかけたところを徳川の三河兵が奮戦し勝利した

司馬遼太郎のイメージだとそんな感じ
0443人間七七四年2019/04/19(金) 14:10:03.74ID:W/NCYnQg
>>438
そういう状況だと周辺そそのかして共同侵攻するか調略で反乱を起こさせるのが信玄のやりかた
0444人間七七四年2019/04/19(金) 15:11:10.25ID:+rSTf8zI
尾張が弱兵ってのは司馬遼太郎ソースなの?
0445人間七七四年2019/04/19(金) 15:46:47.09ID:p7fpINog
軍艦の姉川
0446人間七七四年2019/04/19(金) 16:05:31.37ID:eooZU5TO
農兵は逃げたら故郷に帰れないから最後まで戦わざるをえないけど
元から半無職の傭兵は旗色が悪くなればさっさと逃げて再起をはかれるからね。
傭兵比率が織田家は割と高かったというだけだろ
0447人間七七四年2019/04/19(金) 16:10:16.91ID:XBT9LSq/
農民兵は参戦は税であり、逃げたり過怠すれば村全体の連帯責任になり、村に逃げ帰れば村八分が待っている。
だから死にもの狂いにならざるを得ない
0448人間七七四年2019/04/19(金) 16:15:39.25ID:uiZEOjN+
>>447
そうか?
農民兵ほどテキトーに戦っているけどな
負けそうになったらすぐに逃げるし
0449人間七七四年2019/04/19(金) 16:40:52.66ID:l+nyTtvF
武田って、長篠以降は衰退したけど、あれだけ兵士も死んだら農兵だとしたら、農産力も落ちたんだろうか。
0450人間七七四年2019/04/19(金) 16:54:02.36ID:neHOuSxo
>>447
同じ農村出身でも地侍と小荷駄などの陣夫の区別が付いてないみたいだな
0451人間七七四年2019/04/19(金) 17:57:11.43ID:xQLXx27L
>>450
軍役状などの文書上ではどうなってるの?
0452人間七七四年2019/04/19(金) 18:40:45.78ID:neHOuSxo
>>451
軍役なんて残ってる資料だけでも半分以上は農兵
農民から駆り出した陣夫まで戦えると思ってるのか?
0453人間七七四年2019/04/19(金) 18:56:41.89ID:hTvFArR4
軍役も先陣衆(精鋭と地元に詳しい土豪、地侍)は非戦闘員の比率は少ない手練れチーム
逆に本隊は先陣衆支援と制圧するための部隊が多いために非戦闘員の比率は高い
本隊が一番手練れが集まってると思ってる人をよく見かける
0454人間七七四年2019/04/19(金) 19:08:42.76ID:uiZEOjN+
>>449
落ちるには落ちるだろうが、
まあ今の日本も三ちゃん農業と言って、母ちゃん・おじいちゃん・おばあちゃんが農作業しているので
0455人間七七四年2019/04/19(金) 19:40:55.07ID:TezsAqDy
現在は機械化に化学肥料にその他色々と昔と違うから
0456人間七七四年2019/04/19(金) 19:48:39.81ID:eooZU5TO
勝頼って軽い知的障碍者だった可能性は無い?
0457人間七七四年2019/04/19(金) 21:24:52.60ID:l+nyTtvF
>>456
それなら仁科盛信に家督がいくのでは?
もしくは武田信勝。武田信廉、信豊。

だってそもそも次男が目に障害持ちで、家督が回されてないし。
0458人間七七四年2019/04/19(金) 21:28:53.90ID:L/ye8ZIJ
しかし勝頼のスレはいつも盛り上がるな
「なんとかならなかったのか」と思わせるんだろうな
0459人間七七四年2019/04/19(金) 22:04:00.54ID:mGz0McmB
勝頼のっていうか武田のな
0460人間七七四年2019/04/19(金) 22:26:51.12ID:gptrFf80
もっと早くに信玄が死んでたらなぁ。
濃尾平野が織田兵の血で染まっていただろうに。
0461人間七七四年2019/04/20(土) 00:28:04.54ID:/pdXwQgT
>>452
本当に半分以上は農兵?
たとえば戦国遺文だとどの史料でそれが確認できるの?
0462人間七七四年2019/04/20(土) 00:32:20.71ID:22GjWz2i
好大王碑文
0463人間七七四年2019/04/20(土) 00:37:50.63ID:svD3833d
史料に関しては分からんが合戦の大規模化が進んだ室町末期は
どこも農民からの徴用兵に頼らざるを得ないだろう
だからこそ戦国大名の支配体制は
税と兵役を課す代わりに農民の生活の保障する
相互利益支配に移行していった訳だが
信長はそれを更に一歩進めて手柄を立てた者は家臣として取り立て出世させた
その代表格が秀吉
後年、ナポレオンも全ての兵の背嚢に元帥杖は隠されていると言って兵の士気を高めていた
0464人間七七四年2019/04/20(土) 00:49:56.94ID:gJu0x+3T
春日虎綱も農民
0465人間七七四年2019/04/20(土) 01:14:58.06ID:HZaazVP6
田中吉政、小一郎秀長、加藤清正、福島正則は百姓のガキだろ
明智光秀と荒木村重は浪人だし、石田三成は茶坊主、小西行長は薬屋のせがれ
黒田官兵衛は目薬屋のこせがれでしょ。
0466人間七七四年2019/04/20(土) 01:29:20.44ID:HZaazVP6
兵士の分類としては
侍・・・騎馬兵
徒士・・歩兵  (ここまでが士分と呼ばれる、雑役はしない)
足軽・・非正規歩兵  (士分ではないが戦闘員とされる)
中間・・バイト兵 (基本的には非戦闘員だが臨時で戦う事もある)
小者・・日雇い (従者や運搬、土木作業に従事する)

農民がなれるのは基本的には足軽まで
0467人間七七四年2019/04/20(土) 04:45:24.40ID:+++hqmu6
農村出身
地侍、郷士…領主と主従関係があり、手柄も出るので戦う

小荷駄、陣夫…兵役で駆り出されてるだけで軍法にも小荷駄は前線に出すなという決まりがあるので戦わない
と言うか装備もないので戦えない。敗戦濃厚になると士気は低いのですぐ逃げる
敵も農民を討ち取っても手柄にならないので兜持ちの侍しか狙わない
0468人間七七四年2019/04/20(土) 07:31:38.84ID:HTR0TLvC
>>465
石田は近江の国人、本家は兄・正澄が継いで、元々武家には違いない。
弟の三成が出家、その後、秀吉の小姓になった。
0469人間七七四年2019/04/20(土) 08:03:25.29ID:egRkOCVm
しかし甲州崩れって知れば知るほど、惨めで悲惨だな・・・
全く何もできずに勝手に崩壊していった感じだわ
この時の武田はもう「勝ち目無し」とみて、織田が怖くて怖くて仕方なかったんだな
0470人間七七四年2019/04/20(土) 09:05:28.55ID:8CZFMqZr
>黒田官兵衛は目薬屋のこせがれでしょ。

信憑性の高い史料の上でもそうなんだっけ?
0471人間七七四年2019/04/20(土) 09:22:39.69ID:22GjWz2i
>織田が怖くて怖くて

それプラス、互いに疑心暗鬼で、ってのもあろうな
0472人間七七四年2019/04/20(土) 09:26:06.82ID:svD3833d
浅間山噴火で民心が完全に武田から離れたと言うのもある
民衆が重税に耐えて武田に従ってたのは
信玄が仏教の保護者を自称して寺社勢力の支持を得ていたから
天災は天罰と考えられていた時代なので浅間山が噴火した事で
武田は寺社勢力の支持を失い民衆は武田に従う必要が無くなった
0473人間七七四年2019/04/20(土) 09:56:22.83ID:HZaazVP6
牟田頼に餓死させられるくらいなら信長に降参して根絶やしにされた方がマシや
0474人間七七四年2019/04/20(土) 10:55:14.02ID:gJu0x+3T
織田が怖いとかじゃなく高天神城見殺しを筆頭とする行動によって勝頼に対する家臣、民衆の心が完全に離れていたのが原因
0475人間七七四年2019/04/20(土) 11:06:35.65ID:vInLt9aZ
ちなみに織田信長と仙石秀久の旗印は永楽通宝となっており
秀久が信長から拝領した家紋と伝えられてるんだってさ。
なので現在も信州上田城の鬼瓦には永楽通宝紋が入っている
0476人間七七四年2019/04/20(土) 11:07:08.02ID:vInLt9aZ
誤爆
0477人間七七四年2019/04/20(土) 11:15:48.51ID:svD3833d
へぇ、てっきり真田の六銭門にちなんだ紋だと思ってたけどゴンベエさんの家紋だったのか
0478人間七七四年2019/04/20(土) 11:30:27.14ID:fe+TQrYS
>>452
>軍役なんて残ってる資料だけでも半分以上は農兵

それが武田の軍役史料を見ると「有徳人」や「武勇之輩」を除いて
軍役の補として百姓などをつれてくるのは禁止されているし
その行為は裏切りの元であるとさえ書いてあるんだよね

「武田家朱印状」永禄十二年(更埴市・長泉寺所蔵文書 佐久市小宮山家旧蔵文書など)
一 知行役之被官之内、或者有徳之輩、或者武勇之人を除て、軍役之補として
百姓・職人・禰宜、又者幼弱之族召連参陣、偏ニ謀逆之基、不可過之事


現実問題としてこれがどれだけ徹底されたかはともかくとして
実際に「軍役なんて残ってる資料だけでも半分以上は農兵」であることを
ぜひ史料の上から確認させてもらいたい

ここで例外とされる「有徳人」や「武勇之輩」が実際に農村にどれだけいたかもわかるとありがたいな
0479人間七七四年2019/04/20(土) 12:21:30.11ID:DIkL0U3B
「有徳人」は豪農豪商という意味だろうけど、
都市化が今のように進んでいるわけもないから、
「武勇之輩」は普通に農村にもいて、普段は土地を耕していたと思われる

土佐の一領具足が有名だが、別に土佐固有のものではなく、諸国にもその類はいただろう
0480人間七七四年2019/04/20(土) 12:48:30.02ID:M369NGLC
織田が怖いとかじゃなく高天神城見殺しを筆頭とする行動によって勝頼に対する家臣、民衆の心が完全に離れていたのが原因

仮に勝頼が大軍を出して後詰しても、はたして高天神は救えたのかな?
家康の包囲が固かったし、勝頼が動けば信長も動くだろう。
結局は見殺しにしたのと同じで、見捨てられたんじゃないのかな?
0481人間七七四年2019/04/20(土) 12:50:41.16ID:svD3833d
高天神の話が出てるけど
ノブが家康に降伏を認めるな、勝頼が見捨てたと喧伝しろってハナシは
何が出典なん??
0482人間七七四年2019/04/20(土) 12:58:49.06ID:+++hqmu6
>>478
>>453の通り
その書状が先陣衆か戦に近い場所なら弱者を戦に入れるのは御法度
その部分だけでは判断できない
一般的に小荷駄と言われる者に屈強な戦力を使うことは決してしない
0483人間七七四年2019/04/20(土) 13:04:12.43ID:+++hqmu6
後、籠城した時も同様
兵糧の無駄食いを避けるためにね
0484人間七七四年2019/04/20(土) 13:35:41.25ID:LdfgpINB
>>481
家康に降伏を認めないよう指示してるのは確か書状が残ってるよ

最終的には後詰に失敗したとしても、姿勢を見せるのは大事だろう
岩村城とかはそのパターンだった
0485人間七七四年2019/04/20(土) 13:36:40.92ID:pugY+y9j
高天神城見殺しがなくても長篠惨敗だけでダメ当主の烙印は押されてたろ
0486人間七七四年2019/04/20(土) 13:55:20.04ID:eJ8cQ6/T
>>481
家忠日記。
0487人間七七四年2019/04/20(土) 14:28:32.64ID:svD3833d
>>486
なら信憑性はかなり高そうだ
0488人間七七四年2019/04/20(土) 15:45:32.89ID:QjtYv0vI
>>478
江戸初期の軍役
900石の場合 軍役19人
(内訳 侍5人 甲冑持2人 立弓持1人 鉄炮1人 鑓持2人 草履取1人 馬口取2人 沓箱持1人 挟箱持1人 小荷駄2人)


10万石の場合 軍役2155人
(内訳 鉄炮350挺 弓60張 鑓150本 馬上170騎 旗20本)

武器の数を軍役の人数で割れば、いかに戦わない人が多かったか分かるはず
0489人間七七四年2019/04/20(土) 15:46:42.80ID:j0SmeaAT
>>479
>>482
「軍役なんて残ってる資料だけでも半分以上は農兵」に比べると
いまいちはっきりしないというか随分歯切れが悪い回答だな。
この場合ちゃんとこれだという具体的な史料を提示しないと意味ないんじゃないの?
0490人間七七四年2019/04/20(土) 15:48:36.23ID:j0SmeaAT
>>488
武田の軍役の「農兵」の話してるんじゃなかったっけ?
0491人間七七四年2019/04/20(土) 15:56:52.49ID:aC0HbOPr
ちな大日本帝国の本土決戦の国民義勇兵
農具百万、竹やり千万、人民一億(実際は七千万)
0492人間七七四年2019/04/20(土) 16:05:15.68ID:ZDMwq+rO
>武器の数を軍役の人数で割れば、いかに戦わない人が多かったか分かるはず

非戦闘員の話だったっけ?みんな「土佐の一領具足が有名」だとか
「農兵は逃げたら故郷に帰れないから最後まで戦わざるをえない」とか
戦闘要員について話してるぞ
0493人間七七四年2019/04/20(土) 16:09:09.61ID:QjtYv0vI
>>490
単純に考えてみなさい
武田だけで2万人の士分(専業武士)を養えると?

加賀藩 実高134万石
士族戸数7077戸
0494人間七七四年2019/04/20(土) 16:30:34.36ID:+++hqmu6
>>489
>>478にレスした人と違うIDなんだけど?
また書状一枚でゴリ押し+IDチェンジしてるのか?

>軍役の補として百姓などをつれてくるのは禁止されているし

って言ってるから農兵は一人もいないって君は言いたいんだろ?
武田は農兵は一人も連れてきてないって事か?
戦国関係の本や江戸時代の軍役でも農兵の比率は高かったのは定説なんだが
小荷駄や陣夫にも士分使うほと武田って超裕福だったんだな
知らなかったわ
0495人間七七四年2019/04/20(土) 16:48:10.12ID:wDPZBUiN
武田などの東国の軍役状は戦闘員のみの数。戦闘員には軍役衆などの半農半士も含む
西国や豊臣徳川期は陣夫や小物だどの非戦闘員も数に含めてる
軍役研究の基本を知らないとは切ないね
0496人間七七四年2019/04/20(土) 17:30:46.53ID:FtuA8uwZ
数Vの最初で学ぶ「複素数平面」は考え方が丸っきりベクトルだし
実際、別解としてベクトルを使って解けるケースが多い。
早く数Vをやらないと別解を自分で確かめる前に受験終わっちまうぞ。
「別解なんて思いつかないよ」とか思う人には「大学への数学 一対一 数V」がそれこそ必要。
0497人間七七四年2019/04/20(土) 17:35:59.35ID:vwcG40dg
軍鑑によると

信玄直属の旗本八百八十四人と足軽五千四百八十九人
武田全軍で騎馬九千百二十一騎、一騎に四人の従卒

さずがに農兵含めないとこれだけの数は確保できそうにない
0498人間七七四年2019/04/20(土) 17:40:33.83ID:svD3833d
大まかに武田の騎馬が1万とすると全軍で4万
20人に一人が徴兵されていたと仮定すると
甲斐信濃の人口は80万人となる
人口密度が低かったであろう東国の山国二つで
百万近い人口を抱えていたとは思えないんだが
0499人間七七四年2019/04/20(土) 18:07:05.55ID:eJ8cQ6/T
>>498
そんな人口いるわけないじゃん。
現在の山梨、長野の人数から考えてもわかるでしょうよ。
0500人間七七四年2019/04/20(土) 18:07:24.02ID:+++hqmu6
>>497
総騎馬数9121騎が士分だとすると本土防衛で各城に守備兵を合計で2〜3000を残すとしたら
遠征軍の士分の比率はかなり低いね
0501人間七七四年2019/04/20(土) 20:23:24.48ID:egRkOCVm
織田の方から本格的に甲州征伐で武田領に雪崩れ込んだ来たとき
勝頼は多分長篠の時の恐怖でガクブルして、おしっこ漏らしそうだったろうな
0502人間七七四年2019/04/20(土) 20:25:32.60ID:06CMdKSV
>>494
「軍役なんて残ってる資料だけでも半分以上は農兵」とか言ってた人が
その資料を具体的に示せず「定説なんだが」で逃げるのは随分話が違うと
いわざるを得ないな
0503人間七七四年2019/04/20(土) 20:29:04.81ID:+++hqmu6
>>502
IDコロコロ変えて逃げ回ってる奴が何だって?
0504人間七七四年2019/04/20(土) 20:46:05.94ID:egRkOCVm
高天神崩れ→甲州崩れは必然だな
高天神崩れを起こさせた信長の見事な策略が光るな
0505人間七七四年2019/04/20(土) 20:48:40.02ID:DIkL0U3B
>>503
別にIDは変わってないだろ
0506人間七七四年2019/04/20(土) 21:01:55.80ID:vwcG40dg
史料出せって絡んでくるやつは最近居付いてる悪質な荒らしだから相手にしなくていいよ

前回も長篠で武将が戦死した記録出せって一人暴れて他全員からフルボッコにされてた

農民兵一切含めず何万もの軍隊が編成できるわけ無いと普通は理解できる
0507人間七七四年2019/04/20(土) 21:02:54.87ID:+++hqmu6
>>505
>>478
>軍役の補として百姓などをつれてくるのは禁止されているし

と武田は農兵を連れてくるのが禁止されてるから農兵がいないと言っていた奴
にレスしてるのにそのIDは答えずなぜか単発IDが同じようなレスをしてくるんだぜw
0508人間七七四年2019/04/20(土) 21:57:54.15ID:FtuA8uwZ
武田と言えば騎馬隊だけど
馬はむしろ糧食や武具の運搬用としての方が活躍してねえか?
一匹で中間・小者数人分の荷物を運べるしコストもその方が絶対安いだろうし
0509人間七七四年2019/04/20(土) 23:55:29.15ID:JTOJmT45
>>488
>(内訳 侍5人
この侍って手空きのこと?
0510人間七七四年2019/04/21(日) 00:21:36.42ID:J8DxT/JE
信玄公娘お松の婚約者中将信忠様こそ甲斐信濃の正式な統治者だ、ということで、一揆が
0511人間七七四年2019/04/21(日) 00:25:38.91ID:SXDqKSVN
>>506
そうやって根拠となる史料を出さずに逃げ回っていいという風潮を作るためだったのかもしれないな
0512人間七七四年2019/04/21(日) 00:28:42.58ID:PcYpPM9A
>>510
家臣 『と言う訳であんた追放な』
勝頼 『・・・・・』

糸冬
0513人間七七四年2019/04/21(日) 00:31:17.62ID:FWL0GMUI
IDチェンジ君

http://hissi.org/read.php/sengoku/20190420/ZmUrVFFyWVM.html
11:30:27

http://hissi.org/read.php/sengoku/20190420/ajBTbWVhQVQ.html
15:46:42
15:48:36

http://hissi.org/read.php/sengoku/20190420/MDZDTWRLU1Y.html
20:25:32
0514人間七七四年2019/04/21(日) 00:33:16.50ID:kfk+XVBn
戦国期でも初期中期後期では軍の編成も戦闘員と非戦闘員の比率も武器も兵站も
全て異なってきてしまってるから一概にどうとは言えないと思う。
長槍や銃が普及するにつれ侍より足軽の銃隊や長槍隊の方が重要になっていったし
侍は替え馬込みで馬二頭連れさせ武具や防具や兵糧まで全部人に持たせたけど
足軽はそんなわけはなく自分で持てる荷物は自分で持ってたし非戦闘員も以前ほどは要らなくなってたはず。
0515人間七七四年2019/04/21(日) 00:36:03.55ID:PcYpPM9A
ただそれを証明できる記録が出て来ないんだよな
0516人間七七四年2019/04/21(日) 00:37:38.34ID:FWL0GMUI
>>506
信長公記や甲陽軍鑑じゃ裏付けがないと言ってた奴と同一人物だろうな
あいつもフルボッコにされて都合悪くなったらIDチェンジしてたし
0517人間七七四年2019/04/21(日) 00:46:33.64ID:kfk+XVBn
桶狭間では今川義元の輿を持つ人や旗持ちまで殿を捨てて我先にと逃げてたという話もあるし
中軍は実は非戦闘員の比率が多くて敵に直接攻められたらたちうちできない体制だったんじゃないの?
川越夜戦では大将の上杉朝定があっさり討死したり沖田畷の戦いでは龍造寺隆信とかしてるわけだから
0518人間七七四年2019/04/21(日) 01:19:42.65ID:px6WvBkp
そんな超がつくほど稀な例を出されましても
0519人間七七四年2019/04/21(日) 01:25:02.83ID:PcYpPM9A
戦国時代は数えきれない大名豪族が滅亡して行ったが
合戦で大将が戦死したケースは極々一握りじゃないか?
0520人間七七四年2019/04/21(日) 05:33:21.40ID:2025ZkYo
陶晴賢、上杉顕定、足利義明、武田元繁、宇都宮尚綱、佐野宗綱、相良義陽、三好実休
超が付くほどではないな
0521人間七七四年2019/04/21(日) 06:04:46.03ID:0FNfc5Z+
勝頼が仮に高天神城に後詰しても、負けは目に見えてる。負けたら救えなかったのと同じだからやはりみんなに離反されたのでは?
0522人間七七四年2019/04/21(日) 06:59:37.33ID:pInmZbSH
>>521
というか、離反連鎖の真因は重税、賦役による百姓、地侍の困窮、彼等と直接関わる有力国人の不満が蓄積していたこと。
仮にあの時点で高天神城が保っても、離反の連鎖は時間の問題。
危ない橋を渡って働いても自身や子孫に見返りが期待出来ないなら、未だ見ぬ江戸時代じゃあるまいし、そりゃあ忠勤ごっこなんぞやってられるかという根本的な問題。
0523人間七七四年2019/04/21(日) 07:22:57.60ID:ukL7ODuY
木曽義仲みたいに、さっさと信濃や越後から突破して中央に出るべきだったな信玄は。

信玄は慎重すぎて、義仲や信長、謙信みたいな奇策がないし。
0524人間七七四年2019/04/21(日) 07:57:30.31ID:2025ZkYo
信玄じゃ無理だろうな
例えば信長みたいに隣国が斎藤・北畠・松平の三択になったとしてだ
三河?そんなショボいトコ要らんわ!とあえて弱小の松平と組んででも西(京都)を目指すという選択が信玄に出来るだろうか?
信玄ならただその時その時で目先に楽をすることしか考えず弱小を攻めるだけだろう
長期的な展望は望めない凡将
この両者の器の違いが原因なんだよ、後発の織田にいつの間にか追い抜かれてさらに拡がる両者の決定的な国力の差になり
勝頼が継いだ時にはもう手遅れになってしまったのは
0525人間七七四年2019/04/21(日) 08:07:08.18ID:fBMCuOMJ
高天神崩れでの信長のプロパガンダキャンペーン!

勝頼は忠義の家臣を見捨てた!
高天神の兵は見殺しにされ全滅!
そんな主君にまだ仕えるの?
次はお前らかもしれないよ?
しかも勝頼って「朝敵」だぞ!←(とどめ!)
0526人間七七四年2019/04/21(日) 08:23:19.76ID:VjeiPzk2
更に浅間山噴火が拍車をかける
武田はマジ呪われてたろ
諏訪頼重や義信、オブや北信濃三家など信玄に惨殺された連中の怨念が
引き起こした悲劇なんだろうな
0527人間七七四年2019/04/21(日) 08:38:42.66ID:xwr2DspU
そもそも御館の乱の介入失敗からの北条との手切れで北条と戦ってるうちに
高天神六砦を完成させられたら手も足も出なくなった
北条との手切れしていなければ高天神六砦建設の妨害できたろうに
0528人間七七四年2019/04/21(日) 09:47:28.49ID:hiGUlpY/
>>522
武田だけでなく、天正年間で織田による国内統一が一気に進んだわけだし、織田と敵対したらもはや時間の問題
不満があろうがなかろうがあまり関係ない
0529人間七七四年2019/04/21(日) 09:55:58.60ID:hiGUlpY/
もっと前の時代なら、重税など統治に関わる不満が離反の原因になり得ただろうけど、1580年代にもなればそれ以前に誰の目から見ても織田には敵わないのは明らかだから
0530人間七七四年2019/04/21(日) 10:06:16.67ID:kfk+XVBn
でも織田の天下統一をサポートしたのは明らかに信玄なんだよな
村上などと遊んでないで犬山城以東の東美濃を分捕れば
信長はいつまでも尾張、西美濃の田舎大名だったろ
0531人間七七四年2019/04/21(日) 10:15:42.45ID:qpjJI1hv
>>530
寝言は寝てから言え
0532人間七七四年2019/04/21(日) 11:49:34.34ID:PcYpPM9A
それをさせなかったのが信長の凄さなんだよ
もともと信玄は美濃を分捕ろうと長井隼人に接近して美濃方を支援していた
それを信長が交渉で信玄を味方につけた事で美濃は一気に瓦解した
もし信玄が心変わりせず美濃を支援し続けていたら
信長は美濃を攻略できたか分からないし、攻略できたとしても相当時間がかかっただろう
0533人間七七四年2019/04/21(日) 12:01:51.93ID:kfk+XVBn
信玄が信長の後ろ髪を引っ張り続けてくれていれば
本願寺の勢力が畿内でとんでもなく拡大して最終的には三好どもを追い出して
宗教国家ジャパンを創りあげてたかもしれん。
0534人間七七四年2019/04/21(日) 12:21:12.12ID:J8DxT/JE
国境が山だらけだから、木曽、飛騨、奥三河を捕ろうにも維持しようにも容易ではない
やはり甲斐信濃二ヶ国につぼむのが手一杯じゃないのか
0535人間七七四年2019/04/21(日) 12:48:38.63ID:YIRfpiHu
>>534
関東方面を目指した方が良かった。
0536人間七七四年2019/04/21(日) 13:14:20.27ID:kfk+XVBn
中央アルプスの西側を維持するためには犬山や新城まではどうしても押さえておかないといけなかった。
中途半端な領土の広げ方すな
このアホたれが〜
0537人間七七四年2019/04/21(日) 13:15:04.90ID:qpjJI1hv
>>536
頭悪すぎて草
0538人間七七四年2019/04/21(日) 13:20:38.69ID:kfk+XVBn
>>537
このバカチンが〜
0539人間七七四年2019/04/21(日) 14:50:15.48ID:px6WvBkp
本願寺勢力は地元で大暴れするだけのクソチンピラ集団でしかなく、信玄すら信長牽制の数に入れてない
0540人間七七四年2019/04/21(日) 17:01:39.37ID:WbJp2Wrx
伊勢長島の一向一揆をもう少し活用すべきだった

うまくいけば駿河の武田軍と伊勢長島の一揆軍で、尾張三河を東西から挟み撃ちにできた
0541人間七七四年2019/04/21(日) 17:02:45.28ID:DX+zn8uR
>>540
ばーか
0542人間七七四年2019/04/21(日) 17:07:07.12ID:YIRfpiHu
>>540
無理だね。徳川を倒せないと挟み撃ちはできないよ。
0543人間七七四年2019/04/21(日) 19:07:09.13ID:xwr2DspU
また例の奴が暴れてたの?
0544人間七七四年2019/04/21(日) 19:10:28.07ID:YIRfpiHu
>>524の言う通り、信玄だと弱いところからつきそうだな。やはり武田信玄には器量と視野が不足していたのか。
0545人間七七四年2019/04/21(日) 19:38:45.83ID:4HpuClfl
>>34
>>小さな罪を見せしめと称して斬刑にし、重罪も金次第で赦免
これは勝頼の指示でないのでは?
一々大名が裁判長になってたら忙しくて仕方あるまい
もっとも、部下の罪は上司の罪とやるのかもしれんけど
ちょっと違うと思う
0546人間七七四年2019/04/21(日) 19:44:07.55ID:4HpuClfl
>>524
三河って小さいけど、石高的には大きくね?

石高的には
尾張=美濃=伊勢>三河ではあるけど
三河=遠江>駿河でもある
0547人間七七四年2019/04/21(日) 19:49:34.70ID:PcYpPM9A
何気に三河湾から矢作川遡って交易できるからね
矢作の名前の通りこの辺りは弓矢の産地で需要も結構あったらしい
家康が岡崎に居た頃にそこまで商取引が活発化していたとは思えないが
0548人間七七四年2019/04/21(日) 19:55:04.03ID:YIRfpiHu
>>545
大名がやるわけではないが、たぶん金銭のことには勝頼も関与していたはずだよ。じゃないと不正になりかねないし。
0549人間七七四年2019/04/21(日) 19:57:08.47ID:PcYpPM9A
当時の武田はそこまでしっかりと家臣をコントロールできてた訳でも無いだろ
0550人間七七四年2019/04/21(日) 20:01:38.69ID:FWL0GMUI
石高だけじゃなく美濃、伊勢のが京に近いから田舎の三河に行く必要がないってだけだろ
三河の石高の問題じゃない
0551人間七七四年2019/04/21(日) 20:27:17.12ID:5R4EkZ3p
尾張美濃伊勢と地盤の三国がどれも50万石越えとか信長恵まれ過ぎ
0552人間七七四年2019/04/21(日) 20:32:51.92ID:a9TTpKkE
そいつらは織田の本貫だから発展したのでは
0553人間七七四年2019/04/21(日) 20:39:16.53ID:YIRfpiHu
>>549
コントロールできてないなら、やはり勝頼に責任はあるぞ。
0554人間七七四年2019/04/21(日) 20:41:53.98ID:PcYpPM9A
尾張 = 洪水多発地帯
美濃 = 東と北は前人未到の山岳密林地帯
      中濃西濃は洪水多発地帯
伊勢 = 神宮利権を取り込もうと魑魅魍魎が跋扈
      長島は一向一揆のメッカ

ノブサマが頑張ったから発展したんでしょうな
0555人間七七四年2019/04/21(日) 20:43:03.57ID:xtG4YyWc
基本的に裁判は担当の家臣がやるんじゃ?
で家臣で裁けない案件は勝頼のとこまで訴えが上がってくると。
0556人間七七四年2019/04/21(日) 20:57:52.66ID:R64pCivx
安倍総理が大臣の任命責任ないと言ってるようなものだぞ
0557人間七七四年2019/04/21(日) 21:04:19.44ID:4HpuClfl
この場合は省庁不祥事じゃないかな
そして、何故か自分達の生活より思想が大切な人達が居て
省庁不祥事を大臣の責任にするから
省庁はのさばり、財務省の様になる
どうやってコントロールするつもりなんだ
選挙も無いのに
0558人間七七四年2019/04/21(日) 21:11:13.17ID:fBMCuOMJ
戦国時代で栄えある「朝敵」認定を受けた大名って勝頼以外ではだれがいるの?
0559人間七七四年2019/04/21(日) 21:12:39.13ID:YIRfpiHu
>>558
大内義興。
0560人間七七四年2019/04/21(日) 21:15:21.94ID:J8DxT/JE
勝頼チャーハン食べながら岩殿山を睥睨しにいきます
0561人間七七四年2019/04/21(日) 21:17:40.42ID:PcYpPM9A
無位無官の勝頼に司法の任命権限なんてあるのか?
勝頼は軍組織人事の任命権限くらいしか無いと思うぞ
0562人間七七四年2019/04/21(日) 21:18:59.21ID:aeA9VbLr
>>558
お隣の北条氏直、氏政親子も
0563人間七七四年2019/04/21(日) 21:55:19.40ID:YIRfpiHu
>>561
そんなこと言ってたら、当時の織田徳川以外の大名家の司法行政が完全に麻痺するぞ。
0564人間七七四年2019/04/21(日) 22:11:09.66ID:nHXckPok
官位の安売りが始まったのは豊臣時代からだからな
北条すら自称官位のならず者

秀吉の上洛命令を拒否した理由の一つでもある(昇殿出来ない、良くて廊下か最悪庭)
0565人間七七四年2019/04/21(日) 23:16:17.86ID:bNhx396r
ノッブも一旦は美濃道三と同盟結んだけどな
その時点では西だ京だ以前に生存すら危うかったから
0566人間七七四年2019/04/21(日) 23:42:22.10ID:XBOTRacP
ノッブ
0567人間七七四年2019/04/22(月) 05:43:38.05ID:Isz5uWiP
結んだのは信秀では?
0568人間七七四年2019/04/22(月) 07:02:35.84ID:zOGuMcbV
ノッブが甲斐に生まれてたら村上を家康とみなして対北(高梨、長尾)と対東(上杉、長野)を任せて
自身は諏訪から西方と南方へ最初から成敗しにいっただろうか。
なんかその方が合理的だと思う。諏訪から天竜川を下りながら飯田まで制圧して
渓谷を超える際には大軍を率いて一気に遠江を落とすのが合理的だもの。
0569人間七七四年2019/04/22(月) 07:09:15.26ID:aR+K/bbl
>>568
今川とは同盟してるからできない。
それなら関東に出るか、まだまとまりがない美濃を目指したほうがいい。
0570人間七七四年2019/04/22(月) 07:30:40.43ID:q82KFmGn
ノブの場合、地盤の不安定な相続直後は道三が後ろ盾になってくれたし
尾張南部をほぼ制圧した頃に道三が死んで美濃が敵に回ったので
何の迷いもなく美濃に攻め込む事ができた
美濃が敵に回ってから岩倉伊勢守家や信行、犬山織田家が美濃の支援を受けて
ノブに攻め込んで来たので一概に運が良かったとは言えないが
0571人間七七四年2019/04/22(月) 07:38:33.98ID:mPJGj0cx
ほぼ制圧(今川が南部侵食)
0572人間七七四年2019/04/22(月) 07:48:43.57ID:3ujHBqsL
>>568
ノブなら越後の港目指してそのまま北進するでしょ
0573人間七七四年2019/04/22(月) 08:59:26.75ID:jEY32D+N
考えてもあまり意味がないが、武田が南に転身せずに北進を継続して上杉と泥沼の戦いを続けていたらどうなってただろうね。
0574人間七七四年2019/04/22(月) 09:00:20.07ID:zOGuMcbV
ノブが異様に港にこだわったのは事実だな。
津島を拠点として堺(港)、大津(港)、草津(港)と
港の領有権にこだわってた。
0575人間七七四年2019/04/22(月) 09:05:59.16ID:mSrnH5Ip
山奥じゃ広い視野は育たないよ
信長でも山奥で生まれたら山賊精神に落ちる
0576人間七七四年2019/04/22(月) 10:59:32.19ID:veC5Sc/7
>>575
にしても、あまりに狭すぎるからな。
0577人間七七四年2019/04/22(月) 11:29:10.49ID:/enUCwET
>>568
>ノッブが甲斐に生まれてたら村上を家康とみなして対北(高梨、長尾)と対東(上杉、長野)を任せて

村上が家康のように子分扱いに甘んじてくれるんですかね
0578人間七七四年2019/04/22(月) 11:49:42.31ID:Y5iDNPRe
>>573
南に侵攻しなければ徳川と直接ぶつからないので織田とも敵対しない
北条とも友好な関係を継続するので最高のシナリオだと越中、信濃、上野から三方面同時進行で上杉滅亡かな
0579人間七七四年2019/04/22(月) 12:00:47.62ID:9pvNOVdI
>>578
それで、家臣達が納得したろうか?
信玄は御輿として擁立されたし、家臣団を掌握するのに時間も掛ってる
領地の広がりが足らんと、又クーデターすんじゃね?
0580人間七七四年2019/04/22(月) 12:21:12.01ID:mSrnH5Ip
>>576
信虎も狭すぎたから家臣に追い出され、勝頼も狭すぎたから滅んだ

>>578
川中島で謙信にボロボロにされて信玄は謙信にビビって直接対決しなくなったのに?
0581人間七七四年2019/04/22(月) 12:26:11.87ID:K1Yyexoj
>>579
足らんて。
強欲すぎだろ。
0582人間七七四年2019/04/22(月) 12:33:06.96ID:9pvNOVdI
>>581
信濃だけで納得するかね?
越後はあくまで、信長と共同戦線でって話なんだろ?
信長が越中に来る年数まで信濃だけで持たせないと成らんって事に

それとも、甲斐信濃だけで3方向から進める軍勢を擁するって無理な話してんの?
0583人間七七四年2019/04/22(月) 12:59:03.77ID:B3cPQ+97
謙信一人に勝てないのに
信長家康連合に勝てると思うのがおかしい
0584人間七七四年2019/04/22(月) 13:22:59.16ID:9TjdxmDN
>>583
確かに三方が原の結果を見て気づくべきだったよな
なんで信玄は家康に勝てるなんて思ったんだろうか?
0585人間七七四年2019/04/22(月) 13:24:29.33ID:9pvNOVdI
さすがに、信長の援軍が無ければ勝てたんでは?
ある事前提にしろよと言われれば、そうですねとしか言えんけど
0586人間七七四年2019/04/22(月) 14:22:44.47ID:+BUIMa4S
>>581
強欲って(笑)

なんのために戦ってたのかわかってないだろ
0587人間七七四年2019/04/22(月) 14:24:34.15ID:mPJGj0cx
>>586
わからん
馬鹿にも解りやすく教えてくれ
0588人間七七四年2019/04/22(月) 16:24:23.92ID:0UJMxJRk
光秀みたいに大出世させてもらっても隙あらば裏切るのが戦国ですから
0589人間七七四年2019/04/22(月) 20:04:05.86ID:mSrnH5Ip
>>582
そもそも信長軍が越後に来るまでに信玄寿命で死んでるでしょ
謙信も京からの御内書には従ってるから信長と敵対する道理もない
0590人間七七四年2019/04/22(月) 21:54:58.70ID:3lKPq3wo
徳川サイドの事情を見ると
武田との対立が激化→織田の力を借りざるを得なくなり、最初の同盟から次第に従属関係に移行していった
家康はじめ遠江の連中は主戦派だったけど、三河の連中は違ってたんじゃないかとかという話があるよね
0591人間七七四年2019/04/22(月) 22:23:36.39ID:+BUIMa4S
>>590
天正4年の書状を境に、信長の家康への態度が尊大になったという指摘がある
長篠の戦いを経て右大臣任官、安土に移り住み天下人と目された辺りからではないかな
0592人間七七四年2019/04/22(月) 22:57:50.87ID:cYLCbCwp
文章では尊大になってるけど
家康一行が訪問してきたら信長自ら膳を運んで歓待するというのが信長の面白いところだな
良くも悪くも信玄が歓待するところは想像できないw
0593人間七七四年2019/04/22(月) 23:07:24.57ID:0UJMxJRk
温泉で背中などを流しあうやで
0594人間七七四年2019/04/22(月) 23:17:12.15ID:fIkkwcks
徳川家康「四郎殿、ひとっ風呂浴びにいかねえか」
武田勝頼「三河殿…」
徳川家康「少し見なおしたぜ。築山の面倒をとことん見ようって大名は初めてだ」
武田勝頼「貴殿も案外、素直なんだな」
徳川家康「俺が素直?あんた俺をからかってんのかよ」
武田勝頼「いや。俺は、行儀の良いだけの大名が素直だとは思わん。小便したけりゃ庭先でもやる。大便したけりゃ馬上でもやるってのが、本当の素直さじゃないのかな」
徳川家康「それが俺の場合だと、やれ腰抜けだの小倅だのと罵られてよお」
0595人間七七四年2019/04/22(月) 23:17:34.29ID:q82KFmGn
>>590
三河の古参からすれば尾張勢とは血で血を洗う抗争をしてきた訳で
対等な同盟ならまだしも織田の風下に立つのは我慢できないだろうな
んでそういう不満が築山事件の発端になったという説がここ10年有力な様だね

まぁ俺は家康が仕事にかまけて家庭を顧みず築山殿を蔑ろにした為
寂しさを紛らわせる為に高坂が書いた801本に手を出し
腐ってしまい定期購読してたら内通を疑われた説を提唱するがw
0596人間七七四年2019/04/22(月) 23:19:26.08ID:geKIOjbn
官位で完全に上になったから、
右大臣という立場上文書で同格扱いすることが出来なくなったとか?
0597人間七七四年2019/04/22(月) 23:19:48.29ID:q82KFmGn
>>592
まぁ短い間とは言えノブと家康は吉法師、竹千代と呼び合う幼馴染だし
0598人間七七四年2019/04/22(月) 23:47:43.05ID:qkqNW/jE
>>594
三河一のワル家康と泣き虫先生勝頼か
通好みの絡みだな
0599人間七七四年2019/04/23(火) 07:49:34.26ID:QC7hCtjY
>>594
最初の一行でただのホモ展開かと思ったが・・・
腐れ友情展開でワラタ
0600人間七七四年2019/04/23(火) 07:54:33.25ID:QC7hCtjY
>>595
前から気になってたんだがその801本ってのはマジなん?
何が根拠?
もし本当なら築山殿ってかなりの腐女子だな
0601人間七七四年2019/04/23(火) 08:03:08.50ID:QC7hCtjY
浮気がばれて、信玄がへそを曲げた虎網に送った恋文の内容
「弥七郎に言い寄ったのは事実ですが、腹が痛いと言って拒絶されました。本当です・・」
「弥七郎と夜を共にしたことはありません。
以前からそんなことはしていません。
昼間でもそんなことしていません。
今夜だって、そんなことになるはずがありません。」
「あなたと結ばれたいと想っているのに、疑われて困り果てています。」
「嘘ではありません。
嘘であれば天罰を受けるでしょう。
本来なら宝印に記すべきなのですが、役人の目とかもあるので、普通の紙に書きました。
明日また、きちんとした形で書き直します。」

なかなか切実な想いのたけを綴ってるな
信玄のような名将が、フラれても未練タラタラの男のようだ
特に4つ目にある『宝印に記すべきだが、普通の紙に書いた』という部分に
信玄の相当な焦りが見て取れるな
つまり、仏に誓い形式にのっとって潔白を表明するべきだが、
とにかく早く疑いを晴らしたいので普通の紙に書いて潔白を表明したということかな
0602人間七七四年2019/04/23(火) 08:06:54.16ID:QC7hCtjY
織田信長&森蘭丸
徳川家康&井伊直正
武田信玄&高坂昌信

他にはどんなカップルが有名かな
0603人間七七四年2019/04/23(火) 10:00:39.70ID:V4y5xgQu
山内忠義 vs 毛利勝永
名前忘れたけど芦名の若殿様と家来
0604人間七七四年2019/04/23(火) 10:20:18.54ID:r0QrcSea
>>601
春日虎綱説はいい加減古いからやめとけ
0605人間七七四年2019/04/23(火) 10:48:40.24ID:6c9MWLRw
役人の目もあるなら、その役人も掘ってしまえばいい♂♂
0606人間七七四年2019/04/23(火) 10:54:16.61ID:fKqc6Gdf
そしてさらに四角関係に発展か
0607人間七七四年2019/04/23(火) 11:17:06.30ID:YkW3BWMV
つまんないからもういいよこういう話
0608人間七七四年2019/04/23(火) 11:52:42.02ID:V4y5xgQu
ホモ関係の痴情のもつれが大名家を傾けた事例は黒川の葦名家と、近世幕藩統治下の備州池田家、生駒家くらいしかない。
そこでだ、わが武田家を傾かせた、新府築城一件について、物語りとうござりまする。

真田昌幸「…以上のことにより、木曾殿にも応分の材木運搬の馳走を依頼致したく…」
木曾義昌「バンッ!冗談じゃない!もう綺麗事は沢山だ!真田さん、あんたはいい。あんただからそんな理想論言ってられるんだ!そうでしょう」
真田昌幸「……」
木曾義昌「あんた、その並外れた軍略で、大国をすら黙らすことができる。その気になりゃ、上杉北条織田徳川を手玉に取ることだってできるでしょうよ!
だが私は…私にはそんな真似は…いつだってそうだ。あいつらいつだって、いちばぁん弱いとこ突いてくる。
いつだって、真っ先に標的にされるのは、両濃国境に位置するこの私なんだ!チクショウ…なぜ!なぜ私が…」
真田昌幸「耐えるのです」
山村良利「バシッ!真田さんよぉ。あんた耐える耐える言うが、これでも耐えられるかい!バシッ!」
真田昌幸「山村…殴りたけりゃいくらでも殴れ!殴られるのも築城惣管領の勤めだ」
山村良利「ナニ?」
0609人間七七四年2019/04/23(火) 12:14:55.86ID:arJdjXcI
>>607
お前がこのスレを去ればいいだろ
0610人間七七四年2019/04/23(火) 12:26:40.15ID:aapUyqVd
ホモネタは俺も勘弁願いたい
男色は別にいいけど内容的に腐女子が盛り上がってるの見せられてるようでただただ気持ち悪い
0611人間七七四年2019/04/23(火) 12:55:43.84ID:m0LLI/B+
一次史料にも残る武田彦五郎と信玄の関係は気になる
0612人間七七四年2019/04/23(火) 20:57:03.88ID:kSnxGQIH
つまりホモでは?
0613人間七七四年2019/04/23(火) 21:18:42.78ID:KR+SnIhy
真面目なハナシ、801本はともかく
築山殿が武田側の誰かと連絡を取り合ってて
それを内通と見なされた可能性は無いのかな
築山は今川の令嬢だし
武田に下った今川家臣所縁の人間と接点があってもおかしくないと思うんだよね
本人は内通してる意図は無かったにしても
0614人間七七四年2019/04/23(火) 21:48:25.57ID:h+yW1ybF
>>608
後半は水原と滝沢先生の遣り取りか
前半はよくわからんが校長と滝沢先生の改革に反対してた弱気な教師の誰かか

築山殿は小説やドラマだと義元を殺した仇敵の織田の姫が信康に嫁いできたのが不満で、みたいな描写になりがちだが
だから武田に付くっていう設定もなんか無理あるんだよな
なんせ同盟者だったのに裏切って今川の本拠地駿河に攻め込んで滅亡させたのは武田だし
0615人間七七四年2019/04/23(火) 21:57:14.20ID:EWrqJ9oO
>>614
そうそう今川と織田は長年の宿敵だが、敵同士が戦って勝敗が決するのは仕方のないことだろう
それに桶狭間の後は織田は今川に直接攻撃していないわけだし
織田を憎むのならそれ以上に徳川と武田を恨まないとおかしい罠
0616人間七七四年2019/04/23(火) 23:46:29.25ID:c+x4qsC5
織田信元や信康・築山や安藤守就は知多半島、岡崎、東美濃に居たというのが致命的だったんだろうと思うよ
猜疑心の鬼になってた信長にとっては信長の本国であった岐阜や尾張の近くに
疑われる人物が居るだけで十分に処刑を命ずる理由になる。
0617人間七七四年2019/04/23(火) 23:47:56.62ID:c+x4qsC5
水野信元だ。少し眠いようだ。すまん
0618人間七七四年2019/04/23(火) 23:52:16.31ID:2gXcfBJr
>>616
安藤守就は西美濃だぞ。
大丈夫か?

築山にしても今川家が既に潰れてるから何の力もないし、そもそも信長の処刑命令は近年疑問視されてる。
0619人間七七四年2019/04/23(火) 23:55:18.44ID:c+x4qsC5
>>618
築山が力があるかないかなんて少しも関係ない。
信長に疑われたという事が死刑を命じられた理由なのだから
0620人間七七四年2019/04/23(火) 23:59:33.83ID:V4y5xgQu
築山は岡崎信康に色々唆していたのではあるまいか
0621人間七七四年2019/04/24(水) 00:00:36.66ID:zHJYxjAp
荒木飛呂彦なんて疑われただけで族滅だし
黒田官兵衛も息子の打ち首を命じられるし
秀吉は切腹を命じられたし文字通り暴君ですな
暴れん坊将軍すぎんだろ信長は
0622人間七七四年2019/04/24(水) 00:05:18.09ID:zHJYxjAp
家康はキンタマついてんのかよ
命令されて妻と嫡男と叔父を殺すなんて。
族滅に近いじゃねえか。
男だったら勝頼に下に馳せ参じて尾張、岐阜を落とせっつーの
このオカマ野郎が!
0623人間七七四年2019/04/24(水) 01:15:55.03ID:fT78hR6N
荒木飛呂彦とか書き込みする酔っぱらいw

ジョジョは3部だな
0624人間七七四年2019/04/24(水) 01:38:01.04ID:zHJYxjAp
妻、嫡男、叔父の殺害を命じられ土下座しながら殺してる家康より
最後まで信長と死闘を繰り広げた勝頼の方が漢ですな。
0625人間七七四年2019/04/24(水) 03:33:58.46ID:sMzJu1mj
>>621
秀吉切腹って、あれは軍律違反だから非は秀吉にあるんだがな。暴君というなら、秀吉がやった秀次事件のほうがふさわしい。
0626人間七七四年2019/04/24(水) 05:56:26.02ID:zHJYxjAp
あれ逆切れして秀吉が毛利を播磨に引き込んで織田に叛乱起こしたらガチでやばかったぞ
秀吉の能力と姫路城と毛利の後援が結びついて長曾我部や雑賀衆や本願寺まで提携したら
信長はどうする気だったんだろ。
0627人間七七四年2019/04/24(水) 06:04:26.18ID:PquidZJo
>>626
頭悪すぎて草
0628人間七七四年2019/04/24(水) 06:36:04.97ID:ZzUbLJUK
>>626
当時の長曾我部はまだ阿波すら平定できていないのに、どうやって結びつくんだ? 仮に結びついても、長曾我部の塩飽水軍は織田水軍の前では雑魚だし、大軍輸送ができるとは思えない。

雑賀、本願寺、毛利の連携では史実でもあのザマ。仮に秀吉が加わり播磨全てが寝返っても、ほとんど問題にならない。むしろ別所長治なんか信長に自分を売り込むために秀吉を差し出すかもな。
0629人間七七四年2019/04/24(水) 06:44:12.21ID:zHJYxjAp
しかし信長のしでかした事はことごとく不用意だったと思うぞ。
水野信元の首を差し出せと言われた時点で家康がブチ切れて勝頼の傘下に入り
東美濃、三河、知多半島から一斉に尾張を突いたら尾張終了のお知らせだったろ
0630人間七七四年2019/04/24(水) 06:58:26.50ID:ZzUbLJUK
>>629
長篠の後の武田と組んで信長と敵対とか、正気の沙汰じゃないな。長篠以降の武田は、徳川が単独で抑えられるほど弱体化しているのに。

水野信元の件は佐久間の讒言説、信元の内通説がありよくわからんが、岩村城さえ救えなかった勝頼程度が家康や信元と組んでも勝てないよ。すぐに織田の大部隊に潰される。
0631人間七七四年2019/04/24(水) 07:03:31.03ID:UM1QUm1S
築山は今川から人質交換で戻った直後から、軟禁状態だから
信長関係無いと思うよ
家康は両親が離婚してるけど、何故か自分は離婚を選ばなかったね
別にあの時代でも離婚は珍しい話ではないし
嫡男の母親だからかとも思うけど、家康も嫡男で両親離婚だしな
0632人間七七四年2019/04/24(水) 07:10:52.84ID:UM1QUm1S
1562年に人質交換で
1579年に殺害だけど
家康が浜松に引っ越してからは、軟禁とかれたみたいではある
どんだけ嫌いだったんだろ
離縁すればよいものを
0633人間七七四年2019/04/24(水) 07:16:14.94ID:UM1QUm1S
で、長篠の戦いが1575年
この後にわざわざ武田に内通するアホは居ないと思うよ
0634人間七七四年2019/04/24(水) 07:21:00.04ID:l/Nt2CpL
築山殿は家康独立時の人質時代の心労でメンヘラになってたんだろ

築山 『私はこんなに貴方は愛しているのにどうして貴方は私に辛く当たるのですか?』
家康 『お前ウザいよ!!』

こんなやり取りの書状が残ってるそうじゃないか
多分、嫌いでは無かったんだろうが
今川裏切った後ろめたさも手伝って扱いに困っていたんじゃないか?
0635人間七七四年2019/04/24(水) 07:30:19.21ID:ZzUbLJUK
>>632
離縁したら当時は外聞が悪くなる可能性がある。築山が何らかの失態でもあれば、それを理由に離婚できるが。
0636人間七七四年2019/04/24(水) 07:43:48.15ID:MnSPjmCm
敵対してる相手からもらった嫁を送り返したところで外聞悪くはならないと思うが
0637人間七七四年2019/04/24(水) 07:50:22.38ID:HGPEKQuQ
家康が築山に変態プレイ(例えばママと赤ちゃんプレイとか)を強要するも
断られて拗ねてしまったとか・・・
マザコンだった家康ならあり得ると思う
0638人間七七四年2019/04/24(水) 07:52:48.71ID:ZzUbLJUK
>>636
嫡男と長女の生母だし、理由なく大名側から離縁は悪くなる可能性はある。大内義隆がその例だし。
0639人間七七四年2019/04/24(水) 08:06:31.79ID:UM1QUm1S
結果的には、離縁するより、正妻を殺害した方が評判は落とすね
だから、信長のせいにしたんだろうけどさ
0640人間七七四年2019/04/24(水) 08:13:05.95ID:smfoMVe4
築山の場合、離縁しても、もう帰る郷がないということが、問題を難しくしておりました。
意地でも松平家で生きてみせるのだ、という意気込みなり、凄味が、逆に、あのような悲劇を招いたのでしょうか。
0641人間七七四年2019/04/24(水) 10:45:29.30ID:iiBG6d+/
信康と築山については信長から貰った嫁と仲が悪かったのは確定してて
後は推測の域だな
0642人間七七四年2019/04/24(水) 13:19:38.32ID:smfoMVe4
真田家では、長篠合戦で長男信綱、次男昌輝が相次いで戦死、後継者(信綱嫡子与右衛門)はまだ年少、御家を束ねる核がなく、
三男喜兵衛もすでに他家を継いでおり、真田家督を嗣ぐべき人物がなく、家中困惑しきりであった。
そこで信綱未亡人の於北殿、昌輝未亡人(名不詳)が、無断で古府中に出向いて、真田家の今後を相談しにきた。

阿部勝宝「真田与右衛門殿が正嫡といえども御幼稚で、三弟喜兵衛殿も他家に行ったとなれば、さしあたり保科か小笠原から陣代を連れてきて、その者に真田一党の指揮を取らせるほかござるまいのう」
昌輝未亡人「与右衛門殿成人の暁には、采配は御戻しいただけるんでしょうか?」
阿部勝宝「……。それは、難しうござろうのう。徳川を滅ぼし、わが武田の領地が増えれば、真田殿に領地を戻すことも容易いのだが…」
於北殿「そんな!お屋形様!なんとかならないの?」
跡部勝資「お屋形様だってねえ、手品師じゃないんだから。長篠の敗戦の状態で、状況を今すぐひっくり返せと言われてもねえ」
昌輝未亡人「じゃあさ、家来からめぼしいのツバつけといて大将増やすとかは?」
跡部勝資「うちはねぇ。抜擢人事をしても御親類衆の反対ですぐつぶされちゃうんだよ」
阿部勝宝「そう!今いる人間で強くなるしかない」
武藤喜兵衛「ガラッ!話って何ですか?……お前たち…話したな??」
甘利信頼「喜兵衛!お主、なんてバカなことを…今さら武藤の家に義理立てして真田宗家を継がないとか!そんな約束守る必要ない!」
武藤喜兵衛「チャラってわけにいきませんよ。お屋形様、そういうわけで、真田によそから陣代を入れるにしても、1〜2年で徳川を滅ぼし、その暁には、必ず兄の子、与右衛門に家督を返すようにしてもらいてんだ…」
武田勝頼「ちょっと待てよ。俺は1〜2年で徳川に勝つと言った覚えないぞ。5年…下手すると10年かかるかもしれん」
武藤喜兵衛「……」
武田勝頼「のう喜兵衛、やはりいっそ、そちが真田家を嗣がぬか?前々から目には留めていたのだが、そちは信玄公の御小姓を務めたし、並はずれた胆力もある。真田当主にはもってこいだ」
真田昌幸「お屋形様…人間と着物にはガラってもんがある。一度真田を出た人間だし、まして三男の俺じゃ真田家はまとまんねーよ」
武田勝頼「その説得工作は余も力を貸す!そなたも、徳川に討たれた兄二人の仇を討ちたいだろう。その手で徳川をぶっ倒してみよ!」
*********
武田勝頼「今日から真田を継いだ昌幸だ。みんなよろしくな」
武藤喜兵衛改め真田昌幸「いいか!徳川なんか目じゃねえぞ。まぁ次の合戦は徳川なぞわが真田だけで沢山だ…」
武田勝頼「昌幸、戦はそう生易しいものじゃないぞ。ウソだと思うんならその火縄銃を射ってみろ。おいみんな端っこに寄れ」
真田昌幸「なんだこんなもの…アイテテ」
米倉、依田「ププッ…」
小山田信茂「草鞋飛ばすんじゃねんだお。弾丸飛ばすんだお」
武田勝頼「おい小山田やめぬか」
真田昌幸「このやろ!ビシッ!」
小山田信茂「なにすんだコラ!」
真田昌幸「ナニコラ!てめー俺と勝負しよってのか!」
0643人間七七四年2019/04/24(水) 14:56:58.19ID:btr+INo2
家康を隠居させて信康を当主に据え、徳川と武田が和睦する
というのは、武田なら大いにありえるからなぁ
0644人間七七四年2019/04/24(水) 15:37:37.72ID:FgA6rc//
>>643
昔、誰かの歴史シミュレーション小説で、信玄が家康を暗殺して信康に家督継がせて娘婿にして、織田を倒すのがあったぞ。題名忘れたけど。
0645人間七七四年2019/04/24(水) 16:47:39.31ID:J2s6nyMH
>>644
「覇風林火山」工藤章興かな?

あれは酷すぎる。というかいつも工藤の作品は最終的に兵力で押しつぶし、敵は何の手も打たない酷いものだけど。
0646人間七七四年2019/04/24(水) 17:55:07.72ID:zHJYxjAp
武田家と今川家を滅ぼした時点で家康の役目は用済みだから
猟犬家康は信長に煮殺される運命だったと思うよ
もしくは北条家を滅ぼすまでは死刑執行が猶予されたかもしれないけど
0647人間七七四年2019/04/24(水) 18:04:25.70ID:xV77/Mg3
>>646
小学生かな?
0648人間七七四年2019/04/24(水) 18:09:39.57ID:QbeeoK0B
春、だからね
0649人間七七四年2019/04/25(木) 00:04:51.06ID:4pFeK0NY
>>641
嫁と姑の仲が悪い事はさして珍しい事じゃ無い
まさか徳姫の愚痴を連ねた書状をノブが真に受けた訳でも無いだろ
兎に角築山事件に関しては史料らしい史料が残っていないので
憶測推測でしか議論ができない
何か物証が出て来てくれれば検証も進むんだが
0650人間七七四年2019/04/25(木) 00:08:38.03ID:1mz0aBGY
いちいち物証とか菅沼また来てるのかよ
0651人間七七四年2019/04/25(木) 00:11:13.60ID:N/8dBGI/
信忠スレの秀吉謀叛君?
0652人間七七四年2019/04/25(木) 00:29:52.34ID:mxuL/hcD
>>649
家忠日記があるのを知らんのか?
0653人間七七四年2019/04/25(木) 00:41:36.57ID:4pFeK0NY
>>652
不勉強なので詳細はうろ覚え程度の知識しか無いんだが
家忠日記には信康を軟禁し彼に加担するなと家臣に忠告した事と
築山殿を殺してしまった心労で家康が寝込んでしまった
と言う2点以外に記述が無いんじゃ無かったか?
0654人間七七四年2019/04/25(木) 01:21:13.34ID:jTrJU9rh
まあ信康事件と築山殺害は徳川幕府にとっては黒歴史だし、新史料もそうそう出てくるもんじゃないだろうな
家康と信康、浜松と岡崎で対立があったのは間違いない
0655人間七七四年2019/04/25(木) 07:24:18.04ID:Tz1orYRo
昨今の研究だと、石川数正出奔の遠因もそこではと言われてるみだいしな
三河派と遠江派の派閥争い
別に珍しい話でもなく、ありきたりな話しではあるけど

徳川幕府になってしまったし、本人も息子も大変だったろうな
0656人間七七四年2019/04/25(木) 12:55:49.50ID:wHXosTe1
>>655
具体的に誰の研究ですか?
0657人間七七四年2019/04/25(木) 13:24:19.41ID:cq2XYBNc
>>656
多分>>655本人の考察だろう。
石川数正は1592年に死んでるのに「徳川幕府になってしまったし、本人も息子も大変だったろうな」なんて言ってるから。
0658人間七七四年2019/04/25(木) 14:19:49.46ID:V0451IRC
その「徳川幕府になってしまって〜」は後世の評判的な意味でじゃないか?
0659人間七七四年2019/04/25(木) 19:24:16.28ID:/rV+fEcm
>>650
彼って信玄ファンじゃなかったけか?
まぁ、特定武将好きは大概変なんだろうな
1日中過疎スレに粘着してるくらい暇がある御仁だし
0660人間七七四年2019/04/25(木) 19:49:07.39ID:5+Js6UN5
家康「あとは良きに計らえ」
家臣「はは」

ドラマとかでやるなら家臣が忖度して築山殿を殺してしまったことにすればいい
良きに計らえの行き違いな
信長説はないと思うわ、いくら信長でも流石に
0661人間七七四年2019/04/26(金) 07:05:00.84ID:mEPrBQGz
結果論だが、天下を取った徳川の2代目が信康ではなく秀忠だったことが天下静謐・政権安定の為には良かった気がする
信康なら関ヶ原や大坂の陣で家康のやり方にノイズを入れそう
0662人間七七四年2019/04/26(金) 07:45:46.74ID:v7LUKzjn
https://i.imgur.com/0o9TCPa.jpg
https://i.imgur.com/JDNctMh.jpg
https://i.imgur.com/dpsLBmm.jpg
https://i.imgur.com/XlXfAC6.jpg
0663人間七七四年2019/04/26(金) 09:23:22.18ID:bD8YuI2L
秀忠「戦さは嫌いでござる」
0664人間七七四年2019/04/26(金) 13:37:27.12ID:z/hsEf0h
信康も義信も黙って親に従ってりゃ家督継げたのに
生かしておいても斎藤家みたいに内乱になる可能性があったから粛清して正解
0665人間七七四年2019/04/26(金) 19:38:58.13ID:ETne2OHw
設楽ヶ原で次々と討ち取られていきましたが、みんな、どういう気持ちで戦ったんでしょうね?
悔しいでしょうね。情けないでしょうね。
0666人間七七四年2019/04/26(金) 20:12:32.38ID:9ozC9wPn
「ここは俺に任せて先に撤退しろ、なあに、すぐに追いつく」と言って戦ったんだよ
0667人間七七四年2019/04/26(金) 20:33:55.45ID:jMMl0Dpu
『死ぬにはいい日だ、行くぞ!!』
『30歳まで死ななかった騎馬は下種野郎だ。下種野郎もそうでない奴も生きて帰ろうと思うな』
『俺は死んでもここに残る。お前たちを見ているぞ!』

こんな感じで戦っていました
0668人間七七四年2019/04/27(土) 01:05:24.71ID:fWVxGxgr
あの信玄公さえ攻略できなかった高天神城を落とした軍神勝頼公さえ残れば
武田は織田に勝つ、そう信じて戦いました
0669人間七七四年2019/04/27(土) 01:47:03.88ID:LmK7HrrL
高天神城だけ落としても、あんま意味なくね
0670人間七七四年2019/04/27(土) 07:07:41.49ID:j+lgmr8D
高天神城の意味ってなんだったの?
街道からも遠そうだし、都市でも無さそうだし
0671人間七七四年2019/04/27(土) 07:24:03.48ID:kOHwJLk/
長篠から日干しにされるまでの六年間は徳川の攻撃に耐えてたから堅城でしょ
0672人間七七四年2019/04/27(土) 07:53:50.23ID:aBUJpA9n
つうか、そもそも武田って国境線の守備が弱すぎるだろ
一体徳川から何回攻められてんだよw
信玄時代じゃ考えられないことだわ
やっぱ、長篠以降は既に武田にちょっかい出したら痛い目に合うって思われてなかったんだろうな
0673人間七七四年2019/04/27(土) 08:56:46.85ID:KyqYYfAV
専守防衛的には中央アルプスの西側と富士地方には手出しすべきでなかったかもな
十分な軍事力がないとそこらへんは守れないもん。
逆に言えば最初からそこらへんを持っておらず専守防衛に徹してたら兵数が1万でも守り切れたと思うぞ。
0674人間七七四年2019/04/27(土) 10:04:20.66ID:4HJOSVc2
徳川から何度も攻められたといっても、本気攻撃は少ないでしょ、ちょっかいを出すフリをする嫌がらせが目的、
信長の野望でもわざと少な目の兵で攻め込んで敵が大軍で迎撃してきたら
あとは戦わずにマップ上を適当に逃げ回ったあげく退散するセコい戦術があるけど、あれと同じよ
兵糧等の物資の消耗は大軍や遠方の方が多いからね
武田の場合はいちいち甲府盆地の山奥から雑多な国人たちに集合をかけてはるばる高天神城までなのでさらに負担が多い
これを繰り返してると
「やれやれ、またかよ〜、どうせまたただの嫌がらせでしょ?いちいち付き合う必要ないっスよオヤカタ様ぁ〜」と配下の国人共が言い出すわけよ
そうなったタイミングで今度はフェイクじゃなく本気攻撃、これが効果的
これも本拠地を移せない古めかしい体制のままで放置してた信玄の負の遺産だろう
勝頼は負の遺産の被害者だよ、お気の毒に
0675人間七七四年2019/04/27(土) 11:11:23.41ID:wfbr7Vdb
高天神が健在なうちに
民衆に侵略者だと石を投げられることになろうとも
駿府に拠点を移すべきだったんだよな
それで何時でも後詰できるぞと徳川にプレッシャーはかけられた
現実問題としてそれができるのかどうかはかなり微妙だが
0676人間七七四年2019/04/27(土) 11:25:39.73ID:RQCgh02J
>>674
本拠地をどこにしようと兵は各地から集まるんだから的外れ
0677人間七七四年2019/04/27(土) 11:33:58.72ID:kOHwJLk/
>>674
そもそも北条とも敵対したから甲斐から本拠地を移せるわけがない
信玄死ぬ前に北条との再同盟してるから勝頼自身の責任なんだよな
0678人間七七四年2019/04/27(土) 11:46:26.53ID:8V622Lbh
>>670 掛川攻略を諦めた時点で放棄すべき城
0679人間七七四年2019/04/27(土) 12:53:50.43ID:gbvL+xja
武田信玄はなぜ本拠を甲斐から移さなかったんだろうな。

信長も家康も、身軽に本拠を変更してるのに。
これが信長家康と、信玄の差なのかな?
0680人間七七四年2019/04/27(土) 12:55:49.49ID:3Ny/uh0D
信玄が攻略できなかった城を落とし名将勝頼を知らしめることに意味があった
0681人間七七四年2019/04/27(土) 13:12:47.52ID:zlatnApo
信濃はだだっ広いだけでコメもとれないから思い切って甲斐駿河に集中して、東海道を全力投球、これしかありません。
0682人間七七四年2019/04/27(土) 13:23:07.77ID:zZGiGAsE
>>681
今川家は信虎をかくまってくれてるのに、そんなのできないよ。しかも今川義元に勝てるの?
0683人間七七四年2019/04/27(土) 13:30:15.43ID:zlatnApo
>>682
駿河は隣じゃ…近い…
0684人間七七四年2019/04/27(土) 14:24:20.79ID:wfbr7Vdb
勝てないと踏んだから北進を選択した訳です
義元が死んで謙信に勝てないと踏んだから南進を選択した訳です
勝頼も織田、徳川に勝てないと踏んだから上野侵攻を選択した訳です
武田の勝てそうな所に攻め込む戦略方針は信玄勝頼時代を通して一貫しています
0685人間七七四年2019/04/27(土) 14:48:17.50ID:KyqYYfAV
信長が軍政や武器や防具をどんどん近代化してる間、
信玄は村上、長尾と遊んでたわけだからな。
0686人間七七四年2019/04/27(土) 15:02:16.75ID:zZGiGAsE
>>685
信長は何よりも目標を美濃、それから畿内と決めてやってるよね。

もし織田信長の中身が信玄だったなら、今川義元を桶狭間で撃ったら今こそ三河にとかなりそう。やはり信長と信玄は視野が違う。
0687人間七七四年2019/04/27(土) 15:09:15.48ID:wfbr7Vdb
史料的な裏付けは無いが三河人は尾張人にいい印象を持っていなかったらしいからな
仮に三河を攻めても民衆の支持が無ければ維持できない
ならば三河は家康や水野にくれてやり自分は美濃をって思考だったと思う
あとはやはり流通経済を重視していたからかな
木曽三川は関ケ原を越えて琵琶湖に抜ける中継ルートだったから
ここを押さえる経済効果はかなりでかい
0688人間七七四年2019/04/27(土) 15:47:35.93ID:KyqYYfAV
1560年、桶狭間の戦いで今川義元が戦死した翌年に第四次川中島を起こし
国力を大きく疲弊させ、さらに繰り返し関東攻めや第五次川中島や越後攻めを
しつこく続けてるんだよね。1568年まで無為に過ごしてしまったのが痛い。
桶狭間直後に謙信と手打ちにして今川騒動に介入したら全然違う展開も見込めたと思うぞ。
0689人間七七四年2019/04/27(土) 15:54:58.00ID:KyqYYfAV
第四次川中島なんてせずに跡継ぎの今川氏真に織田家への弔い合戦を強く勧め
この義父である信玄が助太刀いたすぞとかなんとかうまい事を言って懐柔し
劉備玄徳よろしく東海地方を丸ごと併呑しちまえばよかったろうに。
0690人間七七四年2019/04/27(土) 16:18:10.09ID:PvkC+I/P
氏真の祖母の寿桂尼が頑張ってるから、1561年に取るのは流石に無理だろう。
0691人間七七四年2019/04/27(土) 17:02:31.86ID:kOHwJLk/
>>690
桶狭間で義元討死の士気低下、重臣討死&家康等離反
1561年の謙信による北条征伐で今川は北条に援軍送っていて手薄だから問題ない
むしろ今川だけじゃなく北条が敵に回って相手してた史実より圧倒的に楽
0692人間七七四年2019/04/27(土) 17:10:51.84ID:KAKlTLeu
>>691
それなんて小説よ?
0693人間七七四年2019/04/27(土) 17:25:15.94ID:KyqYYfAV
氏真というり氏真の重臣たちを懐柔して半ば自分の部下にしてしまい
氏真自体はもちろん名目上の駿河国主として尊重するふりをして傀儡だね。
信長が足利義昭や斯波義銀にしたように。
もしくは秀吉が宇喜多秀家や織田秀信や織田秀勝にしたように
0694人間七七四年2019/04/27(土) 17:30:40.37ID:wfbr7Vdb
>>689
史実にそれやって氏真に断られてるんですが
このスレで俺は散々言って来たが氏真は無能だがバカでは無い
信玄が用済みになったら自分を殺すだろうくらい見通せる才能はある
だから氏真は自分を裏切った家康や親の仇の信長に頭は下げても
信玄相手には徹底抗戦した
0695人間七七四年2019/04/27(土) 18:01:26.49ID:iYre7mob
>>694
確か、弔い合戦は家康も断られて織田と同盟することになってたような
0696人間七七四年2019/04/27(土) 18:20:22.51ID:t8hIOD4j
>>694
それ甲陽軍鑑の話で、史実かどうかはわからない。諏訪頼重やその息子の傀儡を使えなかった、あるいは利用価値がわからなかった信玄に、その手が使えるとは思えないし。
0697人間七七四年2019/04/27(土) 18:35:45.87ID:sTnqFwYk
そんなことする余裕が信玄にあったとも思えないしな、謙信いるのに
0698人間七七四年2019/04/27(土) 18:44:00.43ID:VDlp5Fbh
甲陽軍鑑を信用できないとか言ってるのがまだいるのか
菅沼か?
0699人間七七四年2019/04/27(土) 18:46:46.59ID:KyqYYfAV
秀吉はうまいよな。同盟者や家臣の謀師や重臣を可愛がって引き抜いたり
そのまま同盟者や家臣に対する目付として使うんだよな。
倒した相手も簡単に改易しないでそのままとどめおいて意のままに操るという。
0700人間七七四年2019/04/27(土) 18:47:33.61ID:wfbr7Vdb
だから俺だったら勝頼を家臣にして北条を攻めさせたなんて自信満々で言えるんだろうな
0701人間七七四年2019/04/27(土) 20:11:13.01ID:naeY6DFz
傀儡厨ももう立派な荒らしやな
0702人間七七四年2019/04/27(土) 21:46:56.77ID:9taHBtzG
信長が美濃侵攻したのは戦略とかもあるけど、単純に当主の病とか、父親殺しのゴタゴタで付け入る隙があったとか、そういう理由だったような気もするw
0703人間七七四年2019/04/27(土) 22:20:49.51ID:MFFuHhjZ
道三義龍の相続がうまくいって美濃斎藤と同盟のままだったらどうしたんだろ
0704人間七七四年2019/04/27(土) 22:59:32.05ID:dyjmCQMM
伊勢侵攻するだけだろう
このパターンでも信長の石高は100万石越えになるから問題ないだろう
しかも史実と違って北畠を中途半端に残さんだろうし、領国化の為に掃除をきっちりやるだろうから、
一向一揆が起きないか小規模で済むんで、一門の大量死も起きなくなるかもしれん
おまけにこのパターンだと武田と直接国境を接しないから東に大軍を置く必要もない
浅井とは同盟せんでもいいから斎藤に北近江から北陸方面を暮れてやって
徳川には史実通り東海道をやれば、信長は伊勢から南近江に侵攻して余裕をもって西国を攻撃できる

まあかなり信長に都合のいいif設定にしてるのは認める
書き込んどいてこんなこと言うのはあれだけど、こんな上手いこといかないよな、多分
0705人間七七四年2019/04/27(土) 23:41:33.51ID:sTnqFwYk
>>702
もちろんそうだろ。代替わりは攻める絶好のチャンスだ。
信長は「『道三の娘婿』として美濃国主になる資格がある」という名分もあるし。
0706人間七七四年2019/04/27(土) 23:46:41.04ID:zlatnApo
義元が死んでから俄かに周辺各国から注目をあびる優れた駿河
0707人間七七四年2019/04/28(日) 02:08:06.23ID:17rrDQ/o
当時の伊勢って名阪自動車道が無いから畿内に出ようとすると
熊野古道を周って大坂に出ないといけなかったんだよな。
そうなると上洛なんて夢のまた夢だろう。
侵攻手順は伊勢→雑賀→堺でここらで三好とぶつかる。
0708人間七七四年2019/04/28(日) 02:25:51.33ID:17rrDQ/o
仮想戦記になるけど齋藤道三が死ななかったIFでは
信長は南に進路をとって鳥羽ー長島ー津島の海上貿易トライアングルを構築し
巨大な海城をいくつも築いたんじゃなかろうか。
0709人間七七四年2019/04/28(日) 02:51:34.65ID:OKyP8jBn
>>707
東日本太平洋側と京の流通は伊勢近江が主要ルートの一つ、
熊野古道なんてまず使われないだろ。
0710人間七七四年2019/04/28(日) 03:06:31.84ID:17rrDQ/o
>>709
R365を通って関ヶ原に向かうルール?
結構な山道じゃねえの? 当時の路について全然知らんからレクチャーよろ
0711人間七七四年2019/04/28(日) 03:14:05.18ID:17rrDQ/o
新名神高速道路も名阪自動車道も通った事がある人なら分かるとは思うんだけど
亀山市あたりの伊勢と近江の県境超えは大変だろ。それでもちゃんと山道が
存在したというのであれば通れるとは思うんだが、そこらへんに古道があったという話は
少なくとも俺は聞いた事が無い。
0712人間七七四年2019/04/28(日) 03:26:54.33ID:ciieCfjp
まず東海道があるだろ
0713人間七七四年2019/04/28(日) 03:42:35.43ID:17rrDQ/o
なるほど。勉強になった
鈴鹿峠超えルート、加太越えルート、関ヶ原越えとたくさんルートがあり
しかも時代によりどんどんルートが変わっていったんだな。
軍道として踏破するならいずれのルートも使えたっぽいな。
0714人間七七四年2019/04/28(日) 04:03:58.95ID:OKyP8jBn
>>711
桑名や四日市からそのまま西に向かって鈴鹿山脈越えて近江に抜ける千種街道八風街道
四日市から近江日野を通るルート
大湊鈴鹿亀山から近江水口草津に抜ける東海道ルート
が有名な所じゃ
伊勢南部からは大和や伊賀のルートもあったし

>>713
山科の日記で千種街道使って駿河行った記録とかもある
0715人間七七四年2019/04/28(日) 04:11:37.96ID:17rrDQ/o
そうか。だったら斉藤道三が生存してても陸路で
伊勢→(伊賀→)近江→京と制圧するルートはあったあんだな。
でもその場合は足利義昭は織田信長には頼ってないはずなので
京を目指すという大義名分も動機もなく周辺国を少しずつ齧りながら領土拡大の道を
目指したんだろうね。
0716人間七七四年2019/04/28(日) 04:41:54.97ID:UzQRSq0Y
http://imgur.com/stXizIJ.jpg

なんで負けたの?
0717人間七七四年2019/04/28(日) 04:47:45.72ID:OKyP8jBn
その場合は斎藤家は六角と同盟結ばないかも
六角は北伊勢に影響力持っているから織田にとっては好都合かも
0718人間七七四年2019/04/28(日) 05:54:21.95ID:A3iGGMl3
>>716
航空支援対と対戦車砲並べてたから
0719人間七七四年2019/04/28(日) 05:56:51.92ID:RhG0GVOT
当時の伊勢〜京都のメインルートは
船で伊勢湾から揖斐川遡って大垣あたりから関ケ原越えて琵琶湖じゃないか?
鈴鹿越の東海道が整備されたのは江戸期に入ってからだと思うが
一応大和経由で大阪に出るルートも当時使われてたみたいだが
かなり遠回りになる
0720人間七七四年2019/04/28(日) 06:39:16.52ID:hQ4lzL0Y
>>706
駿河は石高15万だが、交通の要衝で交易にも恵まれていたからな。
0721人間七七四年2019/04/28(日) 07:02:45.20ID:hQ4lzL0Y
>>719
大和経由で大坂は山道できついような気もするが。あのあたり永禄年間には整備されていたのかな?
0722人間七七四年2019/04/28(日) 08:21:28.22ID:RhG0GVOT
南北朝時代に北畠顕家がそのルートで畿内に進撃してるから整備はされてたんじゃないかな
垂井で足利軍を撃破してるのに何故そのルートを使ったのかよく分からんが
大河ドラマの太平記では伊勢の父親・親房に一目お会いしたかったと漏らし親房を困惑させていたが
0723人間七七四年2019/04/28(日) 08:29:20.89ID:hQ4lzL0Y
>>722
確か誰かの説で、京都にいた足利軍と戦うには自軍もかなり疲弊していたのと、顕家の軍に北条時行がいて、越前にいた新田義貞とは仇敵だったために連携できなかったから、そのルートを使ったらしいよ。

確かに、北畠が使ったなら、あれから200年も経てば整備はされてるかな。
0724人間七七四年2019/04/28(日) 08:41:15.35ID:17rrDQ/o
鈴鹿越えは馬が通る事ができないから
東国から上京する人は一旦、伊勢や尾張の宿屋や馬屋に馬を預けて
徒歩で上京し、また帰り道に馬を返してもらい東国へ帰ったとされるが
その時に馬が居なかったりなどのアクシデントが連発してたとウィキに書いてあった。
おもしろい話だな。
0725人間七七四年2019/04/28(日) 08:43:06.46ID:17rrDQ/o
箱根旧道とかも現在歩くと人間が登るのも結構つらいけど
あれは馬は無理だな。どういうルートで箱根は超えたんだろ
0726人間七七四年2019/04/28(日) 08:47:50.16ID:XtDhPphZ
箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川
0727人間七七四年2019/04/28(日) 10:48:15.05ID:IKZMZGWH
滅敬が武田=築山間の間者とばれたので、青酸カリで闇から闇に葬り去られた
0728人間七七四年2019/04/28(日) 12:37:07.19ID:9gQkp0/u
ペロッ・・これはry
0729人間七七四年2019/04/28(日) 20:16:31.90ID:21TP5/Lz
>>714
>大湊鈴鹿亀山から近江水口草津に抜ける東海道ルート
大湊じゃなく安濃津では?
伊勢大湊からの陸上ルートは伊勢神宮や大和への道。

>>719
東海道は昔から整備されていたから、関所多過ぎで過去と比べると落ちてはいるのだろうけど、
東海道が廃れていれば草津も安濃津もそんな重要な経済拠点じゃなくなるし。
0730人間七七四年2019/04/29(月) 01:01:39.07ID:QoRtftvh
>>720
いや伊勢を織田に抑えた時点で交易はじり貧よ
東の太平洋側の海の流通の拠点は伊勢
織田が伊勢商人に規制を掛けたが、商人は図太いから裏で隠れてやっていた
正規でできないから、規模は縮小していたと思われる
だから東の交易は北の海路が盛んで越後の上杉はかなり儲けていた
0731人間七七四年2019/04/29(月) 01:13:58.53ID:VwU1uTZM
>>730
北側って冬は使えないのでは?
確かに伊勢を織田が抑えてる時点で武田は苦しいだろうが。
0732人間七七四年2019/04/29(月) 01:20:19.89ID:4tkLM3wa
特産品や交易品が無いと航路自体もさほど意味ないしね。
駿河国って特に他国に売れるようなもんは無かったのでは?
0733人間七七四年2019/04/29(月) 06:07:17.28ID:P3T7uUIU
>>732
茶とか海産物とか
0734人間七七四年2019/04/29(月) 06:32:56.74ID:uGACqoST
今川には荒れた畿内から下向した貴人が結構居たと聞くが
そういう人達の人脈や需要も交易に影響していたのでは?
今川が潰れ、ノブの台頭で畿内も安定して下向した貴人も帰っていき
駿河で商売する旨味も減って船足も遠のいたのでは
難所遠州灘を渡るリスクに見合うリターンが無いと駿河に行きたいとは思わんやろ
0735人間七七四年2019/04/29(月) 07:40:21.21ID:ucdTAfbe
いうて中山道通るよりは遥かに東海道の方がましやで
0736人間七七四年2019/04/29(月) 07:43:15.06ID:uGACqoST
東海道は矢作、天龍、大井と名うての暴れ川が待ち構えているからな
到着日時が計算しにくい
江戸期には急ぎの旅には中仙道使ったって聞くが
0737人間七七四年2019/04/29(月) 08:23:42.59ID:eCp+6Csd
卯酉東海道
0738人間七七四年2019/04/29(月) 08:36:12.35ID:7fkqct2V
戦国期だと東山道はもう使われてない?
0739人間七七四年2019/04/29(月) 09:18:05.54ID:gYDwPytM
前に、東海道より中山道の方が通行として活発と聞いた気がするけど
商売だと違うのかな?
0740人間七七四年2019/04/29(月) 09:25:30.98ID:VwU1uTZM
>>739
中山道が活発?
まさか。信濃や東美濃の山道に比べたら、まだ東海道のほうがマシでしょ?
東海道も川はあるけど、それ以外は箱根くらいだし難所は。
0741人間七七四年2019/04/29(月) 09:33:32.82ID:kD4+bVuX
東山道と中仙道がイコールかはわからないが、東海道に比べ、山が多くて移動が難儀なのはいうまでもないだろうが。移動の困難で岩村城キューサイに失敗すれば、未来永劫嘲りを受けようぞ。
0742人間七七四年2019/04/29(月) 09:49:17.98ID:4tkLM3wa
>>733
室町時代はお茶といえば京の近郊にある宇治が有名で貴重品だった。
駿河では江戸時代後期に、宇治の茶師を招き、茶の栽培と製茶技術を普及させ、
茶業がめざましく発展し、
明治時代静岡県となってから徳川家臣団等による大井川下流域の牧之原が
茶畑に開墾され一大茶園が広がったとされてるよ。
0743人間七七四年2019/04/29(月) 09:54:56.80ID:4tkLM3wa
江戸に居た莫大な数の旗本、御家人は幕府の滅亡と一緒に職を失い
徳川慶喜にくっついて駿河に避難するか最後の決戦に臨んで松前に逃げるしかなかったんだよね。
松前に逃げたものどもはその後、明治政府の方針により屯田兵などになったが
静岡県に避難してきた武士団は困窮し茶畑を作るしかなかった。
0744人間七七四年2019/04/29(月) 09:55:07.85ID:lNzgJ1pq
中山道は織田〜豊臣政権時に街道や木曽のかけはしが整備され出して
江戸時代に参勤交代や宮家の輿入れで利用され宿場町が発展しただけで
戦国時代前期〜中期はただの山道だぜ?
信玄〜勝頼時代なんてただの山道
織田〜豊臣政権時に整備されだしても関ヶ原合戦の秀忠軍は行軍に難航したくらいだし
0745人間七七四年2019/04/29(月) 12:05:12.17ID:od8i1miz
中山道は、前田慶次が1601年に伏見から米沢にいく道中日記が、中世の最後を留める史料としてある。
その後整備された近世中山道との違いが面白い。
0746人間七七四年2019/04/29(月) 12:49:43.07ID:gYDwPytM
>>740
川幅が広くて旅程の計算がしにくいのでは?
期限もあるだろうし、確実性をとるのでは
もちろん遠いのは間違いないだろうけど
0747人間七七四年2019/04/29(月) 13:27:27.65ID:KfKHiAiA
>>739
そりゃ商売じゃコストが重要だから、
船が使えず陸路で人手がいる中仙道は物流の中心にはなれない。
0748人間七七四年2019/04/29(月) 14:04:45.44ID:gYDwPytM
何を最大リスクと思うかによるだろうな
距離による日数増大か
自然現象による日数増大
計算出来るのは距離、集められる人の数

今の世だったとしても、基本的な考えは一緒
0749人間七七四年2019/04/29(月) 14:25:17.47ID:PnaMnlXZ
東海道=行き来がしやすく船も使えて早いが天候によってすごく遅れる恐れがある
中山道=基本的に険しくて不便だが東海道よりは悪天候に強い

こんな感じか、勉強になった
0750人間七七四年2019/04/29(月) 15:06:30.23ID:lNzgJ1pq
関ヶ原合戦時
家康軍(東海道)
9月1日、家康軍は江戸出陣

9月11日、家康軍は清洲城に到着
(江戸〜清洲間の東海道約350kmを10日間で走破)


秀忠軍(中山道)
9月9日、家康からの書状を受け取り関ヶ原へ向かい西進

9月17日、信濃木曽路の妻籠宿で東軍勝利の報せを受ける

9月19日、赤坂に到着


江戸時代前の中山道はむしろ悪天候で家康からの伝令が遅れたり
秀忠が伝令受け取って関ヶ原に向かっても距離的に大したことないのに
家康の江戸〜清洲間の日数とほぼ同じという
0751人間七七四年2019/04/29(月) 15:37:44.95ID:3aazhNTx
秀忠が大坂の陣にクソ急いで向かったときには10月23日に江戸を出て29日に吉田まで270qを6日で走破の参考記録もあるな
軍勢置き去りにしたようだから同じ条件とは言えないけど同じ道は使いたくなかったんだろうな
0752人間七七四年2019/04/29(月) 18:05:38.58ID:QoRtftvh
商人の交易って命がけなんだよ
賊に襲われる危険と悪天候や災害や疫病などの病気でね
ユダヤ教もこういう命がけの危険な旅をしてる商人の精神的な支えとして誕生したわけね
宗教は商人の交易によって発展した
だから各地を繋ぐ役目を果たしていた教会が力をもった
そして商人は交易の旅の先に宗教を布教して新たな信者を増やして勢力を拡大させた
ザビエルも日本にやってきたのは布教っていうより商売のためにやってきた行商人なんだよ
0753人間七七四年2019/04/29(月) 18:22:17.33ID:kD4+bVuX
甲斐、信濃ニモ、キリシタンハ、居ナカッタノデショウカ?
0754人間七七四年2019/04/29(月) 18:31:44.48ID:VwU1uTZM
>>750
距離的に大したことない。
あのあたりが平坦な道ではないと思いますが。

平坦な道と山道峠道では全く違うと思いますが。
0755人間七七四年2019/04/29(月) 18:35:46.61ID:uGACqoST
関ケ原、大阪の陣は9月10月だろ
矢作、天龍、大井の本当にヤバい時期は雪解けの4月から梅雨明けの7月だぜ?
0756人間七七四年2019/04/29(月) 18:45:28.83ID:lNzgJ1pq
>>754
>>744で言った通り江戸時代で整備されるまで中山道はただの山道と言ってるだろ
0757人間七七四年2019/04/29(月) 18:47:31.39ID:KX9XH138
秀忠遅刻は途中で道草食ってたからだろ
0758人間七七四年2019/04/29(月) 19:51:28.48ID:RoS+mbCg
>>757
池沼
0759人間七七四年2019/04/29(月) 23:29:13.26ID:Vz4D1mhB
平成最後の設楽が原
晴天で良かったよ
https://i.imgur.com/83Rxkzp.jpg
https://i.imgur.com/1fA7JAW.jpg
https://i.imgur.com/zzybxEj.jpg
0760人間七七四年2019/04/30(火) 08:17:27.68ID:1kwwVn3m
>>759
相変わらず山奥の田舎だな
第二東名ができる前は本当に何もなかったけど
0761人間七七四年2019/04/30(火) 08:25:23.96ID:YZqMsq0e
だがここで世界選手権ラリーをやるらしい
勝頼公を世界に売り込むチャンスだ
0762人間七七四年2019/04/30(火) 08:35:32.41ID:1kwwVn3m
長篠城の周辺の橋は高さがあり絶景で見所あったけど
設楽原は本当に何も無かった印象
0763人間七七四年2019/04/30(火) 10:53:04.28ID:NJ+XZu8h
何万人も戦うスペース無いよなぁ
0764人間七七四年2019/04/30(火) 10:58:35.41ID:rB11hVpp
裏切ったお仕置きのために長篠城に向かったのは分かるが
ここを武田家の兵を総動員して取らなければならないほどの戦略的価値ってあるの?
0765人間七七四年2019/04/30(火) 11:34:38.19ID:YZqMsq0e
当初は吉田まで突っ込んで遠三分断が目的だったと思われます
失敗したのでここを攻略して吉田攻略の拠点としたかったのでは
0766人間七七四年2019/04/30(火) 11:52:50.99ID:rB11hVpp
失敗したのなら潔く本国撤退すればいいのに。
信玄だったら間違いなくそうしたでしょ。
信長に一旦、無駄足を踏ませる事は戦略的に大きな意味を持つし。
これで家康が信長に借りができたことにより信玄が遠江を再侵攻した際には
信長の腰が当然重くなり本人が来ずに佐久間あたりに兵を預けて家康へ
援軍しろという形になる。
0767人間七七四年2019/04/30(火) 12:00:09.03ID:YZqMsq0e
深追いし過ぎて大惨事を招いたのは確かでしょうな
もともと信長本隊が本願寺と交戦中との情報を得て
信長の居ぬ間に吉田まで取る事が目的だったでしょうから
0768人間七七四年2019/04/30(火) 12:07:18.20ID:zEuGuxhi
>>766
上田原で敗北しても潔く撤退出来ずに一月ぐらい粘った
村上が高梨と争って留守してる間に戸石攻めたが落とせず潔く撤退出来ずに村上が後詰に戻ってきた
他にも駿河攻めで北条が敵対という事態になったのに潔く撤退出来なかった
徳川攻めで朝倉が撤退という事態になったのに潔く撤退出来なかった

戦略における損切りの判断は信玄も似たようなもの
0769人間七七四年2019/04/30(火) 12:28:52.48ID:XWgpNfDf
>>764
三河北部の頭を抑えているため、家康が三河南部の兵力を東に動員できなくなる。
0770人間七七四年2019/04/30(火) 12:46:35.24ID:RhiNiYnL
>>764
天正3年春の武田軍の行動見てると、直接長篠城に向かったわけではないのがわかる
奥平討伐は確かに目的の1つなんだろうが総動員するほどでもないな
0771人間七七四年2019/04/30(火) 17:42:31.23ID:ecuQZAxW
裏切られても、力はあるよってのを
内外に見せたかったのでは?
0772人間七七四年2019/04/30(火) 18:33:01.80ID:rB11hVpp
でも奥平から見たら先に裏切ったのは武田家なんだよね。
奥三河から遠江、三河と進軍して徳川家をやっつけてくれるという約束で従ったのに
最前線に奥平だけを残して信玄が死んだら全軍でさっさと帰国したじゃん。
これは奥平家に死ね絶滅しろ家康に根切りされろと言ってるのと全く同じで
奥平だって武田家を裏切りたくて裏切ったわけではない。自分の命が懸かってるんだから仕方ないでそ
0773人間七七四年2019/04/30(火) 19:08:02.54ID:Dl59Dyg0
>>772
奥平は裏切った、と言っても、武田方に道文とその息子が残り、徳川方に貞能、信昌がついただけ。国境周辺の国衆が家を残すためによくやる手(真田も関ヶ原でやってる)で、なぜ勝頼がこの裏切りにそんなに激怒したのかわからない。

勝頼が貞能の裏切りで殺した人質も、道文の孫なんだから、普通はまだ人質の利用価値を考えて生かすはずなんだが、なぜ殺したんだろ? 勝頼の思考回路がよくわからない。
0774人間七七四年2019/04/30(火) 19:28:00.44ID:ecuQZAxW
家中を引き締めたかったんじゃね?
舐められたら不味いだろうし。大名は
0775人間七七四年2019/04/30(火) 21:07:13.17ID:I2H89860
>>772
そんな大仰な話ではなく、単に奥平は同じ山家三方衆と領土問題で揉めたから武田から離れたんだよ
勿論、信玄が死んだのも頭にはあったんだろうが
0776人間七七四年2019/04/30(火) 21:37:21.07ID:wgacDnjU
だからって人質殺す必要はないような。
まだ交渉用なり、武田方に留まってる奥平方の人質には使えるよな。
0777人間七七四年2019/04/30(火) 21:42:23.04ID:MZONp91p
実は武田じゃ裏切り者の人質は殺すのが普通だったとか?

信長も黒田長政殺そうとしたし
0778人間七七四年2019/04/30(火) 21:53:40.45ID:wgacDnjU
>>777
信長の場合、長政って誰が人質にしていたんだ? 普通は岐阜城下にいて、竹中が裏工作なんかやる前に磔なんだが。

長政殺せと秀吉に命じた、とあるから、長政って秀吉のそば近くにいたんじゃないのか? それって厳密には人質と言えるのか?
0779人間七七四年2019/04/30(火) 22:03:09.84ID:MZONp91p
>>778
>普通は岐阜城下にいて
織田家の場合領地広すぎるからか、全部が全部本拠地の城下に集めているわけじゃないみたいだが
武田攻め後、滝川は新領地からの人質を返還し、森は人質皆殺しにして撤退したってことは
人質が安土にいないことを示しているわけだし
0780人間七七四年2019/05/01(水) 20:23:38.49ID:go1g3pMA
>>732
駿河は鎧とかに使う鞣し革の一大産地
0781人間七七四年2019/05/02(木) 04:59:17.82ID:7dKZfx8v
このスレでも信長は陛下を敬う気持ちがあったのだろうかと疑問を呈すると
必ず「織田信長は勤皇家だ!あんなに朝廷を敬った者は居ない!」と発狂するものが
何匹も湧くんだけど、それでも疑問に思う。
天皇陛下が学問を教わったとされる国師快川和尚を焼き殺したり
上皇を始めとした皇室関係者も多く出家して僧として活動してた比叡山を焼き払ったり
少しでも皇室を敬う気持ちがあったらできるわけがないと思うんだけど。
0782人間七七四年2019/05/02(木) 06:49:38.24ID:AYsOpKoF
いきなり発狂するなよ
0783人間七七四年2019/05/02(木) 07:21:38.37ID:TUuer0yO
そりゃまあ、敬うのと無秩序にやりたい放題させるのはちがうもの
いくら立派な人物や存在でも秩序に反すれば罰せられるのは当たり前だろ
まあ別に民主主義国家でもないからその時点での時の権力者に
筋を通しておけば、事情が許す限りは致命的な事にはならんだろ

まああれだ、空気を読めってことだよ
基本敗北者の大半は下らんプライドが邪魔してこれが読めてない
暗殺とか例外はあるけどこれはしゃーない
0784人間七七四年2019/05/02(木) 07:23:41.87ID:4vBfQ/ob
信玄も折角三条の嫁貰ったんだから
そのパイプを存分に活用して朝廷に貢献すべきだったのさ
さすれば朝敵認定も避けられたし
勝頼もそのパイプを利用してノブに降伏する事もできただろうに
勝頼時代はもう完全に詰んでた
0785人間七七四年2019/05/02(木) 08:13:14.10ID:yBL54v50
嘘か本当か知らんけど、信長から降伏勧告の使者が来てたらしいから
家督を人質になってた、信長の息子に譲って
松を信忠の正室に送り込んで
信長が家族に甘いって弱点を突いて
ひたすら、本能寺の変を待てば、逆転のチャンスがあったかもしれんな
一応嫡男の正室の兄だし、影響力も出てきそう

こんな感じのIF小説ってありそうでないな
そこまで勝頼自体が人気ないのもあるかもしれんが
それでなくてくも大変な武田家の状況で、あの信玄の死はないわ
無責任過ぎ
0786人間七七四年2019/05/02(木) 08:35:38.47ID:T+tHIafW
>>784
その転法輪三条家は1551年に信玄室の三条の方の父が大内の反乱に巻き込まれて死んで
嫡子がいなかったから養子が継いだが1554年に早逝して断絶
15年間断絶したまま1569年に三条西家の養子が名を継いで再興したからほぼ他人でパイプとしても使えない
ちなみに三条西家は甲斐・信濃など新興の青苧産地からの青苧にも苧公事を賦課していたが
信玄・勝頼の払いが悪いから三条西家とは険悪だったからパイプなんて使いようがない
0787人間七七四年2019/05/02(木) 09:39:49.76ID:3v40TxY0
なんだよ。債務不完全履行かいな。それじゃパイプにならぬな。
0788人間七七四年2019/05/02(木) 09:57:46.94ID:7dKZfx8v
>>783
やはり新たな天皇陛下と皇后陛下も空気を読んで安倍国家の軍門に下るべきなの?
0789人間七七四年2019/05/02(木) 10:11:59.26ID:znBP5trp
>>788
キモいぞ
0790人間七七四年2019/05/02(木) 10:50:36.23ID:g7slIFPM
〇〇上皇「予の悩みのタネは鴨川の水と延暦寺の暴徒」

ノッブ「ご皇室に代わってお仕置きよ!」
0791人間七七四年2019/05/02(木) 11:20:35.87ID:7dKZfx8v
https://togetter.com/li/1323931
0792人間七七四年2019/05/02(木) 11:24:07.82ID:7dKZfx8v
安倍ちゃん「俺が森羅万象を司る国家そのものじゃー!!!」
先帝陛下「( ^ω^)・・・もう私は天皇辞めます。あとは好きにして」
0793人間七七四年2019/05/02(木) 11:29:42.75ID:znBP5trp
>>792
くせーんだよデブ
0794人間七七四年2019/05/02(木) 14:29:25.66ID:hqm8cH45
信長が宗教勢力の武力を木っ端微塵に粉砕して、以降強訴が消滅して政治的影響力を殆ど失ったのは、世界の歴史上稀に見る出来事

無論その後の徳川家の宗教対策が上手かったのも無視出来ないけどね
0795人間七七四年2019/05/02(木) 17:02:40.03ID:K+rnsbdw
デブ
0796人間七七四年2019/05/02(木) 17:27:21.38ID:7dKZfx8v
チンギス・ハンは仏教、景教、イスラム教など
宗教全般に対して異常なほど寛容で信仰・信教の自由は完全に守ったが
チンギス・ハンの弟を侮辱したシャーマンのテブ・テングリ(チンギスハーンの名付け親)だけは
一族の名誉のために撲殺刑に処したよな。
0797人間七七四年2019/05/02(木) 17:32:45.39ID:3v40TxY0
で、甲斐信濃にキリシタンは当時いたのかね?
0798人間七七四年2019/05/02(木) 17:33:11.94ID:7dKZfx8v
宗教弾圧なんてどこの国も例外なくやってるわけで
むしろ宗教側が強くて勝利して一国を丸ごと収めたケースの方がレアだぞ。
カノッサの屈辱とか。
0799人間七七四年2019/05/02(木) 17:33:26.01ID:DOqGIkc7
4第ハーンモンケ、5第ハーンクビライの母がネストリウス派キリスト教徒だったんだよな
0800人間七七四年2019/05/02(木) 17:37:10.93ID:7dKZfx8v
中国共産党政府が一番恐れてるのが法輪功で人間の限界まで残酷な事を極限までし続けてる理由というのは
本気で彼等宗教勢力に革命されると思ってるから。
日本の場合は完全に統一教会と創価学会の連立政権に革命され天皇すらすげかえられてしまったほどだしな。
もう実質滅んでるよ。
0801人間七七四年2019/05/02(木) 17:37:52.70ID:DOqGIkc7
>>798
なお破門解かれてすぐ敵対した模様
0802人間七七四年2019/05/02(木) 17:39:56.84ID:7dKZfx8v
政治的に世界最高に成功した宗教は共産主義だろ。
この宗教は一時期は世界の半分を制覇した。
ゴルバチョフ書記長の頃に崩れ随分と勢力は減退したけど
まだ中国などの強豪国が生き残ってる
0803人間七七四年2019/05/02(木) 17:45:01.10ID:Hh+VRnul
イデオロギーと宗教は別物
イデオロギーで言ったら資本主義だって大成功を収めてる
0804人間七七四年2019/05/02(木) 18:56:27.71ID:DGmbCPC2
信長が宗教勢力の武力を壊したなんて事実はない
石山合戦以降も、秀吉や家康が本願寺の軍事力に期待を寄せてるが指摘されてるからね
0805人間七七四年2019/05/02(木) 19:36:31.75ID:g7slIFPM
宗教勢力の推移
政治的願望達成するため天皇すら脅迫→武家と組んで軍事行動まで→
→武家に降伏、以後武家の仰せのままに(ここが信長のやった部分だろね)
→武家に命じられて武装解除(ここが秀吉家康かね)

まあ細かいこと言えば、和睦後顕如の護衛に織田家臣派遣してるから、
これを武装解除の初期と捉えることも出来るかも知れんけど
0806人間七七四年2019/05/02(木) 19:46:42.86ID:DGmbCPC2
石山合戦の終結が本願寺教団に変化をもたらしたなんて事は否定されてるよ
0807人間七七四年2019/05/02(木) 19:58:10.72ID:4vBfQ/ob
そのソースは何よ?
0808人間七七四年2019/05/02(木) 20:22:01.69ID:7dKZfx8v
秀吉の刀狩りが決定打なんじゃね?
僧兵の軍事力は削げなくとも
彼等に付き従う信者の農民は丸腰にしてやったわけだから
もう軍事的に公儀に反抗できないだろ。
0809人間七七四年2019/05/02(木) 20:40:07.67ID:DGmbCPC2
>>807
神田千里 信長と石山合戦
0810人間七七四年2019/05/02(木) 20:41:13.43ID:7dKZfx8v
信長が本願寺を撃破したという事実は残念ながら無いな。
当時も講和と言ってたし文字通り武装解除などは一切させてない。
根拠地である石山をどかせて南方に追い払っただけだし。
だからその後、信長も秀吉も本願寺の主力部隊である紀州雑賀衆を
武装解除させるため散々苦労したわけだし。
秀吉が本願寺をほぼ武装解除させたというなら正しいと思う。
0811人間七七四年2019/05/02(木) 20:52:22.53ID:DOqGIkc7
>>810
アベノセイダースは黙っててくれないか
0812人間七七四年2019/05/02(木) 22:05:49.35ID:fnqqoHxj
>>810
それは流石に。
信長が石山合戦してなければ、秀吉は大坂に城すら築けなかったし、本願寺の武力はまだまだ健在だったよ。

最近は信長を過小評価して、何でもかんでも秀吉、家康の事績にするんだね。
0813人間七七四年2019/05/02(木) 22:24:00.31ID:nmQZI3TF
織田は北陸の一向一揆潰したのもでかい、これと石山退去で
本願寺は残党が暴れているけど勢力としてはそこらの大名レベルまで落ちたし
0814人間七七四年2019/05/02(木) 22:36:28.16ID:DGmbCPC2
全然そんな事なく秀吉、家康からも頼りにされてる
0815人間七七四年2019/05/02(木) 23:01:40.22ID:6l0rugjV
それは軍事的勢力としてではなく宗教の指導者としてでしょ
九州征伐で秀吉は下間頼廉を連れて行って南九州の門徒の説得にはあたらせたが、軍事力は行使していない
0816人間七七四年2019/05/03(金) 00:03:27.95ID:3OFecvk5
いや普通に軍事力を期待して一揆の依頼してる
0817人間七七四年2019/05/03(金) 00:24:13.76ID:gMKMqCO7
ではその根拠となる史料なり物証なりを提示して貰おうか
0818人間七七四年2019/05/03(金) 00:26:36.84ID:EfEy3qui
さっき書いたじゃんか
0819人間七七四年2019/05/03(金) 00:28:35.49ID:gMKMqCO7
史料と物証と言ったのであって
都合のいい学者の論説とは言ってないぞ
誰それの論説を根拠としたいのであれば
その人が何を根拠としているのかきちんと引用して説明するべき
0820人間七七四年2019/05/03(金) 00:40:11.28ID:EfEy3qui
秀吉の勝家に対する加賀一揆、越中一揆の依頼→本願寺文書 越加雑記抄
小牧長久手時の家康の本願寺に対する秀吉への反旗依頼→大谷派本願寺文書
家康、信雄についた和泉門徒が実際に蜂起して岸和田城を攻撃するも頼廉が止めるように通告→真光寺文書
佐々成政が秀吉と敵対し利家と交戦した時に頼廉が能登門徒に蜂起しないように通告→本誓寺文書
そしたら今度は信長によって本願寺の武力が解体されたとは何書いてあるのか史料提示してね
0821人間七七四年2019/05/03(金) 00:57:30.53ID:xhdlnY0/
>>817
菅沼乙w
このスレじゃいちいちそんなもの出さなくても話が通るんだよw
お前みたいなヤツは史料厨としてバカにされるだけだ
0822人間七七四年2019/05/03(金) 01:01:53.90ID:rRpt4z6g
>>820
それ門徒が勝手に暴れてるだけじゃないの?
石山合戦までみたいに、本願寺の総帥が司令出して動いていたの?
中央司令塔が機能してないなら、実質解体したのと変わらない。残党が暴れてるだけだよ。

本能寺以後の織田政権にしても、甲斐武田の天正壬午にしても、中央司令塔が既に無くなり、残党が好き勝手していただけだし。
0823人間七七四年2019/05/03(金) 05:17:37.11ID:pk6goj2y
というより一揆して暴れる暴れてもすぐに蹴散らされる程度にまで弱体化してるんだから、一時期に比べれば随分と弱体化してる。
0824人間七七四年2019/05/03(金) 05:38:25.16ID:jXPiy9qo
個人的な都合のいい論説はどうでもいいらしいよ
だから信長が宗教勢力の武力を壊したとする史料提示しないとね
0825人間七七四年2019/05/03(金) 06:50:10.25ID:gMKMqCO7
まず物証として本願寺の石山退去後、
一向一揆と呼ばれる大規模な一向衆の武力蜂起が起こっていない
史料としては天正4年の時点で既に寺社勢力の武装解除が進められていたことが
剣神社文書で確認できる
0826人間七七四年2019/05/03(金) 07:22:52.05ID:jXPiy9qo
実際は秀吉家康が本願寺に軍事協力を要請し、頼廉が一揆に自制を通告するなど武力解除はできてなかったっことだね
0827人間七七四年2019/05/03(金) 07:49:45.66ID:f+g4F5N5
依頼したってだけやろ?
実際にその依頼に応え蜂起が行われた形跡はあるの?
蜂起が起こっていたなら寺社の武装解除は進んでいなかった一定の物証になりうるが
そうでなければ寺社には要請に応えるだけの力を失っていたと言う証明になるぞ
0828人間七七四年2019/05/03(金) 07:56:06.36ID:jXPiy9qo
武力解除が進んでいた勢力に軍事協力を依頼する矛盾
独断で蜂起した和泉門徒らがいたけど教団側が自制するように通告してるからね
まあいい加減スレチ過ぎるな
0829人間七七四年2019/05/03(金) 08:30:34.81ID:L+DTl//V
下間頼廉の息子に大谷刑部の妹だか娘が嫁いだんだって、つい最近までしらなかった
0830人間七七四年2019/05/03(金) 10:14:06.80ID:o4JPqhGh
>>824
菅沼はスレを荒らすな
0831人間七七四年2019/05/03(金) 14:08:22.12ID:Nl4oPAXt
ぶっちゃっけ宗教勢力の武力を完全破壊まではできなかっただけで
信長は武力破壊はしてるが正しい

完全破壊していないくてある程度残党が残っていることをもって信長は武力解除していないは詭弁の類だな
0832人間七七四年2019/05/03(金) 14:14:42.56ID:L+DTl//V
しかし勅命講和で大坂石山を退去し、総本山につき、下京に新たな替え地をもらってからは本願寺はめっきり大人しくなったな
0833人間七七四年2019/05/03(金) 14:27:53.73ID:gMKMqCO7
てっきり長島みたいに皆殺しにされるかと覚悟決めてたら
意外と厚遇してくれるんでノブファンになっちまったとか?
0834人間七七四年2019/05/03(金) 14:44:30.12ID:lhYIgcza
撫で斬りは一回だけやるから効果ある

何度もやったら殺されると認識するから降伏しなくなる
0835人間七七四年2019/05/03(金) 14:50:11.23ID:XAjMynRB
息子の1人は約束破ったのによく許したよな
2つに分ける布石にしたのかもしれんが
0836人間七七四年2019/05/03(金) 14:59:55.07ID:nYp2iSZm
>>835
信長は実際甘ちゃんだからな。
織田信勝、松永久秀とかも一度は助けてるし。
0837人間七七四年2019/05/03(金) 16:38:02.80ID:gMKMqCO7
しかも信行の場合、彼の子供を重用して傍に置いているくらいだからな
氏真の時もそうだが腹が据わってるのか親の仇のような負の環状に無頓着だったのか
0838人間七七四年2019/05/03(金) 16:43:04.96ID:L+DTl//V
その名は、津田信澄。信長と家督を争って命を落とした、勘十郎信行の忘れ形見である。
0839人間七七四年2019/05/03(金) 17:34:47.61ID:AvD83Grp
敵対者、裏切り者でも割とすんなり許すのは信長の特徴
と言っても繰り返し裏切って許されたのは松永くらいだと思うけど
0840人間七七四年2019/05/03(金) 18:03:38.48ID:gMKMqCO7
勝頼もノブを見習って敵対者に寛大になれてたな・・・
0841人間七七四年2019/05/03(金) 18:43:50.92ID:j1SebWKH
すんなり許すけど十年以上たってからふと思い出して追放する信長
まぁ単なる理由付けだろうけど
0842人間七七四年2019/05/03(金) 18:55:54.88ID:L+DTl//V
三方ヶ原で、石を投げ付けられただけでパニック状態起こし、友軍の平手汎秀にお構いなしに岡崎までバックレた佐久間に対する恨みは強かったのかねえ
0843人間七七四年2019/05/03(金) 19:05:14.97ID:nYp2iSZm
>>842
佐久間の場合は、信盛より信栄だろうな。
それと明智の讒言があったかどうかによるかと。
0844人間七七四年2019/05/03(金) 19:17:49.09ID:1i1rB1Lq
>>842
パニック起こしたってのは何の史料に載ってるの?
0845人間七七四年2019/05/03(金) 21:13:19.23ID:MVx9E/F4
佐久間や林は役立たずを追放しただけだろ
いくら古参の古株だろうが宿老だろうが働きが悪けりゃリストラの対象にできる
これも武田家じゃ不可能なシステム
0846人間七七四年2019/05/03(金) 21:15:52.42ID:iWtJnMgM
武田も粛正してるよ
0847人間七七四年2019/05/03(金) 21:21:11.40ID:yGikqzMr
佐久間は明らかに信長に対して報連相を怠ってる
0848人間七七四年2019/05/03(金) 21:39:03.42ID:Gbh/RdbG
報連相をしつこいほどした秀吉のせいなんですけどね
0849人間七七四年2019/05/03(金) 22:15:06.51ID:nYp2iSZm
>>846
飯富は都合よく義信事件で消したよな。
0850人間七七四年2019/05/03(金) 23:21:03.86ID:aI8TS4bB
>>845
そういう事をしてるから荒木や明智に裏切られるんだよ
0851人間七七四年2019/05/03(金) 23:50:39.64ID:yGikqzMr
>>850
佐久間の件は荒木謀反の後だけど
要するにお前のようなあふぉが真っ先に追放されるいい例だな
0852人間七七四年2019/05/04(土) 00:40:49.28ID:+mRawHxB
信長の佐久間の処断は、武田がどうこうじゃないのね。
天下を統一するってことは、もう戦争がなくなるわけよ
こうなると無駄な軍事力は邪魔になって排除しないといけない
この軍事力の抑制が佐久間林を潰すこと
徳川幕府だって有力な外様を消したり、本多正純を粛清している
明治政府も大名を潰して武士という邪魔な身分を潰した
0853人間七七四年2019/05/04(土) 01:01:45.66ID:veHX1SjC
だからだ、妓憐、静かに、丁重に、信盛の冥福を祈ってやってくれまいか
0854人間七七四年2019/05/04(土) 03:37:57.38ID:7Bbj20mh
勝頼は老臣と仲が悪かったというけど、少しは互いに仲良くできなかったものなのかね? プライドと言うか、なんというか……。
0855人間七七四年2019/05/04(土) 04:48:38.68ID:+mRawHxB
本来は四天王さんが勝頼を支えないといけない立場
信玄の場合、信虎クーデターの首謀者の板垣甘利オブが仕切っていたから信玄はそれに乗っかるだけでよかった
板垣甘利の死後、人望があって信玄以上に当主に相応しい立場だった信繁が
信玄と国人家臣の軋轢を緩和させていた
その信繁の死後、信玄とオブが対立してしまう

勝頼に、こういう有能な信繁みたいな黒子がいたら少しは状況は変わっていたかもしれない
上杉の交渉役の高坂がどこまで勝頼と一枚岩の関係だったのか?も問題になる

秀吉なら秀長かな
国家、組織っていうのは仲良しばっか集めてもよくならない。組織内で敵対して争っている方が
問題点を明確に浮き彫りして対処しやすいでしょうね。
秀吉の真骨頂は、こういう内心反発している武将をいかに手なずけるか
名将っていういのはここが上手かった。信長家康も秀吉とは違う味があった

保守がいたらリベラルがいてもいい。安倍ちゃんはどういう武将なのか?
0856人間七七四年2019/05/04(土) 07:19:38.63ID:qAkNkqr1
>>852
織田はちと早過ぎだと思う
徳川まで遅らす必要はないだろうけど
0857人間七七四年2019/05/04(土) 07:22:26.45ID:qAkNkqr1
>>854
実社会でも、社内間の足の引っ張りの方が多かったりするし
業績が悪くならば、尚の事
0858人間七七四年2019/05/04(土) 07:58:56.44ID:vXfxFRyy
お前ら会社の上司やトップが勝頼みたいな人間だったらどうするよ?
我慢して付いていくか、それとも見限って退社するか
0859人間七七四年2019/05/04(土) 08:19:20.88ID:ChNG1/tq
会社なら辞めればいいが
国人は殺されるかもしれないからなあ
0860人間七七四年2019/05/04(土) 08:45:40.54ID:O80NaoCZ
一族郎党がいなければ逐電も選択肢に入るけど実際は一族郎党を養わなければいけないからな
0861人間七七四年2019/05/04(土) 08:58:02.72ID:1ms0zf0t
>>858
勝頼をうまく扱える管理職がいないのも問題だと思うな。脳筋なんだから、そのあたりがうまいやり手が武田管理職にはいないのも問題。
0862人間七七四年2019/05/04(土) 10:35:19.95ID:uLrTTrtf
>勝頼をうまく扱える管理職

義信、管理職とかそういうのじゃないけど
殺した信玄が悪い
0863人間七七四年2019/05/04(土) 10:57:12.79ID:kq98HiXi
義信残しても内乱で史実より酷くなる
0864人間七七四年2019/05/04(土) 11:23:20.92ID:uIixood6
>>842の根拠はまだですか?
どんな史料にその話があるの?
0865人間七七四年2019/05/04(土) 11:57:25.02ID:veHX1SjC
菅沼、いい加減にしろ
0866人間七七四年2019/05/04(土) 13:56:04.53ID:3nZNL0UW
この粘着荒らし君は武田関連のスレを荒らしていないと死んじゃう病気だから仕方ないね
0867人間七七四年2019/05/04(土) 14:22:59.95ID:/LDEKwA0
史料的根拠を求める声は排除していい加減なこと書き放題のスレにしたいよね♪
0868人間七七四年2019/05/04(土) 15:13:03.77ID:6RZIqEEW
何から何まで根拠根拠ってのも息苦しいが、適当な事書いて根拠は?って言われたら逆ギレなのもどうなんやろな
0869人間七七四年2019/05/04(土) 19:07:18.92ID:Iwh/kfYc
馬鹿にされがちな佐久間だからって石投げられてパニック起こして逃走なんて
好き勝手言いすぎだと思う
0870人間七七四年2019/05/04(土) 19:18:09.21ID:+mRawHxB
別に本願寺と戦争をしたのは信長だけじゃない
畠山三好筒井もやっている
本当に政教分離をして坊主から武力を奪ったのは徳川幕府
0871人間七七四年2019/05/04(土) 19:21:01.52ID:Vf8qQRem
その中で本願寺を屈服させたのはノブだけじゃないか?
0872人間七七四年2019/05/04(土) 20:02:18.68ID:8gXJXXYI
一番ヤバい時期の本願寺を弱体化させ屈服させたのが信長で
残党や弱体化した本願寺から武力を奪ったのがその後の為政者
0873人間七七四年2019/05/04(土) 20:30:59.40ID:oJ8+wBIO
水役之者の話だろ
三方が原の水役之者は300人も居たらしいが、それだけで逃げたというより、その後で本攻撃が来るのが判ってたから逃げたんだろうな
「退き佐久間」の異名って実はさっさと諦めて脱兎のごとく逃げ出すから被害が少ないってだけの話を
織田にはこれだけの勇将がいますっていう他国向けの宣伝のために撤退戦が上手いってことにすり替えただけだからな
しかしおかげで佐久間隊はほとんど被害が無かったし、逃げなかった平手の末路を見ればあの時に限っては正解の判断
0874人間七七四年2019/05/04(土) 20:38:40.73ID:Vf8qQRem
佐久間は浜松方面に逃げたけど
平手は武田の末端部隊が展開していた三ケ日方面に逃げたから
武田に捕捉されたんとちゃうの?
0875人間七七四年2019/05/04(土) 23:41:37.91ID:B6V9bR/J
一番ヤバい時期の本願寺を弱体化させ屈服させたのは朝倉宗滴じゃないの?
0876人間七七四年2019/05/04(土) 23:43:58.43ID:B6V9bR/J
本願寺側の発表では本願寺軍が30万人に対し、朝倉宗滴が1万の兵で
完膚なきまでにボッコボコにして屈服させたんだよな。
信長のように坊主相手に10年も戦って和睦なんて情けない闘いはしてない。
0877人間七七四年2019/05/04(土) 23:47:38.49ID:8gXJXXYI
>>875
屈服?
追い払いはしたが加賀を支配出来たわけじゃないぞ
一部は支配したりもしたが
0878人間七七四年2019/05/04(土) 23:54:07.33ID:B6V9bR/J
加賀国・越中・能登・越前の一向宗門徒連合軍が朝倉家を襲ったがボッコボコにされたために
越前への侵攻を諦めて一向宗は南下政策をとり畿内と東海地方を目指したんだよな。
尾張・三河では信長・家康に撃退されて勢力が根づく事はなかったけど石山や長島で
勢力を広げる事には大成功した。
0879人間七七四年2019/05/05(日) 00:06:21.89ID:HXYWU1v1
畿内東海はもとからだぞ
0880人間七七四年2019/05/05(日) 00:13:03.91ID:KEy1kHoo
>>876
実際は1万かそこらだろ、当時の加賀の人口を見るに
0881人間七七四年2019/05/05(日) 00:57:53.35ID:mUit/lSn
>>873
だから史料ではそこで逃げたなんて書いてあるのか?
ウソはいかんよ
0882人間七七四年2019/05/05(日) 01:16:56.66ID:pKJzxXKl
信長の折檻状にもある通り、三方ヶ原の佐久間は逃げ腰でロクに戦わなかったのは史実だろう
消極的だったのは信長の指示でもない

やる気がなかった理由は石のせいかもしれないし、作戦面で家康と合わなかったからかもしれないし、私欲や護身のことしか考えてなかったからかもしれないし
何とも言えない
0883人間七七四年2019/05/05(日) 01:28:59.95ID:MVX52Ria
信長は三方ヶ原への援軍として3万人の兵を佐久間と平手に持たせたんじゃなかったっけ?
両名はそのうちの9割を尾張の防衛や三河の防衛に回してしまい3000人しか浜松城に連れてこなかったので
家康を大いにガッカリさせ、しかもあろうことか信玄との戦いでいち早く遁走してしまった
佐久間のせいで徳川軍が大損害を被ってしまったので信長も家康に顔向けできなかったろう。
平手はまだ申し訳ないと思って戦死したからセーフだが佐久間は完全にAUTOだわな。
0884人間七七四年2019/05/05(日) 05:02:47.65ID:JQbvCFZJ
三方ヶ原合戦は午後4時くらいに始まったのが本当なら珍しいケース、旧暦12月ならほぼ夜戦だろ?
0885人間七七四年2019/05/05(日) 08:21:58.89ID:i1qwv78t
午後5時過ぎればもう真っ暗でまともな戦闘は無理やろ
武田の圧勝みたいに言われてるけど
実際はほとんど小競り合いに近かったんじゃないの?
で、土地勘無くて道に迷った平手が優勢な武田の部隊と鉢合わせして戦死したと
0886人間七七四年2019/05/05(日) 08:25:08.48ID:i1qwv78t
>>883
当時の状況で織田が3万の軍勢を捻る出せるとは思えんのだが
確かに佐久間くらいの重臣に持たせた兵が3000は少なすぎるが
0887人間七七四年2019/05/05(日) 08:40:34.73ID:gJPM6gwh
3万じゃなくて1万8千かと

信長の指示は籠城して耐えろだったので支城に兵を分散するのは問題ないのでは?
0888人間七七四年2019/05/05(日) 09:58:51.59ID:FH4s3oCP
確かに三方ヶ原のあと、武田は吉田に向かわず、わざわざ山深い野田に行ってるのが理解に苦しむ。吉田を落としたら徳川領を東西に分裂させられるし、織田の援軍も断つことができるのに。
0889人間七七四年2019/05/05(日) 10:05:44.81ID:gJPM6gwh
平野部まで進出して城攻めはしない方針
装備に金がかかるから浜松攻めも物理的にできなかったという説もある
0890人間七七四年2019/05/05(日) 11:01:05.52ID:BvIrdmCs
そんなに金なくて、体調も良くないのであろうに
何で遠征してんだってのはタブーなんだろうな
0891人間七七四年2019/05/05(日) 11:19:23.82ID:prl8KHiT
>>890
武田信玄からすると、金無くて、体調も良くないから、余裕がある内に短期決戦したかった
時間は織田方の味方なので、ワンチャン狙った
がしかし、武田方には決戦を強要する策は無かった
0892人間七七四年2019/05/05(日) 13:25:47.87ID:JQbvCFZJ
元々は本願寺の依頼だからね、信玄の西上。
信玄が主体的に動いたわけじゃない。
信玄はあくまでサポートであって、信長を岐阜に釘付けにするのには成功してる。
0893人間七七四年2019/05/05(日) 13:47:57.06ID:BvIrdmCs
サポートなら本人自ら動かない方が良いだろうに
体調良くも無いのに無理すから、最悪のタイミングで寿命になる
0894人間七七四年2019/05/05(日) 14:06:59.69ID:BvIrdmCs
考えようによっては、武田家には最悪のタイミングでも
信玄にとっては最高のタイミングだったか
そのおかげで、あと少し寿命があればと言ってもらえる
52歳で病気持ちなら、死後を考えて行動すれば良いものを
0895人間七七四年2019/05/05(日) 14:32:55.34ID:+yeZIPid
甲陽軍鑑読むと、
三方ヶ原では武田左翼の小山田は追い散らされて、馬場が助けに入って事故なく勝った
右翼の山県勝頼は酒井と家康らを追い散らしたと書かれていて、
取った頸の数も山県13勝頼63で馬場らの取った数は書かれていない。

そのままに受け取るなら徳川織田右翼の佐久間は最初優勢に進めていたが馬場に押し戻された
左翼の酒井や中央の家康は勝頼山県に完全に崩されたみたいになるので、
甲陽軍鑑に基づくなら佐久間は徳川勢が敗退したから自分も撤退したになりそう。
0896人間七七四年2019/05/05(日) 14:34:26.17ID:+yeZIPid
>>886
10月には織田主力は帰国して、浅井朝倉は秀吉らに任されているし、
朝倉も12月初めに撤退してるから、当時の織田は結構余裕ある。
0897人間七七四年2019/05/05(日) 14:41:38.37ID:5qVjf5jh
>>895
それを根拠なく投石にびびって逃げたとか書いてるのがいたのか
ひどい話だな
0898人間七七四年2019/05/05(日) 14:42:13.40ID:JQbvCFZJ
>>893
信玄自ら動かないと効果薄いでしょ
0899人間七七四年2019/05/05(日) 15:12:57.93ID:qgiozt1Z
朝倉浅井が逆に余裕なくて浜松に手なんて出そうもんなら織田の本格的な介入招く恐れがあるから
浅井朝倉が織田に仕掛けるまで山中うろうろしてただけやろ
0900人間七七四年2019/05/05(日) 15:16:01.42ID:JQbvCFZJ
まあ朝倉に「なんで引っ込んだん?」と詰問してるしな
信玄に信長と単独で戦うなんてしないでしょ
0901人間七七四年2019/05/05(日) 15:45:43.62ID:vR8m4+Ff
浅井より先に木っ端微塵に滅んだ朝倉頼みかよ
だいたい他勢力と協闘なんて信玄が一番出来ない事
同盟を常に自己都合で裏切り続けた奴が言えた話じゃないわな
まあ信長包囲網などしょせんその程度よ
みな他の勢力を横目でチラッチラッと眺めながら
「おい…お前行けよ…」「お、お前こそ…」
これが正体
0902人間七七四年2019/05/05(日) 16:37:14.10ID:aYgVGCfU
いくら浅井朝倉に限界が迫りつつあっても、1572から1573の挑戦は決して無謀ではないと思う。勝頼の時に浅井も朝倉も長島もいなくなった状況で織田徳川に当たることこそが無謀と言う。
0903人間七七四年2019/05/05(日) 16:40:35.11ID:BvIrdmCs
52歳病気持ちなら無謀
防衛戦でもあるまいに
0904人間七七四年2019/05/05(日) 17:06:38.88ID:BvIrdmCs
ちなみに、武田の有力家臣も遺言で残してる
「身の程を知れ」
意味:望みを持ったり、行動に出ようとしたりする時には、自分にふさわしいかどうか、許されるかどうか、自分の能力や立場について考えよということ

まぁ、有力武将だったけど、信玄には響かずって感じやね
52歳だけじゃなく、病気持ちなんやと
0905人間七七四年2019/05/05(日) 17:10:15.42ID:i1qwv78t
>>890
本願寺に脅迫されてたんだろ
織田を攻めないと一揆を起こすぞって
0906人間七七四年2019/05/05(日) 17:48:39.86ID:2HBStZoO
徳川との関係が終わってるのがそもそもの発端
黒幕は家康
0907人間七七四年2019/05/05(日) 18:33:50.19ID:CXX0xyZt
>>904
誰のこと?
0908人間七七四年2019/05/05(日) 18:37:24.73ID:K6ywgv0t
当時の状況で武田単体で織田徳川と戦って勝てるわけがない
だから信長包囲網を利用して勢力を拡大して織田に圧力を掛けた
包囲網の役割として武田は十分に仕事をした
浅井朝倉はなにをやっていたのか

そもそも、武田が上洛して織田を対決するとか、なんの得にもならんわけよ
ただでさえ余裕がないのに被害と遠征の軍費で下手したら国が崩壊しる

包囲網が武田が織田を討つお膳たてをしたように見えるが、信玄からすれば
足利本願寺浅井朝倉のために兵を犠牲にする気はないわな
0909人間七七四年2019/05/05(日) 18:49:03.34ID:i1qwv78t
まぁ上杉の動きが心配だし体調も悪いし早く帰りたいって言ってるのに
本願寺がそれを許してくれないから仕方なく野田城攻めてる有様だし
0910人間七七四年2019/05/05(日) 19:05:21.93ID:0qfxgphf
志賀の陣の頃に武田が西から圧力をかけるように動いていたならば、あるいは、もあっただろうが、1572年は手遅れに近いからな。
0911人間七七四年2019/05/05(日) 19:31:11.09ID:vR8m4+Ff
朝倉に動けとか無茶を言うな
越前は冬になれば雪に閉ざされる
そういや三方が原も当日は雪だったくらいだからな
犀ヶ崖で武田軍がマヌケな大量転落死したのも雪で地形を見誤ったからだろう
ついでに信玄の体調が一気に悪化したのも寒さにその一因があるだろうな
そんな時期を選ぶのが悪い、自業自得だわ
0912人間七七四年2019/05/05(日) 19:35:29.02ID:i1qwv78t
信玄『上杉の動きが心配だし体調も悪いし朝倉も手引いたみたいだしもう帰りたい』

本願寺 『ダメだ!早く織田と決戦しろ。さもなくば甲斐の門徒に一揆を起こさせるぞ!!』

信玄『そ、そんな・・・』
0913人間七七四年2019/05/05(日) 20:43:45.05ID:qgiozt1Z
>>912
震源は織田の面子に泥塗りたくってるから本願寺がーはあまりにもくるしくないか
0914人間七七四年2019/05/05(日) 20:57:03.34ID:WD9HKV/8
信玄と顕如の正室が姉妹だったからお互い利用しただけでしょ
0915人間七七四年2019/05/05(日) 21:30:19.88ID:MVX52Ria
信玄と宗教っておもしろいよな
神道系の諏訪明神、浅間信仰
仏教系の八幡神、臨済宗、本願寺、日蓮宗の守護者だったものな。
一方、謙信は毘沙門天なんて下位神にのみかぶれてるのもおかしい。
仏様は大きく分けて@如来 A菩薩 B明王 C天 の順に偉さが落ちていって
@釈迦如来 阿弥陀如来 薬師如来 大日如来etc
A千手観音菩薩 弥勒菩薩 文殊菩薩etc
B不動明王 孔雀明王 愛染明王etc
C弁財天 大黒天 毘沙門天etc
最下層に近い仏様だろ
0916人間七七四年2019/05/05(日) 21:34:06.95ID:MVX52Ria
謙信は本当に神仏の存在を信じてたように思えるが
信玄は単に利用価値があるから使ってやるという態度だったよな。
どう考えても本気で神仏を信じてはいない。
0917人間七七四年2019/05/05(日) 21:36:41.30ID:i1qwv78t
日本海航路と青苧で金持ちの謙信と
貧乏な信玄の違いだろ
謙信には倫理や道徳に気を遣う余裕があったが
信玄にはそんな余裕は無かった
0918人間七七四年2019/05/05(日) 22:33:52.08ID:LajG2GQ2
>信玄と宗教っておもしろいよな
>神道系の諏訪明神、浅間信仰
>仏教系の八幡神、臨済宗、本願寺、日蓮宗の守護者だったものな。
>一方、謙信は毘沙門天なんて下位神にのみかぶれてるのもおかしい。

そうなんだ
謙信の信仰対象は毘沙門天だけだったのか
確かに更科八幡宮に願文を捧げているのは景虎って人だもんな
飯塚八幡宮所蔵の願文は「藤原輝虎」って人のものだから
上杉謙信とは明らかに別人だし

どうして上杉謙信って八幡神を信仰しなかったんだろうな?
0919人間七七四年2019/05/05(日) 22:41:55.80ID:LajG2GQ2
上ニ者梵天帝釈・四大天王・惣而日本之大小神祇、殊ニ者麻利支大尊天・愛宕・八幡大菩薩・
春日大明神・天満大自在天神可蒙御罰者也、仍如件

永禄十年五月十六日 輝虎
色部修理進殿


上杉謙信もこの輝虎って人みたいに毘沙門天なんか完全無視するくらいのことすればいいのにね
なんで上杉謙信はそんなに毘沙門天にかぶれたんだか

>>915さんは理由知ってる?
0920人間七七四年2019/05/05(日) 23:30:30.16ID:1d+oM/D+
いやそれ謙信だから
0921人間七七四年2019/05/05(日) 23:45:12.63ID:1d+oM/D+
>>916
んなわけないだろ
現代人の感覚とは違う
何事においても祈祷や願文奉納の時代だから神仏に対する意識は高い
てか一次史料見ても特に信玄は神仏を心の拠り所にしていたように思うけど
0922人間七七四年2019/05/06(月) 00:57:51.93ID:P6aPCwKr
>>911
でも冬でないと上杉がいつくるかわからないからな…
0923人間七七四年2019/05/06(月) 05:13:02.44ID:ELJEs/nI
皮肉だろ
0924人間七七四年2019/05/06(月) 06:45:41.84ID:tCgbCBFT
トップは部下に任せるのも大事って話やろな
52歳で病気持ちなんだし
それで負けるなら、それも又自身の能力なんだよ
0925人間七七四年2019/05/06(月) 08:13:58.01ID:up6fbVNW
信玄ビンボーとよく言われるけど、領内に金山あるし、石高も100万石超えだからビンボーと言えるのか?

むしろ信玄がそのビンボーを脱する政策をしなかったのが致命的なような。

駿河を取ってもその統治は江尻にして、駿府は廃墟にしてしまうし意味がないことしてるし。
0926人間七七四年2019/05/06(月) 10:42:54.14ID:he42GWtW
甲州金って武田家と領土を接する相模とか武蔵とかでも古い倉などから
よく見つかったりするんだよね。意外と武田家は経済力が強かったんだろうか。
0927人間七七四年2019/05/06(月) 11:07:35.28ID:he42GWtW
最近、全国の潰れた蔵にマネーの虎の堀の内元社長が行って
蔵から出土されたガラクタを鑑定するテレビ番組が放映されてるんだけど
神奈川県足柄下郡の「川村家」からも甲州金(一分金?)がとても綺麗な状態で出土してた。
でも川村家の歴史が面白かった。吾妻鑑で最初に出て来るんだけど平家に仕えて源頼朝に負けて
首切られそうになったり南朝方に仕えて北朝方に根絶やしにされそうになったり
常に負け組だけど中興の祖などが出てきて大正・昭和まで歴史の表舞台に顔を出す
変わった一族だったみたい。
0928人間七七四年2019/05/06(月) 11:44:13.25ID:3CPwK/zX
数百年の間に雨で流れ去ってしまったとおもうが、坑内から外に出したガラ山、そこから今の技術で金を抽出できんかのう
0929人間七七四年2019/05/06(月) 12:11:32.44ID:qV4rhOqG
>>925
平地が少なく農地が狭い
季候が厳しく野作物が育たない
地場の寄生虫で死者がボコボコ出るのが近代まで続いた
飲まなくても体が浸かるだけで死ぬ池や沼が最近まであった
↑撲滅宣言したのが1995年
文化商業が育たない、地元で金を落とさない甲斐の商人

裕福な土地で経済大国の上杉北条と経済流通戦略的要所の超大国の美濃が周辺に存在した

さらに武田は上杉禅秀の乱に荷担して一時甲斐から追放。これで戦国大名化が関東の大名と比べると100年近く遅れる。
関東は応仁の乱より30年早く戦国時代に突入していた。この遅れが戦国大名としては致命傷。

まあ武田はだれがやっても無理だね。信虎信玄はよくがんばった方
0930人間七七四年2019/05/06(月) 12:21:16.87ID:tCgbCBFT
東京から中央線で甲府に向かうと
信玄がどうしても駿河が欲しかった理由が分かりはするな
今ですら大変だなと思うのに
戦国時代とかどんな気持ちで向かうんだろと思った
0931人間七七四年2019/05/06(月) 12:55:51.85ID:3CPwK/zX
中央自動車道の談合坂パーキングエリアとか笹子トンネル周辺、見渡すかぎり山だらけ
まさに味わい深きお暮らしぶりじゃ
0932人間七七四年2019/05/06(月) 13:04:00.77ID:gafNHIZ3
中央道・中央本線は名古屋方面の山もなかなか強烈
0933人間七七四年2019/05/06(月) 13:18:59.67ID:2rm8wKGm
なぜ駿河を取ったなら、駿府を拠点にしなかったのか? 江尻に拠点なんか置いたのか?

武田のあとの徳川、中村が駿府に拠点を戻してるし、信玄はそのあたりも問題あるのでは?
0934人間七七四年2019/05/06(月) 13:33:50.62ID:qV4rhOqG
あのね、拠点を移すは、そんな簡単なことじゃないんだよ
例えば首都を東京から福岡に変えると言ったら東京の大企業や生活している住民は怒るだろ
物価が高く苦労して築いた生活を捨てて福岡に移動するのか?
関東に残るにして、確実に廃れて行くわけ。これに我慢できるにか?
駿河に拠点を移すると、甲斐信濃の国人の不満がでるわけ。こういう構造をイチから作り変えるのが首都移転なんだよ
少し考えたら分かるでしょうに
0935人間七七四年2019/05/06(月) 13:35:20.37ID:3CPwK/zX
足利幕府に力があり、幕府の命令で、という体裁が整えばそれもできたろうな。
富士周辺や大月に土着する口うるさい御親類衆を鉢植え移転させ、領国を再編するいい機会になったろう
0936人間七七四年2019/05/06(月) 13:38:35.79ID:2rm8wKGm
>>934
拠点移す、というか、駿河経営の拠点はやはり駿府が良かったんじゃないのか、という意味。

それと簡単にできないというけど、織田信長も徳川家康もしてる。特に家康は、信玄より小勢力なときに岡崎から浜松に移してる。

そのあたりを何とかしてこそ、信玄じゃないのかな?
0937人間七七四年2019/05/06(月) 13:44:46.41ID:qV4rhOqG
そら織田徳川は特例だろw
出自みればわかるやん
譜代家臣も新参やら追放やらで復帰している関係性
あと真田弱小は、あそこまで北信濃に拘ったのか?
徳川も駿河から江戸に移転するのが簡単だったと思う?

じゃ首都移転も簡単だよね

まったく反論になってないよ。
0938人間七七四年2019/05/06(月) 13:52:07.31ID:98lq2bv6
真田丸と直虎に出てきた勝頼がかっこよかったので、勝頼イメージ良くなって得したよな。
0939人間七七四年2019/05/06(月) 13:53:07.45ID:BpdRI0Bo
>>936
甲信との連絡を考えれば江尻が最も適しているのだが、逆になぜ駿府にこだわるんだ
0940人間七七四年2019/05/06(月) 13:53:17.39ID:qV4rhOqG
真田とかみればわかるだろ
こういう地元に密着している面倒くさい国人がいるのに
さらに信玄は信濃を支配するための大義名分に信濃守護職をゲットしたわけ
つまり信玄は信濃の国人を納得させるために甲斐信濃にいないといけない
0941人間七七四年2019/05/06(月) 14:11:08.45ID:QK2fCNW4
甲斐は山地が多すぎて平地でも日照時間が少ないクソみたいな土地が多い、あとは>>925
しかも勝頼信玄時代は当時の技術でとれる金脈は取り尽くしてる

江戸時代も天領になったり領主はいても甲斐には住んでない状態が続き全く国の色がない

海も無ければ新しく開ける土地もない、特産物も特にない超文化後進国(板垣退助や様々な人物に酷評されてる)
0942人間七七四年2019/05/06(月) 14:57:48.58ID:ywW8d4K6
江尻は物流拠点としては優秀なんだけど
防衛の難しい地形で、津波にも弱かった
0943人間七七四年2019/05/06(月) 15:06:33.02ID:3CPwK/zX
愛知県と山梨県はほぼ面積が拮抗するが、愛知県の西半分だけの尾張すら、元禄には55万石あったのに、甲斐は17万石だからな
0944人間七七四年2019/05/06(月) 15:20:34.73ID:he42GWtW
>>941
山梨県の日照時間は日本一だぞ
https://todo-ran.com/t/kiji/13657
0945人間七七四年2019/05/06(月) 15:27:49.20ID:2rm8wKGm
>>940
えー?
信玄の信濃守護って、第3回川中島で足利義輝が仲介した時に、和睦の代償にくれって言ってくれたおまけだよ。信玄は大義名分もなく信濃侵略していたんだよ。
0946人間七七四年2019/05/06(月) 15:37:30.54ID:tCgbCBFT
>>944
岡山じゃないんだ
なんか以外
晴れの日が多いってのも違うんだろうか
0947人間七七四年2019/05/06(月) 15:52:22.24ID:tCgbCBFT
ぱっと調べた限りだと
降水量1o未満の日が一番多いのが岡山のなのか
一般人のイメージだと、晴れ、曇り、雨(雪)とあると思うけど
曇りってのがある意味無い統計なのかもな
0948人間七七四年2019/05/06(月) 17:34:45.47ID:+qt+7cNl
>>941
>全く国の色がない
これなんだよこれw

山梨にとって他にアピールポイントがない、信玄しかない
だから温泉があったらここは信玄の隠し湯だったんだと強弁するし(いったいいくつ隠し湯にして独占してた強欲野郎なんだよw?って話)
菓子を売ろうと思ったら信玄が絶賛した餅なんだと強弁して信玄餅と名乗るし
ほうとうまで信玄に無理矢理絡めたくて、これは戦国時代からあった、信玄が陣中食にしてた、と来て
あげくの果てには信玄が伝家の宝刀で切って細長くしたから宝刀=ほうとうになったんだ、という
駄洒落まで動員した妄想ストーリーまで展開させる輩まで出てくるw

まあ山梨に限った話じゃないけど、日本の田舎ってやたら町おこし村おこしとかいいたがるくせに
必ずと言っていいほどどこも安易な「観光」と食い物に飛びつくんだけど
そんな田舎の唯一の頼みである観光資産としての現代人の経済上の都合に過ぎないわけよ、信玄の持ち上げは
山梨の場合は信玄しかないからどんどん信玄に過大評価が集中して話だけが大げさに膨らんで神格化されてくわけよ
0949人間七七四年2019/05/06(月) 17:37:13.02ID:+hRCbGGz
現代の様に果物を育てる環境と戦国時代の稲作や畑中心の日照時間を比べるとはナンセンスだな!
0950人間七七四年2019/05/06(月) 17:37:25.00ID:80csfwcV
信玄持ち上げは江戸時代から既にある
信長持ち上げの方が現代目立つ
0951人間七七四年2019/05/06(月) 18:05:43.84ID:9Bkpf5HI
江戸時代の信長は空気
徳川本家の持ち上げられた武田と紀州徳川家に持ち上げられた上杉の2強
0952人間七七四年2019/05/06(月) 18:21:18.33ID:XbXVpWip
信玄餅
0953人間七七四年2019/05/06(月) 18:22:02.41ID:3CPwK/zX
紀州頼宣は真田信之から話を聞くのを大層楽しみにしていて、よく藩邸に招いて軍学の説明を頼んでいたようだな
0954人間七七四年2019/05/06(月) 22:10:13.15ID:he42GWtW
信玄餅や信玄桃(これも菓子)や信玄米(凄く不味い地元米)はもちろん信玄にあやかってるけど
今は山梨の菓子と言えばシャトレーゼだろ。東京・神奈川に住んでなければさっぱり分からないかもしれないが。
0955人間七七四年2019/05/06(月) 22:15:22.32ID:3CPwK/zX
買ったことないけど信玄餅のドロップ売ってるな
0956人間七七四年2019/05/06(月) 22:35:34.81ID:qV4rhOqG
>>945
だから信濃を統治する大義名分に信濃守護を利用いしたわけ
なんで信濃を侵略する側がいきなり信濃守護を名乗って戦争すんだよw
0957人間七七四年2019/05/07(火) 00:09:17.57ID:6SIyNIqG
いきなり関東管領を名乗って関東を侵略した人も居たなぁ
0958人間七七四年2019/05/07(火) 00:18:40.65ID:/VtlZ5m4
>>957
正統に継いでるぞ!
0959人間七七四年2019/05/07(火) 03:06:19.03ID:gJ+TFmMc
信玄って、大義名分を余りに軽んじすぎてた感じがする。そのせいで周りとの外交に一貫性がなく、場当たり的なものを感じる。
0960人間七七四年2019/05/07(火) 09:02:28.45ID:2vyW4PtT
海運で遠方と貿易してないから仕方ない
貿易していれば幕府、朝廷、大名同士がどう繋がってるか分からないから
貿易に不利益が生じる可能性があるから大義名分は大切にする
山奥の武田がむしろ大義名分を気にする必要はない
0961人間七七四年2019/05/07(火) 09:40:11.15ID:kvxJb6GH
>>958
山内上杉家を正当に継いでいるが…
応仁の乱以前から乱世で、関東公方と関東管領が複数在るからなぁ…
0962人間七七四年2019/05/07(火) 12:13:03.02ID:kvxJb6GH
>>958
山内上杉家を正当に継いでいるが…
応仁の乱以前から乱世で、関東公方と関東管領が複数在るからなぁ…
0963人間七七四年2019/05/07(火) 12:34:11.33ID:j0B2siOq
>>958
山内上杉家を正当に継いでいるが…
応仁の乱以前から乱世で、関東公方と関東管領が複数在るからなぁ…
0964人間七七四年2019/05/07(火) 12:36:30.50ID:0e5zpXHp
>>940
子供か一族の人に与えればいいだろ
信濃は信豊か盛信にやっとけばいい
0965人間七七四年2019/05/07(火) 13:08:42.28ID:gJ+TFmMc
武田って一族の人材が信玄末期から勝頼期には凄く劣化しているからな。

信豊なんか絶対無理だし、盛信も若すぎるしやはり不安。

信繁や義信の死が信玄末期から勝頼期に一気にやってきた感じだなあ。
0966人間七七四年2019/05/07(火) 13:11:29.33ID:AtGyKD+T
>>964
そういう問題じゃないでしょw
ゲームじゃないんだから
ほんと、信長の野望で拠点の移転を考えるバカが多すぎるw
まあこの板の連中の大半は信長の野望から戦国に入ってきたからしゃーないか
0967人間七七四年2019/05/07(火) 13:28:15.39ID:gJ+TFmMc
>>966
拠点の移動ができないのなら、最初から全てが無理ゲーだな。信虎でも一応してるし。

別にゲームの話をする気はないが、土地に執着するなら天下なんて無理だろ。
0968人間七七四年2019/05/07(火) 13:43:20.48ID:eScEp4Ry
甲府と駿府じゃ甲府の方が栄えていた気がするけど
甲斐と駿河でも甲斐の方が豊か

そもそも甲府は信濃の佐久、諏訪、伊那、小県などに比べても大きい都市なので本拠地移転なんてしたらそれだけで莫大な金がかかるよ
0969人間七七四年2019/05/07(火) 13:59:40.32ID:AtGyKD+T
移転を前提に考える自体がゲーム脳なわけ
じゃ家康は江戸のド田舎から拠点を京都に移して天下を取ったか?
ゲーム脳的には拠点を近畿に移さないといけないんでしょw
根本的にゲームで考えすぎ、歴史を検証してれば、移転を前提なんて考えにはならんわな
信長の野望みたいに拠点を移しながらの国取り合戦は無理なの
土着の家臣が基本なんだから。

ほんでね、大名が領土を支配権を行使できる範囲は、拠点を中心に200キロの範囲内が限界
つまり、敵に攻められて大名が援軍を出せる限界が、200キロ程度ってこと
全国の戦国大名、島津毛利長宗我部三好武田上杉北条をみても、どこもこれが限界だった
島津をみれば分かるけど、あともう少しで九州を統一できたというけど
福岡を取ることができなかった。これが島津の実力で、ここが限界だったってこと。

じゃなんで三好と信長だけが天下を取れるところまでこれたのか?近畿の周辺、京都に近かったから
ただ単に立地に恵まれていただけ。
0970人間七七四年2019/05/07(火) 14:07:52.66ID:AtGyKD+T
だからね
当時の戦国大名はどこもアホみたいな総力戦をやっていた
普通なら崩壊している。どこも限界を超えてめちゃくちゃやっていた
毎年大災害が起きているようなもんね

つまりね、天下を取る方法は、拠点が近畿付近にあるか
近畿を支配した大名から実権を奪うか
この2択なんだよね
ゲームみたいに国取り合戦しながら全国を統一するとか、戦国大名にこんな体力はない
家康だって実質武田を潰したぐらいだろ
家康の戦国ライフは信玄勝頼相手の14年戦争だったんだよ。
0971人間七七四年2019/05/07(火) 14:43:43.56ID:gJ+TFmMc
>>969
立地に恵まれていた朝倉、六角、赤松は取れなかったのに、立地だけの問題とか。
0972人間七七四年2019/05/07(火) 14:51:31.62ID:gJ+TFmMc
>>970
従います、とか言ってる勢力を潰すバカが何処にいる? それこそゲーム脳だわ。

栃木の足利尊氏や神奈川の源頼朝は、地形に恵まれてなくても天下は取ったがね。総力戦? そんなのいつもやっていた? 初めて聞いたぞ。総力戦の意味知ってるか?
0973人間七七四年2019/05/07(火) 15:04:06.53ID:aJZ50Xbx
>土着の家臣が基本
まさにそれが武田の限界
大名と言っても古めかしい中世型の中小土豪・国人の寄せ集め集合体という脆弱な組織運営を卒業できてないから
船底にこびり付いたフジツボ並みの強固さで土着の土地にへばり付いてる奴等を移動させる権限など武田はとても持ってない、不可能な体制
信長のように尾張→美濃→近江と本拠地を移したり家臣を異動させたりなどとても真似できない
それどころかもし武田が豊臣政権下まで生き残ったとしても、移封を命じられたとしたらそこで万事休す、一巻の終わり
バラバラに空中分解して終わりだろう
徳川の関東移封や上杉の会津移封みたいに耐えられる体制じゃない
結局甲斐の山奥からその都度出て行って荒らしまわれる範囲を荒らす、という山賊みたいな行動が精一杯の集団だったということだ
0974人間七七四年2019/05/07(火) 15:12:19.46ID:AtGyKD+T
あの〜w
これ別に俺が勝手に妄想して書いたもんじゃないんですけど
すべて大学教授が書いた歴史本があるから、総力戦に文句があるなら図書館行ってそれを書いた教授を批判してね

大体、第4次川中島で被害1000〜3000とかね、軍事の常識で言うと最大動員2万だと軍は崩壊しているんだよね
つまり普通なら武田はこの時点で戦える状態じゃないわけ
だから、戦国時代っていうのは毎年、大災害が起きた感じの状況で総力戦をやってるのと同じ
なるほどなって共感したよね

ほんで家康も江戸で立地は恵まれてないよ

ほんといい加減、ゲーム脳すぎ
0975人間七七四年2019/05/07(火) 15:15:49.27ID:gJ+TFmMc
自分は足利尊氏がむしろ不思議に思う。
確か尊氏は下野が本拠地で、建武政権下でも与えられたのは関東。
なのに本領には目もくれず東奔西走して天下を取ってる。

あの時代にあのフットワークの軽さ。
尊氏のカリスマや能力が優秀なのは認めるが、それ以上にフットワークの軽さが凄すぎる。
0976人間七七四年2019/05/07(火) 15:15:53.12ID:6SIyNIqG
>>968
清州は小牧より栄えてたし
おそらくは岐阜よりも栄えてたんじゃなかろうか?
安土なんて信長が来るまで何もない無人の湖岸だったろ
0977人間七七四年2019/05/07(火) 15:18:18.61ID:6SIyNIqG
>>969
家康は随分と根拠地を替えた人間だぞ
岡崎→駿河→岡崎→浜松→江戸→伏見→向島→大坂城二の丸→江戸→駿府
最後の駿府も家康生存中は結構大きな都市に発展したらしいぞ
0978人間七七四年2019/05/07(火) 15:19:43.64ID:gJ+TFmMc
>>974
江戸が恵まれていない。

、、、、江戸は城と城下町が酷すぎただけで、地理的にはかなり便利なところなんだが? 勿論、家康による開発もあるが。

毎年大災害。
まるで毎年、戦争してるみたいな言い方だなあ。ゲーム脳だわ。

川中島の被害は死傷者だろ。死者でそれだけ出てたなら、長篠が14年早く来ていたことになる。
0979人間七七四年2019/05/07(火) 15:20:13.98ID:6SIyNIqG
>>972
足利尊氏は生まれも育ちも京都で荘園のあった足利荘には人生で一度も足を運んだ事がないという説が有力だけど
0980人間七七四年2019/05/07(火) 15:25:14.42ID:gJ+TFmMc
>>979
え? そうなの?
0981人間七七四年2019/05/07(火) 15:26:16.59ID:6SIyNIqG
源頼朝って神奈川なんだろうか?
静岡県の韮崎が根拠地だった気がするが。
その後、平家の追手が来て房総半島に逃げ、さらに武蔵に逃げ、鎌倉に逃げ
あちこち転々とした挙句、最後は守りやすいというだけの理由で鎌倉に居を構えた気がする。
0982人間七七四年2019/05/07(火) 15:29:30.93ID:6SIyNIqG
尊氏は嘉元3年(1305年)7月27日に足利貞氏の次男として生まれた。
生誕地は丹波国何鹿郡八田郷上杉荘(現・京都府綾部市)とされる。
また、旧来は栃木県の足利荘(足利市)出生とされる事が多かったが、
足利荘説は傍証資料に乏しく近年(90年代以降)では概ね否定されている。
ここまでがWikipedia

あと17歳の頃には公卿(高級公家、つまりエリート)だったはず。
征夷大将軍にならずとも最初から朝廷で偉くなる将来は約束されていた。
0983人間七七四年2019/05/07(火) 15:48:17.00ID:6SIyNIqG
高校時代にみんな不思議に思ったはずなんだよね。
なんで鎌倉幕府を滅ぼしたのが栃木県の足利尊氏じゃなくて
群馬県の新田義貞なの?
さらに言えば足利尊氏は天空をワープして京都の六波羅探題を攻め滅ぼしたのか?って
でも実は新田義貞は最初から群馬県の太田市〜高崎市在住で
足利尊氏は京都在住だったと分かると「なんだ当たり前じゃん」と納得できる。
0984人間七七四年2019/05/07(火) 16:14:47.57ID:6SIyNIqG
君主には二通り居て軍司令官タイプの君主(カエサル、チンギスハン、劉邦)
純粋な政治家タイプ(アウグストゥス、源頼朝、始皇帝)
前者のタイプは常に戦地の近くに根拠地を置き、そこが政治の中心になる。
後者のタイプは常に根拠地から動かず前線の司令官に采と兵を預け千里の外から勝敗を決する。
信玄の場合は明らかに前者なわけでなぜ根拠地を躑躅ヶ岬館から動かさなかったのか謎でしかない。
同じ事は上杉謙信にも言える。
0985人間七七四年2019/05/07(火) 16:29:59.13ID:Cy2hBhuf
>>982
>生誕地は丹波国何鹿郡八田郷上杉荘(現・京都府綾部市)とされる。
>また、旧来は栃木県の足利荘(足利市)出生とされる事が多かったが、
>足利荘説は傍証資料に乏しく近年(90年代以降)では概ね否定されている。

ちなみに丹波生まれの根拠って何なんだろ?
0986人間七七四年2019/05/07(火) 16:34:41.31ID:6SIyNIqG
京都府の安国寺 (綾部市)に産湯とされる井戸や尊氏の産髪・産着で作った袈裟が現存する。
とされてるが、それがどうして伝承ではなく史実として認定されたかまでは専門家ではないからよーわからん
0987人間七七四年2019/05/07(火) 16:41:59.13ID:gJ+TFmMc
>>984
謙信の場合は、家族がいなかったからじゃないか?

謙信は子供なし。兄弟いない。頼りになる親族もいない。それで本拠地を関東に移すとか無理だと思う。春日山を託せるような一族がいない。
0988人間七七四年2019/05/07(火) 17:44:46.83ID:AtGyKD+T
>>984
散々書かれてきたけど
信玄謙信は拠点を移したかったのは確かだろうけど
移せなかっただけ
殆どの大名は信長の野望みたいな感じで移転なんてできない
土着の家臣のネットワークの上に大名が存在するんだから
だから毛利だって元就の晩年以降、全然拡大してないだろ
元就の遺言を守ったなんて詭弁。結局、動けないから九州でも敗北し続ける

家康の移転なんて、たらい回しと同じ。
江戸を拠点んして決戦に勝利して天下の実権を奪った
毛利上杉前田も国力的には天下取りの権利はあったけど、それだけ
0989人間七七四年2019/05/07(火) 17:54:44.18ID:aJZ50Xbx
>>983
思わない思わない
そこらへんの経緯や理由は真田広之が陣内孝則にしっかり説明してただろ
六波羅を攻めないと意味ないと
北条の手足はすべて京に送り込んでるから、六波羅倒せば鎌倉は死んだも同然だと
0990人間七七四年2019/05/07(火) 17:54:59.11ID:Ek6gREmy
>>986
頼朝公ご幼少の頃のしゃれこうべの類よりはマシなんだろうけど
綾部説もいまいち物証乏しそうだな
0991人間七七四年2019/05/07(火) 17:56:47.78ID:AtGyKD+T
>>978
アホはレスするな

今でいうと大災害と同じ
少しアホな脳みそで考えたら分かるだろ
全国で戦争が起きて死人が出まくっている状況なわけ
侵略戦争をやったら、刈田や略奪や人身売買で、その土地は荒れまくる
その奪い取った荒れた土地を手にいれたら、まずその土地を復興させないといけないの
ゲームみたいボタンを押せばすべて元通りになると思うなよボケが
土地を捨てた住民も多くいる。だから今川は刈田や略奪を規制した
信玄も晩年になって規制しようとした。それだけ戦争っていうのは被害が大きいの
この辺を考えていないから、ゲーム脳だってこと
0992人間七七四年2019/05/07(火) 17:58:05.60ID:Ek6gREmy
自分的には足利は北条得宗家に近い一族だし尊氏も鎌倉生まれ鎌倉育ちかと勝手に思っていた
0993人間七七四年2019/05/07(火) 18:01:48.09ID:aJZ50Xbx
しかも陣内孝則の近江の屋敷に置いてあった屏風がなぜかちょうど日本地図になってて
その地図を真田広之が扇子で指しながら説明するという図解入り
高校生どころか小学生だった俺でもあれでなるほど!と良く判ったぞ
0994人間七七四年2019/05/07(火) 18:10:06.07ID:9Ts6C5Ol
幸いにして(?)三条夫人が信玄より先に逝去していたが、三条夫人が存命だったら、火種のもとになりかねませんぞ
0995人間七七四年2019/05/07(火) 18:15:09.05ID:gJ+TFmMc
>>991
もういいよ。
年がら年中戦争してたみたいに書いてるのに、何言っても無駄だしな。
0996人間七七四年2019/05/07(火) 18:30:49.91ID:PjFX4vVn
( ・ω・)疲れた‼??
0997人間七七四年2019/05/07(火) 18:39:28.10ID:PlK82ygS
ID:AtGyKD+Tは荒らしだから触らないように
0998人間七七四年2019/05/07(火) 18:44:40.13ID:G6KBwuCc
尊氏が京都育ちは流石に怪しくないかw
一部で有名だが尊氏の字は変わっている
あれは多分オーソドックスな教育ではなく、母親あたりから習ったので漢文の教育を受けてないからじゃないかな
0999人間七七四年2019/05/07(火) 18:52:23.79ID:6SIyNIqG
尊氏は数え15歳の時に治部少輔になってるし京に居たのではないか?
元服と同時に栃木の田舎に居るだけでなれる位だとは思えない。
1000人間七七四年2019/05/07(火) 18:52:30.02ID:9JaUSjaw
。゚(゚^∀^゚)゚。ギャハハ!
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